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薄幸少女はジョウシキを疑わない  作者: 木に生る猫
第一章

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3/10

名前を知る

 数週間ほどの時間が経過した。

 屋敷に来た当初よりも多少は健康的な肉体に近付いたシーナは、ニコニコと笑みを浮かべながら彼を見る。


「……何?」

「みて、ください……もじ……りんご……!」

「ん〜……? ……ああ、この前勉強用に出した……不慣れにしては良く書けてる。まだ腕も動かしづらいだろうに……いいね、優秀な子は好きだよ。……ただ……林檎は果物の一種であって、果物の総称じゃないからね」

「いっ、しゅ……そう……しょ……? ……いみ、なんですか……!」

「……あー……ああ、わかったわかった。ちゃんと説明するから、そんな詰め寄らないで……」


 彼は嫌そうにシーナを引き剥がすと、面倒だと言わんばかりの表情で言葉の意味を説明した。

 そうしつつ、彼はじっくりとシーナを観察する。

 頭はそう悪くなく、言葉を教えていて苛立つようなことはない。

 たまに妙な勘違いが発生することもあるが、基本的には理解するのも覚えるのも早い。

 その話し方はまだまだ辿々しいが、ちゃんと話せるようになるのも時間の問題だろう。


「……はい。わかった?」

「りんご……あか、おいしい……くだもの。くだもの……の、いっしゅ! くだもの……そーしょー!」

「ん、合ってる。……ふぅ……とりあえず、ある程度会話が成立するくらいにはなったか。そろそろ不便に感じることはなくなるはず……ああ、そうだシーナ。名前……」

「しー、な? ……しーな、なんですか……!」


 彼が呼び掛けると、シーナは興味津々でそんなことを言った。

 シーナはまだ、自分の名前を認識していなかったらしい。

 思えば、自分はそう頻繁には彼女の名前を呼んでいなかったか、と彼は思う。


「……シーナ。君の名前だよ。絵本に何度も出てきたから、その意味はわかるでしょ?」

「しー、な……なまえ……わたし、の?」

「そう」

「……しーな……しーな……わたし……しーな?」

「そうだよ、シーナ。そう言ってる」

「……なまえ……」


 名前、とだけ呟いて俯くシーナに、彼は目を眇めた。

 そして、小さく溜息を吐くと、彼はしゃがんでシーナと『目線』を合わせる。

 黒い靄に包まれた頭部が視界いっぱいに広がって、シーナはぱちぱちと目を瞬かせた。


「……シーナは……僕がここに連れてくる前のことを、覚えてるの?」

「……ずっと……おなか、すいてました。ずっと……くるしい、きもちでした。……わたし……」


 シーナはそう言って、また俯いた。

 彼は何も言わず、ただただシーナが再び口を開くのを待つ。

 言葉を知らなかったシーナが、何を覚えているのかは、彼の興味の対象だから。

 そしてそれは、どうしてシーナがあんな待遇を受けていたのかを知る、切っ掛けになるかもしれないから。


「……わたし、いみごって……よばれて、ました。……いみご……なまえじゃ、ない……?」

「忌み子……忌み子ねぇ」


 彼はそんなことを言いながら、シーナの目元をなぞった。

 あの屋敷の地下室で、シーナは目を黒い布で覆われていた。

 それならきっと、彼女がそう呼ばれた理由は瞳にある。


 白は、人間たち、あるいはその宗教で、神聖さの象徴とすら言える色だったと彼は記憶している。

 ならばその色は、どんな形であれ歓迎されるのが当然のはずだ。

 なら、シーナの両親が異端者だったのか、あるいは……と、彼は思考を重ねる。


「原因は瞳じゃない? 不思議だな……神子と崇められてもおかしくない容姿なのに……」

「……みこ?」

「なんでもない」


 不思議そうに見上げてくるシーナにそう返事をして、彼はその純白の髪に触れた。

 シーナは彼のことを信じ切っていて、彼が髪に触れただけで甘えるように擦り寄ってくる。

 ヒトの形をしていても、彼は紛れもなく人ならざるものであり、化け物だというのに。

 人類が目の敵にしている、人外だというのに。


「……この現状の方が、前よりずっと忌み子と呼ばれるに相応しいだろうね。ふふ……」

「たのしそう? たのしいこと、しりたい、です!」

「なんでもないってば。……忌み子は名前じゃないよ。そして、シーナは知らなくてもいいこと。はい、この話はおしまい。わかったら勉強に戻りなよ」

「あっ……うぅ……あの、あの! ききたいこと、あります!」


 シーナが手を挙げてそう言うと、彼は軽く首を傾げた。

 無言のままに彼が続きを促すと、シーナは緊張した面持ちで背筋を伸ばし、真っ直ぐに彼のことを見つめて言う。


「なまえ、なんですか!」

「……僕の?」

「はいっ。なまえ、しりたい……です!」


 少し意外そうな声で彼が確かめると、シーナは確かに彼の名前を知りたいと言った。

 ふぅん、と彼は小さく声を零し、裂けるような笑みをその口元に浮かべる。

 そして、シーナを見下ろしながら、自らの名を名乗る。


「フィフラティエ。僕は、フィフラティエだよ。ちゃんと覚えて呼ぶんだよ、シーナ」

「……ふー……?」

「シーナには長すぎる? 覚えれない? なら、もう少し成長してから……」

「ふぃ……ふー……ふーさま!」

「は?」


 明らかに『ふーさま』と自分のことを呼んだシーナに、フィフラティエは圧のある声を出した。

 不機嫌そうな雰囲気を出すフィフラティエだが、シーナはそんなことを気にする様子もなく更に続ける。


「ふーさま! ふーさまっ!」

「うるさい、その呼び方するな。……様はどこから出てきたの……」

「……え、と……えほん! おーさま、でてきて! おひめさま、おーじさま……いっしょ!」

「はぁ? ……なんで果物は全部林檎だって勘違いしてたくせに、そこはちゃんと理解してるんだよ……おかしいでしょ……王様って名前だとか勘違いしとけばいいのに……」


 心底嫌そうにフィフラティエがそんなことを呟き、シーナの目を見た。

 きらきらと輝いていて、きっと彼の名前を知ることができたことに心底喜んでいる。

 そして、それと同時に、その名前を呼べることにも、とてもとても喜んでいる。


「ふーさま!」

「いい、シーナ。その名前で僕を呼ぶな、呼べるようになるまでは適当に、僕に話しかけてくれればちゃんと応える……」

「……おとーさん……?」

「なんでそうなる! あーもういい、わかったわかったもうふーさまでいいよ。お父さんなんて呼ばれるよりずっとマシ……ほら、僕の名前は?」

「ふーさま!」

「……まぁ、よし……にしておこう……お父さんよりマシ、お父さんよりマシ……受け入れないとなんて呼ばれるかわからないしな……はぁ」


 フィフラティエは溜息を吐き、仕方無くその省略された呼び名を受け入れるのだった。

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