ジョウシキを知る
部屋に戻ったシーナは、本を抱えて黙って椅子に腰掛けていた。
とても、とても、もやもやするのだ。
嫌な気持ちが心の中でぐるぐるして、止まってくれなくて、シーナはぎゅっと本を抱き締める。
「……」
ガーティエラがいても、やっぱりフィフラティエがいないと心細かった。
『やっぱり、フー様がいないとダメなんだ』とシーナは思う。
シーナは、フィフラティエから離れることはできないのだ。
「待たせたね、シーナ。ガーティエラは帰らせたから、髪結ぼうか」
「あ……フー様。おかえりなさい……」
「……ん? どうした、なんか様子おかしいね」
俯いて小さく返事をするシーナに、フィフラティエがしゃがんで目線を合わせた。
顎に触れて顔を上げさせ、フィフラティエは少し首を傾げる。
「……シーナ、話して」
静かな声でフィフラティエがそう促すと、シーナは渋々頷いた。
そして、ぎゅっとフィフラティエの手を掴みながら言う。
「私、お邪魔ですか?」
「……え、何。なんで?」
「だ、だって……ガーティエラ様と、私にはわからないお話を……」
「……。……嫉妬……いや、寂しがってる……のか。へぇ……こんな風になるんだね。ふーん……シーナ、気にしなくていいよ。ガーティエラとシーナ、どちらかを選ぶなら、シーナの方が好きだから。……基本的に従順だし、やかましくないし。……いい子にしていれば、僕は君を好きでいてあげる。できるよね、シーナ?」
「あ……できますっ。ちゃんとやります……!」
シーナがそう言えば、フィフラティエは満足そうにその口元に笑みを刻んだ。
にぃ、と笑ったフィフラティエは、優しい声を作って、シーナに言い聞かせる。
「そうだよ。君は……シーナはできる子だ。だから今回も、ちょっとしたトラブルがあっただけで、おつかいは完遂してみせた。シーナはきちんと、僕が言い付けたことをやり遂げられる。それがどんな内容でも」
「はい……はい! シーナはいい子ですから、フー様の言いつけは守れます!」
「ふふ……そうだ、その通り。理解できてえらいね、シーナ。そのまま、従順でいるんだ。僕の言いつけの意図を理解できなくてもいい、僕の言葉に疑問を抱く必要は無い。だって僕が正しくて、シーナはその意味を理解しなくても、言うことさえ聞いていれば正しい行動ができるんだから」
「はい! フー様は、いつも正しいです!」
シーナは、嬉しそうに笑って、元気に返事をする。
だって、フィフラティエはいつだって正しいから――正しいから、シーナはあの場所から逃れることができたのだから。
だから、フィフラティエは正しい。
フィフラティエが間違っているなんてことは、絶対にあり得ないのだ。
「……シーナ。今回街に行って、どう感じた?」
「えっと……人がいっぱいでした! フー様みたいな人は全然いなくて……むぅ」
「そりゃあねぇ……まぁいいや。たくさんいたよね、なんたって人間は群れる生き物だから。……たくさんいるけど、人間は……僕みたいに、シーナを助けてくれるような人は、いないんだよ」
「……そうなんですか? でも、美味しそうなごはんとか、お菓子……」
不思議そうにシーナが言いかけて、その口を閉ざした。
フィフラティエはじっとシーナのことを見つめて、笑っている。
す、とその真っ黒な指がシーナの眉間の辺りを指して、静かな声が指摘する。
「確かに、美味しそうだったかもしれないね。……でも、どうしてシーナは倒れたんだろう? 何の前触れもなく、突然。……シーナが倒れたのって、どんなタイミングだったかな」
「……わたし……が、倒れたのは……男の人と、話してて……街の外は、危ないって……確か、鳥の……鳥の……?」
「……タイミングがずれてたのか。そのせいで余計な情報を……コホン」
フィフラティエは小声で呟きながら、そっとシーナの顎に触れた。
ぐ、と指先で少し持ち上げれば、シーナは抵抗なくフィフラティエを見上げ、戸惑うような表情をする。
シーナは少し混乱している――都合の良い人形を仕立て上げるには、少し余計な情報が入ったな、とフィフラティエは眉を顰める。
「……シーナ。人間を信じすぎちゃいけないよ。シーナは人間だけど、あっち側に付いちゃダメ。……いいね?」
「は、い。……あの、えっと……お話せずに、すぐに帰るべきだった……ですか?」
「……ん〜。まぁ、シーナは運悪く巻き込まれたんだろうし。場合にもよるし……僕の指示さえ守ってくれれば、好きにしてくれていいよ。……ほら、シーナ。髪の毛結んであげるから、もう落ち込まないで」
フィフラティエは優しい声でシーナにそう言うと、のんびりとシーナの髪を結び始めた。
◇
やがて日は落ち、深夜になると、フィフラティエはベッドの上で眠っているシーナを、感情の見えない顔で見つめていた。
シーナは何も恐れることなく、無防備に、すやすやと眠っていて、フィフラティエに完全に心を開いていることがわかる。
「……やっぱり、実験できるようになるまで成長を待つっていうのも……無駄だよなぁ。なら、どうせ懐いてるんだし、上手く使いたいけど……さて、どうするか。……都合の良い常識はもう植え付けてある……そもそも、シーナ自身が無意識の内に人間を恐れてる。そういう意味でも、そこを利用しないのはやっぱり勿体ない」
「……すぅ……すぅ……」
「人外には好意的に接し、人間には接触的には関わらない……街でも、必要以上にシーナは人間に話しかけることはなかった。……僕相手じゃ無限に話し続けられそうなのに。……人間への恐怖って言っても、基本的には表に出てこないし……うん。ちょうど、鬱陶しく思ってたところだし……この辺りで、ちょっと減らしておくか」
低く独り言を呟き、フィフラティエはシーナについて、今後の方針を定める。
その真っ白な髪を丁寧に梳いて、フィフラティエは標的を口にした。
「光明戦団……人外に抗うという目的を掲げる組織。……まぁ、その実態は……ふふ。……僕のために、潜入して情報を持ち帰るんだよ……シーナ」
今はまだ、何も知らずに眠っているシーナに、フィフラティエは薄く笑った。




