6.静寂の都市アークスと真の遺物
1. 静寂の都市アークス
魂の詠唱によってゲイルの追跡を振り切ったライエルたちは、さらに二日、灼熱の砂漠を西へと進んだ。ライエルの魔力は大きく消耗していたが、セレフィアとゼノンの献身的なサポートと、ゼノンに刻まれた治癒ルーンのおかげで、致命的な事態は避けられた。
そして、ついに彼らの目の前に、古代の地図に記された目的地が現れた。
それは、砂漠の巨大な岩山に半分埋もれるようにして佇む、巨大な都市の遺跡だった。風化しているが、かつての壮麗さを感じさせる、白く光る石造りの建物群。都市全体が静寂に包まれ、まるで時間が止まっているかのようだった。
「…これが、失われた古代都市アークス」セレフィアが息をのむ。
「信じられない。こんなものが砂漠の奥にあったなんて」ゼノンは警戒しつつも、目の前の光景に圧倒されていた。
ライエルは、都市全体を覆う微細な「静寂のルーン」を感知していた。
「この都市は、強力なルーンによって、外部から隠蔽され、時間を封じられていた。僕の一族が、最後の希望としてこの都市を隠したのだろう」
三人は警戒しながら都市の入り口へと進んだ。そこには、ライエルにしか読めない、一族の文字で刻まれた銘文があった。
> 「時を越え、此処に至りし継承者よ。秘宝は悪しき者の手に渡るべからず。試練を乗り越え、真の勇者の力を喚べ」
>
「真の勇者?」ゼノンが首をかしげる。
「どうやら、聖刻会が狙う『天秤の心臓』とは別に、この都市には、世界を救う鍵となる何かが隠されているようだ」
2. 遺物の起動と聖刻会の目的
都市の内部は、外観とは裏腹に、まるで昨日まで人が住んでいたかのように保存されていた。ライエルたちは、都市の中央にある巨大なピラミッド状の建造物へと向かった。
建造物の最上階には、空間に浮かぶ、巨大な天秤の形をした水晶の遺物が鎮座していた。これが、聖刻会が狙う「天秤の心臓」だった。
「これが…古代遺物」セレフィアは魔力の奔流を感じ、息苦しさを覚える。
その瞬間、空間が歪んだ。既にライエルたちの追跡を諦めていなかったゲイルと、十数名の聖刻騎士団が、都市内に潜んでいた別の転移ルーンを使って現れた。
「待っていたぞ、古代文字の詠唱者よ」ゲイルは冷酷な笑みを浮かべた。「君がここまで来てくれたおかげで、我々は都市の防御ルーンを破る必要がなくなった。君の魔力は、この都市への『招待状』の役割を果たしたのだ」
ゲイルは、ライエルの魂の詠唱の残滓を追跡していたのだ。
ゲイルは天秤の心臓を指差した。「ライエル、よく見ておけ。この遺物は、世界の法則を一時的に書き換え、特定の法則を増幅させる力を持つ。我々が手に入れれば、王国だけでなく、全大陸の支配が可能となる!」
ゲイルは部下に命じ、セレフィアとゼノンを取り囲ませた。
「しかし、起動させるには、君の詠唱者の血と、二つの優れた魂の魔力が必要だ。君の友人の魔力と生命を、この天秤に捧げてもらう!」
3. 勇者の力のルーン
セレフィアとゼノンは、騎士団の猛攻を受けながらも、天秤の心臓への接近を許さない。ゼノンは負傷を顧みず、自らの体に「強化」のルーンを重ねて詠い、肉弾戦を挑む。セレフィアは、魔力のすべてを光のバリアに注ぎ、ライエルを守った。
「ライエル君!詠んで!力を解読して!」
ライエルは、天秤の心臓の周囲に刻まれた、巨大なルーン群を見つめていた。それは、ゲイルの言う「法則の増幅」のルーンであると同時に、もう一つの、「自己犠牲」を要求するルーンでもあった。
(この天秤の心臓は、世界の法則を増幅させる代わりに、等価なものを要求する。それは、強大な魂の魔力、つまり、仲間の命だ…!)
ライエルは、天秤の心臓を起動させてはならないと確信した。
彼は視線を天秤の心臓から外し、都市の中央に立つピラミッドの基部に刻まれた、別の小さな文字群に目を向けた。
それは、ライエルの一族の祖先が残した、最後のメッセージだった。
> 「天秤に魂を捧げるなかれ。勇者のルーンを詠え。それは、己が身を律し、大切な者を守る意志の力。真の力は、血ではなく、心に宿る」
>
ライエルは悟った。勇者のルーンとは、彼が今まで使ってきた防御や封印のルーンではない。それは、他者の力を引き出し、増幅させ、世界全体を守護するための、最も複雑で、最も自己犠牲的なルーンだった。
4. 古代文字を詠う勇者
ゲイルが勝利を確信し、セレフィアとゼノンに最後の魔導を放とうとした瞬間、ライエルの全身から、これまでにない、金色に近い青白い光が溢れ出した。
彼は、魂の詠唱を遥かに超える、ルーンの根源への呼びかけを始めた。
「Anima Vitas. Fides Tria Nar. Siel e'l Cor Tui.」
(魂の生命よ。三位一体の信頼よ。秘密は汝の心の中に!)
詠唱と共に、ライエル、セレフィア、ゼノンの三人を結ぶように、巨大な勇者のルーンが都市全体を覆った。
勇者のルーンが発動した瞬間、天秤の心臓の「増幅」の法則は、ライエルの「守護」の意志によって上書きされた。天秤は光を失い、力を停止する。
そして、勇者のルーンは、セレフィアとゼノンの魔力と体力を、最大値を超えて増幅させた。
「力が…溢れる!」ゼノンの騎士の闘気が、太陽のように輝く。
「ライエル君…これが、あなたの真の力!」セレフィアの光魔法が、ゲイルの魔導を粉砕した。
勇者の力を得た二人の猛攻の前に、聖刻騎士団は為す術もなく打ち破られる。ゲイルは敗北を悟り、最後の悪あがきとして、天秤の心臓を自壊させようと試みた。
しかし、ライエルは既に、天秤の心臓そのものに「永久封印」のルーンを詠唱し終わっていた。
「古代遺物は、誰の支配下にも置かれない。それが、僕ら一族の使命だ」
天秤の心臓は、都市と共に静寂の中へと消え、二度と起動することのない封印を施された。
敗北したゲイルは、ライエルへの怨嗟の言葉を残し、追跡隊が起動させた脱出ルーンで辛うじて逃走した。
5. 旅の終焉、そして始まり
戦いが終わり、静寂を取り戻したアークス。ライエルは力を使い果たし、崩れ落ちたが、セレフィアとゼノンが彼を抱き上げた。
「ライエル君、やったわね。本当に、世界を救ったんだわ」セレフィアの目には涙が滲んでいた。
「勇者ってのは、お前みたいなやつのことを言うんだろうな。俺たちは、ただのお前の剣と盾だ」ゼノンが豪快に笑う。
ライエルは、ピラミッドの基部に刻まれたメッセージを見上げた。彼の一族が本当に望んでいたのは、最強の力ではなく、勇者の意志を継ぐことだった。
聖刻会は一時的に撤退したが、彼らの陰謀は王国の根深い部分にまで及んでいる。ライエルたちの旅は、古代都市で一つ終結したが、王国に平和を取り戻すための戦いは、まだ始まったばかりだった。
三人は、古代都市アークスを後にし、新たな決意を胸に、王国の首都を目指すのだった。




