1.地味な優等生と古代文字の囁き
1. ライエルの日常
アルドニア魔導騎士学院の教練場は、常に魔力の粒子と金属のぶつかり合う音に満ちていた。将来の王国の盾となるべく選ばれた精鋭たちが集うこの場所で、ライエル・アークレイは誰の視線も引かない存在だった。
「ライエル、お前は本当に魔導師科なのか?」
模擬戦で早々に剣技の教官に打ち負かされ、ゼノン・ブレイズに肩を叩かれる。ゼノンは、騎士科の期待の星で、考えるより先に体が動く直情型だ。
「ああ、魔力操作がどうにも安定しなくてね。理論だけは得意なんだが」
ライエルは苦笑し、手元の古びた教科書に視線を落とす。成績は常に学年の平均点。実技では最低限、筆記では失点しない程度にこなす。それがライエルの日課であり、彼が生き延びるための鉄則だった。
彼が本当に得意とするのは、誰も読み解けない古代文字と、それを解読した先に広がる失われた魔法体系だ。しかし、その力は、ライエルの一族を滅ぼした人間たち——聖刻会に狙われている。軍事色の強いこの学院に入ったのは、他でもない、聖刻会の動きを内部から探るためだった。
彼が教科書を読むふりをしながら、脳裏で古代文字を組んでいると、後ろから朗らかな声がかけられた。
「またそんな顔してる。ライエル君、もう少し自信を持ったらどう?」
セレフィア・ヴァルハイト。彼女は光属性魔法を操る魔導師科のトップであり、貴族令嬢らしい優雅さと、騎士らしい正義感を併せ持つ。
「セレフィア嬢は優秀すぎて、僕の気持ちは分からないでしょう」ライエルは地味な優等生としての仮面を崩さない。「僕は理論しかできない人間だ」
「ふふ、でも理論で学年平均を守ってるのはすごいことよ。それに、あなたのその澄んだ瞳は、いつも何か深いことを考えているように見えるの」
彼女の言葉に、ライエルは一瞬たじろいだ。彼女は優秀すぎる。いつか自分の仮面の下を見破られるのではないか。ライエルはそっと距離を取った。
2. 遺跡調査の任務
ある日、ライエルはゼノン、セレフィアと共に、王国の辺境にある古代遺跡の調査任務を命じられた。学園の任務としては異例で、教官のひとりが特に強く推した人選だった。この教官こそ、ライエルが警戒する聖刻会の末端だと彼は知っていた。
「おい、ライエル。お前みたいなひょろい奴が、こんな任務で役に立つのか?」ゼノンがぼやく。
「僕だって筆記なら役に立つさ。遺跡の構造図くらいなら読める」ライエルはそう返し、密かに古代文字が刻まれた遺跡を探すことに集中した。
遺跡の最奥部にたどり着いたとき、彼らの目の前に立ちはだかったのは、通常の魔力でも物理的な力でも開けられない、巨大な石造りの扉だった。
扉には、無数の幾何学的な模様が刻まれていた。教官が困惑し、セレフィアが解析魔法を試みるが、すべて弾かれる。
ライエルの心臓が跳ね上がった。
(これだ……古代文字)
それは、ライエルの一族にしか読み解けない、失われた文明の言語。扉に刻まれた文字は、「封印の起動」と「侵入者への警告」の二つの意味を内包していた。
「クソッ、解析も破壊も無理か!」ゼノンが拳を叩きつける。
その瞬間、遺跡全体が不気味な低音を響かせ、地面が揺れ始めた。ライエルが刻印を読み解く。
(まずい。警告文が作動した。このままでは、天井が崩落する…!)
3. 一瞬の解読
教官を含め、誰もがパニックに陥る中、ライエルは冷静だった。彼が力を発揮すれば、その場で扉を破壊し、罠を解除することは容易い。しかし、それでは聖刻会に目をつけられてしまう。
ライエルは慌てて地面にしゃがみ込み、まるで何かを探すかのように振る舞った。
「落ち着いて!この揺れは、罠の起動だ!天井の、あの隅石を見てください!力が集中している!」
ライエルは指さした。その隅石には、目立たないように極小の古代文字の解除コードが刻まれていた。ライエルは視線だけでそのコードを読み取り、対応する別の古代文字を、持っていた羊皮紙のメモに高速で走り書きした。
ライエルが羊皮紙の文字を、まるで呪文のように、誰も聞こえない声で一瞬だけ詠唱した。
「Dinar-Ciel-Runar」
次の瞬間、遺跡の振動がピタリと止まった。
ゼノンが驚いてあたりを見回す。「なんだ?止まったぞ!」
「ラ、ライエル君。どうして分かったの?」セレフィアが息を飲む。
ライエルは立ち上がり、羊皮紙をポケットにしまいながら、地味な優等生に戻った。
「ただの勘ですよ。構造学の知識です。ああいう古びた遺跡は、必ず構造的な弱点がある。僕はたまたま、それを見つけただけです」
教官は安堵の表情を見せたが、ライエルを不審な目で見つめていた。ライエルは、教官がライエルの行動の一瞬を見逃さなかったことに気づいた。
扉は結局開かず、調査団は撤退することになった。
4. 監視の開始
学院に戻ったその夜。
ライエルは学院の図書室で、古代文字に関する禁書に目を通していた。扉の先にあったのは、古代文字で「世界を変える鍵」と記された、非常に強力な古代遺物の存在だった。
「やはり、聖刻会はこれを狙っている…」
そのとき、彼の後ろに静かに教官が立っていた。遺跡調査に同行した、聖刻会の末端の人間だ。
「ライエル君。先日の遺跡での働きは見事だった」教官は静かに言った。「君は構造学に詳しいようだが、あのような緊迫した状況で、一瞬で解決策を導き出すとは…天才だな」
「恐縮です」ライエルは平然を装う。
「ふむ。君のその才能を、埋もれさせてしまうのは惜しい。近いうちに、君だけに任せる特別な任務があるかもしれん。その時は、力を貸してくれ」
教官は笑顔を見せたが、その目は冷たく、獲物を狙う蛇のようだった。
ライエルは、自分の隠し事が露呈寸前であることを悟った。聖刻会は自分を利用しようとしている。学園内の緊張は、確実に高まっていた。
(僕は、利用される前に、動かなければならない…)




