空を飛べばいいのです
「『開かれた密室』?」
私は思わずオウム返しした。
聞きなれない言葉だった。町谷が解説モードに入った。
「密室というと、鍵がかかっていて犯人が出られない部屋を想像するかもしれませんが、世の中にはいろんな密室があります。今回は鍵がかかっているわけではありませんから、『開かれた密室』と言うわけです。その中でも、『衆人環視の密室』と呼ばれるものです。ロビーが黒栖さんに監視されており、出入り不能なわけですね」
「それがどうしたんだよ。早く本題に入れ」
真渕が貧乏ゆすりをしながら、イラついたように言い放った。町谷は、まあまあとなだめるように手を動かしてから続けた。
「まあ普通、密室というのは誰一人入れないような状況を言います。今回は真渕さんや遠藤さんには侵入可能ですから、ちょっと言葉としては不適切かもしれません。それはともかく、この密室を破る方法は一つしかありません」
美里がズコッとずっこけた。
「破れるなら最初から言わんかい」
「その破る方法が難しいんですがね」
「どういうことやねん。ちゃんと説明せーや」
「あなたの頭でも分かるように言いましょう。簡単なことです。空を飛べばいいのです」
美里は口をあんぐりと開けた。私が代わりにつっこんだ。
「そんなこと……できません」
「おや、そうでしたか。でしたら綱渡りでもOKです」
だいぶハードルが下がった。私はなおも尋ねる。
「もう少し詳しく教えていただけませんか?」
「溝野さんは言葉遣いが丁寧ですね。そういうところ好きです」
あなたに褒められても嬉しくないです、と言うと角が立つので飲みこんだ。「ありがとうございます」
「では説明していきましょうか。綱渡りをすることで、ロビーを通り抜けるのです」
「というと……二階の吹き抜けを綱渡りで通るということですか?」
「その通り。物分かりが良くて助かります。で、その場合、案外黒栖さんも気がつかないのでは? それでも誰も通らなかったと断言できますか?」
町谷は黒栖に視線を送った。黒栖は顎に手を当てて考えてから、顔を上げた。
「ずっとテーブルを眺めていたから、気づかなかったかもしれない」
「まさか真上を通過する人間がいるとは思わないでしょうからね。というわけで、常識では考えられない方法ですが、我々のアリバイは崩れました。めでたしめでたし」
なんと乱暴な畳み方だ。というか、町谷はそれでいいのか。自身のアリバイを崩してしまっているではないか。とそのとき、私の脳内にとあるアイデアが落ちてきた。
「すみません、実験してみてもいいですか? 本当に可能かどうか」
「ほう。誰かに綱渡りをさせるのですか?」
「それは危ないのでしません。ほうきとかがあればいいです」
フロントに掃除用具があったはずだ。私は立ち上がり、ロビーの方に歩き出した。後ろに五人がついてきた。
果たして、掃除用具一式が収められた箱があった。私は一番長いほうきを手に取った。長さは充分そうだった。
「綱渡り——でなくとも二階を通過すること——は不可能だと思います。ついてきてください」
私は、五人を引き連れて二一〇号室の前まで行った。
「一番背が高い方——黒栖さん、このほうきを目いっぱい伸ばしてもらえますか? ロビーの上のところに」
「こうか?」
黒栖は身を乗り出し、吹き抜けに向かってほうきを伸ばした。
「ありがとうございます。皆さん、下を見てください」
ロビーのテーブルに大きな影が落ちていた。吹き抜けのすぐ上から差す電光が、ほうきにさえぎられるのだ。電光はとても強く、くっきりとした影だった。
黒栖がほうきを動かしても、大きな影がテーブルから外れることはなかった。
「私の言いたいことが分かったでしょうか。綱渡りなんてしようものなら、テーブルに必ず影ができます。黒栖さんはずっとテーブルを眺めていたそうですから、むしろ絶対気づくはずです」
「ほほう……溝野さんって実は頭いいんですか?」
町谷が感心したように唸った。私は無視して締めくくる。
「つまり、二階の吹き抜けを渡るのは不可能です」
すると、今度は恵子が口を開いた。
「それは分かったわ。でも、他にもロビーを通らずに井口くんの部屋に行く方法はあるんじゃないかしら」
私は興味を持った。
「どうするんですか?」
「外を通るのよ。黒栖くんがいるから玄関から出入りすることはできないけれど、窓から出ればいいんじゃないかしら。個室とか廊下とかトイレとかに窓はいくらでもあるでしょう? そこから出て、同じように廊下や浴場の窓から入れば移動できると思うわ」
ありえそうな話だ。だが、美里が首を振った。
「その可能性は、恵子ちゃんが望実ちゃんの看病をしてくれてる間に確認した。個室、トイレ、浴室、廊下の窓には全部鉄格子が嵌まってるから、腕ぐらいしか通らんねん。ついでに言っとくと、そういう理由で外部犯ってこともありえん」
「あらそうだったの……」
かくして、町谷、美里、そして私に鉄壁のアリバイが完成した。