死ぬんじゃねえぞ
船長は、島の西端にある小さな砂浜に船を寄せた。船長が最後に注意してきた。
「嵐が来るっていうし、くれぐれも気いつけてな。俺は知らねえかんな。死ぬんじゃねえぞ」
「船長さんも気をつけて帰ってくださいね」
私が答えると、船長は歯をむき出して微笑んだ。軽く手を振り、浜に飛びおりる。美里、町谷、黒栖も続いた。
そばに細い階段が一本伸びていた。私を先頭に上っていく。コケがところどころ生えていて、滑りやすそうだった。町谷が不快感をあらわにした。
「ちゃんと管理する気はないのでしょうか。汚いったらありゃしません」
「コラ、これから美里が泊まろうとしている島にケチつけるヤツは許さん!」
美里が突っかかったが、町谷はかったるそうにかわした。二人のいがみあいからは目を背け、早足で階段を上りきった。すると、目の前に大きな扉が現れた。押しても引いても開かない。乗り越えられるような高さでもない。どうなっているのか。
よく観察すると、ノブの近くに数字を入力するボードがついていた。私は振り返った。後続の三人はまだかなり後ろだったので、大声を出した。
「誰か、この扉の暗証番号分かる人いますかー?」
すると美里が、会話していたはずの町谷を放置して走ってきた。
「はいはーい、美里、船長さんから聞いたでー。0187やってー」
私は0、1、8、7と入力しながら、この数字の由来を考えた。車のナンバーを見て由来を想像したり、素因数分解したりするのは昔から好きだ。タクシー数とか完全数とかメルセンヌ素数とかは頭に入っていた。
0187——数学的に特殊な数ではなさそうだ。誕生日でもない。年号でもないだろう。語呂合わせでも『令和な』とか『嫌な』とかそれくらいしか……。
様々な可能性を分析するうち、ある可能性に思い至った。たしか187はアメリカのスラングで——殺人。カリフォルニア州の刑法187条で殺人について定められているのが由来だという。
首を振った。誰がそんな物騒な暗証番号を設定するか。偶然だ。
気づくと、美里が追いついてきていた。
「どうしたん? 顔色悪いけど、大丈夫?」
「あ、はい、大丈夫です」
Enterを押すと、扉が音を立てながら開いた。視界が開けた。一本の道路が奥へまっすぐに伸びている。道幅もとても広い。その向こうには豆粒のような建物が見えた。
近くには大きなバンが止まっていた。旅館まで行くためのものだろう。館は島の東端にあるから、かなり距離がある。バンの窓からひょっこりと顔が現れた。
「早く行くわよ。乗りなさい」
遠藤恵子が運転席から手招きした。待ってくれていたらしい。私は後部座席に乗りこむと、助手席にも男が座っているのに気づいた。
真渕智也だ。彼は不機嫌そうに足を組んだ。
「いつまで待たせんだ。遅えぞ」
「せいぜい一〇分くらいのもんでしょ」
恵子は軽くたしなめてから、全員乗ったのを確認してアクセルを踏みこんだ。真渕が顔をゆがめた。
「てめえ、俺に反論してどうする? てめえにもこいつらを一発殴るぐらいの権利はあるだろうよ」
「逆にどうしてそういう考えになるのかしらね」
恵子は突っぱねた。アクセルをどんどん踏み、加速していく。恵子は前を見据え、それ以上しゃべるなというような無言の圧を放っていた。真渕は舌打ちし、力任せに車体を蹴った。
と、黒栖が口を開いた。
「この車はお前が蹴ってもいい代物なのか?」
結構怒っているようだ。案外分別のつく人間なのかもしれない。真渕は「いやそれは……」と口をつぐんだ。こいつも黒栖のことが苦手らしい。
恵子が代わりに答える。
「もちろんこいつに蹴る権利なんかないわ。これは館の管理人が用意してる車よ。一台しかないから、わざわざこうして迎えに来たわけ。その点は感謝しなさいね」
「ああ、もちろんだ」
黒栖がボソッとつぶやいた。
車のメーターは時速一一〇キロを指していた。障害物が全くないから、好きなだけ飛ばせるのだろう。館にはすぐに着いた。
恵子が館の前にバンを止めた。ぞろぞろと後部座席から外に出る。潮の香りが鼻孔をくすぐった。島の周囲には、海がどこまでも広がっている。波はなく、気味が悪いほどに凪いでいた。
真渕はふんぞり返ったように助手席に座りこんだまま、タバコを吸い始めた。
私は館に目を移した。全体が灰色がかっていて、不穏な空気を醸しだしている。その手前にはだだっ広い芝生が広がっていた。いくつかの植物も植えられていた。
玄関は自動ドアだった。その上には、自動ドアには見合わない古びた木製のプレートが掲げられている。そこには『神嵐館』と独特な書体で書かれていた。