第三話 日常の終わり
人混みは波のように移動し様々な声が四方から聞こえる。
昨日訪れた繁華街からさらに進み、建物の造形がより高くなることで自分が貴族街の一角へ入ったことを理解する。
貴族街の一つ――『眠らぬ街』。この場所はアルケイン王国主要都市の一つであり、中流階級から上流階級の者が住んでいる。
繁華街の騒々しさとはことなり、この場所は活気以外に上品な雰囲気が漂っている。そう思わせるのは、ここで生活する者たちの服装や所作、身長や顔立ちなど、外見から見て取れる生活の豊かさが露呈しているからだ。
それらを隠しもせず、自分という存在を主張するための手段、あるいは在り方として確立させ、彼らは今日も生きている。その凛々しい姿をハイルは広場の尖塔から見下ろし観察する。
「オレもいつかはあんな風になりてぇな……」
この眠らぬ街では繁華街にはない高層のビルが立ち並び、建物の高さや材質、外観が全て違う。目に入るもの全てが洗練されており、まるで別の世界に迷い込んだかのような感覚である。
人々は規則的に移動し、仕事にとりつかれたかのように生きている。一見すれば多忙であり、己の矜持と自尊心を守るために必要以上に必死に生きているとも解釈できる。しかし、その姿勢に何故かハイルは羨ましいと感じた。
「これ君! そこから下りなさい!」
「あ、すんません――っ!」
眼下からの注意に尖塔をすべり、壁を蹴り柵を足場とし着地する。その様子を目撃していた周囲の人々は一斉にハイルへと視線を向けるが、数秒で飽きたのか自分の世界に戻り、ハイルを空気のように扱う。
他者に対し興味がないのか、それとも自身の人生を謳歌するために忙しいのか。彼らの真意はわからないが、必要以上に注目されては困るため、彼らの無関心な姿勢はむしろありがたい。
「それにしても本当に財布を持ち歩いている奴がいねぇな……」
昨夜貴族街へ行こうと決断しいまに至るわけだが、それ以前にこのような発展した都市では多くの支払いにおいて電子化が進み、硬貨を持たないことが支流になりつつあることは承知していたはずだ。それでもここに来たのは、もしかしたら硬貨をまだ扱っている者がいるかもしれないといった、希望的側面が大きい。
しかし現実はそう甘くない。
「ほーん、おもしれぇな」
大型の鉄塊――名称『クルマ』と呼ばれるそれが路肩に停車し、次々と人が下りてくる。馬に引かれ動いているわけでもなく、自分には理解できない謎の力で駆動し、人を乗せて動き、一瞬で遠くへ移動する。
貧民街を住処とするハイルにとってこの場所は全てが進歩的なだけでなく、神秘的であり、視界に入るもの全てに魅了されてしまう。
そのせいでスリの手は中々進まず、同時に目的を思い出したとしても財布を持つ者がいないことから、持ち上げた手を引っ込め落胆し、周囲をまた見渡すと魅了されるという循環に陥っていた。
「くそ、バカかよオレは! 目的を思い出せよ。母さんのためにここに来たんじゃねぇのか!?」
こうしている間にもナターシャの身体は危篤に蝕まれ、あと何日生きられるかわからない。こんなところで油を売っている暇などないことは自分自身が一番理解しているはずだ。
ならば行動あるのみ――、
「いや、だから財布持ってる奴がいねぇんだよ――っ!」
周囲を見渡すがやはり財布を持ち出す者はおらず、特に警戒されていないにも関わらず盗み出せない現実にハイルはしかめっ面になる。
一方で周囲の人々はそんなハイルを一瞥するがすぐに視線を外し、再び自分達の日常会話へと戻る。
貧民街出身であることを知っているかは不明だが、結局自分は彼らにとって取るに足らない存在であり、注目しても面白くないといった扱いに落ち着いている。
――差別には慣れているため今更なんとも思わないが、このような場所に長居したくないと何故か思ってしまう。
「……なんだアレ?」
ふとした時、視界の端にある人だかりで歓声があがり、その全貌を確認するために目を凝らす。
建物の壁際で出来ていた人だかりはやがて人混みとなり、道行く人々の足を止めてはその中心へと誘っていた。ハイルも例外ではなく、気が付けばその方向へと歩き出し、人波をかき分けては足の間を潜り壁際へと到達していた。
「こ……く……ち?」
目前には液晶のモニターがあり、表示される内容に全員が釘付けとなっていた。その見出しをたどたどしく読み上げるが、それ以降はなんと記載されているのか読めない。しかし、全体の内容が読めずともそれはハイルを夢中にさせる理由があった。
何故なら――、
「オレの家じゃん……」
見出しの下には貧民街の写真が複数表示されており、その中にはハイルが塒とするあの建物もあった。しかし、それ以降は読めない文章で埋め尽くされており、凝視することしかできない。
「新たな開発指定区か……政府も最近は随分と躍起だな」
「開発していく……? なんだそれ?」
隣に立つスーツ姿の男が鼻を鳴らし液晶の内容に吟味する。ハイルとは異なり、男が注目しているのは映し出される貧民街の景色ではなく長く続く文章の内容であり、読み進めるたびに顎を撫でていた。その最中に横からハイルの声が耳に届き、意識が現実に引きもどされる。
「知らないのか? この街から離れた繁華街の郊外にあるスラムの一つが開発区になったらしい」
「だからその開発区ってのが何なのかわからねぇよ。あそこに映ってるオレの家となんの関係があるんだ?」
「開発区というのは指定されたその場所で大規模な工事を行うってことだよ。なんせ最近は他国との経済・技術競争が加速しているからね。おおかた新しい工場の建設とか資源採掘用の土地を確保するためだろうね」
「は? それは無理だろ。あそこには人が住んでんじゃねえか。それに新しい物つくる場所なんてあそこには残されてねぇぞ?」
「だから焦土化するんだよ。邪魔なモノはすべて壊し更地にする。まだ何を建設するかは明言されてないけど、もし工場なら環境汚染への対策は万全にしてもらいたいな。また腐灰みたいなものが流行ったら迷惑だよ」
飄々と喋る男の横顔を見るがとくに変化はない。緊張しているわけでもなければ、冷や汗をかいているわけでもない。ただ淡々とこれから起こるであろうことを冷静に受け止めていた。
一方、ハイルは動悸がおさまらず、嫌な予感が身体を駆け巡り、脂汗が額に浮かぶ。
「焦土……? 更地……? あんた何を言ってんだ? それいったいどういう意味だよ!?」
「言葉通りさ、あの場所にあるものは全て破壊し造りかえる。中央政府の決定だし文句は言えんさ。今頃は建設のための下見とか――」
「――ッ!」
その瞬間、ハイルは地面を強く蹴り走り出した。
男の話を最後まで聞かず、人混みを脱兎のごとく勢いで走り抜ける。嫌な感覚が体中を渦巻いている。頭の中で警報が鳴り響いている。心臓がかつてないほど駆動している。
珍しく財布を手に持ち、それを落とす者を横切ったがどうでもいい。
「――っ!!」
悪寒が全身の体毛を総立ちさせ、走る速度は加速する。汗をかいているにも関わらず、体は気持ち悪いぐらい寒い。
この気持ち悪さから逃れるためか、それとも凍てつく身の体温をあげるためか、ハイルは必死で走り抜けた。
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貴族街を抜けるといつもスリをしている繁華街に突入する。しかし、今は警戒していない人間を観察する暇などない。ハイルが知る最速最短の経路で貧民街を目指す。
「くそ! 邪魔だ――ッ!!」
しかし、その疾走速度も人混みと共に停滞する。
これまでは人混みを物陰として利用し、追手からの逃れるための手段として大いに役立っていた人々だが、追手を撒くのとは異なり、一直線に目的地を目指す際、これほど邪魔になる障害はない。跳躍すると人々の頭や肩を足場に前へ進む――が、それでも遅い。
「遅ぇ――っ」
焦りはあるが足取りは軽快、前進する速度も普段の逃走と変わらない。にもかかわらず、あまりにも遅いと感じてしまう。
人混みを通じて路地へと入り、僅かな窪みを足場に建物の外壁を登る。
悪寒が黒い濁流となって体内でとぐろを巻いている。嫌な予感が全身の毛を掻き立てている。それが進めば進むほど強くなり、不安を解消するために一刻も早く戻る必要があると確信していた。
どうか杞憂であってほしい。自分の行き過ぎた妄想、勘違いであってほしいと切に願う。
しかし、現実は希望を裏切るものだ。
「――っ」
――貧民街の方向、そこから太い黒煙が空へと伸びている。
「――ッ!」
繁華街から貧民街への堺はまだ先であり、建物が整備されていない貧民街だからこそ、黒煙が嫌というほど目立つ。
なにかあったと思わせるには十分であり、建物を次々と飛び越すと待ちゆく人が減り始める。
そして――、
「なんだよこれ……」
貧民街が見えてくると同時に足を止めてしまう。安堵し足を止めたのではない。足がすくむと同時に目前の光景に対する拒否反応がそうさせたのだ。
土塊の家は倒壊し、血を吸収した地面には死体がいくつも転がっている。周囲からは子供の泣き叫ぶ声が聞こえ、天に昇る黒煙の数は増えていた。貧民街のひっそりとした静けさはなく、残酷で不条理な光景が広がっていた。
「なにが……いったい何があったんだ――ッ!?」
脇道で泣き叫ぶ少女、その足元には父親と思わしき人物がうつ伏せで倒れている。駆け寄り体を揺するが反応はなく、仰向けにすると開いた瞳孔と目が合い息がつまる。
少女の父親の胸には斜めに大きな切り傷があり、ずいぶん深く切り裂かれていた。臓器の損傷か出血多量か、直接的な死因はわからない。しかし、身体には僅かながら体温があり、父親の死からあまり時間が経過していないことを理解する。
「ここで何があったんだ!? 一体誰がこんなことを!?」
「おとこの人が……っ……おとこの人が……ヅッッ」
「男!? どんな男だ!? そいつがこんなことをしたのか――っ!? どっちに行った――ッ!?」
少女の肩を揺するが泣き止むはずもなく、寧ろ父親の面相を見ることで更に泣き叫ぶ。普段なら抱き寄せて慰めたいと思うかもしれないが、生憎そんなことを考えるほどの余裕はない。
「ごめん……っ」
少女から手を離すと再び走り出す。
周囲の建物は炎に包まれているものが多く、風が火の粉を運び死体に引火しジリジリと焦がし始める。そんな光景に目を背けつつ、こちらへと歩いてくる子連れの者に近づく。
「あんた、教えてくれ!! ここで何があった――っ!?」
「別になにもおきちゃいないさ……ただ、時間切れになっただけだ。ここにはもういられない……」
「意味わからねぇよ! 時間切れってのはここが開発指定区になったからか――ッ!? なんで貧民街がこんなことに……」
「先程……中央政府のお偉いさんが視察に来たんだ。三日以内のすみやかな退去命令を受けたよ。断ったり、反抗した結果がこれさ。結局……我々が求める安息の地など……この世のどこにもないのだろうな……」
男の目は虚ろであり、周囲の残酷な光景を目撃してなお驚かない。なんせその表情は疲労により生気が抜け、絶望に染まっている。よく見ると背中に背負う子供は血塗れであり、細い腕がだらんと垂れていた。生きているか否かを訊く勇気はハイルにはなく、その凄惨な様子に言葉を失い目を背ける。
直後――、
「―――ヅッッッ!!」
鼓膜を激しく揺るがす爆発音と共に黒煙が出現し、衝撃の余波が貧民街を揺らす。また一つ貧民街の景観が轟音と共に破壊され、ハイルが生まれ育った街は次々と無残な姿に早変わりする。しかし、感傷に浸っている暇などない。
何故なら――、
「冗談じゃねえぞ――っ!!」
爆発が起きたのはハイルの家の方向である。それを理解すると同時に脳裏にナターシャの顔が浮かび、猛然と走る。
家へと続く角を曲がり目撃するのは黒煙が上がる建物だが、それはハイルの住む向かい側から上がるものであり、不謹慎と理解していながらも安堵してしまう。
直後――、
「――ッッ!」
怒号と共に何かが割れる音が響き、それが自分の家から聞こえたモノであると認識するのに時間はかからない。よく見れば正面扉は蹴り破られたように破損しており、何故この瞬間まで気づかなかった――と、自戒している暇はない。
転がるように部屋へ駆け込むと階段をのぼりナターシャのいる部屋に突入し――、
「――っ!! 誰だお前ら――ッ!!」
床に突っ伏した母の前に黒ずくめの男達が立っていた。




