第二話 貧民街
「多く見積もって……七千ξってところだな」
「ちょっと待ってくれよ! この前はこれの倍以上の金額だったじゃねぇか!!」
「物価があがってるし景気も悪いんだ。質屋も簡単な商売じゃねえんだよ。納得いかないなら諦めてもらってもいいぜ」
「くそ――っ」
アルケイン王国の繁華街から少し離れたこの場所――通称『貧民街』にて、一悶着に直面するのは質屋に訪れた白猿の名で知られるハイルと質屋の店主である。郊外ということも含め人だかりが減ったことから、二者の声は容易く響き渡り、見物客や仲裁者もいないことから値打ちの交渉はヒートアップの一途を辿る。
「なぁ、なんとかならないのか!? 母さんの病気が最近まじでヤバいんだ!!」
「そんなことオレの知った話じゃないな。このゴミの様な掃きだめで生きている奴は遅かれ早かれ死ぬ運命にあるんだ。まったく……なんで政府で仕事をしていたこのオレがお前みたいな薄汚ねぇガキを相手に商売しなくちゃならねぇんだ」
「それならこれとかはどうだ!? いい値段で売れないか!?」
「螺子一つに高値がつくわけねぇだろ。そんなものゴミと一緒だ。それともオレをバカにしているつもりか? これだから学の無いガキは嫌いなんだよ」
と、店主は嘲笑と共に鼻を鳴らし蔑んだ目を向けるがハイルは気にしない。それどころか夢中で体中を叩き、他になにか金になりそうなモノがないか必死で探す。するとポケットの中から首飾りや輝く石、他に香水など様々なものを見つけてはカウンターに並べ、他になにもないか再び手探りにもどる。
その必死な姿と目前に並べられる品物の数々に店主は眠そうに欠伸をした。なんせハイルが露店で盗んできたこれらは全て安物であり、とてもでないが高値で売れるものはない。
「惨めなガキだぜ……まったくよぉ」
中央政府から追放され、この貧民街にて質屋を買収してから三年が経過したが、その間に目前の白髪の男は一日も休むことなくここに来ている。
顔立ちは良いが貧民街に住み着いていることから服装は貧相であり、おまけに学が無いバカときた。おかげで稀に貴重品も盗んでくるが、その価値を知らないためいいカモである。
カネが溜まったらまた返り咲けばいい。そして再び中央政府の役員になった時、自分の追放に賛成した者達は適当な理由をつけて処刑してやる――と、そんな野望を抱いていた最中、カウンターに並べられた一つの薬に目をやる。
「ん? こいつはもしや……」
「おい、それ返せよ。それは売りもんじゃねえ」
「こいつは驚いた! 腐灰による病状悪化を遅らせる薬じゃねえか! 今時保険適用されない闇市場でしか売ってねぇぞ? 予防接種さえ受けてればこんなものは……」
と、そこで気づく。先程の会話の流れからして、この薬の服用者は――、
「お前の母親か!! こいつは面白ぇ! 毎日盗みを働いては母親のために薬を買っていたわけだ!!」
おそらく闇市場では病状を遅延させるだけでなく完治させるための薬もあるだろうが、継続的にカモから搾取するためにもそんなモノは頻繁には出回らないようにしているのだろう。
そんな店主の予想に対しハイルは薬を奪いかえすと、今度は取られぬよう懐にしまう。
「それでこれは合計でいくらになるんだ?」
「三千セラスってところだ。別に嫌なら帰ってもらって構わねぇぜ?」
「くそが――っ」
悪態を再びつくと同時に、しぶしぶと盗品をわずかな金額に変えたのだった。
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土塊でつくられた不細工な形状の建物や、木材を積み上げただけの建物、煉瓦が風化していまにも崩壊しそうな建物――傍から見れば、はたして建造物と形容しても良いのかと迷ってしまうようなモノの数々が列を成し、この場所『貧民街』を築いている。
人の数は少ないわけではないが、妙に閑散としており、物乞いや孤児、病人や老人が道の脇に座っている。時刻も夕暮れであり、この場所の雰囲気と相まって、鳥の鳴き声がよく響いていた。
「――」
道の中央を歩きながら周囲を見渡し本日の収支を確認すると嘆息する。例え盗みの技術が一流だとしても、それらは大したカネにならず、その日の食料と薬に変わると手元に残るのは雀の涙ほどである。
その日しのぎの生活をおくるハイルにとってはこれが日常であり、貧民街に生きる者たちの定めであった。
「まぁ……オレは運がいいほうなんだけどな……」
ここに住む者は病気や教育水準の問題から雇用に就くことが難しく、大半の者がハイルと同じように窃盗で生計をたてている。
しかし、自分と明確に異なるのは、スリの腕がさほど達者ではないことだ。そのため多くの者が失敗し、捕まると暴力と共に罰を受ける。その後どうなるのかは知らないが、これまでそのような現場を目撃した限りではこの場所に帰ってきた者はひとりもいない。
「最近では電子決済とか意味わからないヤツのせいで財布持ってる奴も少ねぇし……今後どうすっかな……」
技術革新により特をするのは常に富裕層であり、格差が明確なこの国では貧困層が更に搾取されるだけである。盗みが唯一の生存手段でありながら、それすらも今では難しくなり、ハイルは人生何度目かわからない窮地に生い立たされていた。
路地に入り繁華街と同様入り組んだ通路を移動すると木製の扉に辿り着く。腐食しており、強く押せば崩れてしまうそれを静かに開けた。ボロボロだが、雨風や害虫の侵入を少しでも防げるのであれば必要である。そして二階に上がり部屋の中央で咳き込む人物に駆け寄る。
「母さん……遅れてごめん! これ今日の薬……」
「ハイル……っ」
上体を起こし錠剤と水を痛む喉へ流し込んだ。途端、吐き気がこみ上げるがそれに耐え、荒い息を吐くと彼女は再び咳き込む。
「母さん! また痕が――!」
「はぁはぁ……」
ハイルの母・ナターシャの体にはいくつもの黒ずんだ腫瘍があり、最近では量だけでなく色の濃さも増している。それが生気を奪うと同時により身体を重篤な状態へと進行させているのはいうまでもない。
茶色の長髪は整えられておらず、ストレスの影響でところどころ白くなり、黄土色の目は一年前から虚ろである。体は栄養失調でやせ細り、一人で立ち上がるだけで体力をごっそりと持っていかれてしまう。
「ハイル……何度もいっているでしょ。もう私のことなんて見捨ててどこかへ行ってしまいな。お前に介抱されるのも飽き飽きなのよ……はぁはぁ……っ」
「オレがいなくなったら母さんどうすんだよ!? 一人で薬買いにいけないだろ!?」
「はぁ……このわからず屋のガキ……っ」
「なぁ、アレもう売ったほうが良いだろ! 多少はカネになるはずだ!!」
「アレは……はぁ……アレは駄目よ。アレは駄目……」
アレとは二人の視線の先、埃被った棚の上、表面を虹色の油膜模様が不規則に這う奇金属である。金属は鍵のような形をしているが、ハイルの腕と同等の大きさであり、重さもそれなりにあるため扉を開けるためのモノではないだろう。触れても特に変化はなく、様々な模様に変形変色する異質な金属である。
しかし、素人ながらそれがただの安物ではないことはハイルにはわかる。
「なんでダメなんだ!? このままだとマジで危ないって……母さん自分の状態分かってんのか――ッ!?」
素材も用途も一切不明の金属だが、高価であることは間違いないという謎の確信がハイルにはあった。しかし、何度売ろうとしてもやはり最後はナターシャに止められる。そして極めつけその理由は――、
「駄目なのよ……それはあんたを拾った時に……あんたが大事そうにしていて離さなかったんだから……」
十年前、貧民街の一区で地殻変動が発生した際、盛り上がった地層の断崖の下にハイルがいるのをナターシャは発見した。その際、幼い矮躯で抱えていたのがあの金属であり、ハイルは決して離そうとしなかった。無論、力尽くで引き離し、売りさばくこともできたが、幼い子供に対しそこまで非情になることはできず、子供だがせめてもの労働力になると奸計していた矢先の出来事でもあるため、これ以上は申し訳ないとわずかな温情が働いたのである。
そんなハイルもいまでは成長し、当時の記憶や謎の金属に対する執着も一切消えてしまったため、母の大切なモノでもない以上売ってしまったほうが賢明であると数年前から考えていた。そしてその思案はナターシャの容態が悪化するごとに強くなっていた。
「オレが昔大切にしてたかなんてどうでも良いよ。そもそも覚えてもいないし……母さんの体が少しでも良くなるなら……」
「ホントわからず屋ね――ッ! だからあんたみたいな物分かりの悪いバカは嫌いなのよ――ッ!! はぁはぁ……っ」
憎まれ口をたたくナターシャだが、彼女の額には脂汗がにじんでおり、相当無理をしていることがわかる。昔は幾分穏やかな性格であったが、症状の悪化とともに気性は変化し咳き込む回数もふえてしまった。
黒い腫瘍は喉にもあり、言葉を発するだけでもじくじくと苦痛が伴うのだ。それをハイルも理解しているため、これ以上の会話を望まず額に水で冷やした布を置くとナターシャを寝かせる。
そして今日の分の食事を母の枕元に置くと、少ない自分の分を手にしたまま一つ上の屋上へ向かう。
すでに夕日は役割を終え水平線に落ちており、夜空が頭上に広がり始めている。その光景をハイルは壊れかけの椅子に腰かけ憮然と眺める。
「今日は……星も無いな……」
真っ暗な夜空はさみしく、月明りも雲で隠されており、ハイルにとって生きるうえで唯一の楽しみである天体観測が今日はできない。がっかりすると共に嘆息すると頭を掻き毟る。
――技術革新によりこの国は大きく成長し、様々な場所で機械化が進められている。
その影響は凄まじく、富裕層にいたっては『改造手術』といった体の一部を機械にかえるような人体を改造する者もいるらしい。しかし、そんな技術の進歩とは裏腹に弊害も存在する。
社会の発展に伴い、工場による生産の過程で排出される有毒ガス――『腐灰』が蔓延し、それが大気汚染だけでなく、人体の皮膚や臓器に悪影響を与えこれまで多くの者が命を落とした。しかし、それはあくまで高水準の医療を享受できなかった者たちの話である。
先進国では特効薬の開発に時間がかからず、アルケイン王国でも完治するための薬は開発され結果的に多くの人々が難を逃れた。しかし、身分を証明する手段や上納金を納めていない貧困層は治療を受けられず、いまでも腐灰に苦しめられているのが現実である。
「明日からどうすっかな……」
将来に対する悲観的な考えが頭を横切り再び嘆息する。予防接種どころか明日を凌ぐための食料を買うだけでも精一杯であり、こんな生活がいつまで続くのかハイル自身も検討がつかない。しかし、ナターシャの細身は日々衰弱しており、あと何日もつかも不明だ。
――明日はもっと稼ぐ。貴族街に行く。
立ち上がった直後、階下から再び咳き込む母の声が聞こえ、ハイルはその場を後にした。