第九話 それぞれの猜疑
風船が破裂するのとは異なり、弾けた眼球は音をたてず、代わりに夥しい量の血を吹き出す。訳も分からず突如として視界の半分が闇に呑まれた『戦艦』は困惑するが、やがて訪れる炎に舐られるような激痛と流血により自身の現状を嫌でも理解させられる。
「ぐぁぁぁァぁぁぁ――ッ!!」
発狂し金切り声をあげるべラムースは痛みに悶絶する。あまりに突然の出来事であり、自身に異常が起きていることは分かるが、それを対処する方法や時間を考えるほどの余裕はない。
何が起きているか理解できず動揺するのはハイルやレイラも同じであり、ただひとりこの状況を意図していたケイネスだけはすまし顔だ。
そして以上事態はさらに加速する。
「――ヅヅッッヅっ!!」
「――っ!?」
二つ目の眼球が今度は溶け始めたのだ。そして空洞となった眼窩からは血と混ざってよくわからない黄色の液体も一緒に漏れ始める。その生々しく吐き気を覚えるような光景に目を背けたくなるが、異常事態に視線は釘付けとなり、現実逃避は許されない。
そして、更なる奇怪千万な光景を目にする。
「――ぃ」
溶けた眼窩から幼児のような手が飛び出しており、生まれたてのそれは親からの抱擁を求めるように空を仰いでいる。それは紛れもなく人間の手であり、見間違いや錯覚ではない。べラムースの体内でなにが起きたのか、なにが生まれたのかハイルは理解できず、ただ湧き上がる嘔吐感を気づけば必死に抑えていた。
ついに慟哭しはじめたべラムースにもはや暴漢の影はなく、ただ燃え盛るような激痛に打ちのめされ昏倒する。
しかし、それではまだ終わらない。
「ぉ――」
次なる違和感を感じとったのか、喉の奥から絞り出すような声を発した直後、べラムース両足が折れる。それも奇妙な光景であり、足の脛骨が外と内で交互に折れると間接が増えた。もとあった間接も当然のように逆に曲がり、もはや立つことすらままならない。
両足が解放骨折したことで、足裏に収納されていた折り畳み式の刃物も今では皮膚を内側から突き破っている。
そして次は腕だ。
「――ッッッ!!」
もはや声にならない声で苦鳴であげるべラムースは半狂乱でのたうち回り、正体不明の拷問から逃れようと必死だ。しかし両腕は拉げると簡単に原型をなくし、皮膚を突き破って露出した骨と一緒に謎の植物が姿を見せる。
「ハイル――っ!!」
「――ッ!」
急速に成長するその植物は蔦のようにハイルの方へ伸び、レイラの声で咄嗟に下がる。しかし、蔦がそれ以上追ってくることはなく、代わりに花が咲き始め、様々な種類の花弁が満開になる。
すると今度は最初に破裂した眼球の眼窩が蠢き、そこから吐き出すように大量の虫が放出される。その最中でも幼児の手は空へと伸びており、ついに吐き気を抑えられなくなったハイルは吐瀉物をぶちまける。レイラも胃液が逆流する感覚を必死に堪え目を逸らした。ケイネスの表情は見えない。
蠢く虫たちは結局広場に散乱した血に溺れ息絶えると、べラムースの頭に複数のコブが出現し、次第に膨張していく。そのうちの複数が破裂し、それ以外が不発に終わるとしぼみ始めた。そこから脳漿が漏れ出し、同時に体中から骨だけでなく臓腑や改造手術による機械も露出した。
すでに悲鳴は止んでおり、それはべラムースの死を示している。それでもなお身体は動いており、風前の灯火である命をケイネスが仕掛けた何かが強制的に動かしていた。
そして――、
「――っ」
最後に腹が破れ、人――否、人の造形をした肉塊が頭と体を見せる。しかしその半分は溶けており、頭部には口と耳以外の臓器が無い。指の本数も足りておらず、身ごもる過程で障害を負った子供のようだが、これの体格は青年だ。しかし、腹を破って出てきたそれも即座に絶命し、魑魅魍魎とした光景は惨たらしい結果で幕を閉じた。
「いやー、また失敗した! やっぱり難しいなぁ……」
その目前の光景を物とも思わず元凶であるケイネスは期待外れの結果に落胆する。
「お前……なにをして……いや、何なんだよお前……っ」
「――さぁ、ボクって何なんだろう?」
ただ殺すだけではない。上手くは言い表せないが、ケイネスはたったいま殺す以上のことをした気がして成らない。そしてそれをやったにも関わらず彼は平然としており、いつもの楽観的口調に戻っている。
レイラも警戒の矛先を『戦艦』からケイネスに切り替えており、次に彼がなにをするのか一挙手一投足を注意深く観察していた。
「そんな敵意のある目をしないでよ。ボクは君達の味方だ。少なくともカオスギルドに着くまで争うつもりはないよ……」
「――! 耳が!!」
「……あぁこれかい? まぁ、こういう体質だってことだよ」
驚愕するレイラの視線の先、自身で切断したケイネスの耳は細胞が急速に成長し血管が形成されると皮膚が形をつくる。やがて輪郭が勝手に整えられ、切り落とされた耳は完全に再生した。それは文字通り再生であり、急速な治療や自然治癒が早いといった次元ではない。
まるで人間とはことなる別の生き物のようであり、人間の皮を被った異質な存在を前にしているようだ。
度重なる緊張と焦燥と異常事態のせいで自身の考えを消化する時間すら与えられないため、ケイネスに対する疑問もまとめきれない。ただし一つ断言できることがある。
「――お前は……異常者だ」
元々ケイネスを完全に信用していたわけではない。それはレイラも同じであり、親しい雰囲気を維持しつつも猜疑心は存在し、それはレイラも自分やケイネスに対し抱いていた感情だろう。
しかし、ケイネス最初からそんなことを考えておらず、ただ本当に自身の好奇心に従って行動していただけだ。そして好奇心のためなら仲間も見殺しにするし、人も簡単に殺せると彼の在り方は物語っている。
「でも、だとしたら……なんでオレ達を助けた?」
「二人が死んでしまったらこの先ボクはどうしろっていうんだい? 少なくとも君達二人に出会ってからのこの数時間はボクの人生の中でも指折り数えるくらいには楽しかったよ! だから助けたんだ」
「……嘘だな。お前が最後まで戦うつもりがなかった理由は二つ。お前はコイツと戦っても勝てると思っていたから。そして二つ目はオレ達がやられている姿を見るのが楽しかったからだ」
「それにあなたは私やハイルがこの男に対しどのようにして戦うかを見ていた……戦術や殺陣を観察していた。けれど私にこれ以上の戦力を期待できないことからあなたも手札を晒した。そうですよね?」
二人から疑念を突きつけられたケイネスは薄く笑い、肯定とも否定とも受け取れない表情をする。やがて沈黙が訪れ、三者全員が残り二者の顔色を窺っていた。
いま思えば初めてレイラと遭遇した際、ケイネスは腹を刺されそこから放出されたガスが臓器を破壊し、ケイネスの身体が破裂したように見えた。あの光景を一種の見間違いと指摘されハイルもその通りであると納得したつもりであった。
しかし、あれは幻覚や見間違いなどではなく、彼は確かにあの瞬間殺されたのだ。そして先程のように体を再生させ完治した。
原理や手段――そもそも人間なのかすら不明であり、方法も気になるが今は問いただせるような雰囲気ではない。また、いま訊いたとしても素直に応えてくれるとも思えない。
「お互い……隠し事は多いみたいだね!」
薄く微笑するケイネスの声音は相変わらず楽観的であり、いつもの彼としての姿勢は崩されない。そんな彼にレイラは不信感以外で侮蔑の眼差しを送る。
レイラもこれまで数多くの者を殺めてきたため、殺人に正当性があるとは思っていない。しかし、例え人を手にかけるとしても命を弄ぶようなことだけはしてこなかった。そのため、ケイネスのように残酷な方法で殺し、死に様に満足性を見出す彼の在り方が気に入らない。
「……行きましょう。ここにいても時間の無駄です」
「そうだな……」
それぞれに言いたいこと、訊きたいことは様々あるが、ここで立ち往生していては時間の無駄であり、いつまたべラムースのような暴漢が襲撃してくるか分からない。貨物車に密乗しカオスギルドまで行くことを最優先に考えるべきだ。
全員がそれを理解しているためこれ以上は何も言わず、再び貨物車が並ぶ交易場を目指す。べラムースとの戦闘で大分時間を浪費してしまったため、追手のリスクを承知で走り出す。
この数分間で全員は理解していた。共に行動する彼らは利害が一致しただけの関係であると。
――決して仲間ではないと、理解させられた。
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迷宮のような路地を抜け、視界が広くなると都市の交易場に辿り着く。交易場の場所自体はいまいる位置からやや下がったところにあり、交易場から都市方向へと続く勾配を人や貨物車が列を成しながら進んでいた。そして奥の方にはいくつもの貨物車が停車しており、その一つにこれから密乗するわけだ。
レイラの話によればこの場所は他国との貿易における中間地点であり、この場所を経由して物資や資材、原材料が国の都市に供給される。そして、アルケイン王国は此処――ルーベルト大陸の約七割を占め、大陸中央のこの場所ではデータ・情報資源といったデジタル資源や知的財産が豊富らしい。
「他にもエネルギー資源である化石燃料や再生可能エネルギーの原子力資源も多いです。ただ、こういった開発を推し進めるせいで環境汚染や土壌汚染が悪化しているとの話も聞きます。この国の西側は目まぐるしく発展していますが、東から南東にかけて荒野が増えているのはそれが原因で……聞いてますか?」
「いや、すまんマジで話の半分以上聞いてなかったわ」
脳に送られてくる様々な言葉や概念に頭がショートし、気が付けば話の大半を聞き流していた。レイラがどこ出身なのかは知らないが、彼女は世の中を渡り歩き、様々なことを学んできたため学識や知見が深い。
「その点オレときたら……そのルーベルト大陸の中にこの国があるってこと自体、いま初めて知ったぞ」
「ボクはエルヴァン王国出身だけど……そうか、どうやら知らないうちに国境を跨いでいたみたいだ!」
「私がいうのもあれですが……二人ともよくこれまで生きて来られましたね……」
世界を渡り歩くにはあまりにも無知であり、一般的な法律や常識を理解しているのかすら怪しい。
レイラ自身も元殺し屋のため自身が普通とはかけ離れていることを自覚しているが、普通と異常の境界線を理解しているだけまだマシであると考えている。一方でハイルは本当に無知であり、学びの機会を享受できずにいたと考えれば必然かもしれないが、賞金首の身としてはあまりにも命取りだ。ケイネスは無知というわけでも馬鹿というわけでもなく――底が見えない。
「ありました。アレです……」
レイラの視線が示唆する先、そこには赤色のメッキが剥がれた貨物車がある。荷台の多くには食料や木材、他にも家具などが乗せられており、積まれる物は限定されていない。ただ一つに気になることがあるとすれば――、
「アレ……浮いてね?」
他の貨物車はタイヤで地面を走り、どこから来たのか動物に引かせ車輪で進む荷台車もあるが、これから密乗を考えている貨物車は地面に直接触れず低空でホバリングしている。
「これから向かうトムキンズ・タウンは荒野の中心にあります。地面は荒れてるので場所によっては砂漠化している場所もあるため普通のタイヤや車輪では進めません。そこであの反重力を搭載した貨物車というわけです」
「なるほどね。土壌を気にする必要がなくなるわけだ」
「で、どうやってアレに乗るんだ?」
貨物車自体に監視や警備は配備されていないが、乗り込むところを目撃されては確実に警戒されるだろう。また、馬鹿正直にトムキンズ・タウンまで連れて行ってくれと、歎願すれば乗せてくれる可能性も考えた。しかし、いまは三人とも服の至るところに出血や返り血を浴びており、ハイルに関しては白長髪の半分が真っ赤に染まっているため異常という印象しかない。
「私があの人たちの注意を逸らすのでその隙に乗って下さい」
「レイラはどうするんだ?」
「私は後から飛び乗ります。積み荷も多いですしそろそろ出発する頃です。急いでください」
そう言い残し、血の付着した黒の外套をハイルに押し付けると積み荷の指示者と運転手らしき人物へレイラは駆け寄る。
「それで君はなにか奇策を思いついたかい?」
「いま考えてんだけど思いつかねぇな。こういうのはお前の方が得意なんじゃないのか?」
「ボクは君の選択や行動に興味があるんだ。だから助言は期待しない方がいいよ。例えカオスギルドに辿り着けなくともボク自身にこれといった不利益はないからね」
「お前まじで敵なのか味方なのか分からねぇな……」
貨物車の車体は高さ五メートルほどであり、地面からは一メートルの宙でホバリングしている。そして周囲には数名の人がおり、食料や家具などを荷台に積むものが計六名、下から受け渡す者が二名、受け取る者が二名、敷き詰める者が二名といった具合だ。それ以外にも周囲に人は数名いるが、特別貨物車を注目している者はいない。
「敷き詰め役と荷物を受け取る役が厄介だね。彼らが荷台の上にいては密乗なんて不可能だ。それに彼らが荷台から下りるときは出発する直前。間に合うかは怪しいね」
「オレは直前に貨物車の壁よじ登れるけどな。それでもお前が見つかっちまう」
「おや? 心配してくれているのかい?」
「違ぇよ。お前が見つかったらオレ達も見つかるかもしれないだろ。それにお前のことだし、オレが隠れて乗ってるのをバラすかもしれねぇ……」
「――ご明察」
薄く笑うケイネスはどこまで本心なのか分からない。ただ彼のような不確定要因を残すことが一番の脅威であるとハイルは直感している。
と、そこで気づく――。
「アレなら使えそうだな……」
数分後、貨物車はトムキンズ・タウンに向けて出発した。
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ヒュイーンと鳴る高周波とともに内部のモーターが駆動、宙で停止していた貨物車は更に高く浮くと方向転換し滑走を開始する。風を切る音と共に重力の頸木から逃れ、巨大な鉄の塊は軽々と人の頭を飛び越すと目的地へ向けて直進する。
そこへ待ち伏せしていた少女が壁を蹴り、跳躍とともに荷台に着地した。
「あの二人は――っ」
荷台に人の気配はするが積み荷以外目立ったものはない。内壁をよじ登り同じように乗り込んでくる姿を想像するがそれらしき姿もない。やがて人影が減るとともに建物の数も減少、完全に町外れに来てしまった。
二人は乗り遅れた。この事実とどう向き合うべきか自分の内心を探ろうとしていた時だ。
「――!」
背後からの物音に肩を跳ね上げ、音のした方向、敷き詰められた家具を睨む。直後、同じ音と共に今度は家具の一つが明確に揺れた。木製の移動式クローゼットであり、再び音と共に揺れると横倒しになる。しかし、重量により全体が傾くと横倒しのまま滑り落ち、最終的に倒壊する。
「くそ――ッ! いてぇ――っ!!」
「いやぁ、出られて良かったね!! 適当に選んで入った家具が棺桶になるところだったよ!!」
「お前と一緒に死ぬとか一番嫌だし怖いわ……」
どう見つからず乗り込もうか奸計していた際、これから積まれる物品の中に人間大のクローゼットを発見しそこからは早かった。ただ問題は人一人がおさまるような家具はそれだけであり、他の家具はすべて内部に棚や物が敷き詰められていた。それらを出して無理やり体を押し込もうと結果的にバレる可能性の方が高いため、結局ケイネスと二人で体をねじ込んだ。
ところが内部から開けることが出来ないという計算違いが起き、同時に内部から外部へ音漏れしないという事実にも直面した。結局壊す以外の脱出方法はないと悟った結果いまに至る。
「お! よおレイラ!」
「まさかこんな古典的な方法で乗ってくるとは……心配する必要はなかったみたいですね」
「心配してくれてたのかよ。優しいところあるじゃねえか」
「二人を逃した結果……どこの馬の骨とも分からない輩に粛清されては現時点まで二人を始末しなかったことを後悔しそうなので……」
「結局賞金奪われるの嫌だっただけかよ――っ!!」
身の心配をしていたわけではなく、身に懸けられた賞金の行方を心配されていたわけだ。レイラの惜しみなく素直な返事には辟易してしまう。
「そもそも……お前はなんでカネが欲しいんだ?」
「生きていくためにお金は必要ですよ」
「そうじゃねぇよ。カネが必要なら普通に働けばいいじゃねぇか。賞金稼ぎなんてやってたら危険なこともあるだろ。そもそも儲かるのか?」
「儲かるか否かは内容によります。今回のハイルとケイネスに懸けられた懸賞金は私が受け取る金額としては多いです。それと普通の職に就き労働すれば良いといいましたが……私にその資格はありません」
「なんでだ?」
「私の手はもう汚れきっているので……」
視線を落としたレイラに対し何も言えない。彼女の中にある葛藤――否、自責の念は茨のように身に纏わりつき、決して離すことなく彼女と共に生きている。
元殺し屋であり現在は賞金稼ぎ、彼女が今日にいたるまでどれだけの命を手にかけてきたかは想像すらつかない。
「ハイルは……『悪』とはなんだと思いますか……?」
「悪……なんなんだろうな。沢山人を殺してきた感じのお前が悪い奴とは思えないし……それにさっきあの男を殺してなければオレ達二人は死んでた」
自分はこれまで悪とは人を殺すことであると、そんな漠然とした考えをもっていた。そのため窃盗は悪じゃない、法律に反したとしても殺人ほどの『悪』ではないと自分の中で納得していた。しかし、いまはどうだろうか。
「私にとって悪とは……罪悪感を忘れることだと思っています」
思わず息がつまる。窃盗で罪悪感を最後に覚えたのはいつだろうか。悪の定義すら自分の中で定まらないなか、自分は平然と彼女の云う悪を実行していた。必要な犯罪だった――この言い訳が直ぐに出る時点で自分の中での罪悪感はまともに機能していないといえる。その事実に対し悔悟の念を抱けば許されるのだろうか。
レイラは自身の過去の殺人を正当化していない。この世界で生きていくしかないと確信しているから未だカオスギルドにいるのだ。
罪悪感があるから、賞金稼ぎをやめるわけにはいかない。
「辞めたいと思ったことはないのかい?」
「おま――っ、それ訊くなよ!!」
「無いわけではないですけどやっぱり無理ですね。だから私の目標はこの世界でひっそりと余生を送れるくらいの大金を稼いで引退することです。そうすれば働く必要はないですから……」
「ハイルはこれからどうするんだい? カオスギルドの一員になれば狙われなくなるわけだろう?」
「どうするか……」
考えてみれば、これまでハイルは自分の人生において長期的な目標を立てたことがなかった。
常に母の安否を心配し、一日でも永く生きてもらうため日銭を稼ぐ毎日であり、それ以外の生きる意義を見出したことすらない。それは執着や妄執に近いものでもあり、ナターシャの延命に自分自身の人生を依存させていたとも解釈できる。
しかし、ナターシャは政府の者によって粛清され、粛清した男達も何者かの手によって始末されていた。つまり、新たな生きる目的となりうる復讐もその何者かによって達成されており、再び生きるうえでの明確な目標をハイルは失った。
「――」
カオスギルドに所属すれば賞金首は取り下げられ、自分の生活を縛るものはなにもない。すなわち自由が手に入る。しかし、先程レイラが語った罪悪感がいまは背に圧し掛かっており、自由を好き勝手に行使してよいのか迷いがある。
だから――、
「オレは……人の役に立つことがしたい」
「人助けですか……」
「まぁ、そんな感じかな。犯罪を犯した奴の助けを欲しい奴がいればの話だけどな」
「ハイルはまだ人殺しの経験が無いので上手くやって行けますよ。窃盗……それも奢侈品ではなく生活必需品なんて軽犯罪もいいところです」
「で、お前はどうすんだ? ケイネス」
視線を向けられたケイネスは明後日の方向を向き、記憶の中にある目的や行動原理を手繰り寄せている――フリをする。
その表情や仕草が何を意味するのか解らない。
「なんというか……君達は随分と信用し合っているんだね! お互い」
「信用してるつーか……」
「カオスギルドに到着次第、我々の利害関係は終わりです。もう二度と会う事もないかもしれないので、別に打ち解けることに問題ないのでは?」
「そうかな? うーん……そうだね。確かにそうかも!」
「逆にお前はどうすんだよ。お前がこれまでどんなふうに生きてきたのか知らねぇけど……お前は罪悪感とか人助けとかあまり考えないだろ?」
「あ、ボクは今後どうするか決まっているよ?」
レイラが目指すのは十分な資金による穏やかな余生、ハイルは人助けといった漠然としたものだ。しかし、ケイネスの決断はハイルよりも明瞭であると、その表情が物語っている。
緊張を感じさせない楽観的な生き方と態度の彼は好奇心に駆られて生きている。そんな彼が選択する未来は――、
「ボクは君達二人のどちらかに同行するよ」
「はぁ!? なんでそうなるんだ!?」
「ボクは行く当てもないし人生におけるこれといった目標もないからね。ただ一ついえるのは……君達について行けばきっと楽しいことが起こる」
「普通に迷惑ですし足手纏いになる未来は見えているので私は振り切ろうと思います。ハイル、後はがんばってください」
「いや、こっちに押し付けるなよ!! こんなイカれた奴がいたら何が起きるかわからねぇだろ――っ!」
ケイネスと共に行動するのは時限爆弾を体につけて生きるのと同義であり、より最悪なのはその爆弾がいつ爆発するのか周囲の人物にはわからないことだ。ここにいる全員が善人とは言い難いが、なかでもケイネスは最も異質であり、平気で人を殺めるだけでなく、その工程から愉悦感を見出す異常者だ。
蚊帳の外から見てる分には多少は面白いと感じるかもしれないが、現実では決して仲良くはなりたくない類の人間であることは間違いない。
「そもそもお前は一体なんなんだ? 切り落とした耳は再生するし、そんなこと改造手術でも普通できないだろ……」
「お! やはりボクに興味を持ったかい?」
「いや、やっぱ良いわ。着いてくんなよお前」
カオスギルドに到着すればここにいる二人とは別れることになる。これ以上の厄介を招かないためにも、互いの過去や展望に対する詮索は止そうと決める。レイラもその考えに概ね賛成であり、ケイネスもこれ以上話す必要はないと悟ったため口を閉じる。
「貨物車は昼夜兼行で進みます。この速度で進めば早くも翌朝にはつくかもしれません。今のうちに休憩をとりましょう」
その提案を皮切りに三者はそれぞれから距離を取り、激動の一日は幕を閉じた。




