たまごふわふわ
※ コロン様主催『たまご祭り』参加作品です。
「──副長、土方副長!」
長いあいだ考えごとをしていた土方歳三は、部屋の入り口で自分を呼び続ける声にようやく気づいた。
呼びかけていたのは、まだ少年と言ってもいいほどの若い隊士だ。
「おっと、すまねぇ。ええと、市村──」
「市村鉄之助です。兄の辰之助とともに、近藤局長のお世話を任されています」
──慶応3年(1867年)冬。新選組は今、非常に難しい局面に立たされていた。
この十月に徳川将軍家が政権を朝廷に返上したものの、それで倒幕の動きが治まったわけではなかった。依然、薩摩や長州、一部の公家たちが武力による徳川追討を画策しているという情報もある。
もし新政府との戦が始まれば、数多の実戦経験を積んできた新選組の戦力は、必ず徳川方の役に立つはずだ。なのにあちこちにたらい回しにされたあげく、今は伏見に駐留している。幕府内の指揮命令系統も、もう混乱し切っていたのだ。
そんな最中、新選組をたばねる局長の近藤勇が倒れてしまった。移動中に鉄砲で狙撃され、肩の骨が砕けるほどの重傷を負ってしまったのだ。
一命は取り留めそうだが、しばらくは動けそうにもない。この分だと新政府軍との戦いでは、土方が代わって新選組を率いることになるかもしれない。
情報を収集し、時勢を読み、戦いに備えて周辺の地理を確認し、隊士たちの士気を維持し続ける──土方のやるべきこと、考えるべきことは山のようにあった。
「それでどうした、鉄之助。局長の容態でも変わったのか?」
「いえ、今は落ち着いてらっしゃいます。痛み止めも少しは効いているようですし。
ただ困ったことに、粥などをお持ちしても一切口にされないのです。あれでは治るものも治りませんよ」
「ああ、なるほどなぁ」
土方には理由に察しがついた。近藤は意地でも表情に出さないようにしているものの、実はまだ相当に痛いに違いない。
そして、痛さのあまり粥も食えないという醜態を、鉄之助のような若者に晒したくないのだろう。近藤というのはそういう男だ。
「それでですね。局長の好物をお出しすれば、多少は食べていただけるんじゃないかと思いまして。副長、何かご存じないですか?」
「局長の好物か……」
目の付けどころは悪くないのだが、少し考えものだ。長い付き合いの土方は当然それを知ってはいるが、絶対に口外しないよう当の近藤から強く頼まれていたのだ。
「ふう、しょうがねぇな。
鉄之助、悪いが新八か左之──あ、いや、副長助勤の永倉君か原田君を呼んで来てくれ。あとはこっちでやっておくからよ」
「──お言葉ですが、それは少し筋が違いませんか、副長」
意外な応えに、土方はちょっと目を見開いた。『鬼の副長』などと陰で呼ばれ恐れられている土方に、まだあどけなさすら残るこんな少年隊士が口ごたえするとは。
「自分と兄は、副長ご自身から局長の看護を任されているのです。理由も知らされずにお役目を他の方に丸投げしろというのは、とても承服できません」
「あー、いや、そういうことじゃねぇんだ。ただ、近藤さんの好物はちょっと他聞をはばかるものなんでな。
試衛館以来の古株以外には聞かせられねぇというか──」
「なら、なおさらです。副長は、私がそういうことを軽々しく吹聴するような『士道不覚悟』な輩だと思ってらっしゃるのですか?」
「──ほほう、なかなか言うじゃねぇか」
土方は少し楽しくなってきた。こういう向う気の強い男は嫌いじゃない。
「なら教えてやるがな。他言無用はもちろんだが、聞いても絶対に笑うんじゃねぇぞ?」
「承知しました」
緊張した面持ちで答える鉄之助に、土方はもったいつけるように凄みを効かせた声で告げた。
「近藤さんの好物はな──『たまごふわふわ』だ」
「──え? たまごふわふわ──!?」
必死に驚きか笑いをこらえているのか、鉄之助が妙に歪んだ顔つきで上ずった声をあげる。
無理もない。古武士然とした強面の近藤の好物にしては、あまりに愛嬌のありすぎる名前だ。
「おう。ずいぶんと間抜けな名前だが、将軍家が饗応の宴で出したこともある、由緒ある料理なんだぜ?
袋井宿(現:静岡県袋井市)の名物料理なんだがな」
そう言って土方は、鉄之助を厨房にいざなった。
小さな土鍋に水を張り、一握りのかつお節を放り込んで、蓋をして火にかける。
「別に難しい料理じゃない。まずはかつお出汁に醤油とみりん──まあ、分量は適当だ。
これを沸かしている間に、玉子をよく溶いておく。やってみな?」
少量の砂糖を入れた丼に玉子を割り入れ、鉄之助に渡す。鉄之助が箸で、白身と黄身がきれいに混ざるくらいまで溶いてみせると、土方はため息まじりに突き返した。
「こんなもんじゃダメだな。もっとびっしり細かい泡が立って、全体が倍にふくらむくらいまでだ」
「そ、そんなにですか!?」
出汁が水から沸騰するくらいのあいだ、鉄之助は顔を真っ赤にして必死に玉子をかき回し続けた。
「まあ、そんなとこでいいだろう。鍋をいったん火からおろして、かつお節を引き出して、沸騰の泡が収まるくらいまで冷ます。──よし、今だ」
泡立てた玉子を一気に出汁に流し込み、上に刻んだ三つ葉を散らして、素早く蓋をする。そして土鍋をもう一度火にかけて、すぐにおろす。
やがて余熱で玉子がふくらみ、じわじわと蓋を持ち上げ始めた。
「よし、完成だ。味見してみな」
鉄之助は木匙ですくって口に運び──目を丸くした。
「うわ。何ですかこれ! 口の中で一瞬で溶けるような──まさに『ふわふわ』としか言いようのない斬新な食感です──けど……」
弾むような声が、途中で急に勢いを失っていく。
「ああ、言いたいことはわかるぜ、鉄之助。
旨いことは確かに旨いが、払った労力に見合うほどのものかと言われると──?」
「正直言って、微妙なとこですね」
「まあ、だからこそ『もてなし』の料理なんだろうな。普段からこんな手間のかかる料理なんて、作ってられねぇだろうし」
そう言って、土方は着物の汚れを払った。
「さ、熱いうちに持っていってやんな。で、近藤さんが食べられるようなら、これからも作ってやってくれ」
「わ、私がですか!?」
「おいおい、『他言無用』って言っただろ? 誰かに作ってもらうなんてのは、それこそ『士道不覚悟』ってヤツだぜ?」
「──承知しました」
げんなりしているのを押し隠して、殊勝に頭を下げる鉄之助を見て、土方はふと、励みになるような言葉をかけてやりたくなった。
「お前さん、若いのになかなか見どころあるぜ。俺に正面切って意見するとは、大した度胸じゃねぇか。
俺がお前を『生き残る男』に鍛えてやるから、これからも付いて来な。
──まあ、とりあえずこれも腕力の鍛錬と思って励めよ、『鉄』!」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
やがて新政府軍(官軍)との戦いが始まると、市村鉄之助は小姓として土方歳三に付き従い、ともに戦い続けた。
鳥羽伏見、甲府、会津、そして蝦夷地(現:北海道)へと──。
そして箱館の最終決戦を前に、鉄之助は土方から最後の命令を受ける。
いますぐ蝦夷を離れて武州日野(現:東京都日野市)へ行き、土方の縁者に手紙と写真、刀を届けよと。
最後までともに戦って死にたいという鉄之助の懇願を、土方は頑として受け入れなかった。
まだ十六歳の若者を死なせるのは忍びなかったのだろう。
今日私たちがよく目にする、洋装に身を包んだ土方歳三の肖像写真──。
それはこの鉄之助が、官軍の目をかいくぐって2カ月かけて日野まで届けたものなのである。
と・こ・ろ・が! ですね。
『たまご』というお題からこの話を思いついて、色々調べながら書いていたのですが──。
『近藤勇の好物がたまごふわふわだった』というのは、静岡の観光案内HPなどあちこちのサイトで見かける話なんですけど──実はこれ、完全にガセネタでしたぁっ!
大河ドラマのスタッフたちが近藤勇の細かいキャラ設定を決める時、当時実際にあった料理の中からこの『たまごふわふわ』を好物という設定にしようと決めたそうなんです。
近藤の人物像と料理名の語感のギャップが大きすぎて、逆に多くの人が信じ込んじゃったのかもしれませんね。まあ、自分もなんですけど。
おのれ! あまりに罪深いぞ、大河ドラマっ!!