第9話 王都への勧誘①
王都は遠い。王都に王が住まい、大変に栄えていることは知っているが、サクにとっては本当にあるかどうかもわからない未知の場所。
サクは混乱しながらも、ぽつぽつと気持ちを話す。
「えーと、神楽は、実は今回限りでやめる予定でして」
今度は驚いたのは蒼月の方だった。
「やめる?!」
「はい。うちはお母さんがいないから、家のことや畑の仕事を私がやっています。神楽は楽しかったけど、時間があんまり取れないから…」
「なんということだ…。きみは自分の価値をまったくわかっていない。サブロ殿、サクの才能は並ではない。それはあの舞を見ればわかるであろう?かわいいお嬢さんを手放すのは寂しいかもしれないが、この子はもっと広い世界で輝くべきだと思わないか?」
サブロは渋い表情で黙ったままだ。
「サク、きみ自身の気持ちを知りたい。もっと神楽をやりたいと、思わないか?」
(もっと神楽をやる?また神楽を舞うの?)
サクの人生の中に、神楽をやるという選択肢は無かった。それはこれからも、無いと思っていた。今初めて新しい道の可能性を感じて、サクは戸惑った。
「私は…」
サクの迷いを感じて、蒼月は優しくほほ笑んだ。
「もし神楽を続けたいならば、私が王都での生活はすべて面倒を見よう。伝手を使って王都一の神楽座も紹介しよう。きみは何も心配せずに神楽をやればいい。どうだい?私と一緒に王都へ行かないか」
「あの、私、神楽は楽しかったけれど、王都に行くとかは考えたことなくて。それにもし王都に行くとしても、お役人様のお世話になるのは、ちょっとおかしいかなって思います」
「おかしい?」
「はい。だって、今日初めてお会いしたばかりの方に、どうしてお世話になれましょうか。王都ではそれが普通なのですか?」
まっすぐな瞳で見つめられ、蒼月は少しだけたじろいだ。それを感じて悠遊が思わずぷっと噴き出した。
「蒼月様、サクさんの言う通りですよ。見ず知らずの赤の他人に世話になる謂れはないって思いますよ。あのね、サクさん。この蒼月様、こう見えてもお役人の中でもとっても偉い人で、才能のある若者を見つけて面倒を見てやるのが趣味なんですよ。その若者が成功したら、自分のおかげって喜ぶのが楽しいんでしょうねぇ。まあ、金持ちの道楽ってやつですね」
「悠遊…」
蒼月は頭痛がするように、自分の額を指で押さえた。
「この者の言うことは真面目に聞かなくてもよろしい。貴重な才能を持つ若者を埋もれさせたくない、という気持ちで手助けを申し出ているだけだ。突然のことなので、きみにも考える時間が必要であろう。私たちはあと二日ほど、村長殿のお宅に滞在して王都へ帰る予定だ。その時までに返事を。今日は突然の訪問で失礼したね」
蒼月と悠遊の二人が帰ると、急に家がシーンと静かになった。何も言わないサブロに、なんとなく気まずさを感じたサクが、そそくさと立ち上がろうとした。
「急なことでびっくりしたわ。お茶でも入れるね」
「茶はいらない。座れ」
サクは上げた腰を再び下ろす。
「お父さん、私、王都には行かないよ」
「・・・」
「だって、私が王都に行ったらお父さん、寂しいでしょう?それに私がいなかったら、お父さんますます孤立しちゃうし、お父さんを残して行くのは私も心配だし。だいたい、神楽って、こんな素人が楽しいからってやれるものじゃないものね」
サクは努めて明るく話したが、言葉を切ると再び部屋には沈黙が重くのしかかった。
「んもう!お父さん、なんで黙ってるのよ。何とか言って」
「サク。今日のお前の舞は本当に素晴らしかった」
「…ほんと?ありがと」
「本当は王都へ行きたいのか?」
「え…」
つい先ほど、蒼月に言われるまで、そんな選択肢が人生にあるなんて思いもしなかったのだ。王都へ行くと言うことも。神楽を続けると言うことも。この村を出ると言うことも。
「正直に言うと、わかんない。王都に行きたいなんて思ったことない。でも、そんな道もあるのかって、ちょっと驚いているわ。王都に出て神楽を舞うなんて、夢みたいな話だって思う。この村で、お父さんと二人、ずっと暮らしていくもんだとばかり思っていたから」
「ずっとこのまま暮らすというわけにはいかないだろう。サクだっていつかは嫁に行くんだ」
「私、お嫁になんか行かなくたっていいわ。お父さんを一人になんかできないもん」
「ダメだ。父さんだっていつかは年老いて、サクより先に死ぬ。お前が嫁にも行かず父さんの側にいたら、心配で死ぬにも死ねない」
サブロはまだまだ男盛りで、死ぬなんてことを、サクは想像もしたことがなかった。しかし、母だって若くして死んでいる。人の命なんて、いつ、どうなってしまうかはわからないのだ。
「じゃあ死なないで側にいてよ。お父さんがいなくなったら、私…」
「もちろん簡単に死にゃしない。だが、父さんのことは心配しないで、サク自身が幸せになることを考えて欲しいんだ。サクが幸せになることが、父さんの幸せなんだから」
「お父さん…」
「自分の気持ちに素直になって、よく考えてみなさい」
「…うん」