第37話 技の継承
辺境までの長い旅路の間、馬車の中で、あるいは休憩に立ち寄った宿で、サクは凛音に様々なことを教わった。もうこんなチャンスは二度とないと、サクは必死に食らいつく。凛音はサクがぐんぐんと技を吸収し成長していく姿に内心で舌を巻いた。
(この子は間違いなく舞姫の器…!うちの持てる技を伝えたい!)
引退を決めた今、凛音はこれまで培ってきた舞姫としてのすべてを後輩に託したいという思いがあった。
(でも―。まだ神楽の本質を掴めていない、か)
サクに期待する分、早く何かを掴んで開花してほしいと思ってしまう。神楽を始めてまだ一年のサクには、重い期待かもしれない。
凛音が一年目の頃は、ようやく初舞台を踏んで、注目もされずひたすら稽古に励んでいた。そう考えれば、サクはすでに多くのファンを持ち、実力もめきめきと伸びている。大部屋の女たちにひどい嫉妬を買うほどに。
(うちに教えられることは―)
その日の夜、一行は森の脇の川べりで野営を張ることになった。食事を終えたところで、凛音が神楽を披露すると申し出ると兵士たちは雄叫びを上げた。
蒼月が派兵隊の募集を掛けた際に、凛音が同行する旨を通達すると、あっという間に百人が集まった。凛音の姿をひと目見たいと思っている連中だ。それがまさか、神楽を披露してくれるとは。何たる幸運、と兵士たちは興奮して中央へと集まってきた。
支度のため一旦テントへ入っていた凛音がすっと中央へ進み出ると、一斉に皆は口を閉じた。舞台衣装とまではいかないまでも、美しい絹の衣を羽織っている。顔には異国の面が着けられていた。白地に細い眉、細い目、高めの鼻、うっすらとほほ笑んでいるような唇の女人。
面を着けた凛音がすっと片腕を前へ上げると、空気が張り詰めた。瞬時に場の空気を掌握する凛音の姿に全員が目を離せない。
獣除けのかがり火のはぜる音がぱちっと静寂の中に響いたその時、ぴーぴゅる、とライが奏でる横笛の音が静寂を切り割いた。
始まったのは子を奪われた女人が鬼となって復讐を果たそうとする物語だった。
ライの笛の音が、凛音の舞に絡みつく。うっすらとほほ笑んで見える面は、子を抱いているときは優しい自愛の表情に見え、鬼と化したときには恨みに染まった恐ろしい表情に見えた。横笛と面だけで、世界観が構築されているにもかかわらず、凛音が舞うと、そこには子を奪われた母の姿があった。
激しい舞がサクの心をかき乱した。
これが絶大な人気を誇る舞姫の舞―。
だれもが息を詰めて見守った。一瞬で終わったようにも、長い物語を見せられたようにも感じた不思議な時間が過ぎ去ると、兵士たちは盛大な拍手を送った。サクは涙を流しながら凛音の姿を目に焼き付けた。
「咲弥、この面をあげるわ」
凛音は先ほどの面をサクに差し出した。サクは両手でそっと受け取ると面をぎゅっと抱きしめた。
「ありがとうございます」
「なぜうちが面を着けて舞ったのか、咲弥にはわかる?」
「…自分を隠すということだと、思いました」
凛音は笑みを浮かべた。
「たしかに舞手の顔を隠しとるね。お客さんからは舞手がだれかわからんようになっとる。だから作品の世界観に入り込みやすい演出とも言える。けどな、舞手側からはどう感じるか、咲弥も面を着けて舞ってごらん」
「はい」
サクは言われた通り、面を着けた。視野を確保するために、目の所に小さな穴が開いていたが、ほとんど何も見えない。
(客から自分を隠す、同時に自分からも客を隠している?)
サクはそのまましばらく立ち尽くした。客が見えなくなることで、雑念を払い、役に集中することができるのかもしれない。しかし、今のサクには、面を着けた自分は周りからどう見えるのだろうなどと考えてしまっている。
「できません」
「咲弥?」
「私、まだ面を着けて舞えません。」
「なんで?」
「…まだ自分と向き合えていないから、です」
「そっか。ほなら、また向き合えたら使こうて」
「…はい」
サクは面を外して大切にしまった。一体どうやったら自分と向き合うことができるのか、まだサクにはわからなかった。凛音の面を着けて舞う姿を何度も思い出しながら、残りの旅程を過ごした。




