第2話 巫女見習い②
チナの家から出て、二人はあれこれとしゃべりながらミツの家へと歩く。
「なんで急に巫女見習いの話が出たのかしら」
「サクちゃんは知らない?当代の巫女様が結婚してご懐妊なの」
「え!知らなかった」
「それでいま、具合が悪いらしいの。だから祈年の祭で神楽を舞えないんだって」
祈年の祭は、豊作を願って行われる村の祭だ。巫女が神降ろしの神楽で神をお迎えし、村人が集まって神をもてなす宴をひらく。
サクは巫女の舞を見るのが好きだった。
清廉な空気の中で、凛として美しく舞う巫女の姿は憧れでもあった。
巫女婆も若かりし頃は、あんな風に凛と舞っていたのだろうが、今は昔である。
「おーい!サク、ミツ!」
遠くから幼馴染のデグが二人に手を振りながら駆けて来る。
「あ、デグ!待っててくれたの?」
「チナの父ちゃんに呼ばれるなんて、なんか重大な用事だったんだろ?なんだっただ?」
二人は巫女見習いになってしまったことを告げた。
「お前らが巫女様になるんか?」
デグがびっくりして尋ねる。ミツは慌てて否定した。
「私は無理よ…。人前で神楽を舞うなんて」
「ミツは恥ずかしがり屋だからな。でも、巫女様の衣装、似合いそうだ」
「え…そうかな。じゃあ、頑張ろうかな…」
ミツは頬を赤く染めて照れている。それを見て、デグまで照れ、ごまかすようにサクに話を振って来た。
「サクは巫女様の舞、好きだったべ?よかったじゃんか」
「うーん、神楽は好きだけど…、巫女様にはなれないかな」
毎年サクが食い入るように神楽を見ていることに、二人は気が付いていた。
「サクは家のこと忙しいもんね」
「うん」
「でも、祈年の祭だけならできるんじゃない?豊穣祭の頃にはもう当代の巫女様もお子が生まれて元気になっているだろうし、今回だけの代理ならサクもできない?」
「お父さんに聞いてみないとだけど、考えてみるわ」
いずれにせよ、明日からは特訓が待っており、やりぬいた者が巫女となる。
サクは家に帰ると、いつも通り畑の手入れと家のことを手早く片付けた。
サブロのほつれてしまった衣を繕っているときに、思い立って、母の形見が入っているつづらを開けた。
底の方に、一枚の美しい薄衣がある。鮮やかな翡翠色のその衣を手に取ってみる。
サブロは死んだ母のことをほとんど口にしない。
母はどんな人だったのだろう。この美しい衣をまとって、踊りを踊っていたのだろうか。
サクはそっと衣を広げ、羽織ってみた。肌触りの良い布の感触にうっとりしながら、褄下を持ってひるがえし、くるりと回ってポーズを取った。
(たしか、こんな感じだったわ)
毎年食い入るように見ていた巫女の舞を思い描いて、拍子を踏んでみた。
空に手をかざすと、頭の中で鈴の音が力強くシャンとなり、空気が澄んでいくような心地がした。
サクは目を閉じて、巫女の動きを再現するように舞った。集中して舞ううちに、サクの体は喜びに満たされていった。最後の、祈りのポーズを終えて目を開けると、戸口にサブロが立ってサクをじっと見つめていた。
「あ、お父さん!おかえりなさい。全然気が付かなったわ。ごめんなさい。すぐに晩御飯の準備をするわ」
サクが慌てて、衣を脱ぎきれいに畳んでいると、サブロはおもむろに上がり込んで座った。
「ごめんなさい。お母さんの衣を勝手に出してしまって」
「かまわない。今のは、神楽か」
「ふふふ、ちゃんと神楽に見えた?去年見た神楽を真似てみたの」
「ああ、ちゃんと形になっていた」
「本当に?実は、巫女様がご懐妊で今年の奉納の舞を舞う人を探しているのですって」
「サクがやるのか?」
「うーん、ちょっとやってみたいと思うけど、練習に通わなくちゃならないし、チナがやりたいみたいだから断ろうと思っているの」
「…」
手早くつづらを片付けてちゃぶ台を出すと、土間で仕上げた夕餉を運んでくる。
食事を取りながら、サクはかねてより聞きたかった母のことを、思い切ってサブロに聞いてみた。
「ねえ、お父さん。お母さんはどんな人だったの?」
サブロは少し黙っていたが、ボソリと呟いた。
「優しい人だった」
「そうなんだ…。お母さんも、私みたいにドジだった?」
「いや、サクの方がしっかり者だ」
「え、本当に?それじゃずいぶんお母さんはダメね」
「そんなことはない」
「お母さんは踊り子だったのでしょう?お母さんが踊っているところを、お父さんは見たことがあるの?」
「ああ、ある」
サブロは少し遠い所を見る目をした。亡き妻の姿を思い描いているのだろう。
「お母さんのどういう所が好きだったの?」
「好きとか、そんなことではない」
「えー?だって、好きで結婚したのでしょう?隣国から駆け落ちして来たのだと思っていたわ」
「…秘密だ」
寡黙な父が照れて口ごもっているのだと思い、サクはクスクスと笑った。
サブロは食事を終えて箸を置くと、サクに切り出した。
「神楽の件だが、やってみたらいい」
「えっ…でも」
「やりたいのだろう?」
「でも、できないよ」
「なぜだ」
「だって…」
家の仕事が忙しいから。
練習に行くのが大変だから。
自分のような余所者の娘には大役だから。
チナがやりたがっているから。
できない理由は思いつくけれど、どれも言い訳に過ぎないのは、サク自身がわかっていた。
「やってみたらいい」
サブロにもう一度言われ、サクは曖昧にうなづいたのだった。