第15話 紹介状
「頼みなど、珍しい。たしか学生の時に一度だけ、きみに頼まれごとをされたことがあったな。どうしても出られない講義の記録を見せて欲しいとね。きみの家で大規模な法事があると言っていたかな。覚えているか?」
そう言えばそんなこともあったかもしれない。清切は数少ない友人であった。
「そのようなことを覚えているのか」
「それはそうさ。誰にも弱みを見せたがらないきみが頭を下げて頼んで来たのだからね。それで、今回はどんな頼み?」
「以前、王都で一番人気の神楽座を宮中行事で余興として呼んだことがあったろう。その時の交渉は礼部がしたと記憶しているのだが」
清切はすぐにその時のことを思い出して頷いた。
「ああ、そうだ。また呼びたいのか?」
「いや、非常に才能のある若者を見つけたのだ。その神楽座に入れるように渡りをつけることはできないか」
「へえ~、蒼月が言うなんてよっぽどだね。あそこの座長さんは美人で切符のいい女性でね、たいそう感じのいい人だったよ。入れるかどうかは約束できないけど、座長宛てに紹介状を書いてやることはできると思う」
「それは助かる」
「いいよ、すぐ書くから待ってて」
そう言って清切は一人、礼部に戻り、言う通りすぐに文を用意して持ってきてくれた。
「はい、これ」
「恩に着る」
「いいよ、ほかならぬ蒼月の頼みだからね。きみに頼られて嬉しいよ」
「今度酒でもおごらせてくれ」
「それは楽しみだね」
清切はにこやかに言って、蒼月の肩を軽く叩き去って行った。
蒼月は胸元に文をしまい、東屋を後にした。廊下を歩いていると、先の方から時の王太子、天翔が後ろに側近らを引き連れて歩いてくるのに出くわした。蒼月は脇に避け、軽く頭を下げて天翔が通り過ぎるのを待つ。しかし、天翔は蒼月の前でぴたりと足を止めた。
「宋蒼月、なぜお主がこのような場所をうろついておる」
蒼月は一度深く頭を下げた後、顔を上げ答える。
「殿下におかれましてはご機嫌麗しゅう。礼部に用事があって参りました」
「なぜ礼部に」
「個人的な野暮用でございます」
「怪しい奴め。玉鋼を調達できたらしいな」
「つつがなく」
「ご苦労であった。しかし、なにやら少女を連れて帰ったと聞いた。そのような趣味があったとはな」
天翔はあざけるように笑った。大きな政敵もなく、将来は安泰の天翔だが、その心中は穏やかではない。何かと鼻につく蒼月が手柄を立てて帰京した。国としてはめでたいが、天翔個人としては腹立たしい。
天翔自身に、これと言って欠点はないものの、目立った功績もないことを気にしていた。自分が凡庸であると認め研鑽に励んでいる点が大変によい素養であると、評判はそれなりに良いのだが、本人は複雑な心境なのであろう。それでも自分が次代の国を率いて行かねばならないと、精神的に大変な重荷がかかっていることは間違いがない。
そんな天翔が、いつも澄まして功績を積む蒼月のことを苦々しく思っても致し方ない面はあった。
それがどうだ。聞けば辺境の小さな村から、田舎娘を連れ帰ったと言うではないか。蒼月を貶めるチャンスなど滅多にないものだから、遠目に蒼月を見つけて、わざわざ嫌味を言うために近づいたのだった。
「ええ、私自身も驚いているのですよ」
「その娘、東雲の出身らしいではないか。敵国の娘を連れ帰るなど、反逆の意思があると思われても仕方ないぞ」
「殿下、娘はヤタガノ出身でございます。東雲ではございません」
天翔は口をへの字に曲げて蒼月を睨みつけた。
「両親が東雲の出身であれば、その娘も東雲出身であろう」
「はて、娘の両親が東雲出身とは、初耳でございますが」
「とぼけるつもりか」
「滅相もございません」
「その親子が東雲と通じるような動きがあれば、お前も無事ではいられると思うな」
「肝に命じましてございます」
蒼月は慇懃に腰を折った。天翔は不愉快そうにしながら、蒼月の前から立ち去った。