Episode.01
この日記は、私の生涯とも呼べるリコリスでの生活を書き記したものだ。
__メイ
ドタドタとアルミ製の外階段を駆け上がる少々うるさい足音がドアの向こうから聞こえてくる。きっと、あの子が戻ったのだろうと思い、私は引き出しから上質な封筒にロウで封をされた手紙を引っ張り出した。
「明さん!」
木製のドアをバンと元気よく開け放たれた音は予想通りで、騒音の根幹にいる少女に目を向ければ、今日も今日とて猫を大事そうに抱えていた。真っ白な毛並みの猫は特段抵抗を見せることはなく、大人しく少女の手に収まっている。
「にゃんちゃん、まーたドア壊す気?気を付けてよ」
少女_ 調覚紅は私がにゃんちゃんと呼べば決まってぷくっと頬を膨らまし、こういうのだ。
「にゃんちゃんっていうな!!」
いつも通りの応酬が毎度の事ながら妙に面白くてくすくすと笑ってしまう。未だカランコロンと鳴り続けるドアベルがどうにか誤魔化してくれはしないかと思うも、リンリンとなる鈴の音は思ったよりも頼りなくて覚紅はますます頬に空気を溜める。その様子がハムスターやリスなどの小動物の一種にも思えてもっと面白い。しかし、これ以上笑っても子どもが不機嫌になるだ_可哀想なのでどうにか笑いを収める。ドアの話はとっくに流れてしまったが、きっとどうにかなるだろうと投げて紙を触る。
「その子、えーと名前は、っと」
ちっとも猫の名前が思い出せなくて意味も無くデスクの上にある書類を捲る。飼い主の顔は出てくると言うのに、肝心の名前は猫も飼い主もどちらもまったく覚えていない。覚紅に預けた内容であるから、というのもあるが私は元来名前を覚えるのが得意ではなかった。
「ゆにくんです」
覚紅に言われて、やっと今回の依頼に関するクリップ留めされた書類を見つける。視界の端では覚紅は猫をケージの中にそっと入れている様子が見えた。そちらへ視線を動かせば、猫はこちらを警戒するように一対の翡翠でジッと私を見つめた後、覚紅にあごの下を撫でられてその翡翠を細めていた。
クリップで纏めた数枚の資料だ。真っ白な毛並みに翡翠のような目を持つ猫がキャットタワーで寛ぐ写真を除けば、一枚目は依頼主の個人情報。二枚目は依頼要項。以降も数枚紙はあるが、情報と報告書なので覚紅に渡しているので手元にあるのはこれだけだ。
依頼主の名前は佐野千紋。享年42、男性。享年38の妻、冬果さんと享年8の結夏ちゃんと猫のユニゾンくん(通称ゆにくん)と暮らしている。一家でのドライブ帰りに事故にあって死亡。現在このリコリスで三人と一匹で暮らしている。
依頼内容は猫のゆにくんがどこかへ行ったきり帰ってこないので捜して欲しいというもの。ゆにくんの特徴は真っ白な毛並みに翡翠のような目。首輪は青色で、五芒星のチャームがついている。
保護した猫をチラリと見遣れば、伝えられた特徴と一致する。何より受け取った写真と瓜二つであるし、私よりも慣れている覚紅が間違いないと言うので大丈夫だろう。
記載された電話番号を固定電話に打ち込んで佐野さんにゆにくんが見つかったと報告する。娘も連れて直ぐに迎えに行く、と仰るのでお茶とココアの用意があるか確認しにいこう。弟子に任せてもいいが、ゆにくんの相手は私には到底できそうにない。適材適所だ。
どうにも、私は動物に好かれない性質らしく、犬に近寄れば吠えられるし、猫に近寄れば引っ掻かれる。ゆにくんもこちらを警戒しているようだし、なるべく近寄らないようにした方がいいだろう。私も引っ掻かれたくないし、ゆにくんも休めないだろうから。その点、覚紅は動物に好かれやすい。人の良さに惹かれるのだろうか。ドタバタとしてはいるが、何事にも一生懸命に努める子だ。動物にもその懸命さが伝わるのか。定かではないが私は嫌われていて、覚紅が好かれているのだから、覚紅に任せるのが賢明だろう。
キッチンに向かって、戸棚に未開封のティーバッグが入った箱とまだ半分は角砂糖が入っているポット、覚紅の管理するココアの粉があるのを確認し、冷蔵庫に消費期限が2日後の牛乳、そして下でテイクアウトしたいちごのショートケーキがあるのを確認する。
お湯を沸かして、お気に入りの黒いマグカップに注ぐ。未開封の箱を開けて、適当にティーバッグを一つとってお湯に放る。フレーバーはストロベリーティー。甘い香りが心地よい。
まだ薄いストロベリーティーが入ったあたたかいマグカップを手に踵を返した。
「にゃんちゃーん?佐野さんもうすぐいらっしゃるから、それまでゆにくんの面倒見ててね」
ケージの前でゆにくんに構う覚紅に声をかければこちらに手でオーケーサインを見せてきた。ゆにくんは覚紅に任せれば何も問題ないだろう、とデスクに戻ってマグカップをことりと置く。
引き出しからペーパーナイフを取り出す。机上に出しっぱなしにされたままの封筒にシャーっと刃を入れて開封する。そっと中身を取り出せば、チラリと見えた文字は調査依頼。
すっかり濃くなった色が入ったマグカップを口に傾ける。
封筒の送り主のところには『死因課』と書かれていたのでまた大きな仕事になりそうだ。