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あのひとのいちばん大切なひと

一話完結の読み切りです



あのひとはわたしの大切なひと。

でも、あのひとにはわたしではない大切なひとがいる。


それでもいい。

あのひとの側にいられるなら。

あのひとの役にたてるなら。


でもそれも、もうすぐおしまい。




◇◇◇



あのひとの事を知ったのはわたしが雇われている魔法店での仕事がきっかけだった。


店の主が発注した術式をあのひとの家に取りに行ったのが出会いだ。


わたしの大好きなあのひと、彼の名前はアベル・テイラー。

職業は術式師だ。

術式とはいわば魔術の方程式。

もしくはレシピ、ともいえるもの。

そのひとつひとつの言葉に魔力が宿り、その言葉を繋げる事で初めて魔術として形を成す。

あのひとはこれまで数多くの魔術を生み出した、天才術式師と呼ばれている人なのだ。


彼が構築する術式から生まれる魔術はとても美しい。

灯りを灯す魔術ひとつにしても、その術式から生み出される光はとても温かで清らかで。

魔術のことなんて何ひとつわかっていないわたしだけど、すぐに彼の生み出す魔術のファンになった。


当時、あのひとには魔術学園時代からの付き合いという恋人がいた。

彼の家に術式を書いた用紙を取りに行くと何度かその恋人と顔を合わせた事がある。


美人でスタイルが良くて賢そうで。

学も家族も色気もないわたしとは何もかもが真逆な眩しい人。

あのひとと二人並ぶともはや人間離れしているほどお似合いで神々しくて、わたしはよく手を合わせて拝んでいたものだ。

その度にいつも屈託なく笑う彼が余計に眩しくて、そして同時に切なくなった。


これが恋心というものかと自覚した瞬間に失恋するという哀れな状況だったけど仕方ない。

わたしみたいなみすぼらしい女があのひとのような優秀な人に横恋慕なんて畏れ多い事なのだから。



だけど突然、あのひとは恋人と別れた。

別れたというより捨てられた……という方が正しいのかもしれない。


彼女がとても裕福な男性といきなり結婚してしまったのだ。

四十も年上の人だったらしいけど相当なお金持ちだそうで、結婚して実家の借金を肩代わり貰うことになったというのだ。

信じられないくらい贅沢な暮らしも出来るとか……。


そしてそれを彼女はあのひとに打ち明ける事もなく入籍したので別れて欲しいと手紙一枚だけを送ってきたらしい。


魔法店の同じバイトの仲間からその話を聞いたわたしは信じられない気持ちでいっぱいになった。


それを知った時のあのひとのショックは相当なものだっただろう。

それはそうだ。将来は妻にと望んだ(であろう)お付き合いしていた女性がいきなり何も言わずに結婚してしまったのだから。


どうして?あんなにお似合いだったのに。

あんなにも素敵で優しいあのひとに愛されていたのに。


わたしは沢山の“どうして”を頭の中に抱えながらも、いつも通りに発注した術式を受け取りにあのひとの家へと向かった。


その日は朝から雨が降っていて、あのひとの住む家のあるエリアに繋がる橋の上でわたしはその姿を見つけた。


冷たい雨に打たれて呆然と立ち尽くすあのひと。

迷子のような、失くしたものを探すような、そんな途方もない悲しみを身の内に抱えた彼が痛々しくて、見ていられなかった。


気付けば足を踏み出していた。


「何をやっているんですアベルさん!低体温症になったらどうするんですかっ!死にたいんですかっ?風邪を引いて、それが肺炎になって死んでしまってもいいんですかっ?」


わたしはあのひとを叱りつけて、ぐいぐい手を引っ張って彼の家まで連れて帰ろうとした。


わたしに手を引かれながらあのひとが力なくつぶやく。


「初めての恋人だったんだ……」


「……はい」


「互いに一番大切な存在だと思っていたのに……」


「はい……」


「彼女の実家が困窮していたなんて少しも知らなかったっ……」


「はい……」


「情けないっ……俺は自分が情けないよっ……」


「……はい……いいえ……」


ひとつひとつ苦しみを吐露してゆくあのひとの言葉に、わたしはひとつひとつ返す。


一人で悲しまないで。

苦しいのなら全部吐き出せばいい、ちゃんと聞いてるから。

そんな思いを込めて、わたしは返事をした。


そうして雨の中を一つの傘で歩き、わたし達は彼の家に辿りついた。


何度も仕事で訪れた家だ。

納品の日に間に合わないという彼のためにいつも汚部屋を片付けているわたしは、タオルが何処に収納されているか、台所の何処に茶葉やポットが置いてあるかを知っていた。


わたしはあのひとの家に入るなり、彼を浴室に放り込んだ。


「いいですかっ?お湯に浸かって体が温まるまで出て来ちゃダメですからねっ!」


そう言って彼がお風呂に入っている間に散らかった部屋を片付ける。


恋人と別れ、自暴自棄になっていたのだろう。

部屋は荒れ放題で酒瓶が幾つも転がっていた。

いや、元々いつも部屋は荒れ放題だ。

あのひとは術式師としては一流だけど生活能力は三流のポンコツだから。

散乱したゴミを捨て、至る所に放置されたままになっている食器を片付け部屋の汚れを拭き取る。

それらを全てを終えた時、あのひとが浴室から出てきた。


真っ白だった頬はお湯で温まって上気しており、幾分か生気を取り戻していたけれど、目はまだ虚ろなままだった。


わたしは彼に温かい飲み物を差し出す。


「台所を勝手にお借りしました。どうぞ、ブランデー入りの紅茶です。少し甘くしておきましたから飲みやすいと思いますよ」


「……ありがとう」


あのひとは小さな声でそう言い、暖炉の前のソファーに座って紅茶を飲み始めた。


背が高い彼の、いつもは大きく感じる背中が小さく見える。

その姿が切なくて。

早く元気を取り戻して欲しくて、わたしはその日から毎日彼の家へ押しかけてせっせと世話を焼いた。


「ほらもっとしっかり食事を摂ってください」


「ちゃんと眠れていますか?枕カバーをラベンダーの香油で香り付けしておきましたからね、香りの効果で今夜から快眠ですよ!」


「一日中家の中に閉じこもっていてはいけません。カビが生えますよ?イヤだもうカビが生えてる。え?それ髭なんですか?まぁいいです、髭を剃って一緒にお散歩に行きましょう」


とあのひとの側で口煩く言い続けた。


その度に廃人みたいなあのひとに、


「食欲がないんだ、俺のことはほっといてくれ……」


「ラベンダーより寝酒がいい。家にあった酒瓶をどこに隠した……?え……?全部捨てた……?ウソ、だろ……?」


「それはカビじゃなくて髭だ……外に出たくない……光を浴びると灰になる……」


などと言われたが、わたしはそれを意に介さずあのひとの家へと毎日通った。


魔法店の従業員として、彼の生み出す魔術のファンとして。

一日も早く元気を取り戻して欲しくて、また以前のような屈託のない笑顔を見せて欲しくて。

わたしは彼の側に居続けた。


そうやって世話を焼いている間にいつしか時が過ぎ、あのひとは少しずつ明るさを取り戻していった。


「リタ(わたしの名前)、今夜はシェパーズパイが食べたい」


「リタ、香油代は俺が払うよ。いやいいんだ、ラベンダーの香りのおかげでよく眠れるようになったから。え?玉ねぎを枕元に置いても安眠効果があるし安上がりだと?バカ言え、玉ねぎ臭くて敵わんわ」


「リタ、散歩に付き合え。公園でアイスを買ってやるから。日の光の下で食うアイスは格別だぞ」


と、いつの間にかすっかり以前のように少々口が悪く、少々曲者(くせもの)で、でも穏やかで優しいあのひとに戻っていた。


やはり時間が最良の薬なのだ。

時の経過が傷ついたあのひとの心を癒してくれた。


本当に良かった。

本当に嬉しい。


そんな中、あのひとに紐がけした一枚の紙を渡される。


「これはなんですか?」


「世話になった礼だよ」


「礼だなんて。わたしは何もしてませんよ?」


「よく言うよ。看病してくれたじゃないか」


「病気じゃなかったんだからあれは介護ですね」


「介護っていうなよ……リタ、お前幾つだ?」


「十六です」


「若っ……」


「若いですか?」


「俺より五つも年下かよ……ピチピチだな」


「いやだピチピチだなんて言葉。もぅおじいちゃんたら」


「おじいちゃんて言うな」


そんな軽口をまた言い合えるほどあのひとが元気になってくれた事が嬉しくて、わたしは顔を綻ばせながら受け取った紙を開いた。


「これは……?」


そこに書かれた一節の術式がわたしの目に留まる。


「リタのために構築した術式だよ」


「わたしのために……?え、嬉しい……」


術式師アベル・テイラーのファンとしてこんな嬉しいことはない。

彼がわたしのために考えてくれた術式なのだから。

でも……


「でもわたし、魔力がないから魔術を使えません」


わたしがそう言うと、彼は小さな翠色の石がついたペンダントをわたしの首にかけてくれた。


「これは俺の魔力を結晶化したものだ。俺が死なない限りはこの石は在り続ける。その石に手を添えて、術式を口にしてみな」


「……古代文字(エンシェントスペル)なんて読めません……」


孤児同然で学のないわたし。

自国の言葉さえ満足に勉強出来ていないのだ。

それが恥ずかしくて申し訳なくて……。不安に瞳を揺らすわたしに、あのひとは優しい声で教えてくれた。


「大丈夫だ。よく見てごらん、これは古代文字ではなくこの国の文字だ。普段よく使う言葉で構築してあるから、ゆっくりと口に出して唱えてごらん」


わたしはもう一度術式に目を落とし、教えられた通りにゆっくりと唱えた。


「“やさしく” “あわく” “あたたかい” “ヒカリよ” “わたしのもとに”」


術式を唱え終えた途端に、わたしの目の前、背丈よりも少し高い位置で光が弾けた。


チラチラとヒラヒラとキラキラと。

まるで花弁(はなびら)のように光の粒が舞い落ちる。


「わぁ……!なんて、なんてキレイなの……」


わたしは光の粒を手のひらですくう。

光はわたしの手に触れるとさらにチリンと微かな鈴の音に似た音をたてて弾けてゆく。

その不思議で幻想的な光景を、わたしは陶然として眺めた。


そんなわたしに彼が言う。


「以前、俺が常夜灯の魔術を依頼されて試しに術式を詠唱しただろ?その時に灯った光を嬉しそうにリタが見つめていたのを思い出したんだ。あの時の光よりも美しく灯るように構築した術式だ。世話になった礼として受け取ってくれるか?」


忘れもしない。

わたしが術式師アベル・テイラーのファンになったきっかけの魔術だ。

彼もあの時の事を覚えていてくれたのが嬉しくて、わたしは心の底から感謝の気持ちを込めて彼に告げる。


「もちろんです!ありがとう……ありがとう、アベルさん……!」


知らず、笑みが零れていた。

わたしのその顔を見て、彼が小さく息を呑んだ気がしたが、わたしはまたうっとりと光の粒に視線を戻した。


わたしにとってそれは、最高に幸せなひと時だった。



あれからわたしは、あのひとから貰ったペンダントを肌身離さず身に付けている。

魔力の結晶はお守りになると聞いたし、何よりいつでも見たい時に世界で一つだけの“わたしの魔術”を見られるから。


すっかり元気になったあのひとだけれど、元々生活無能力者な彼に「バイト代を払うから」と言われてわたしはその後も彼の家に通い続けた。

孤児院から紹介されて勤めている魔法店のお給料は驚くほど安い。

だから正直、賄い(一緒に食事をする)が付くこのバイトはとても助かる。

今まで生活するだけで手一杯だったけど時々ワンピースや髪飾りを買えたりと多少は身形(みなり)に気を使える余裕が出来た。

なによりあのひとの側に居られる事が嬉しい。

こんなわたしでもあのひとの役に立てる。

それだけで満たされて、たとえ叶うことのない初恋だとわかっていても幸せだった。


そんな日々が気付けば二年。

わたしは十八歳になっていた。

近頃はちらほらと縁談をいただくようになった。

街に古くからある古書店の遠縁の男性だったり八百屋の次男坊だったり。

どれも身寄りのないわたしには勿体ないお話で正直、困った。


だって、結婚したらもうあのひとの家に通えなくなるから。

家政婦の仕事だと夫になる人が割り切ってくれても、世間はそうじゃない。


若い新妻が、若い男の家に仕事とはいえ出入りする。

それだけでどんな噂が立つかわからない。

貴族と違って平民は結婚後こそ身持ちの堅さが求められるのだ。


あのひととの日々が楽しくて温かなものであればあるほど、わたしはその陽だまりのような暮らしから離れ難くなってしまっていた。


だけどそんなわたしに現実は優しくない。


いつものように魔法店の仕事を終えて夕方あのひとの家に行くと、作業机の上にメッセージカードが置かれているのが見えた。

机の上を片付けている時に目に入ってしまったのだ。


カードの差出人はあのひとのかつての恋人の名前。


そしてカードには


“今でもあなたを愛してる。会いたい”


と、そう綴られていた。


なぜ今になってあの元恋人がこんなカードを?


不思議に思っていたら魔法店の仕事仲間から噂話程度に理由を聞かされた。


あのひとの元恋人の年の離れた旦那さまが亡くなったのだそうだ。

元々お年を召していたらしいけれど、流行り病に罹って呆気なく…だったらしい。


喪が明けたから連絡をしてきたのだろうか。


嫌いあって別れたわけではない二人。


実際あのひとは憔悴しきるほど彼女を愛していた。


きっとそれは、今も変わらない。


あのひとのいちばん大切なひとが、


あのひとの元に戻ってくる。



「………よかったね、アベルさん」



わたしの陽だまりの日々は、どうやらここまでのようだ。

そして初恋も。


預かっている生活費が丁度来週で切れる。

その日を最終日と決めて、わたしは残り少ないあのひととの時間を大切にした。


「お、今夜はテールシチュウか。美味そうだ。でも魔法店の仕事の後なのにこんな手の込んだものでなくても、晩メシは何でもいいんだぞ?」


「手なんか込んでませんよ?ストーブでひたすら煮込むだけなんですから」


「でも前日から煮込んでただろ?いい匂いがしていたから知ってるぞ」


「ブタさん並の嗅覚ですね」


「でもコレは牛のテールだブヒ?」


「そうだブヒ」


「ヨダレが出てきたブヒ……」


「ふふ、じゃあもう食べましょブヒ」


こうやって二人でしょうもない事を言い合うのも、食事の用意を一緒にするのも、わたしが作る食事を彼が美味しそうに食べるのを見るのも、もうお終い。


そう思うとどうしようもなく寂しくてどうしようもなく悲しい。

けれど、やっぱり彼には心から笑って幸せになってもらいたいから。


きっともう大丈夫。

今度はきっと幸せになれる。



「………どうかしたか?」


向かい合って食事をしていると、彼がふいにそんな事を言った。


「え?なんですか?」


「いや、なんかいつもと様子が違うような……体調でも悪いのか?」


「いいえ?わたしは誰かさんとは違って頑丈に出来てますから」


「悪かったなひ弱で」


「誰かさんがアベルさんだなんてひと言も言ってませんけど?」


「………ぐっ」


「ふふふ」


こうやって最後の日まで楽しくいられたらいいな。

わたしは心からそう思った。




そうして迎えた最後の日。


わたしは一番お気に入りのワンピースを来てあのひとの家へと行った。

最後の晩餐はあのひとの大好物のシェパーズパイをつくるんだ。

いつもより早めに魔法店での仕事を上がらせて貰い、市場で買い物をしてあのひとの家へと向かう。


そう。いつもより早めの行動。

だからいつもは目にしない光景を見てしまうのだ。


「っ………!」


市場の中にあるカフェの通り沿いの窓側の席で、

向かい合って座るあのひとと元恋人の姿を見かけた。


わたしは外で二人は店の中。

当然何を話しているのか分からないけれど、きっと再会を喜びあっているのだろう。

だってあのひとの笑顔があんなにも穏やかで優しい。

愛しいと思う気持ちが溢れ出た、そんな笑顔を浮かべていた。


わたしはとりあえずあのひとの家へと向かう。

合鍵の隠し場所は聞いている。


食材はもう買ってしまったし、今日で最後なのだから予定通りにシェパーズパイは作ろう。


あのひとは帰りが遅いかもしれないけど、元……もう元じゃないのだろう恋人を連れて戻ってくるかもしれないけど、とりあえずシェパーズパイを作ってから帰ろう。

わたしはそう思い、エプロンをしてキッチンに立った。


その前にあのひとから貰ったペンダントに触れてあの術式を唱える。


「“やさしく” “あわく” “あたたかい” “ヒカリよ” “わたしのもとに”」


その途端に光が弾ける。

花弁のような雪のような光の粒を見つめた。


「この魔術ともサヨナラしなくちゃね」


家政婦と雇用主、そして魔法店関係の付き合いだとしても、贈られたものをいつまでも他の女が後生大事に持っていたら、あのひとの恋人はいい気がしないだろう。


最後の光の粒が消えたのを見届け、わたしはペンダントを首から外す。

そしてあのひとの作業机の引き出しに仕舞った。

きっと後で見つけて、適当に処分してくれるだろう。


「これでよし」


わたしはそうつぶやいて食事の支度を始めた。


シェパーズパイをオーブンに入れた丁度その時、あのひとが帰ってきた。


随分早い帰宅だ。それに一人。恋人は連れて来ていない。

わたしが来る日だとわかっているから気を使って帰ってきたのだろうか。

わたしが「お邪魔してます」と出迎えると、彼はほっとした表情で告げた。


「すまん、ちょっと出ていた。合鍵を使って入ってくれていたんだな」


「ええ。でも定期的に鍵の置き場所は変えた方がいいですよ?」


「置き場所を変えると忘れてしまう」


「おじいちゃん、しっかりしてください」


「おじいちゃんて言うな」


「ふふ」


良かった。

わたし、笑えてる。

このまま笑顔で、この恋にサヨナラするんだ。


食事を終えて、片付けをして、食後のお茶を飲んだら挨拶をして帰ろう。


もうここへは来ません。

恋人と元通りになれて良かったですね。

どうか幸せになってください。


それをあのひとに告げて家に帰ろう。

あとは魔法店の店主に言って、術式師の担当変更を願い出て……


そんな事を考えながらお茶の支度をしていると、ふいに手元が暗くなった。

あのひとがわたしのすぐ側に立って見下ろしている。


「……アベルさん?」


「何を考えてる?」


「え?」


「今日……いや、ここのところずっと何かを考えているだろう。言ってみろ、何を考えてる」


射抜くような目で見られ、居た堪れずに視線を逸らす。


「な、なにも?何を言ってるんですか、変なアベルさん」


「変なのはキミだよリタ。なぜ俺と目を合わさない、なぜ俺が渡したペンダントを机の引き出しに入れた」


そう言って彼は先程仕舞ったペンダントをわたしに見せた。


「もう気付いたんですか……早すぎません……?」


「自分の魔力が引き出しから感じるんだ、そりゃわかるさ。リタ、なぜだ?このペンダントが気に入らなかったのか?それなら新しいのを……」


その言葉を聞き、わたしは慌てて否定する。


「気に入らないなんてとんでもない!世界中のどんなアクセサリーよりも大好きです!」


彼がお礼にと作ってくれた物を否定なんてしたくない。

だって本当に嬉くて、本当に大切にしていたから。


「それならなぜ、どうして」


答えを聞くまで引き下がらないであろう頑なな意思を声色から感じる。

わたしは観念して彼に告げた。

どうせ話さねばならないのだ。お茶を飲んでからと悠長に考えていたけど、ここで話をして終わりにしよう。


「……最後だからお返しした方がいいと思って」


「最後?何の事だ?それになぜ返す必要がある?これはリタ、キミのために作ったキミだけの物だ」


「だからこそです。わたしなんかがいつまでもそんな物を持っていたら、彼女に失礼でしょう?」


「彼女……?」


「アベルさんの恋人だったあの人です。未亡人となった彼女とヨリを戻すんですよね?良かったですね、いちばん大切なひとが戻ってくれて。どうかお幸せになってください」


「は?なんだよそれ」


「照れて誤魔化さなくてもいいんです。カフェで楽しそうに会っていたのも見ているので全部わかっていますから。本当に良かった……なのでわたしはもうここには来ません。彼女に変な誤解を与えてはいけませんから」


「リタ」


「もう、わたしがいなくても、これからは彼女が……」


「リタ」


「わ、わたしも、有り難いことに縁談をいくつかいただいていまして、そろそろ身を固めようと思っていたから丁度いいです。お互い、幸せに…なりましょう」


「リタ!」


彼が強くわたしの名を呼んだ次の瞬間、わたしは彼に抱きしめられた。


とても強い力で。

離れる事など許さないというように力強く抱きしめられる。

でもわたしに触れる手は優しくて、思わずその手に縋りついてしまいたくなる。


「はな…して……」


わたしは彼の腕の中で力なく言う。

だって本当は離して欲しいなんて思っていないから。

ずるい自分に泣けてくる。

だからもう一度、彼に言う。


「はなして、ください……」


「いやだ、ダメだ。絶対に離さない」


だだをこねるような、切羽詰まったような声が耳朶をかすり、わたしは彼を見上げる。


「…………アベルさん……?」


「元恋人とヨリなんか戻さない。彼女とは完全に終わってるんだ」


「でもせっかくっ……せっかく彼女が会いたいと言ってくれているのに……それにアベルさんはまだ彼女に想いがあるのでしょう……?」


「向こうが何を考えているかなんて知らないが、俺の中ではとっくに彼女への想いは消えている」


「え………消え、て……?」


「キミが消したんだリタ。傷付いた俺の心をキミが癒してくれた。そしていつしか優しくて温かくて可愛いリタに恋をしていた。そうして、別れた恋人への想いも未練も綺麗さっぱりキミが消してくれたんだよ」


「そんなバカな……」


「バカな、じゃない。俺のハートと胃袋をがっしり鷲掴みにしておいて、今さら他の男と結婚するなんて許さないからな」


「がっしりっ?いつの間にっ?」


「リタへの想いを自覚してから、キミが十八になるのを待ってたんだ。リタが成人したらプロポーズしようと虎視眈々と狙ってた」


「コシ、タンタン……」


「それなのに土壇場になって別れた恋人が会いたいなんて言ってきて……リタにプロポーズする前にきっちりケジメをつけようと思って、それで今日会ったんだ」


「で、でもっ……あんなに嬉しそうに笑ってたじゃないですかっ」


「俺が?いつ?」


「いつって、いつ?わたしが見かけた時?」


わたしがそう答えると彼は首を傾げてしばし考えた。

そして「もしかして……」と前置きしてから言った。


「元恋人にリタの話をした時じゃないかな?俺と再婚したいと言ったアイツに、もう他に結婚したい人がいると告げて、それはどんな人だと聞かれたから教えてやったんだ」


「な、なんて教えたんですか……?」


「可愛くて、優しくて、お節介やきで人が良くて。それに料理が上手くて家事はプロ並み、おまけにスタイルが良くて声までいい、何もかもが完璧な女の子だよって」


「誰ですかそれ、どこにいるんですか?」


「今、俺の目の前に」


「わたししかいないじゃないですかっ、ありえないっ」


そんな世迷言をあの完璧な女性に言ったかと思うと目眩がする。

でもそれを言った当の本人は大真面目らしい。


「リタ」


わたしを呼ぶその声が本当に真剣で。

わたしは恥ずかしくて両手で覆い隠していた顔を上げる。

彼は真っ直ぐな眼差しをわたしに向けていた。


「俺はキミより五つも年上のおじいちゃんだけど、リタをお嫁さんにしたいと心の底から望んでいる。リタを幸せにしたい。リタと幸せになりたい。どうか俺と、結婚してください……!」


これは、夢だろうか。

わたしがそうなったらいいなと願いすぎて、幻を見ているのだろうか。


胸がいっぱいになりすぎて、なんて言ったらいいのかわからない。

上手く言葉が出てこない。


やっと押し出した声で、わたしはこう訊ねた。


「……あなたを幸せに出来る術式を、わたしにも作れるでしょうか……?」


わたしのその言葉を聞き、彼は顔をくしゃっと崩して頷いた。


「ああ……作れるよ。でも、俺たち二人が幸せになる術式を、一緒に一生をかけて構築しよう……」


わたしも小さく頷いた。

そして彼に告げる。


「ペンダントを……もう一度かけてくれますか?」


「もちろん、何度でも。次は魔力の結晶から作った指輪も贈るよ」


そう言って、彼がわたしの首にペンダントをかけ直してくれた。


その間も、わたしたちはずっと互いに見つめあう。


そして彼は、わたしに初めての口づけをした。


わたしがそっとペンダントの結晶に触れると、

彼もわたしと一緒に唱えた。


「「“やさしく” “あわく” “あたたかい” “ヒカリよ” “わたしのもとに”」」


ふわっと弾けた光がわたしたちに降りそそぐ。


「ふふ、きれい。アベルさんの瞳が光でキラキラしてる」


「綺麗なのはリタ、キミだよ。キミはいつだって、俺の人生に美しい明かりを灯してくれるんだ」


「あなたもわたしの希望の光です。アベルさんの事が大好きです」


「リタっ……愛してる……!」



そう言ってあのひとは光の粒がふる中、もう一度わたしに口づけを落とした。




そしてわたしたちは、



互いが互いのいちばん大切なひととなった。



それは家族が増えても、

しわくちゃの本当のおじいちゃんとおばあちゃんになっても、


けっして変わることはなかった。



ありがとう。



ありがとう、わたしのいちばん大切なひと。








お終い










───────────────────────



お読みいただきありがとうございました。


アベルの元恋人、お金は得ても、本当に大切なものはもう二度と戻らなかったようですね。















お読みいただきありがとうございました。

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