5.博学多才
「それで……結局何も解決していないではないですか」
呆れたようなジェフリーの言葉に、皇帝はギロリと睨みを効かせた。
「黙れ。新作を書くと言われたら、待つしかないじゃないか」
すっかり忠犬の如くエリスに振り回されている皇帝を哀れに思いながら、ジェフリーは咳払いをする。
「ゴホン。しかしながら、トランチェスタ侯爵の件も、皇后陛下の件もお急ぎ下さい」
「だからそれはエリスを皇后にすれば全て解決する」
「それは何度も聞きました。ですが、その話は一向に進まないではありませんか」
「仕方ないだろう。エリスは忙しいんだ」
「はぁ……陛下。ご自身がこの国で最も多忙だということを自覚しておいでですか?」
「あの……そもそも私に皇后なんて務まりません。私はただの地味な侯爵令嬢ですよ? 無茶を言わないで下さい」
執筆がいち段落したところで二人の会話が聞こえていたエリスは、自分をダシに言い争う二人へと不満げに文句を口にする。
エリスを振り向いた皇帝が、エリスと同じく不満げなジェフリーにも目を向けて、コツコツと歩き出した。
「エリス。お前はそう言うが、これはそこまで無茶な話でもないぞ。……例えば」
自慢のエリストラ作品専用特注本棚に近付いた皇帝は、その中から一冊を抜き取ると、エリスの前に示す。
「この本の中に出てきた宰相の政策、これはどのように考えついた?」
問われたエリスは、眼鏡を直しながら素直に答える。
「切れ者宰相を演出するために、片っ端から政治を勉強しました。特に近年目覚ましい発展を遂げたキュイエール王国の政策を参考にして我が国の体制に落とし込んだんです」
感心したように頷いた皇帝は、ニヤリと笑うととんでもないことを口にした。
「ふむ。実はこれを参考にして、本当にこの政策を実施することにした」
「はい?」
「来月から施行予定だ」
皇帝がピラピラと振ってみせたのは、新政策の改正法案だ。既に帝国議会で承認済みの書類がエリスの前に揺れている。
「その政策、エリス嬢の小説から思いついたんですか……」
絶句するエリスの後ろで、ジェフリーは驚きと呆れから頭を抱えた。
そんな二人の様子をものともせず、皇帝は別の本を本棚から抜き取ってエリスに見せる。
「こっちの話のヒロインはザハルーン王国の出身だが、実によくザハルーン王国の文化が描写されている。他国の文化をどのように勉強した?」
聞かれたら答えるスタンスのエリスは、その本を執筆した当時のことを思い返しながら、今度も淡々と答えた。
「本を読み漁りましたが、本だけでは足りず旅行と称して実際にザハルーン王国へ視察に行きました。それからザハルーン語も勉強して、本場の文献を調べているうちに、ザハルーン王国の外交官と仲良くなりまして、直接色々教えてもらいました」
この話に反応したのはジェフリーだった。
「ちょっと待って下さい、あの堅物と有名なザハルーン王国の外交官とコネクションが……?」
「結構気さくな方ですよ。今でもお手紙をやり取りしています。他にもウィスカーズ王国やロシュレウ王国、ルキア王国にロムワール王国の外交官とも、似たような経緯で親しくさせて頂いておりますわ」
「…………」
信じられないものを見るように、ジェフリーがエリスを見て言葉を失う。
三冊目の本を抜き出した皇帝は、更にエリスに問い掛けた。
「商人が主人公のこの本に出てくる商売についてはどうやって思い付いた? トランチェスタ侯爵家は特に商売に力を入れていると聞いたことはなかったが」
「数年前に侯爵領に滞在していた商会の会長と話をする機会があり、そこから着想を得ました。当時は小さな商会でしたが、会長の熱意に感化されて印税で得たお金を全部彼に投資したんです。そしたらそのお金を元手に新規事業を拡大したようでして、とても感謝されました」
「数年前、侯爵領に……その商会ってまさか……」
ジェフリーがビクビクしながら呟くと、エリスは当時を思い出したのか、楽しそうにジェフリーに目を向ける。
「オニクス商会です。ご存じですか?」
「当然でしょう。四年前に魔晶石の新規事業を始めてから毎年世界最高の売上を叩き出しているという、あの商会ですよね? その商会に投資して商会長とも懇意にされていると……?」
驚きを通り越して引き気味のジェフリーに、エリスは肩をすくめた。
「本気か冗談かは分かりませんが、私が呼べばいつでも帝国に来て下さるそうです。私が投資した資産も凄いことになっているとか。どうせ使い道もないので預けっぱなしにして新たな投資に回してもらっていますが」
「…………」
絶句するジェフリーの後ろから、皇帝が呆れたように首を振る。
「お前は充分、皇后に向いていると思うが」
皇帝にそう言われ、エリスは心底不思議そうだ。
「はい? どこがですか? 私は本を書くことしか能のない地味令嬢ですよ?」
本気でそう思っていそうなエリスを見て、皇帝とジェフリーはなんとも言えない顔をしていた。
「ジェフリー、お前はどう思う?」
皇帝から問われた秘書が、大仰に頭を下げる。
「トランチェスタ侯爵家は由緒正しい名家であり、身分的にも充分釣り合いが取れます。そしてエリス嬢がお持ちの知識やコネクションは、必ずこの帝国に利をもたらすことでしょう」
唖然とするエリスなどお構いなしに続けるジェフリー。
「その上権力への欲がなく、とても謙虚であられますので陛下の障害になるようなこともないでしょう。……失礼ながらエリス嬢は少々華やかさには欠けるかもしれませんが、それは着飾ればいくらでもどうにかなります。充分皇后陛下としての素質はおありかと」
言い切ったジェフリーを見下ろす皇帝は、勝ち誇ったようなドヤ顔を見せていた。
「お前は本当に……何も分かっていないな」
「はい?」
「いいか、これは一時的に公開する極秘情報だ。心して見ておけ」
そう言って皇帝はエリスに近寄ると、流れるような動作で眼鏡を外した。
「なっ!」
エリスの素顔を見たジェフリーは、両手で口元を押さえて驚愕に目を見開いた。
「これは……ッ! 政治の知識も外交のコネクションも世界的な商会との繋がりもあって聡明で才能に溢れその上こんな……ッ! 陛下! あなたって人はなんて羨ましい!」
「……私の顔がそんなに変なんですか?」
目が見えないエリスは、ジェフリーがいるであろう方向に向かって首を傾げた。
「はうっ……! 美の暴力で目がッ」
目を押さえて大袈裟に叫ぶジェフリー。見せつけるようにエリスの横に並ぶ皇帝。
「あぁ、陛下と並ばれると余計に目が焼けそうです……!」
「……不細工なら不細工と正直に言ったらどうなんですか?」
エリスが恨めしげにそう言うと、皇帝は楽しそうに否定した。
「何を言ってる。お前の顔より美しい顔は見たことがないぞ?」
「陛下に言われましても……」
冷酷だろうが暴君だろうが、そんなことは関係ないくらいに輝く絶世の美貌。そんな皇帝に美しいと言われたところで、下手なお世辞にしか聞こえない。
「なんということだ。まさかこんな逸材が隠れて暮らしていたとは。婚姻を急がれる陛下の心情、お察しいたします」
「グズグスしている間に横から掻っ攫われては堪ったものではないからな」
口を尖らせるエリスなどお構いなしに盛り上がる皇帝とその秘書官。
「誠に羨ましい限りです、陛下」
「ふふん。お前には手に入らない最高の女だ。一生羨んでいろ」
「えっと、私まだ皇后になるとは承諾していないのですが……」