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10.一蓮托生




「それにしても、どうしてダンスなのです?」


 皇帝のリードで踊ることに慣れてきたエリスは、少しだけ余裕を取り戻して踊りながら彼に問い掛けた。


「……ないからだ」


「?」


「今まで、一度も。誰かと踊ったことがないからだ」


 エリスは動きを止めそうになり、慌ててステップを踏んだ。


 皇帝の顔はボヤけて見えないが、その声には哀愁を感じる。考えてみれば、前回の夜会でも皇帝は令嬢達から遠巻きにされていた。


 暴君と噂される皇帝……それも、この美貌の持ち主だ。尻込みする令嬢が多かったのだろう。


 どう反応していいか分からないエリスに、皇帝は笑みを漏らす。


「お前の小説で、冷血騎士と王女が最後にダンスを踊ったろ? あれを読んでから、どうしてもお前と踊りたかった」


 平民出身で孤高の冷血騎士が、心優しい王女との交流を経て貴族社会で品位と地位を確立させていく。二人が会う口実にしていたのが秘密のダンスレッスン。


 物語の最後、ハッピーエンドの締め括りを、二人の逢瀬の象徴であるダンスで終わらせたあの物語。


 皇帝とエリスを結び付けたその物語の象徴であるダンスを、自分と踊りたかったという彼に、エリスは高鳴る鼓動を抑えることができなかった。


 こんなに密着していれば、いつものように茶化すこともできない。


「エリス? どうした、大丈夫か?」


「……はい」


 彼の言葉一つ一つにときめいてしまう自分を悟られたくなくて、下を向く。


「顔を上げてくれ、エリス」


「…………」


 そんな優しい声で呼ばないでほしい。そう思いながらも、言われた通り顔を上げたエリスは、ボヤける視界の中でも存在を主張する真っ赤な皇帝の瞳を見つめた。


「お陰でいい思い出になった。ありがとう」


「……ッ!」


 傲慢で、我儘で、すぐに人を手に掛けるような暴君で。初めて会った日には、殺されるとさえ思ったのに。そんな彼が、こんなふうに素直に礼を言って笑うなんて。想像もしていなかった。


 ドクン、ドクンと、まるで会場中に響いているかのような自分の鼓動。顔が熱くなって、指先まで甘い痺れが走る。


「まだ、そこまでではないと思っていましたのに」


「……? 何がだ?」


 エリスの独り言を聞き取った皇帝が首を傾げる。


「……陛下には秘密です」


 ぷくっと口を尖らせて、拗ねたようにそう言うエリスを見た皇帝は、わけが分からないながらも彼女のことを可愛らしいなと思ってニヤけたのだった。





 このままフェードアウトしようと思っていたエリスだったが、皇帝と踊った謎の美女に好奇の目を向ける周囲はエリスを放っておいてはくれなかった。


 次から次へと寄ってくる貴族達に、皇帝が鋭い目を向け威圧する。二人の行く手を塞いでいた貴族達は怯えて道を空けた。しかし、恐れ知らずな者はどこにでもいるものである。


「陛下! お隣の美しい令嬢について、どうぞご紹介願えませんか? ぜひお近付きになりたいのです」


 皇帝の威圧にも怯まず前に出て来たのは、エバルディン伯爵。爵位を継いだばかりの若い伯爵であり、皇族の血を引く皇位継承権所有者でもある。


 本来であればその順位は限りなく低いものの、熾烈な皇位継承争いで皇帝の兄弟は皆命を落としていた。加えて皇帝にはまだ世継ぎがいない。


 存命の皇族は皇帝以外高齢で、もし今皇帝に何かあった場合、この男にその地位が回ってくる可能性は高かった。


 やらなければやられるような戦いを生き残り今の地位を手に入れた皇帝にとって、温室育ちのこの男は赤子のようなものだ。しかし、ここ最近何を勘違いしたのか、自分の地位を虎視眈々と狙う様子が鼻について仕方ない。


 機会があれば首を刎ねてやろうと思っていた矢先に、エリスに対して不躾な視線を向ける伯爵に、皇帝は密かに激怒した。


 されど、エリスと初めて踊った夜会を血で染めたいとも思わない。


「何故お前がコイツに近付く必要がある?」


 ギロリと伯爵を睨む皇帝は、低い声で問い掛けた。


「陛下が初めて夜会に連れていらっしゃったご令嬢ですから。そちらのご令嬢がどちらの家門のご令嬢なのか、会場中が知りたがっております」


「そのうち分かるはずだ」


 素っ気なく答え、エリスの肩を抱いて誘導する皇帝は、エバルディン伯爵にそれ以上目も向けずに立ち去った。




 エバルディン伯爵が声を掛けたのを皮切りに、散っていた貴族達が再び二人の行く手を阻んだ。だんだんイライラを募らせる皇帝の気配を感じ取ったエリスは、仕方がないと溜息を吐く。


「陛下。ここまで騒がれてしまえば、逆に堂々としていましょう。幸いにも私の正体は誰にも気付かれていないようですし。せっかくですから、もう一曲踊るのはいかがです?」


「本当か? いいのか?」


 途端に機嫌を取り戻した皇帝は、いそいそとエリスの手を引き広間の真ん中に舞い戻った。


 そうして二人は心ゆくまで踊ったのだった。





「流石に疲れただろう」


 三曲を続けて踊り、ヘトヘトになったエリスに飲み物を差し出す皇帝。


「ええ。ですが、楽しかったです」


 受け取ったグラスを傾けたエリスは、火照った体を冷やしてくれるその冷たさが心地好くて微笑んだ。


「そうだな。俺も楽しかった」


 同じようにグラスを仰ぐ皇帝。


「新作のあの話にも、ダンスシーンを取り入れましょうか。暴君皇帝の初ダンス。きっといいシーンになりますわ」


 楽しそうに話すエリスの横で、頷こうとした皇帝はグラスを取り落とす。


「うっ……」


 ガラスの割れる音、呻き声、その後に視界の端にいた彼がゆっくりと傾いていくのを、エリスは隣でただ見ているしかなかった。


「陛下……?」


 何が起きたのか分からない。あの皇帝が、床に膝を突いてそのまま倒れ込む。


 皇帝の隣にいたエリスのドレスに、生温かい何かが付着した。ボヤける視界でも鮮烈な赤。皇帝の口から滴るその血を見下ろしたエリスは、自らの心臓が嫌な音を立てるのを感じた。

 

「陛下……! 陛下……!」


 悲鳴が上がり、会場中が騒然となる中で、エリスは何度も皇帝を呼んだ。騎士達が駆け付けジェフリーに引き離されても、エリスは彼に手を伸ばし続けた。







 別室に移され寝台の上に横たわる皇帝を、エリスはただただ見下ろすしかなかった。何もかもが非現実的でボヤけていて、まるで悪い夢を見ているようだ。


「何故毒が……毒見は問題なく、警備も厳重だったはず……とにかく捜査が終わるまで、会場から誰も出さないように」


 ジェフリーが慌ただしく騎士達と話しながら、今後の対応を指示する。その声をエリスは遠くに聞いていた。


「ジェフリー殿」


「大神官猊下、陛下の容体は?」


 皇帝の治療にあたっていた大神官は、沈痛な面持ちでジェフリーに告げた。


「残念ながら……私では、どうにもできません」


「何故ですか!?」


 詰め寄るジェフリーに、大神官は顔を歪ませて説明する。


「陛下が飲まれたのは恐らく、高純度の聖水です」


「聖水? 毒ではなく……?」


「聖力は本来人を癒やす神聖な力ですが、陛下のように多くの命を奪った過去のある人間には過ぎた聖力が毒になることもあるのです。高純度の聖水は聖力の塊ですから。それを体内に摂取したとなると、体の内側から灼けつくような痛みに襲われていらっしゃるはずです」


 横たわる皇帝には意識がないものの、苦しさに呻き声を上げている。呆然とするジェフリーに、大神官は更に続けた。


「聖水は通常の人間には無害なもの。だから毒見役やエリス嬢には効かなかったのでしょう。私が治療のために聖力を注げば、逆に陛下の病状は悪化してしまいます」


「では、どうしたら?」


「聖力を打ち消す力……邪気を多く含んだものを飲ませ、中和するしかありません」


「邪気? そんなものどこに……」


 解決策があるのに手立てが分からず絶望するジェフリー。


「このままでは陛下は、一日ともたないでしょう」


「!」


 静かに告げる大神官に、その場が静まり返った。聞こえるのは皇帝の苦しげな呻き声だけ。


「ジェフリー様! 広間の貴族達が反発を始めております。捜査のために引き留めているのですが、不満が噴出しています」


「エバルディン伯爵が貴族達を扇動しているようでして、皇室が混迷しているのなら皇位継承権のある自分に捜査の指揮権を寄越せと主張しています」


 このまま皇帝が崩御すれば、後継のいない皇室の権限は全てエバルディン伯爵に移ることになる。


 皇帝の暗殺を目論む動機が最もあるのは他でもない伯爵だ。その伯爵が指揮権を握れば、真相は永遠に闇に葬り去られる。


 当然、ジェフリーを始めとした皇帝の部下達は粛清されるだろう。


 苦しそうに歪む主君の顔を見下ろしたジェフリーは、歯を食いしばってエリスを見た。


「エリス嬢。エリス嬢の正体は、誰にも気付かれていないはずです。もしこのまま陛下に何かあった場合、陛下と共にいたエリス嬢にも危険が及ぶ可能性があります」


 ジェフリーは、預かっていた眼鏡をエリスに返した。


「陛下はそれを望んではおりません。陛下との関係を気付かれる前に、どうかお逃げ下さい」


「……ッ!」


 この状態の皇帝をおいて逃げろと言われても、エリスはすぐに理解できなかった。


 つい先程まで笑い合っていたのに。新作の続きを誰よりも待ち望んでいたくせに。頭が現実に追いつかないエリスは、震えながら皇帝の手を取った。


「……陛下」


 エリスの脳裏には、微笑む皇帝の顔があった。目を閉じるだけで浮かんでくる、楽しそうな顔。笑い声。触れ合った時の温もりも、先程のダンスの時の力強くて優しい手も。こんなにも鮮明にエリスの中に残っている。


 何もかもが鮮明に思い出せるほど、エリスは皇帝と共に時間を過ごしてきたのだ。


 それが全て失われる。なかったことにしろと言う。もう二度と、皇帝と話すことも、笑い合うことも、できないかもしれない。


 彼のいない世界で、自分は再びペンを持てるのか。答えはあまりにも明白だった。


 両手で顔を覆ったエリスは、濡れた感触に、いつぞやのことを思い出していた。


『泣くな。お前が泣いたら……どうしていいか分からなくなる』


(泣くなと言っていたくせに。あなたが私を泣かせてどうするのですか)


 心の中で恨み節を呟いたエリスは、この瞬間心を決めた。


「……悪いのはあなたです、陛下。あとで文句を言ったって、知りませんから」


 苦しむ皇帝にそう告げて、エリスは顔を上げる。


「ジェフリーさん、……いえ、陛下の秘書官ジェフリー」


 立ち上がったエリスは、ジェフリーを呼び捨てにして強い口調で命じた。


「今すぐ紙とペンを用意して頂戴。それから、陛下の執務室の左の引き出し、上から二段目に入っているものを持って来て。引き出しの鍵はエリストラの本棚に飾ってある、私が初めてサインした本の下にあるはずよ」


 人が変わったように威厳を滲ませ指示するエリスを見て、ジェフリーは戸惑いながら目を見開く。


「エリス嬢、いったい何を……」


 涙を拭い、皇帝に取り上げられていた眼鏡を掛けるエリス。


「私、物語は必ずハッピーエンドにしないと気が済まないんです。だから……私が陛下を救います」






読んで頂きありがとうございます!


あと2話で完結予定です。

引き続きよろしくお願いいたします!

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― 新着の感想 ―
[気になる点] せっかく二人がいい雰囲気だったのに! エバルディン伯爵が怪しすぎるけど、犯人が誰であれ陛下が命を取り留めたらパパッと首を落として解決ですよねっ?!! [一言] 『冷血騎士と王女の秘密の…
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