9.誠心誠意
「ねぇ、皆さん。エリストラの新作を読みまして?」
ロマンス小説作家エリストラの大ファンであるウルフメア伯爵夫人は、夜会の場でエリストラ仲間の貴婦人達へと声を掛けた。
「勿論ですわ! あの俺様暴君皇帝……! 傲慢にヒロインを求める様が刺激的で情熱的で……すっかり魅了されてしまいました」
「俺様なのに一途で、平凡な令嬢をひたすらに想い続ける……かと思えば時折可愛らしい一面を覗かせるギャップが堪りません」
「『冷血騎士と王女の秘密のダンスレッスン』がとうとう完結してしまったことは寂しく思っておりましたけれど、新作のお陰ですっかり新たな楽しみができましたわ!」
今や帝国の淑女には当然の嗜みとなっているエリストラ作品。同志達の反応に大きく頷きながら、伯爵夫人はふと声を潜めた。
「我が国の皇帝陛下も暴君と言われておりますけれど、あの陛下にもエリストラの新作に登場する皇帝のような、情熱的な一面がおありでしたらどうします?」
「あら、あの陛下にですか?」
「それはあまり想像できませんが……血も涙もないと恐れられた陛下が誰か一人を一途に想ってらっしゃったら、とても素敵なことだと思いますわ」
エリストラの小説に登場する人物を現実に照らし合わせて妄想するのも、貴婦人達の楽しみの一つだ。
エリストラの新作が暴君皇帝を題材にしているとあって、いつも皇帝に対し怯えた目を向ける貴婦人達は、この日ばかりは皇帝への恐怖心を和らげていた。
そんな中、皇帝の来場が告げられると、いつもより好意的な視線が皇帝の方に向けられる。
しかし、会場に入って来た皇帝を見る貴婦人達の好奇と畏れの混じった目は、すぐに驚愕に見開かれることとなった。
「まあ! なんて綺麗なの……!」
「あれは誰……?」
「お似合いの二人だわ!」
「陛下、絶対に手を離さないで下さいね」
夜が更けても明るさを失わない皇宮の煌びやかな夜会。人々が賑わう広間の真ん中で、周囲の注目をこれでもかと集めながらエリスは皇帝の腕にがっしりと掴まっていた。
ザワザワと騒がしい周囲は気になるものの、眼鏡を掛けていないエリスには何もかもがボヤけていて歩くのさえ怖い。足元に集中しすぎて会話の内容など入ってこなかった。
頼りになるものといえば、自分をエスコートしてくれている皇帝だけ。逞ましいその腕にギュッと掴まり身を任せるのは当然のことだった。
一方の皇帝は自分を頼りにしてしがみついてくるエリスに気を良くし、誰もが絶句するような優しい笑顔をエリスに向ける。
「いくらでも俺に頼れ。何があっても離さないから」
暴君と称される皇帝のその言動に、周囲から悲鳴のような驚きの声が上がった。
「あの陛下が……! 夜会にパートナーを連れているなんて! それも、優しいお言葉をかけて笑いかけるだなんて……!」
「いったいあの令嬢は誰なのです!? あれほど綺麗な令嬢は見たことがありません! どちらの家門の令嬢ですか?」
「そもそもあのご令嬢は、陛下とどういうご関係なのでしょう? あんなに仲睦まじいなんて……はっ! もしかして……!」
騒めく周囲など少しも気にしない皇帝は、美しい素顔を晒して皇帝が用意したドレスを身に纏うエリスの姿に大いに満足していた。
「陛下……本当に一曲踊ったら解放して下さるのですよね? こんなキラキラした場所に長時間いたくはありません」
「ああ。あと少しの辛抱だ。これが終わればいくらでも引き篭もって執筆していいぞ」
ニコニコの皇帝に引き摺られるようにして会場の真ん中に立ったエリスは、流れてくる音楽に合わせて皇帝とダンスを始めながら思わずにはいられなかった。
――――どうしてこんなことに。と。
時を遡り、皇帝がエリスの父であるトランチェスタ侯爵との謁見を済ませた後のこと。
「本当にお父様を説得して下さったのですか?」
エリスは信じられない思いで皇帝を見ていた。
「ああ。エリスを帰さなくていいと。それどころか、永遠に引き留めても構わないとな」
「あの思い込みの激しいお父様が? 信じられません……いったい何をなさったのですか?」
「別に大したことはしていない。ただ俺にはエリスが必要だと誠心誠意伝えただけだ」
「……小説の話は出していないのですよね?」
「勿論だ。俺がお前との約束を破るわけないだろう」
自信満々に頷く皇帝を見て、エリスはとうとう感服した。
「流石は陛下です。正直、最悪の場合は説得が失敗して、侯爵家に連れ戻されるかもしれないと思っておりました」
「ふん。俺がそんなヘマをするか。どうしてもという事態になれば、侯爵の首を刎ねてでもお前をそばに置くぞ」
「ゴホン、オホン。エリス嬢、言いましたでしょう? 陛下はこれでも帝国の君主なのです。やればできるお方なのです」
皇帝とトランチェスタ侯爵の間で本当はどんな会話がなされたのか、その裏にあった侯爵のあらぬ誤解も知らず、物騒な発言を掻き消すように皇帝を褒めちぎるジェフリー。
それに対してエリスも素直に頷いた。
「本当ですわね。疑って申し訳ございませんでした。陛下のお陰で私はまだまだ大好きな小説が書けるのです! 陛下、これまで良くして頂いたことも含めて、ぜひ何かお礼をさせて下さい」
「礼か……。お前がそばにいて小説を書いてくれるだけで俺は満足なのだが。しかし、せっかくだ。……一つだけ、やってみたいことがある。頼みを聞いてくれるか?」
ソワソワと言いづらそうにエリスをチラ見する皇帝。その姿が可愛く思えて、エリスは首を縦に振った。
「なんでもおっしゃって下さい!」
機嫌の良いエリスにそう言われ、皇帝はずっとやってみたいと思っていたことを照れながら口にした。
「じゃあ……次の夜会で、お前とダンスを踊りたいんだが……ダメか?」
そして今に至るわけである。
『身元が知られるのが嫌なのであれば、いっそのこと眼鏡を外されてはどうです? その素顔を見てエリス嬢だと気付く者はありませんよ』
皇帝のパートナーを務めることに抵抗を見せたエリスへと、二人のやり取りを見守っていたジェフリーが横槍を入れた。
エリスの素顔禁止令を出していたはずの皇帝も、「この顔の女が俺のものであると分かるのなら問題ない」と謎の理屈でジェフリーの提案を受け入れ、結果としてエリスは眼鏡のない状態で夜会の場に立つこととなった。
「なんてロマンチックなお二人なのかしら……思わず溜息が出てしまいますわ」
流れる音楽に身を任せ、互いを信頼し合って通常よりも密着して踊る皇帝とそのパートナーに、周囲は感嘆の息を漏らしていた。
「陛下はこれまでダンスどころか、パートナーを連れて来たことさえありませんでしたのに……まさかあんなに優雅に踊られる方だったなんて」
「陛下が初めて夜会に連れて来たパートナー。あの美しい令嬢のことを、知っている方はおりまして?」
誰よりも注目を集める謎の美女。自身が噂の真っ只中にいることなど思わずに、目が悪いエリスは皇帝の手にしがみついていた。




