のんべえ聖女とスイーツ怪物伯の天空ホテルへようこそ!~拝啓、私を捨てた皆様。こちら無理やり嫁がされた空飛ぶ島で、最高に愛されておいしい毎日を過ごしています。いつでも大金持ってご来店くださいませ!~
「おまえを怪物伯へ身請けさせることにしました」
「はい?」
それは、小さなミスだった。
アイルがひょんなことで小さな水晶を壊してしまったのだ。その水晶の価値は、およそ金貨百枚。ちょっと優雅な生活三か月過ごせるかな、くらいの値段である。
「弁償なら、私の貯金で――」
「弁償は結構ですよ。その分を結納金として怪物伯からいただくことにしたのです。さらにおまえを手放すことで今後の給金の節約もできる。こちらも厄介払いができて助かりました」
「そんな……」
「酒好きのんべえの聖女なんて、うちには要りません。どうか怪物の元で幸せになりなさい」
アイルは見目も麗しい聖女である。桃色の長い髪に、青い瞳。目もぱっちりと大きく、肌も白い。さらに聖女としての能力も高く、その見た目と能力が相まって貴族から身請けしたいという声も後を立たない。
しかし、アイルには一つだけ悪癖があった。
毎晩の晩酌がやめられないのだ。聖職者のイメージとして、酒飲みがよくないことはわかる。だけど規則として酒を飲むなというものはない。聖水や清めの水なんていっても、中身は酒だ。
儀式で使った酒を、どうするか――そんなもの、仕事おわりに聖職者たちが飲むに決まっている。タダじゃないのだ。捨てるなんてそれこそ勿体ない。
なので飲酒に年齢制限のないこの世界、今年十九歳になるアイルも他の仲間たちと夜は晩酌をしていたのだが……ちょっとだけ、本当にちょっとだけ酒癖が悪かった。
――あれかなぁ。
――調子に乗って司教のハゲ頭に水晶を乗せて遊んだのがいけなかったのかな……。
「ちゃんと謝ったのに……」
そう後悔したとて、後の祭り。
今日の今日でいきなり怪物伯が迎えに来てしまうという。なのでただでさえ少ない荷物の整理をしろと言われて、部屋に閉じ込められていた。外から鍵もかかっている。いわば、怪物伯が来るまで逃げるなよ、という軟禁である。
悔しいので、アイルも中からがっつりと扉が開かないように細工しておいた。聖女の奇跡を使って錠前が回らないようにし、扉の前にもタンスを移動して内開き対策&バリケードも完璧だ。なんならタンスの重量も奇跡で十倍にあげた。
「だからといって貧乏怪物伯とか……ただの嫌がらせじゃない……」
怪物伯は界隈で有名な二つ名だった。
正式な名称はユーリウス=フェルマン天空伯。辺境伯の亜種で、世界で唯一の空飛ぶ島を管理している領主である。それだけなら、変わり種としてちょっと自慢できそうな嫁ぎ先である。
肝心の領主が『貧乏』な『怪物』でなければ。
「あれでしょ……かなりの大男で、魔物も一刀両断しちゃうんでしょ?」
天空島を管理するに留まらず、その領主は持ち前の剛腕で各地の魔物討伐にも尽力しているという。それだけなら美談だが、かなりの大剣を片手でぶんまわし、鮮血を浴びながら高らかに笑っているのだとか。
「噂によれば、人間を食べることによって力を維持しているという……」
つまり、あれだ。アイルは生贄として捧げられたのだ。
「聖女なら、生贄として見栄えもするしね~」
ひとりでケラケラ笑って、ため息を吐く。
――やってらんね~。
そりゃあ、たしかに酒癖は悪い。それは認めよう。
だけどたった三か月分の生活費で餌にされてしまう命とは解せない。
「アイル、準備はまだですか?」
「まだでーす♡」
司教から扉をノックされるが、アイルもただで餌にされてたまるか。
――ギリギリまで抵抗してやる!
先方が諦めて帰るまで、ここで籠城してやるのだ。水も奇跡で作れるので、食べ物がなくても五日はひきこもりできるはずである。まだまだノックは六回目。先は長い。
「さて、のんびりお昼寝でもするかな~」
正直、昨日のお酒がまだ残っており、身体がだるい。
この先の長い戦いに、英気を養っておこうとベッドに身体を横たえた時だった。
どがんっ‼
扉とタンスが爆散された。
声すら出ない。散々重くしたタンスの木片が飛び散る光景に、アイルは目を見開くのみ。
「えっ……」
そして身を起こした瞬間には、視界が暗くなる。
目の前に黒い鎧を着た大男が立っていた。それなのに、髪は透き通るような銀髪。暖かみのある暁色の瞳。その綺麗な顔つきと体格とのアンバランスさに、アイルが戸惑っていると彼が話しかけてくる。
「きみがアイルで間違いないな」
「そうだけど?」
一瞬、しらを切ろうとも思ったが、激昂されて今すぐバリバリ食べられたらたまったものじゃない。それなりに場数は踏んできているので、アイルも虚勢で口角をあげてやれば、その男はひょいっとアイルを持ち上げた。
「はっ、ちょっと何よいきなり――」
「三時間待っても出てこないのでな。無理やり連れていく許可を司教にとってある」
――あいつ~‼
肩に担がれ無理やり通路に連れ出されれば、司教がわざとらしくハンカチを目元に当てて、ひらひらと手を振っている。
こうなりゃ奇跡で反撃してやると印を切ろうとするも、
「諦めろ。きみのことはもう、俺が買ったんだ」
口元にハンカチが当てられる。その甘ったるい匂いが、強制的に眠らす薬だと分かった時にはもう遅かった。
――くそおっ!
アイルはもう、毒づくことすらできない。
そして、目を覚ませば。
「おおう、絶景だね……」
アイルは椅子に座らされていた。古風なわりに、なかなか豪華な食堂だ。
大きな窓の外は真っ青だった。うっすら白く見えるものは雲だろうか。
他に何も見えないということは、ここはまさに空の上にある天空島なのだろう。
そしてアイルが絶景と称したもっともたる所以は――
「さぁ、きみのために作ったんだ。遠慮なく食べてくれ!」
かわいいエプロンを身に付けた屈強の美丈夫が、大きなテーブルを埋め尽くさんとばかりに並べられたスイーツの数々を前で腕を広げていることだ。
その男は私が固まっていると、「そういや自己紹介がまだだったな」と両手を打つ。
「俺がきみの夫となるユーリウス=フェルマンだ。これからどうぞ末永くよろしく」
自分を買ったエプロン男が、「俺のお嫁さん」と嬉しそうに微笑んでいる。
そんな複雑な状況の中、アイルは尋ねた。
「毒入り?」
「……んなわけあるか」
ユーリウスはあからさまに落胆した様子だ。だけどすぐさま気を取り直して、手近のクッキーをモグモグと食す。そして、その皿をアイルの前に差し出した。
「これでいいだろう? さぁ、食べてみろ」
「すみません。私、甘い物があまり好きではなくて」
「…………」
毒が入れられている可能性は否めない。だってアイルは怪物伯の餌として連れられてきたのだから。アイルは未だそう信じている。だから痺れ毒で動かなくさせてからバリバリ食すのかもしれない。クッキーのように。
――でも、そうだったら眠らされていた時点で食べられてそうではあるよね。
――なら、私を太らせてから食べるとか?
それならちょっとありそうだ。アイルはどちらかと言えば細身である。
現にユーリウスは何も言ってこない。
読みが当たったかと見上げれば……彼はシクシクと泣いていた。
「女なのに……甘い物が好きではないだと……」
「いや、それ偏見」
そして、ヨレヨレと食堂を出て行かれてしまう。
別に嫌みを言ったわけでもなかったアイルとしては唖然とするばかり。
「まさか、本当に歓迎のしるしだったとか?」
まぁ、たとえ毒が入っていようとも、即死のものでなければ自分で解毒もできる。
彼が食べていたクッキーを一枚、おそるおそる食べてみる。甘すぎず、だけどチョコレートのザクザク感がたのしいクッキーだ。淹れられていた紅茶も一口。砂糖が入っておらず、まさにスイーツの口直しとして最適な渋みである。
「悪くないね」
だけど悲しいかな、アイルはスイーツより酒が好きだ。だから甘味よりも珍味がいい。
そんなこと思いつつも、お腹を満たすためにクッキーをむしゃむしゃしていると、ひとりのメイドが現れる。
「それでは、お嫁さまのお部屋に案内しますね」
もちろん、アイルは大人しくついていく。ここで抵抗したところで、今すぐ食べられてしまったら元も子もないからだ。逃げるにしてもしっかりと策を練らないと。
果たして、どんな部屋が用意されているのだろうか。
――普通に考えれば牢獄かな?
それとも、無駄に怪我をさせないように何もない場合もある。
――どんな部屋を案内されても、驚かないようにしよう。
――そしてこっそり、食べられる前に抜け出す算段をつけてやる!
そう意気込んで、開けられた扉の中を覗けば。
「新手の拷問か?」
壁から床からベッドから、すべてがピンク。
そんな女々しさを盛大に勘違いした部屋に、アイルは眩暈を覚える。
唖然とするアイルに、メイドが答える。
「いえ、御主人が『女性ならこういうのが好きだろう』とおっしゃいまして」
「チェンジで!」
アイルが即座に要望を出すものの、メイドは申し訳なさそうに視線を落とす。
「他に人の住める部屋がございませんので、今日のところは」
――むしろ他にどんな部屋があるの?
たしかに貧乏怪物伯の異名通り、ここまで来る間の廊下は壁紙も剥がれていたりとかなり老朽化が進んでいるようだった。それに比べて、この部屋はかなりの綺麗さだ。
――もしかして、私のために無いお金を使ってくれたとか?
仕方なしにピンク満載の部屋に足を踏み入れれば、「それではまたご夕飯の際にお呼びいたします」とメイドが頭をさげてくる。
「はあ……」
ようやく一人になり、アイルはため息をつく。
どうせ餌にするのなら、一思いに殺してくれ。
そう思わないでもないけど、言葉だけ聞けば、まるで自分を歓迎しているようではないか。
誰もスイーツパラダイスや、全力ピンクの部屋なんて望んでいないけれど。
アイルはベッドに横たわってみる。こんなにスプリングの効いたベッドなんて初めてだ。お日さまの香りと……花の香りに枕を探ってみれば、どうやらラベンダーのポプリが仕込んであるらしい。目さえ瞑れば至れり尽くせりである。
――こんなふかふかなベッドは初めて……。
先ほど目覚めたばかりとはいえ、薬で眠らされていたのだ。それの前は籠城しようとまでしていた。身体の疲労感は尋常じゃない。
「これから私……どうなるんだろう……」
そんな不安が頭をよぎるものの。
今はただ、アイルは心地よい眠りに身を任せることにする。
◆
サプライズに失敗したユーリウス=フェルマンは大いに落ち込んでいた。
「女性は甘い物が好きなんじゃなかったか……?」
どこで聞いたか覚えていない。だけど女性は甘い物と可愛い物が好む生物だと思っていた。
だから『目覚めてびっくり目の前にはスイーツパラダイス♡』に、きっと喜んでもらえると思っていたのに。そのためにここ三日ほとんど寝ずに準備に勤しんでいたのに。
「しかし……『好きではない』とは言っていたけど『嫌い』だとは言っていなかったよな」
ユーリウス=フェルマン。彼は諦めの悪い男である。
なんたって、此度の縁談はユーリウスにとって念願の、奇跡のような機会だったのだ。
フェルマン家の血を唯一継ぐ者として、後継者づくり、ならびに結婚は必要不可欠だった。
だからユーリウス、現在二十二歳。十八の頃から四年間、全力で頑張ってきた。
お見合いを重ねること五十回。たいていは『怪物伯』という異名のせいで調書で断られる。
ようやく面会までこじつけたとしても、彼の厳つい風貌に逃げ帰る。血の滲む努力をして天空島まで招いたとしても、天空島を観光地にするとか言われて、慌てて追い払った。
たとえ貧乏だとしても、ここは親から引き継いだ天空島。守っていく義務があるのだ!
「俺は諦めんぞ!」
ユーリウスには夢がある。
その夢のために、彼は今まで一人で生きてきたのだ。唯一のメイドはお嫁さんを迎えるために、なけなしの金で雇ったにすぎない。
「いつかお嫁さんと一緒に楽しくスイーツを食べるんだ!」
先は、何日も前からワクワクと準備していた手作りスイーツを頭から否定されてしまって、思わず逃げてきてしまったが……そんな失態は二度と犯さない!
その決意を新たに、彼はアイルの調書を撫でる。
「ぜったいに俺が幸せにしてやるからな」
たとえちょっと酒癖が悪いからなんだ。むしろ教会での生活が過酷すぎて、酒くらいしか楽しみがなかったんじゃないのか。そう考えたら可哀想なくらいだ。
ユーリウスは固く決意する。
「俺が全力で幸せにしてやらねば」
酒なんて忘れられるくらい、甘い物とかわいい物で彼女の世界をいっぱいにして。
そしていつか、彼女が毎日幸せそうに笑ってくれたなら……一緒にスイーツとか食べて、なんなら一緒に作ったりもして、お互い『あーたん♡』『ユーリ♡』と愛称で呼び合える仲になって、いつか家族も増えたらいいな、なんて。
――がんばれ、俺。
ちょっと自分の趣味が否定されたくらいで逃げてなるものか。
「そうと決まれば」
さっそく夕飯の準備を始めよう。メニューはもう考えてある。自分の天空島だからこそ食べられるご馳走を、これでもかと堪能してもらうのだ。昼食もとっていないから、腹を空かせているに違いない。
そんなやる気に満ちているのに、扉がノックされる。
――ま、まさか、アイル殿⁉
――用件は……俺が泣いて出て行ったから、罪悪感でも覚えさせてしまったか? それとも、お腹が空いたからやっぱりさっきのスイーツが食べたいとか? あるいは……部屋でひとりが寂しいから、お喋り相手になってくれとか⁉
だけど、ユーリウスがドギマギしながら扉を開ければ。
そこには困った顔のメイドがいただけだった。
「お嫁さまが身体を拭く『冷水』がほしいと言ってきているのですが」
「水?」
◆
アイルがお昼寝から起きると、外はすっかり暗くなっていた。
「生きてるねぇ」
こんな無防備に寝ていたんだから、ドラゴンか怪物の餌にされていてもおかしくなかっただろう。だけど、アイルは五体満足生きている。
「ふむ……とりあえず顔がベタベタだな」
アイルはあまり熟考するタイプではない。それより今は寝汗が気になる。身体が拭きたい。
「さて、お水はどうもらえば……?」
どピンクな部屋の中を見渡せば、テーブルの上に呼び鈴らしきものが置いてある。
アイルは試しに慣らしてみた。
「ふむ」
チリンチリンと可愛らしい音がしたかと思えば十秒くらい。
足音が近づいてくる。
「お嫁さま、お呼びですか」
やってきたメイドに、アイルは一応愛想笑いを浮かべながら告げた。
「身体を拭きたいから、お水をもらうことはできないかな?」
「それなら、天空温泉の準備が整っております」
大それた名前からして、大層自信のある施設なのだろう。だけど、温泉とはお湯に浸かれというのか。
――そのまま私を茹でて食べるつもり?
アイルは笑みを浮かべたまま首を横に振った。
「お水でいいの」
「それなら、温泉のお湯を持って来ましょう。美肌効果があります」
「ううん。お水がいいな。思いっきり冷たいやつ」
「……少々お待ちくださいませ」
しばらくして。
細身の女性が桶を持ってくるのかと思いきや……どうも足音が大きい。
「失礼するぞ」
端整な声がするないやな、扉が乱暴に開けられる。
――あれ、なんで怪物伯が……?
と疑問を口にする暇もなく、アイルはまたしても担がれてしまって。
「ちょっと、今度はどこに連れて行くつもり⁉」
「身体を清めたいのだろう? 俺が案内してやる」
「案内するならちゃんと自分で歩くから――」
だけど、そう抗議している間にも怪物伯ことユーリウスはズンズンと大きな歩幅で進んで行ってしまう。そして、着いた先の脱衣室で、アイルはメイドにあれよあれよという間にタオル一枚にされてしまって。しぶしぶ、アイルは天空温泉とやらに足を踏み入れれば。
「わぁ……」
思わず、アイルはその光景に感嘆の声を漏らす。
浴場はまさに屋外に用意されていた。岩づくりの大浴場から白い湯気がもくもくと上がっている。その湯気が上る先を見上げれば、満点の星空。吐く息も白く、正直身震いがするほど寒いものの……暗がりながらバランスよく活けられた小さな木々や小石の庭の美しさも相まって、煌びやかな地上の宮廷などと違った、静かで厳かな雰囲気に呑まれる。
「気に入ったか?」
だけど、その一言でアイルは現実に引き戻された。
黒い服を着たままのユーリウスが仏頂面で小さな岩に座っていたからだ。
「ゆ、茹でられるにしても心の準備が⁉」
「茹でん‼ それに心の準備なら俺のほうこそ欲しかった!」
すると、顔を真っ赤にしたユーリウスが立ち上がる。再びアイルを担いでは。不自然に視線を逸らしながらも……今度はじゃぶんと浴槽の中へと落としてきた。
「ぷふぁっ」
奥はそれなりに深く、頭など打たなかったからいいものの……顔まで潜ってしまったアイルは慌てて水面から顔を出す。
「熱っ、ねぇ、本当に熱いんだけど⁉」
「しばらく我慢しろ、じきに気持ち良くなる!」
「そんな被虐趣味はないっ!」
だけど、本当にじわじわと身体が熱に慣れてくる。
吹く風の冷たさと相まって、身体の温かさが心地よく感じできて。
ふと、アイルは空を見上げた。自分の吐いた息の白さの上に広がる星は数えきれない。しかも、そのまたたきが地上にいた時よりも強く、大きく見えて。
アイルは口から言葉が零れる。
「綺麗……」
「だろう?」
顔を向ければ、怪物伯と呼ばれる男が心底嬉しそうに微笑んでいる。
目じりにしわを作る笑みは、むしろ子供のように可愛くも思えて。
そんなことを考えた自分に、アイルは目を白黒させる。
――まさか、怪物伯にときめいたとか?
――私を食べるつもりの男を⁉
あまりの恥ずかしさに、アイルが思わずお湯に潜って顔を隠す。
「なっ、どうした⁉」
すると、慌ててユーリウスが湯の中まで入ってくる。服が濡れることも厭わず、慌ててアイルを持ち上げて。アイルは落ちそうになっているタオルを辛うじて抑えながら、口を尖らせる。
「えっち」
彼女を下ろしたユーリウスが無言で走り去る光景に、アイルは声をあげて笑う。
――もしかして、案外この結婚悪くない?
その後の夕飯も、貧乏と言いながら豪華な肉料理が並んでいた。どうやらユーリウスが怪物伯の腕前で狩ってきた獣を材料に調理してくれたらしい。私の好きなお酒も用意してあって……うっかり飲みすぎて朝に至る。
「頭いてぇ……」
だけど、それは私が食べられないという前提だ。太らせてから食べられる説がなくなっていない以上、油断はできないけれど。
「とりあえずお水が飲みたい」
どうやらメイドさんも一人しかないようだから、わざわざ呼ぶのも気が引ける。
だからふらふらと水場を求めてボロボロの城内を歩いていた時だった。
「甘い、匂い……?」
卵とお砂糖の匂いと一緒に、どこか人工的な香りも混じっている。
そんな香りに誘われて歩けば、そこは食堂。
どうやら怪物伯が女性と口論しているようだった。
「そんな、わたくしというものがありながら、他の女を娶るとはどういうつもりですの⁉」
「だから、きみとの婚約は断ったはずだろう⁉」
「あんな一方的なの、わたくしもお父様も認めておりませんわっ!」
――うわぁ、修羅場。
――なんだよ、あの怪物伯。他にしっかり女がいるんじゃん。
――一瞬、期待しちゃったじゃん……。
アイルはそーっと扉から中を覗いてみる。このイライラを誤魔化すべく、せめて相手の顔くらい拝んでやろうという魂胆だった、が。
「うわぁ」
思わず声が出てしまった。だってそのまるまるとしてケバケバしい女が、まるで怪物のようだったからだ。どうやって化粧したら、あんな怖い顔になるのだろう。無理やり褒めるならゴージャスというのが関の山である。
テーブルの上には綺麗に盛り付けられたフレンチトーストが二人分置いてあった。それと……あの女の香水の匂いが混じった臭いだったらしい。
そんな女性と、アイルは目が合った。
「これがユーリウス様を誑かしたアバズレね! このちんちくりん、早く出て行きなさい! 地上へはわたくしの飛竜で送って差し上げますから!」
この世界には飛竜というものが存在する。だけどイメージの通り凶暴で、乗り物のように使うにはものすごく巨額な精霊石を使って制御する必要があるのだ。
なので、自前でここまで来て、そして帰ることができるという時点で、あの婦人がお金持ちであるという十分な証拠であるのだが。
――なんで怪物伯はこんないい婚約を断るのだろう?
見た目マジモンの怪物のようだとしても、この婦人も年齢は二十代半ばといったところだろう。怪物伯と同じくらいである。そしてなにより金持ちとだったら、この貧乏伯爵にとって喉から手が出るほどありがたい縁談のはずなのに。
だけど、ユーリウスはまるでアイルを守るように抱き込んでから声を荒げた。
「彼女に対して失礼を言うな! 何度も言っている通り、この島の権利を男爵に譲るつもりはない。先祖代々守ってきた土地を観光地になんてしてたまるか!」
対して、ゴージャスな夫人も「フン」と鼻で笑った。
「ご納得いただけるまで、今後こそわたくし帰りませんから。今度こそわたくしの色香で落としてさしあげますわ」
彼女の動きに合わせて、胸部についている贅肉がたゆんと揺れている。
「いや、結婚二日目にして愛人が出てくるとは思わなかったよ」
「本当に申し訳ない……」
怪物伯の私室は、本当に質素だった。木造の書斎机とベッド、それだけ。
アイルが座っている唯一の椅子もガタガタしている。
その前で絨毯も敷かれていない床に膝をついているユーリウスが深々と頭を下げ続けていた。
アイルは銀色の後頭部を見下ろしながら嘆息を吐く。
「観光地? ていうのが、どうしてそんな嫌なの?」
「嫌に決まっているだろう⁉ この城も壊して金ぴかのホテルに建て替えるというし、賭博場を作るなんて話まであるんだぞ⁉ 数千年受け継がれてきた天空島を、そんな金の亡者たちの住処にしてたまるか!」
「ふーん」
アイルは窓の外を見やる。
ざっと見たところ、天空城の端はかろうじて見える程度の広さ。少し離れた場所には湖も見えるし、見たことない桃色の木が群生している。のどかで綺麗なところだ。
そんな光景を眺めていると、ユーリウスが「それに」と零す。
「俺だって、どうせならかわいいお嫁さんがほしい……!」
「あぁ……」
この怪物伯、話を聞けば聞くほど残念である。
だから、アイルは両手を叩いた。
「ま、とりあえず」
「とりあえず?」
顔をあげたユーリウスの目が潤んでいた。どうやら下を向きながら泣いていたらしい。
アイルはニコッと笑う。
「飲もっか♡」
「ちょっと、わたくしがいるというのに食事の用意もないわけ⁉」
食堂でゴージャス令嬢がなにやら贅肉を揺らしている。
そんな場所に、アイルはユーリウスの手を引いてやってきた。ユーリウスはなんとか歩きながらも頭をフラフラと揺らしている。
「俺はぁ……親も早くに死んじゃって、ずっとこの島で一人で寂しくて……だから、いつかかわいいお嫁さんを娶って家族を作るんだって、ずっと……ずっとぉ~……」
「はいはい、今は独りじゃないからねー」
二人の吐息は酒気を帯びていた。アイルが半ば無理やりユーリウスに呑ませたのだ。
ゴージャス婦人はアイルに向かって指を突き立てる。
「このアバズレ! ユーリウス様の手を離しなさいっ‼」
「まぁまぁ、そんなことより飲まない?」
「えっ?」
顔が赤いのはユーリウスだけではない。アイルもすっかり鼻まで赤くして片手で酒瓶とグラスを同時に持っている。アイルはご機嫌だ。
「ここで会ったのも何かの縁! さぁ、みんなで飲もう!」
ユーリウスを無理やり座らせて、アイルはお酒を並々注いだグラスをゴージャス婦人の前に置く。ゴージャス婦人はグラスとユーリウスを交互に見てから唇を舐めた。
「ま、酔った勢いで既成事実を作るのもいいわよね?」
それに、アイルはニコニコとしたまま何も答えない。
ただユーリウスの前にもお酒を置いて、グラスを持つだけである。
「それじゃあ、かんぱーい♡」
お酒の種類はワインである。お金がないなりに、アイルが好きだからとユーリウスが用意してくれていたとのメイドさん談。
メイドさんが淡々とボトルを運んでは、空いた時間に自分も飲むというラクな仕事をしている間に、アイルは陽気にゴージャス婦人に話しかける。
「ねぇねぇ、どうしてお姉さんはこんなにも怪物伯と結婚したいの?」
「ちょっと、わたくしにタメ口など失礼ではございません?」
最初はそんなことを言いながらも、お酒が進めば自然と口も緩くなるというもの。
「もちろんお金のために決まっているではありませんか。この島は金になりますわ! 天空カジノなんて絶対に集客効果がありますでしょう? この城ももっとゴージャスに建て直しまして、世界各地の貴族を招いて我が家は世界屈指の名家の仲間入りでしてよ~!」
なかなか壮大な夢である。
だけど世界で唯一の空飛ぶ島。目の付け所は悪くない。
――ま、それは持ち主の許可が得られればの話だけど。
と、アイルが新しいボトルを開けていた時だった。
ドンッ‼
隣から大きな強打音がする。ユーリウスがテーブルを殴ったのだ。その部分にはひびが入っている。彼の声は震えていた。
「だから……この大切な島を金儲けの道具にしたくないと言っているだろうがああっ」
最後は雄たけびのようになった怒声と共に、ユーリウスがテーブル越しにゴージャス婦人の胸蔵を掴んだ。
「ちょ、ま、た、たすけ……」
怪物伯に揺さぶられて、ゴージャス婦人の巻き髪がわさわさ揺れる。
だけど、それだけでは終わらなかった。
問答無用でゴージャス婦人を肩に担いでは、テクテクと食堂から出て行ってしまう。
「あれ、けっこう怖いんだよねぇ」
経験者のアイルは感嘆しながら後を追う。もちろん片手に酒瓶を忘れない。
ぎゃあわぁ喚くゴージャス婦人を連れて、ユーリウスが連れて行ったのは城の外だった。
桃色の小さな花が咲き乱れた木の下で、大きな羽の付いた竜とその操縦士が気持ちよさそうに寝ている。そこに目掛けて、ゴージャス婦人が投げ飛ばされた。
飛び起きる操縦士と飛竜に向かって、怪物伯の目が光る。
「すぐさまその女を連れて去れ。さもなくば――」
「はいいいいいい⁉」
――ま、自分の問題は自分で解決してもらわないとね。
ただ、アイルはユーリウスを酔わせただけ。朝はあからさまに口だけの抵抗だったからね。相手が一応女性ということもあって、色々と我慢していたのだろう。お酒の力で理性を崩し、武力行使するよう促したに過ぎない。
――さすがに土地目当てだったとしても、こんな『怪物』と縁続きになりたい貴族はいないでしょ。
お酒は人の心を露わにするものである。
酒は飲んでも吞まれるな――そんな格言をどこで伝えられている言葉だっただろうか。
はるか彼方に逃げていく竜を見上げながら、アイルは酒瓶を直接煽る。
やはり、ここから見上げる星は綺麗だ。風に揺れてひらひら舞い落ちてくる花びらがとても幻想的である。夜風が気持ちいこの場所で飲む酒がなんて美味いのだろう。
そんな時だった。
「俺のお嫁さんがアイル殿でよかった……」
アイルの視界が突然暗くなる。
――この展開、身に覚えがあるな?
見上げれば、そこにはやっぱり怪物伯のユーリウス=フェルマン。その銀髪が星明りに照らされてより彼の美貌をきらめかせている。
そんな彼が、そっと優しくアイルの顔を包んで顔を寄せてきていた。
「めちゃくちゃかわいい。いい匂いがする。大切にする。絶対に大切にするから……」
「……私のこと食べるために?」
「そんなっ‼」
なんとか平然を装って尋ねるアイルである。
予想通り、ユーリウスは慌ててアイルから飛びのいてくれるものの……彼はすぐさま顎に手を当てて考え出した。
「まぁ……いつか『食べる』こともあると思うが……きみはとても甘そうだな」
――あの、その『食べる』の解釈は違うのでは?
だけど、それを追求するのは女の子の矜持から憚られていると、
「そんなの、もっと仲良くなってからというか。その前に手を繋いだりとか……はっ、手、もしかして繋いでくれたか⁉」
なんか、ユーリウスが自らの発言にとても嬉しそうに自分の手を眺めていた。
「あぁ、夢みたいだ。俺が女の子と手を繋げる日が来るなんて……‼」
さすがは酔っ払い。すべてがひとりの世界で完結している。
――まぁ、今ならウソを吐かないだろう。
なので、アイルはしごく冷静に訊いてみた。
「ひとつお尋ねしたいのですが」
「なんでも聞いてくれ!」
「あなたって、正体は本物の怪物だったりする?」
「人間に決まっているだろう。証明は……脱いだらいいか?」
ぼんやりとした目つきのまま、いそいそとシャツのボタンを開け始める怪物伯。
アイルは慌てて目を逸らす。
「いい、いいの! もういい、わかった――」
言葉の途中で、ぎゅっと。
アイルはユーリウスに抱きしめられる。
「俺の元に嫁いで来てくれてありがとう……」
夜風の冷たさに反して、彼の胸板のあたたかさが心にしみわたる。
――別に、あなたが無理やり担いできただけじゃない。
それでも、まるで露天風呂のような心地に、アイルが目を閉じようとした時だった。
「……気持ち悪い」
「えっ?」
そして、翌朝。
「大変申し訳なかったっ‼」
ユーリウスは再び床に膝をつけて、深々頭を下げていた。
どうやらこの男、可哀想なことに酔っていた時の記憶がばっちり残ってしまうタイプらしい。
ちなみにアイルも、昨晩のことはよく覚えている。アイルからすればあれでも飲む量は控えていたのだ。やっぱり胃のあたりはムカムカするけれど。
そんな怪物伯を今日も見下ろして、今日も二日酔いのアイルは人差し指を立てた。
「それならお詫びとして提案したいことがあるのだけど」
「なんだ、俺にできることなら、なんでも――」
「やっぱりこの島に、多くのお客さんが来るようにしない?」
アイルの提案に、ユーリウスはあからさまに落胆したように目を見開く。
「きみも……金が目当てなのか……」
「いやぁ、お金は大事でしょう。大切なお城なら、補修工事とかもしなきゃいけないだろうし」
ただ守っていきたいと口でいうのは簡単だが、放っておけばなんでも朽ちていくのが自然の摂理。実際、アイルが生活する区画は最小限整えられているようだが、少し外れた場所を見たら危ない場所がけっこうあった。何かを『守る』ためにはお金が必須なのだ。
「別にカジノを作れなんて言わないよ? でもホテルだけならいいんじゃないかな? せっかく広いお城があるのに部屋を余らせるのも勿体ないし……それに、この島は本当に綺麗だから」
あちこち危ない箇所はあれど、風情のある大きな岩づくりの厳格な城。
とても斬新で青空も夜空も楽しめる美肌になれる露天風呂。
怪物伯が直々に狩ってくるおいしいジビエ料理。
そして珍しい花が咲き乱れる島の景観。
そのどれもが、魅力的で。このまま朽ちていくのが勿体なくて。
――そんな場所でひとりぼっちとか、どれだけ寂しいのよ。
だから、アイルは言うのだ。
「それこそ、こんな素敵な場所を私たちだけしか知らないっていうのも、勿体ないと思わない? この島のことを一番大切に想っているあなた自身が開発していく分にはおかしなことにもならないと思うし」
「わたしたち……」
――言葉選びを間違ったような気がする。
ユーリウスはアイルが意図としていない場所で感動している節があるが、そこは気にしないことにして。
「それに、開発に成功したらあのゴージャス令嬢もさぞ悔しいことでしょうよ。お金もバンバン落としてもらえば……もっと裕福になれるしね。ゆくゆくは私はお酒を飲んでいるだけでお金持ちになれるって算段なんだけど――」
アイルはけっこう根に持つタイプだ。『アバズレ』や『ちんちくりん』と言われた恨みはきっちり返したい。
それに色々理由を付け足していれば、床に座ったままのユーリウスが目を見開いていた。
「きみは……存外悪い女だな」
「女の子の幻想が崩れちゃった?」
「いや……思いのほか嫌ではない」
アイルの腹黒い計画にユーリウスが笑う。
「きみとなら、なんでもできそうな気がする」
その優しくも力強い『怪物伯』の綺麗な笑みに、アイルも笑い返して。
遠くないうちに、二人はお揃いの制服を着る。
どうやら今日のお客は、とある教会を運営している男だとか。
――さぁ、金貨百枚以上のお金を落としていってもらいましょう!
そしてはるばる大枚落としにやってきた来訪者に向かって、声を揃えるのだ。
『のんべえ聖女とスイーツ怪物伯の天空ホテルへようこそ!』
おしまい。
最後までお読みいただきありがとうございました。
本作は新作の方向性の確認のために短編として投稿してみました。
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また、最近完結したばかりの長編作品のリンクも↓に貼っておきますので、よければお楽しみくださいませ。300人近くの方に評価いただいて、平均評価4.7(最大5.0)キープの作品です。
それでは、本作が有意義な暇つぶしになれたことを願って。
ゆいレギナ