宝石強盗事件
「右に一歩動け」
と寺田が言った。
ドンタは言うとおりに動いた。
「三回まわってワンと言え」
しばしドンタは黙った。
「やれっ!このババアの頭ふっとばすぞ!」
ドンタはその場で三回まわってワンと吠えた。
「2かける3は?」
ドンタは六回吠えた。
寺田の目がさらに座った。
「最後の質問だ。俺はお前が捕まえた宝石店強盗の一人だ。俺たちは何人だ?」
ドンタは六回吠えた。
寺田は得体のしれない何かを見るようにドンタを見た。
「やっぱりな。てめえ人間だな。そうだろう?」
目はすわったまま、口だけが笑っている。
「じゃねえとあん時のてめえの動きは説明できねえもんな。今のではっきりした。おめえは人間だ。さもなけりゃあ悪魔かなんかだ」
と寺田は言った。
あん時とはもちろんドンタが五人を捕まえた宝石強盗事件の事だ。
まだ選抜部隊のエースだったドンタが、休日に百香に連れられて散歩している時の事だった。
少し先の宝石店に覆面をした三人が押し入るのを偶然に見つけた。
事態に気が付いていない百香のリードを持つ手を振り払うと、ドンタは宝石店に走った。
ドンタが着いた時には案の定正面扉はすでに閉められていた。
店の周囲を周ったドンタは、壁際の窓がひとつ開いているのを見つけた。
その壁に沿わせて置かれていたゴミ箱を踏み台にして飛び上ると、ドンタはその窓から宝石店内に入り込んだ。
窓の先はトイレで、そのトイレは幸いにも自動扉だった。
ドンタはトイレから出てそっと店の方へ進んだ。
寺田達が三人の店員と客の二人、二人の警備員を縛り上げ、目隠しと猿ぐつわをし終わったところだった。
そこで強盗団の一人がドンタに気づいた。
「おい。犬がいるぞ」
と言った。
「あ?」
そう言って寺田は犬を見た。
ただの柴犬だった。
「そんなもん放っておけ。急げ」
寺田達は目的のお宝を袋に詰め始めた。
ドンタは状況を確認した。
人質は七人。
強盗は三人。
全員ライフル銃を持っている。
旧式だが、見た感じ本物だ。
もし弾が入っていたとしても単発式。
三人なら倒せる。
ドンタが制圧行動に移ろうとした時、寺田が喚いた。
「おいっ!誰がサツ呼びやがった!」
もちろん警察など来ていない。
あらかじめ決められたセリフで、仲間を呼び込む合図である。
だがその声に反応しドンタは閉められたブラインドを見た。
パトランプの光は入ってこない。
音も聞こえない。
強盗たちはなぜ警察が来たと思ったのだろうか、とドンタは不思議に思った。
寺田はドンタがブラインドの方を見たのに気がついた。
が、その時はただの偶然犬が窓の方を見たのだと思った。
ドンタが店内の三人を見ると、これから警察が来るというのに覆面の下の三人の顔は笑っている。
やがてすぐに警官の格好をした三人の男たちが入ってきた。
「警察だ!動くな!銃を降ろせ!」
「やべえ!サツだ!」
その後、強盗団はそこで取っ組み合いをしている風の茶番劇を繰り広げた。
強盗が警察に捕まったかのように芝居をしたのだ。
「みなさん。ご安心ください。強盗は捕まえました。我々はこいつらを連行します。すぐに救援が来ますので、そのままでお待ち下さい」
そういうと強盗団はそのまま逃げようとした。
三人が着ている警察服は本物だったが、ここにいる六人全員がグルなのだ。
逃走時間を稼ぐための茶番劇だ。
敵の手口を理解したドンタは強盗団に襲いかかった。
すぐ目の前の男に一直線に駆けたドンタは速かった。
「なっ、なんだ!?」
男が声を出した時にはもうドンタは男の股間に噛みつていた。
「こ、こいつ!」
他の強盗は呆気に取られてその様子を見た。
こんな時に犬と戯れる仲間を呆れる者や笑う者がいたが、皆正体を知られないように声を押し殺している。
寺田だけが冷静にその様子を見ていた。
"なんだ?何が起きている?"
股間を噛まれた男はドンタの頭をつかみ自分から引き剥がそうとしたががっちりと咥えたドンタは全く離れない。
「いててて!何しやがる!離せ!」
たまらず男が叫んだ。
ドンタは心の中で唱えた。
「喰らえっ!ローリング・アリゲーター!」
がっちりと噛みついたままのドンタは、体軸を中心に体をグルグルと回転した!
「ぐあああっ!」
このままでは股間がもぎ取られてしまう。
男はたまらずドンタの回転方向に合わせて体をよじる事で、ドンタの回転から逃れようとした。
しかしドンタの回転の方が数倍速かった。
男が泡を吹いて気絶したのを確認するとドンタは間髪入れずすぐ横の男たちにも同様の技を繰り出した。
瞬く間に三人の男がローリング・アリゲーターの餌食となって泡をふき気絶し床に倒れた。
ドンタは、ぺっ、と唾をはくと、制服組の残りの三人を見た。
ドンタは舌を出し、はあはあとしているが、息は全く切れていない。
ドンタの鋭い眼光が男たちに今自分が置かれている危険を知らせた。
「な、なんだこの犬は!やべえぞ!」
寺田の手前にいた二人の男はドンタの迫力に押され、背を見せて逃げ出した。
瞬時に飛んだドンタが手前の男のズボンの裾に噛みつくと、その男はつまずきながら、自分の前を行く男の服をつかんだ。
二人の男がその場で転ぶと、すかさずドンタは二人の顔に飛び乗り、脚の爪を立てて男たちの顔をひっかいた。
「ぐあっ!」
「だあっ!」
まぶたをひっかかれ男たちは両手で顔を多いその場で悶絶する。
一匹の柴犬に仲間がやられていく様を、寺田はなかば放心状態で見ていた。
何が起きている。
ただの犬じゃないか。
いったいどうしたっていうんだ。
寺田の方を振り向いたドンタは唸り声を上げ、寺田との距離を一歩ずつ縮め始めた。
我に返った寺田は持っていたライフルを構えた。
だが銃口はドンタにではなく、人質の女性店員に向けられていた。
"あれ、おれ何やってんだ。
これじゃあ意味ねえだろ。
犬だぞ。
犬に人質の意味なんか...。"
しかしその犬は動きを止めた。
寺田は訳がわからなかった。
遠くの方でパトカーのサイレンの音がした。
「う、動くなよ。動いたらこいつ殺すからな!動くなよ!」
寺田は店員を引き立てると店員に銃を向けながら裏口から出た。
そこで店員を蹴り飛ばした。
店員は扉の前でうずくまり、その店員がつっかえとなり扉は中から開けられなくなった。
寺田は外に止めてあった車に乗り込むとアクセルを踏み込み逃走した。
ドンタが窓から外に出ると、ちょうど百香の通報で駆けつけた警官たちが宝石店に到着したところだった。
そこに新人の嘱託警察犬たちもいて、デビューしたばかりのクロコもいた。
犯人たちの血で染まった爪をぺろりと舐めた鋭い目つきのドンタにクロコはドキドキした。
"ドンタ様、いつもながらなんてかっこいいのかしら♡"
「クロコ」
とドンタがクロコを呼んだ。
「はいっ♡」
「一人逃した。店内に奴が握ってた宝石袋がある。匂いが残っていたら覚えておけ」
「はいっ♡」
「クロコ」
「はいっ♡」
「良い返事だ。がんばれよ。困ったらいつでも俺を頼れ」
「はいいっ♡♡」
「ドンタ!」
百香が駆け寄ってきてドンタを抱きしめた。
「大丈夫?ごめんね気づかなくて」
半泣きで見つめる百香に
「大したことはない。一人逃してすまん」
とドンタは犬語で言った。