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小道の決闘

西を引っ張るように小道を登るミミは、向井さんの匂いを強く感じていた。


もうすぐ向井さんのところだ。


待っててね、今助けるから。


さらに強く駆け出したミミの力に負けて西の手からリードが離れた。


ぴょんぴょんと嬉しそうに小道を駆け上るミミを、息遣いの荒い西が微笑んで見上げた時だった。


銃声が鳴った。


刹那、弾はミミの腹に命中し、ミミは道端へと弾け飛んだ。



目の前で鮮血を飛び散らせたミミを見た西は、ほんの一瞬頭が真っ白になったが、尋常でない事が起こった事をすぐに察した。


「きゃああっ!」


西の悲鳴が山に響いた。


疲れも忘れて駆け上った西の足元に、ミミが血を流して倒れている。


西は地面にへたり込んだ。


「ミミ...!ミミ...!いやあっ!」


腹から血を流し苦しそうに息をするミミの頭を両手で抱きしめながら西が泣き叫んだ。


「ちっ!別の犬か」


道端の木陰からぬっと現れた男は、犬が柴犬ではない事を見てとるとそう吐き捨てた。


「どうして...どうしてこんな...」


男を見上げた西は泣きながらつぶやいた。


「けっ!そんな犬っころ一匹でわめくなババア。てめえも殺すぞ」


硝煙の匂いが立ち込める銃を持つ男は、近づくやいなやミミを踏みつけようとした。


とっさに西がミミに覆いかぶさり、男の足は西の背中を蹴った。


「ぎゃっ!」


悲鳴をあげた西の背中を、男は何度も踏みつけた。


ミミを蹴らせまいと覆いかぶさってかばい続ける西は、背中にどれほどの痛みを受けても決して動こうとはしなかった。


それを見て男はさらに逆上した。


「どけ!その犬蹴り殺してやる!」


「いやっ!やめて!」


「じゃあ代わりにてめえが死ねっ!」


憎悪の形相を浮かべた男の登山靴の硬い靴底が、西の柔らかい背中にめり込み、肉と骨が悲鳴を上げた。


涙を流して絶叫しながらそれでも西はミミを離さなかった。


「ごめん...。ごめんなさいミミ...。ミミ...」


西は泣きながらミミの名を呼び続けた。


その様子を、瀕死のミミが感じていた。


目は虚に半目で、耳も遠くなっている。


しかし、西が凶暴な人間に襲われているのははっきりとわかった。


こ、こいつめ、やめろ、みなみちゃんに何するんだ...。やめろ、やめろよ。


動かない体で口をぱくぱくと動かす。


「オラオラババア死ねコラ!お前が死んだら次はそのクソ犬だ!」


蹴られ続けた西は、もう悲鳴も出なくなっていた。


ミミは西が自分を助けようと覆い被さっている事を理解した。


「ご、ごめんなさい、みなみちゃん…」


みなみちゃんを守らなきゃ。


僕は警察犬になったんだ。


悪い奴をやっつけるんだ…。


しかし、体が全く動かない。


遠のく意識の中で、ミミは自分に絶望した。


僕は向井さんを助けられなかった。


悪い奴を捕まえたかった。


みなみちゃんを守りたかった。


でもなんにもできなかった。


僕は警察犬になれなかった。


やっぱり僕には無理だったんだ…。


ミミの目が、ゆっくりと閉じ始めた。


「ミミ…、ミミ…」


ほとんど意識のない西の口から、ミミを呼ぶかすかな声が続く。


蹴り疲れた男は足を止めると、すぐ横の切り株に腰掛けた。


「けっ。シラケるわ。そんなゴミ、さっさと死ねばいい」


そういうと男はポケットからタバコを取り出し火をつけた。


男は、寺田准一てらだじゅんいち三十七歳。


三輪市で起きた宝石強盗犯行グループのリーダーであり、元警察官だった。


寺田は警察官時代、態度不良で度々叱責を受け、最後には上司を殴り警官を懲戒免職になり、その後職を転々としている間にいつしか強盗の一味になった。


寺田は元警察官であるという経歴を買われ重宝された。


残忍な性格が性に合ったのだろう。


すぐに強盗団で頭角を現すと、リーダーになった。


寺田たち宝石強盗の手口は実に単純だった。


目星をつけた宝石店に覆面をした仲間三人が押し入り、店員を縛り上げて目隠しをする。


その後警察官を装った寺田達残りの一味が現れ、逮捕したと見せかけ六人全員が逃げる。


縛り上げた店員達は事件が解決したと思い、救出されるのを縛り上げられたまま待ち続ける。


こうして実際に警察がかけつけるまで十分な時間を稼ぎ逃亡する。


単純な筋書きのこの仕事は毎回驚くほどうまくいった。


寺田を含めこの六人の強盗団はこれまで各地を転々と渡り歩き、何度も同じ手口で犯行を繰り返してきた。


もう十分に稼いだ六人はこれで最後にしようと決めて、三輪市の宝石店に押し入った。


そこで、誤算が生じた。


その時を思い出した寺田は歯ぎしりをして煙を吐いた。


犬だ。


あの犬さえいなければ。


一匹の犬のせいで五人の仲間が捕まった。


捕まった仲間の一人が自白し、隠しておいた宝石の大部分は警察に見つかり押収された。


一人だけ逃げおおせた寺田は、高飛びして自分だけ逃げるという手もあった。


細々となら身を隠して暮らせる程度の金はあった。


強盗団とはいえ、仲間にたいして情があるわけでもない。


しかし寺田は逃げなかった。


逃げずに潜伏した。


なぜ俺が怯えて生きなければならない。


そんなのはクソ喰らえだ。


あの犬を殺す。


そのために寺田は情報を集め策を練った。


あの犬はドンタという犬で、凄腕の警察犬だとわかった。


だが、寺田が潜伏中に選抜部隊を辞め、三輪市で嘱託警察犬になっている事を突き止めた。


嘱託警察犬は行方不明者の捜索にも顔を出すはずだ。


寺田はドンタをおびき寄せて殺す事にした。


三輪市には山がある。


ここにのこのことやってくる老人の一人や二人を痛めつけて動けなくすれば、あの犬が来るはずだ。


嘱託警察犬として。


幸いこの三輪市には、正式な警察犬の制度はない。


つまり、警察官は押し寄せてこない。


有志団体「わんこの会」が仕切る捜査には監督として警察官が一人来るだけだ。


犬と遊んでる警官なんて屁でもねえ。


なんならあの犬とまとめてぶっ殺してやる。


寺田は闇マーケットで銃を調達した。


強盗に使う脅し用のニセモノではなく、撃つための本物の銃だ。


銃は、警察時代に慣れ親しんだものを選んだ。


ニューナンブM60。


弾は売人が呆れるくらい大量に買った。


すべての弾を打ち込んでやる。


目を血走らせた寺田は、タバコを噛みながら怒鳴った。


「ドンタ!くそみたいな名前のくそ犬がっ!さっさと出てきやがれ!」


寺田は装填されていた残り五発の弾丸を空に向けて撃った。


そしてジャケットのポケットにパンパンに詰め込んだ裸の新品の弾丸を取り出し、手慣れた手つきで素早くレボルバーに装填した。


その様子をすぐ近くの木陰に隠れていた百香とドンタが見ていた。


"ミミが!西さんが!早く助けなきゃ!"


焦ってさらに近寄よろうとした百香の半ズボンをドンタが噛んだ。


百香がドンタを振り返るとドンタは何かを目で訴えていた。


「お前がここで出て行ってもどうにもならん」


ドンタは百香が寺田の前に飛び出して行きそうで怖かった。


「俺が行く。お前はここにいろ。動くんじゃない」


ドンタは目で気持ちを伝えた。


「ドンタ…」


迫力のある眼光に圧倒され、百香は動くのをやめた。


ドンタは向き直ると、木陰から寺田を見た。


ちくしょう。


こんな事になるならもうちょっと鍛えておくべきだった。


体はずいぶんなまっている。


だが、今更言ってもしょうがない。


今奴は六発弾を込めた。


俺がさっさと奴を止めないと、ミミや西さんが危ない。


それに、西さんやミミたちを助けようとして百香が奴の前に出ていきかねない。


それだけはだめだ。


このまま一気に行くか。


奴が俺を撃ったとして、俺なら奴の弾をかわせる。


なまった体だが、この距離ならかわせる自信はある。


だが、西さんとミミは奴の目の前だ。


奴の手元が狂って、あるいは奴の気が変わって、彼女たちを撃たないとも限らない。


だめだ。


状況が奴に有利すぎる。


もうひとり、使える奴がいれば。


「ドンタ。一人でいっちゃダメだよ。私はあんたの飼い主なんだからね」


百香がしゃがみ込んでドンタに小声で話しかけた。


「お前は余計なことをするな。ここにいればいい」


ドンタは肩越しに百香を振り返り目で語った。


が、通じている気がしなかった。


ああ、歯がゆい。


言葉が通じねえ。


いつもはこんなに歯がゆくねえのに...。


その時、少し遠くから声がした。


「おーい。誰かいるのかねー。撃たないでくれよー。俺はクマじゃないぞー」


高井の声だった。


緊迫感が出ないように、間の抜けた風を装っている。


なかなかの演技力だ。


高井が自分たちの存在を知らせるために出した合図だった。


「高井さんだ!」


百香はぎゅっとドンタを抱き寄せた。


百香の体は震えていた。


「やるじゃねえか小僧。向こうの崖を登ってきたのか。て事は…」


ドンタはニヤリと笑った。


「すでにあの魔女犬もどっかにいるってこったな」


辺りを見渡したが、クロコの気配どころか匂いもしない。


いったいどんな魔法を使えば自分の匂いを消せるというのか。


だが、クロコがいるなら奴を倒せる。


ドンタはぶるるっと身震いして百香から離れると、百香をじっとを見た。


「いいか。出て来るんじゃないぞ。じゃないと父さん怒るからな。ゼッタイだぞ」


百香が止める暇もなく目の前の小道へ飛び出すと、ドンタの姿が寺田の視界へ入った。


小道はまっすぐ続いている。


ドンタの目の先、十数メートルのところにミミに覆いかぶさる西がいて、そのすぐ後ろに寺田がいる。


「ドンタ...」


百香は木陰からドンタを見つめた。


ドンタにそこを動くなと言われたような気がした。


それ以上に、怖くて動けなかった。


小道の真ん中に躍り出たドンタは、切り株に座る寺田と静かに睨み合った。


十二メートル、ってとこだな。


ドンタも寺田もほとんど寸分なく互いの距離をとらえた。


寺田は大きく吸いこむと鼻からもくもくと煙を吐き出し、ぺっ、とタバコを吐き捨てた。


「出たなバケモン。てめえだきゃ許さねえ。来いコラくそ犬。殺してやるよ」


寺田は切り株から立ち上がると、ドンタ同様小道に出た。


半身になって右手に持った銃をドンタに向けて構えた。


百香は震えて体がすくんだ。


どうしよう。


お父さん、私どうしたらいいの?


ドンタはまっすぐに寺田を見た。


"こいつ、やべえ目してやがる。ぐずぐずしてると西さんも撃たれるかもしれねえ"


一気に行くしかねえ。


ドンタは覚悟を決めた。


前脚を一歩前に出した。


それに反応するように、寺田が一発撃った。


弾丸はドンタの目の前三メートルのことろに当たった。


距離を測った一発だ。


ドンタは寺田の射撃の腕が悪くない事を察すると、左右に飛びながら寺田めがけて一気に走った。


寺田は一発、また一発と弾を撃つ。


が、当たらない。


レボルバーには残り三発。


寺田はさらに二発続けて撃った。


一発がドンタの顔をかすめた。


距離はもう数メートルのところにいた。


寺田は空いている左手を後ろにまわすと、ズボンの背中側に差していたもう一丁の銃を取り出した。


そして今取り出したばかりの銃をドンタに向けると、残り一発が入っている右手の銃を西の頭に突きつけた。


寺田の交差した両腕の先に握られた二丁の銃は、それぞれが狙った対象を撃ち抜ける距離にあった。


「そこで止まれバケモン」


ドンタは急ブレーキをかけてその場で停まった。


約四メートル。


寺田の腕なら十分に当てる事の出来る距離だ。


「はっはっは。やっぱりか。おめえ。人間の言葉、わかってやがるな」


寺田は目を見開いて笑った。

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