それぞれの行く道
ミミは向井さんの匂いを他のどの犬より真っ直ぐに追った。
途切れ途切れに続く向井さんの匂いを、ミミの鼻は正確に掴んでいた。
木々の中のくねる小道をミミは駆け足で登った。
しばらく登ると西が早々に泣きを入れた。
「ちょっとミミ…。少し休ませて…」
ミミは息を弾ませる西を振り返った。
小道の後方、自分たちのずいぶん後ろを数匹の他の犬達が進んできていた。
皆にずいぶん先行していたミミは、他のみんなが自分について来たように感じた。
「もしかして僕、ほんとにすごいんじゃ?」
早く先へ進みたいミミをよそに、汗だくの西は道端の大きな石の上に腰かけ水筒を取り出してお茶を飲み始めた。
「みなみちゃん、もう疲れちゃったのかな。しょうがないな」
ミミは西の横にちょこんと座った。
後続の人と犬たちがミミたちの前を通り過ぎていく。
「ああもう。みんな行っちゃうよ。みなみちゃん。まだしんどいのかな」
手ぬぐいを出して汗を拭う西の周りを、そわそわしたミミがくるくると廻った。
「はいはい。行きますよ。チョット待ってね」
西は水筒と手ぬぐいを小ぶりのリュックにしまって立ち上がり、ミミを撫でると再び歩き始めた。
十五分ほど進むと、西とミミは小道の分岐点に差し掛かった。
道は左右に別れていて、どちらも同じような道に見えた。
西は、皆が左へ進んだのを見ていた。
後方から遠目ではあったが確かに見えていたので間違いない。
当然左だろうと思い、西は左の小道へ行こうとした。
するとミミが立ち止まった。
「違うよみなみちゃん。そっちじゃない。向井さんはこっちに行ったんだよ」
ミミは右の小道へ西を引っ張った。
「え?ミミ?そっちなの?」
実際この分岐点の向井さんの匂いは紛らわしいものだった。
なぜなら向井さんはここを数回行き来していた。
他の犬達は、ここで迷った。
そして、最初の犬が行った方へ皆ついていったのだった。
ミミだけが鋭い嗅覚で、今現在向井さんのいる方向を正確に把握していた。
西は皆と同じ左の方が安心な気がしたが、ミミに引っぱられて右の道へ進んだ。
クロコはその頃、皆が進んだ小道ではなく、山の南側にまわり込み、急斜面を登っていた。
獣道とすら言えないほどで、崖と呼んでもよい険しい道だった。
高井はクロコを全面的に信頼していて、捜索の時はリードを付けていない。
クロコは崖の斜面をカモシカのように登ると、崖の上で高井が登ってくるのを待った。
登りきった高井がクロコを撫でると、再びクロコは登り始めた。
道はどんどん険しくなっていった。
いくら向井さんが元気だとはいえ、老人が登れる道ではない。
だが、高井はクロコに何も指示を出さなかった。
高井はわかっていた。
クロコの目はきっとすでに何かを見ている。
そしてその鼻は何かを嗅ぎつけている。
僕はただクロコに身を任せ、そしてクロコを守るのみだ。
高井はいつものようにクロコの背中を追った。
一方ドンタと百香は、ミミやクロコとも違う北側から山へ入った。
宝来山の北側には山頂付近から続く一本の川があった。
川の上流は水量も多く険しい岩だらけだったが、中ほどより下流は浅い川となって山裾まで続いている。
二人は小石の積もる川端を、川を右手に見ながら登った。
川を横目にドンタは思った。
「この山で水源はこの川しかねえ」
クロコもいる今日のメンツなら、向井さんはすぐに見つかるだろう。
だが、ここにいるもうひとりの人間が何者なのかを突き止めて置く必要がある。
そいつは必ずこの川のどこかに跡を残しているに違いない。
百香を引き連れず自分だけで行きたいところだが、そうもいかない。
その謎の人間を遠目に確認したら、すぐにその場を離れて皆と合流だ。
何事もなければいいが。
一抹の不安がドンタの心にモヤをかけた。
こうしてミミと西は山の森を中央の小道から上へ、クロコと高井は南側の急な斜面を、ドンタと百香は山北の川沿いを登った。
この時ドンタは、ドンタだけでなくその場の誰もが、クロコでさえも、その何者かの匂いがなぜこれほどしないのか、という事に気がついていなかった。