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新人犬ミミとスーパードッグクロコ

女子寮を出て少し行くと大通りがあり、そこに迎えのワンボックスカーが停まっていた。


車の前には制服姿の一人の警察官が姿勢正しく立っていた。


近寄ってくる百香達を見つけるとまだ距離があったがその男は大声で


「本日もご協力ありがとうございます!」


とにこやかに敬礼した。


男の名前は大原満おおはらみつる二十八歳。


長身で細く見えるが実は非常に筋肉質で空手柔道剣道合わせて十段の腕前を持つ。


三輪市の嘱託警察犬有志団体「わんこの会」に参加するただ一人の現役警察官であり、この会の指導者の一人でもある。


実は、百香たちが住むこの三輪市は警察犬の制度がない。


つまり、直轄警察犬が一頭もいない。


そればかりか、三輪市警察として嘱託警察犬を用いた捜査を行なった事すらない。


理由はふたつある。


この町が基本的に平和であり、そして、警察署長が大の犬嫌いなのである。


この町に警察犬など必要ないと署長は常々語っていた。


だが、数年前にこの町で初めて凶悪事件が起き、それをたまたま居合わせた一頭の警察犬が解決した。


他ならぬドンタである。


この三輪市宝石強盗事件をきっかけとして、市民から警察犬を用いた捜査を取り入れるように多くの声が寄せられた。


だが署長は予算と人員の不足を理由にそれを拒否した。


怒った市民は市議会に働きかけたが、確かに町には余剰の金はなく、警察犬導入の予算を得るには至らなかった。


しかし市民たちは諦めずに民間人による嘱託警察犬を用いたボランティア活動を行う市民団体「わんこの会」を発足させた。


この団体の発足には市長や市議会も協力した。


当初は行方不明者の捜索など比較的安全な活動に限定し、有志の民間人だけで運用する予定だった。


が、署長はそれにも反対した。


素人が勝手に警察気取りで捜査などされては迷惑極まりない、というのである。


とはいえ、宝石強盗事件解決を目の当たりにした市の世論は収まらなかった。


事態が署長退任論にまで発展すると、署長は条件付きで「わんこの会」の発足をしぶしぶ認めた。


その条件とは、「わんこの会」に非番の警察官1人を管理指導者として派遣し、捜査はその警察官の指示に従う事、そして、会のもたらすいかなる結果についても署長の責任ではなく市長と市議会が負う事、というものである。


すなわち、警察組織としては「わんこの会」には何も協力しないし責任も署長の自分にはない、だが捜査は警察の指示に従えというものであった。


市長や市議会、市民はその条件を飲んだ。


こうして、三輪市に「わんこの会」が誕生した。


管理指導者には、大の犬好きを理由に大原が選ばれた。


大原は、「わんこの会」が大好きだった。


忙しく生きてきて、犬を飼う事はできないと諦めていたのに、定期的に犬達と触れ合う機会を得た。


同僚の警察官からすると非番の日にも仕事をさせられているようにも映ったが、当の大原は最高の休日を得たと感じていた。


「おはようございます大原さん!今日もよろしくお願いします!」


元気に挨拶した百香を笑顔で迎えた大原は、車の後部座席のドアを開けた。


車の中にはふくよかで小柄な中年女性とその膝に座る茶毛のトイプードルがいた。


初見の女性と犬である。


「おはようございます!」とその女性に挨拶をして車に乗り込んだ百香がシートベルトを締めると、運転席に着いた大原は車を発進させた。


星空百香ほしぞらももかって言います!こっちは私の相棒のドンタです!」


と百香はその中年女性に自己紹介した。


「おはようございます。私は西と申します。私なにぶん今日が初めてで、緊張しちゃって…。星空さんはベテランさん?」


西は笑顔を浮かべおっとりした口調で話した。


「ベテランってほどでもないんですけど、何回か参加してます!」


百香はそう言って笑うと、トイプードルを見た。


きれいにトリミングされたその犬はキラキラした目で百香を見てパタパタとしっぽを振った。


「かわいいですね!」


「ありがとう。この子ミミって言うの。二歳の男の子よ。臆病な子だったんだけど、訓練を受けてすっかりたくましくなっちゃって」


微笑んだ西の顔は、どことなく恵比寿様に似ている。


ミミは若者らしいいい目をしていた。


これから自分が活躍するのだという期待と興奮が見てとれた。


「おう若いの。よろしくな。俺はドンタだ」


ドンタは犬語でミミに言った。


「えっ?!ドンタさん?!あの、おはようございます、はじめまして。僕ミミです!」


ミミは真っ直ぐにドンタを見つめて言った。


「あの、ドンタさんって、あの三輪市宝石強盗事件で大活躍されたあのドンタさんですよね!?僕ファンなんです!」


ドンタは照れて目を逸らしたが、ミミはまっすぐにドンタを見つめて尻尾を振っている。


"そんなまっすぐな目で見つめられてもなあ"


「ドンタなんて名前の犬、他にいねえだろ」


と照れ隠しに強がって見せた。


自分を見るキラキラ輝くミミの目がどうにもバツが悪い。


「大活躍ってほどでもねえよ。まあ昔のこった。気楽に行こうぜ」


久々に自分の事をファンだと言う犬に出会い、調子が狂うなあと困惑したドンタは照れて窓の外を向いた。


三輪市で凶悪犯の強盗逮捕に貢献したのはもう結構前の話しで、最近はほとんど誰もその話しをしてこなかった。


ミミはお構いなしにドンタに話し続けた。


「あの、実は僕ドンタさんに憧れてこの世界に入ったんです。ご近所だって知ってたから会えたらいいなって思ってたけど、本当に会えるなんて僕すごくラッキーです!」


ミミは自分がいかにドンタのファンかを延々と話した。


「わかったから、まあ落ち着け、な。気楽に行こうぜ」


今のドンタは嫌々この活動に協力している。


昔は自分が犬として生まれてきた犬だと思っていた。


というか、そんな事すら考えた事がなかった。


ただ普通に犬として生きていた。


飼い主の百香が喜んでくれたらと、いろいろ一生懸命に頑張ってきた。


しかし、ある時から毎晩のように夢を見るようになった。


それは自分が人間で、娘である百香を助けようともがく夢だった。


それからドンタは自分が元人間で、犬に生まれ変わったのだと思うようになった。


今は犬だけど自分は人間だ、と思うようになってから、犬なのにそんなにがんばっても仕方がないと思うようになった。


ぼーっとしていても飯は出る。


飯は毎回さしてかわり映えしないが、まずくはない。


雨漏りするし小さいが犬小屋もある。


クーラーはないが外は風通しが良くて意外と心地良い。


それまで警察犬のエースだったドンタはいろいろとやる気を無くし、選抜部隊を辞めた。


それから、気を張らずに生きるようになった。


そうやって生きているうちに、それはとても幸せな生き方な気がしてきた。


出来るならずっと家で寝ていたい。


起きて食ってたまに走ってくそしてまた眠る。


それも自分の娘に可愛がられながら。


犬、最高じゃないか。


そんな時、百香たちが地元で「わんこの会」を立ち上げた。


嘱託警察犬として活動すると百香が喜ぶし、百香だけを参加させるのも心配だ。


ドンタは乗り気ではないものの、「わんこの会」の活動に参加する事にした。


が、それは百香が行くからしょうがなく行くだけであり、本当なら行きたくなかった。


やる気に満ち溢れていた昔の自分はもういない。


憧れと言われても困ってしまう。


眩しい若者がそばにいると、なんだか自分がダメ人間な気がしてくるのだった。


それに、若くて希望に燃えるこのトイプードルに、ドンタは何か危うさを感じた。


「お前今日が初日なんだろ?だったら無理するな。今日は慣れるだけでいい。いいか。よく聞け。これは大切な事だぞ?最初から張り切っていい事なんか何もねえからな」


ミミを落ち着かせようとしてドンタが話しているうちに、一行を乗せた車は捜索場所へ着いた。


宝来山たからぎさん


三輪市で一番高い標高八百メートルのこの山に、きのこ狩りのために入山した向井智治むかいともはるさんが二日前から行方不明になっていた。


百香たちは向井さんの捜索のために今日ここへ集まった。


山の麓には、「わんこの会」に所属する他の嘱託警察犬がすでに何頭か集まっていた。


その中に一際ひときわ美しい毛並みの気品あるシェパードがいた。


名をクロコ。


三歳のメス。


飛び抜けて凄腕の真っ黒な嘱託警察犬である。


彼女はドンタが所属していた日本選抜警察犬部隊の現役リーダーをしている、日本有数の警察犬だ。



クロコの姿を見つけたドンタはしかめっ面をした。


「げ。あいつも来てんのかよ」


「あいつ?」


「ああ。お前はあんな風になるんじゃないぞ。あいつは優秀だが、性格が終わってる」


ドンタたちが近づくと、クロコが話しかけてきた。


「ちょっと。アンタまた来たの?」


「うるせえ。こっちだって来たくて来たんじゃねえ」


「どうせ何の役にも立たないんだから家で寝ていればいいのに。あ、もしかして...」


「なんだよ?」


「あなた私に会いに来たんでしょう?でもごめんなさい。柴犬はタイプじゃないの」


「ほんとおめでたい頭だな。悩みとかないだろお前」


「何言ってるの。あるわよ。そもそも美しすぎて困っているわ。私を見るとオスたちが盛ってしまってお仕事にならないの。あなたのようにね」


「俺は盛ってねえよ。だいたいそれなら来るなよお前」


「ほんとバカね、あなたって。私がいないと困るのよ人間たちが。ああ、美し過ぎるだけじゃなく優秀すぎる私。神様はなんて罪作りなのかしら」


「な、ミミ。言った通りだろ」


ドンタはミミの耳元で囁いた。


「あ、あの、クロコさんですよね!?初めまして、僕ミミって言います。今日が初めてなんですが、どうぞよろしくお願いします!」


ミミがそういってしっぽを振った。


「あら。私の事ご存知なの?」


「もちろんです!この業界でクロコさんの事を知らない犬なんていません!稀代のスーパードッグだって、みんな知ってます!」


「あはは。あなた正直ね。まあ楽にしてらっしゃい。私の動き、参考にするといいわ」


「おいミミ。お前は俺のファンじゃなかったのかよ?」


「え?あの、だってお二人ともすごい方たちで…。ドンタさんに憧れてるのはホントです。でも最近はクロコさんがとても活躍されているというか、かっこいいなっていうか…」


「まああなた、若いのに見る目があるわね。私と来ればいろいろ教えてあげるわよ。いろいろとね」


そう言ってクロコはミミに微笑みかけた。


ぽっと赤くなるミミ。


「おいミミ。騙されるな。こいつは妖術使いの魔女犬なんだぞ」


「誰が魔女犬よ。バカバカしい。あんたほんと引退すればいいのに」


三匹がじゃれていると、クロコの飼い主がやってきて百香に話しかけた。


「百香ちゃん!久しぶり!元気にしてた?」


クロコの飼い主は高井左京たかいさきょう


高井財閥の次男坊で、犬好きが高じて獣医になった。


政界や財界に強い高井財閥にあってとびきりの変わり種である。


もっとも、高井はたくさんの優秀な嘱託警察犬を排出する一流の訓練士でもあった。


ドンタは高井が気に食わなかった。


「大金持ちのボンボンめ。見た目が良くて金もあって血筋もよくておまけに性格も悪くねえと来やがる。百香をたぶらかそうたってそうは行かねえぞ」


ウーッと高井に唸るドンタに百香は


「こらドンタ。うーしないの」


といって頭をなでた。


「お久しぶりです高井さん!高井さんとクロコちゃんが来てくれたらすっごい心強いです!今日もよろしくお願いします!」


百香の笑顔に高井の鼻の下が緩む。


「いやあ百香ちゃんにそんな風に言ってもらえるなんて光栄だな」


高井は百香ともっと仲良くなりたくて、クロコの話しを始めた。


「クロコも今日楽しみにしてたみたいでさ。なにせクロコはドンタの事がす...」


ワンワンワンワンワンッ!


とクロコが吠えた。


「うるせえなクロコ!なんだよ?!」


とドンタがクロコに眉をひそめる。


ぷいっと顔を背けたクロコは高井を引きずってその場を離れていく。


「ちょ?!クロコ?!あ、百香ちゃん、無理しないでね!また後でお話ししようね!ちょ、クロコ?!まっ...」


クロコに引きずられながら高井は大原のいる集合場所へ行ってしまった。


「にぎやかだわねえ。いつもこんな感じなの?」


と西が笑った。


皆が和気あいあい話していると、捜査指揮官の大原が拡声器で話し始めた。

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