主従契約
「成程、自分の命を対価に友達を生き返らせて欲しいと」
悪魔が考え込む。
それにしても美しい悪魔だ。人型の悪魔は上位らしいから、きっとこの悪魔も結構強いのだろう。
「出来ないの…?」
「出来るかどうかで言えば、まぁ出来ますね」
その言葉に目の前が明るくなる。
じゃあ…!! と言おうとした僕を、けれど目の前の悪魔が止める。
「けれど、本当に貴方はそれでいいのですか?」
「ルインがいない世界なんて生きててもしょうがない! なら僕の代わりにルインに生きて欲しい……」
「その志は立派です。でも貴方はもっと強欲になっていいのですよ?」
「強欲に…?」
命の因果を乱そうとしているのだ、禁忌を侵すのは十分に強欲だと思うのだが。
「ルインを生き返らせて、そして貴方もその隣で一緒にこれからも過ごす。それぐらい願っても許されますよ」
優しい声だ。
恐怖や侮蔑を含んだ声とは全く別の、柔らかさしか含まれていない言葉がグランの心へと染み込んで行く。
「で、でも…対価が……」
「ありますよ。なに、必ずしも貴方の命を使う必要は無いのです」
麻薬のように、言葉の一つ一つが離れ難い魅力を持ってグランを惑わす。
そんな優しい声など今までかけられたことが無いグランは、その優しさに耐えきれず耳を塞いだ。
「大丈夫ですよ。他人を殺すのが嫌なら、他のものを奪えばいい。貴方の友人を殺した人間に対価を払わせればいい」
「でも、そんな酷いこと……」
「おや可笑しなことを仰る。先に奪ったのはあの人間たち。奪われたのはルインと貴方。それを取り戻すだけですよ」
ルインが殺されたなんて言っていないはずなのに、その悪魔は見てきたように囁く。
しかしその違和感にグランは気がつけない。彼の心は甘さに呑まれないように必死だ。
「心配なさらないで、命は奪いません。あぁ貴方は優しいのですね、奪われて尚復讐を躊躇うなんて。でもこれは復讐ではありません。取り戻すだけ、奪われたから奪い返すだけ」
「……奪い返すだけ」
「そうです。貴方が対価を払うことは無い。さぁ、覚悟が決まったのなら契約を。貴方の血を捧げ私に名を与えなさい。そうすれば私は貴方の従魔となりましょう」
「…分かった」
悪魔がニヤリと笑う。
「でも、条件がある」
「おや条件?」
「ああ」
拳を握り締める。呑まれるな、悪魔は人を堕落へと導く。
心が呑み込まれれば、最後には全てを喰われてしまう。
「1つ、僕の言うことに逆らわないこと
2つ、人に必要以上の危害を加えないこと
3つ、僕を裏切らないこと」
「それだけで宜しいので?」
悪魔がクスクスと笑う。
「それだけって……結構要求してると思うけど」
「それだけですよ。私にとってはね」
悪魔がしなやかに指を1つ立てる。
「なら私からも追加を」
「な、なに?」
「"私には嘘をつかない事"」
は?と間抜けな声が出る。
もっとえげつない事を要求されるかと思ったが、たったそれだけとは。些か拍子抜けだ、構えた僕が馬鹿みたいじゃないか。
「そ、それだけでいいなら…」
「はい、ならこれで条件は成立しましたね」
悪魔がグランの手を取り、そこに着いた血を指で掬い舐めとる。
その光景が余りにも美しく幻想的で、なにやら見てはいけないものを見ているような気分になる。
「血は頂きました。後は名前だけです」
「あ、あぁそっか名前か」
と言われてもパッと出て来ない。
暫く悩んだが、良い名前も思いつかない。ここは素直に何かにあやかった名前を着けておこう。
「じゃあ"リュツィ"……で、いいかな?」
「ほう、リュツィ…ちなみに由来をお聞きしても?」
「昔読んだ本に出てきた天使の名前をもじったんだ。その天使もキレイな赤い髪をしていたらしいから」
「おやおや、悪魔の私に天使の名前をつけるとは…」
「い、嫌だった…?」
言われてみればそうだ。自分は何を考えているのだろう。
当たり前のことに気づけなかったことに恥ずかしさが込み上げる。だが赤い顔を隠すように俯いたグランにかけられた声は、否定ではなく肯定であった。
「いえ、気に入りました。リュツィ、リュツィですか……フフフ、これから宜しくお願いしますね。マイマスター?」
「えっ、き、気に入ってくれたならよかった……こちらこそ宜しくね、リュツィ」
グランが悪魔の名を呼んだ瞬間、右の手の甲に焼け付くような熱が迸る。
その熱は手の甲を這いずり1つの紋章を浮かび上がらせた。
八芒星が描かれた、黒い紋章。
グランは悪魔との契約の証であるそれを眺める。
もう、後戻りは出来ないのだと。