悪魔召喚
「うっ…うぅ……」
踏まれてすっかり汚れてしまった服を洗う。横に置かれた眼鏡のレンズにはヒビが入っていた。
今日はまだマシだった、酷い日は泥だって被せられるんだ。それに比べたらこれだけで済んで良かった。
そう自分に言い聞かせても零れる涙を止めることは出来ない。
彼、 ─名前をグラン・ティタニアスという─ は、典型的な虐められっ子というものであった。
学園では周りに馬鹿にされ、雑用を押し付けられたり暴言を吐かれるのは当たり前。学園内に居場所はなく、かと言って実家からも疎まれている彼は学園寮の自室だけが唯一安心出来る場所であった。
彼がそんな酷い扱いを受けているのは、生まれつきの体質に原因がある。
魔法が当たり前のこの世界で録に魔法を使えないどころか、幼い頃から異常なほどの怪力を持ち、まだ幼かった頃にはそれが原因で周りに怪我をさせてしまう事もしばしば。
両親は実の子供でありながら異様な力を持つグランに怯え、全寮制の学園に彼を押し付けた。
高い身長もがっしりした体格も、もっさりとした青の長髪に猫背と陰気な雰囲気が合わされば不気味なものに見える。
気弱な性格も相まって、学園内でイジメの標的になるのは早かった。
入学して3ヶ月、イジメは酷くなる一方である。
大体の生徒は助けてくれることも無く、中には彼を気味悪がる者も少なくは無い。
それでも、彼は耐えられた。
心の支えがいたからである。
「チチチ」
「うん、大丈夫だよ。ありがとうルイン」
小さな青い小鳥がグランの肩に留まる。
この小さな鳥が彼の心の支えであった。
「今日はオレンジを買ってきたんだ! 甘いやつだからきっとルインも気に入るよ」
「チッチッ!」
床に置いた袋から綺麗なオレンジを1つ取り出す。
備え付けの台所から小さなナイフを取り、中身を食べられるように半分に切る。
「ほら、ルインの分だよ」
「チチチ…」
ルインが口をつける。どうやら気に入ったらしく、夢中で食べ始めた。
その様子を眺めながらグランも残りを食べる。
幼い頃、泣いていたグランの元へと飛んできたルイン。毎日のようにルインはグランの元へ訪れ、種族は違うものの友情が芽生えるのに問題はなかった。
学園に入る事になった時にも着いてきてくれたルインは、グランにとって唯一の友達であった。
この子がいれば大丈夫。僕は耐えられる。
ルインがオレンジを夢中で啄むのを見ていると、そんな気持ちが湧いてくる。
グランは、ルインさえいれば幸せだったのだ。
「……どう、して…」
翌日
水をかけられベトベトになってしまったが、何とかルインのオヤツは無傷で済んだ。
今日はちょっと奮発したんだ。甘くて大きな苺、ルインは喜んでくれるかな。
そう微かに笑って、ルインの反応を想像しながら扉を開けた彼の前に広がっていたのは、美しい青の羽が散らばった自室であった。
部屋の真ん中には、今日自分に水をかけてきたいじめっ子達。
彼らは何かを見てクスクスと笑っていた。
彼らが囲んで眺めているのはなんだ?
あの、足の下にあるのは、なんだ?
赤い小さな水たまりが広がっている。青い羽が浮いている。
ルインはどこだ、僕の、ともだちは
「やーーっと帰ってきたのかよ木偶の坊」
ニタニタと笑いながら声をかけられそちらを向く。
リーダー格である彼は、足の下にある『なにか』をグリグリと踏み詰りながらグランを嘲笑う。
「ダメだぜ? 鍵はちゃあんとかけとかないとな」
「不法侵入した俺らがそれ言うのかよ!」
「そもそも鍵をかけるなんて知能がこいつにあるのぉ?」
「おいおい可哀想なこと言ってやんなって、木偶の坊なんだからしょーがないじゃねぇか」
「きゃー! やっさしー!」
「あーあ、お前が帰ってくんの遅いから小さな小さな命が消えちゃったじゃん」
「可愛そぉ〜」
「こいつに飼われてたばかりになぁ」
「……おい聞いてんのかよ木偶の坊」
理解ができない。
こいつらは今なんと言った?
飼われてたって、小さな命って、まさか
その靴の下にあるのは
そこからの記憶は無い
気がつけば、寮の地下で召喚陣を描いていた。
魔法が使えない自分でも、対価と魔法陣さえあれば発動する召喚術は扱う事が出来る。
ルインのいない世界に、生きていく意味は無い。
でも、自分で死ぬ勇気もなければ方法も分からなかった。
魔法も刃物も通らない無駄に頑丈なこの体、殺せるとするならば魂に干渉出来る悪魔だけだろう。
この命を捧げたらルインは生き返るだろうか
自分がいない世界でも、ルインならきっと生きていけるだろう。
腕を噛みちぎり、魔法陣に血を垂らす。
血に触れた箇所から魔法陣が光り出す。
その光は魔法陣全体へと広がり、グランは余りの眩しさに目を瞑った。
突風が地下室を駆け抜け、グランはバランスを崩して尻餅をつく。
光と風が収まる。恐る恐る目を開けたグランの目の前に、1つの人影が出現していた。
翼のように広がった暗い赤の髪には所々に黄色や紫のメッシュ。
瞳は赤みがかった金色、その奥の瞳孔は八芒星を描いている。
背中にはコウモリのような翼。広げれば軽くグランの身長を超えるだろう。
白い肌にすっと通った鼻梁。全てが美しく整ったその顔は男とも女ともつかない。
恐ろしささえ感じる、人離れした美貌。
切れ長の瞳がグランを捉える。
思わずビクッと反応してしまうグランにその悪魔はクスクスと笑い、優しく微笑みながら手を差し伸べる。
「初めまして、古き血を引く少年。──私を召喚したのは貴方ですか?」