メリサとの再開
「メリ、サ……?」
リゼが案内してくれた部屋は、異様に暗かった。
昼日中と言うのに、光が入ってこない?
ツンと鼻に来る薬剤の匂いが、不安を掻き立てた。間違いない。ここにメリサがいるとすれば、絶対に怪我をしている。
薬剤の匂いは、俺が怪我をした時に塗る、軟膏の匂いに似ていた。
「メリサ!」
呼び掛けるけど、反応がない。
本当に、ここにいるんだろうか……?
それにしても、暗い。異様に暗い。
メリサどころか、家具すら見えない。
訝しみながら辺りを見渡せば、窓には分厚いカーテンが引かれていた。
暗いはずだ。窓すら開けていないじゃないか……!
俺は眉をしかめた。だって、メリサらしくない。
本当にここにメリサがいるのだろうか?
いつものメリサだったら、空気が淀むことを嫌っていた。
それなのに、こんな場所に好んで篭もるだろうか?
それとも強要されているのか?
「……」
けれど先程フィデルの部屋に施されたような、魔術牢は存在しない。
……でも、おかしい。
メリサが無事なら、この本邸にいる理由がない。離れの、今までいた俺の屋敷にいればいい話だ。だけどリゼは、メリサがここにいると言った。
俺のせいで、メリサは捕まったのだとばかり思った。だって俺もついさっきまで、閉じ込められていたから。
だけどここは、牢屋じゃない。
逃げようと思えば逃げられる。
さっきドアを開けたけれど、鍵は掛かっていなかった。
いや、掛かっていたとしても、普通のドアの鍵だ。中から簡単に開けることが出来る。
けれどメリサは、この部屋にいるようだ。中に人の気配がする。
と言うことはメリサは、罪人としては扱われてはいない……?
それとも怪我が酷すぎて、逃げられない……?
「……っ」
俺は唇を噛む。
メリサの状況が心配でここまで来たけれど、見るのが怖い。
ひどい怪我をしていたらどうしよう? 俺はどう償ったらいい?
いやその前に、本当にここにいるのは、メリサなのだろうか?
俺は不安になる。
そう、だ。メリサであるとは限らない。
そもそもリゼはゾフィアルノ侯爵家の制服を着ていた。俺の味方ではなくて、フィデルの味方と見て間違いなかったのに、なんで俺は信じたんだろう? 騙されている可能性だって十分にある。
え……もしかしたら、ここにいるのってメリサじゃない?
「……」
俺の歩みが止まる。
どうしよう。フィデルとかいたら……。
そう思って振り返る。
リゼに聞けば、何か分かるかもしれない。そう思った。
だけどそこには、リゼはいなかった。
「え? リゼ……!?」
慌てて廊下まで引き返したけれど、リゼの姿はない。
「……」
ということは、もう行ったのだろうか?
《いない》という事に、少し安堵感が戻ってくる。
俺を騙す……という状況は理解出来る。だってリゼの主はフィデルだから。
だけど、騙したことがバレるこの瞬間で、俺を取り押さえたり、部屋に閉じ込めたり、ましてや逃げ場を塞ぐためにこの場にいないってことは、騙していない可能性の方が高くなる。
……多分リゼは、俺の事を騙していない。と思う。
多分ここには、メリサがいるんだと思う。
「……」
俺はゴクリと唾を飲み込む。
リゼと取り交わした《計画》が、現実味帯びてきて、少し怖くなる。
俺たちは、さきほど計画を練った。
リゼがフィデルを誘導している隙に、俺とメリサは別方向で屋敷を抜け出しリゼの生家へと赴く。
けど──。
「早いよ。リゼ……」
俺は唸る。
まだ心の準備は出来ていない。
ここを出れば、確実にフィデルとは決別する。
だってそうだよな? 俺を魔術牢に閉じ込めたんだぞ?
片や俺は、その牢を破った上に、メリサを引っ掴んで逃げていく。昨日単独で家出したのとは訳が違う。
……本当はもう少し、考えたかったんだけど……。
俺は顔をしかめた。
でももう遅い。リゼがフィデルの所へ向かったとなると、急がなくてはならない。計画が水の泡だ。
「……」
俺はそっと天井を見る。
子どもの頃、俺が作った天井裏の秘密通路。
当時の俺は、バレていないとほくそ笑んでいたけれど、リゼとフィデルは知ってたそうだ。
知ってて知らんぷりしてたとか、タチ悪いよな?
だけど今回は、それを逆手に取ってフィデルを誘導する。
リゼは俺の居場所を知っている……とか何とか言って、フィデルを天井裏に登らせる。リゼはその間、先回りをすると言って、メリサのいるこの部屋へ廊下を通って俺を捕らえに来る。
だけど実際は、捕え損なうっていう寸法だ。一足遅かった……とでも言って。
……でもこれ、上手くいくのだろうか?
だってこの場合、普通リゼが天井裏へ確認に行くべきじゃないんだろうか??
だって身分的に見ればフィデルの方が上なんだよ?
足場の悪い天井裏を、身分の低いリゼが探し、フィデルが廊下からメリサの部屋へと来る……のが筋なような気がする。
リゼにも当然そう言った。
だけどリゼは《ご心配には及びませんよ》と言って笑った。
いやいや、そこ重要だからね?
嫌だよ俺。ドア開けたらフィデルとご対面……とか。
「……何かが色々と、おかしいんだよね」
俺は呟く。
さっきのめちゃくちゃ苦しかったリゼの強引な誘導の仕方といい、この計画といい。
……絶対変だ。
俺はギュッと胸を掴む。
まだ胸の奥底に、何かが突き刺さっているような変な感覚に、俺は眉をしかめた。
あの時リゼは、絶対何かを俺に仕込んだ。何かまでは分からない。だけどこの胸の奥の負担は、消えるどころかジワジワと体中に拡がっていく。
胸の奥底に穿たれた棘のようなモノが、ひどく気持ち悪かった。どうにかして、突き刺さったその感覚を拭い去りたかった。
けれどどうする事も出来ない。
……いっそこの胸を引き裂きたい……。
もやっとした気持ちを抱えながら、俺は考える。
この胸の違和感を作った原因は、確実にリゼだ。
手放しに信用するのもどうなんだろう? 少し警戒した方がいいかも知れない。
「……」
本当は、この屋敷を抜け出す前、リゼと一度会うことになっていた。
……まぁ、それは簡単だよね? 扉の前で待ってればいいんだから。
リゼは《生家までの近道を描いた地図を、お渡し致します》……と言ったけれど、地図なんて本当はいらない。
リゼの生家は、ずいぶん前……子どもの頃に知った場所だけど、道順は今でもしっかり覚えている。大切な友達の家。忘れっこない。
それに俺の身体能力をフルに発揮すれば、近道を知らなくても、例えメリサがいたとしても、あっという間に辿り着ける自信があった。
うん。だから俺は、早めにこの屋敷を出る! そうしよう!
フィデルはもちろんだけど、リゼを待つ必要なんかない。
リゼの屋敷の場所は知っているから、先に行って状況を整理した方がいい。本当にこれでいいのか、ちゃんと考えよう。
ダメだと思ったらすぐ帰って、フィデルに訳を話そう。
自分のワガママで、他の人間を巻き込まないためにも──!
……おや、そう思うなら今、話した方がいいんだろうか?
「……」
ふとそんな事を思い俺は慌てて頭を振る。
いや、ダメだ。
ここはフィデルが圧倒的に力を繰り出せるテリトリー。
フィデルがダメと言ったら、それがどんなに正しい事であっても悪になる。それだけは絶対に避けたかった。
相手の土俵で相撲をとるわけにはいかない。
そして、どんな場面でも、油断は禁物だ。
もしかしたらこれも、罠かも知れないんだから……。
「……」
どちらにせよ、まずはメリサだ。
メリサの状態を確認しないと……。
俺は溜め息をついて、ゆっくり部屋に足を踏み入れた。
「メリサ?」
真っ暗な部屋の中へ、俺は呼び掛ける。
答えはない。
けれどなにかの気配はする。
危険な生き物ではない。震えているのか、その振動が俺にも伝わってくる。
ひどく、怯えている──?
「メリサ? 怪我をしているの?」
出来るだけ優しく問い掛ける。
やはり、返事はない。
手探りで、ようやくベッドにたどり着いて覗いてみれば、誰もいない。
え? なんで?
俺は顔をしかめた。
やっぱりおかしい。何かが変だ。
「メリサ!?」
焦って周りを見た。
「!」
何かが、部屋の片隅で蠢いた。
けれどそれは、すぐに小さく縮こまる。
目を細めて見るが見えない。
あぁっ! もうめんどくさい……!
シャッ──!!
俺は分厚いカーテンを、勢いよく開けた!
「……っ!」
微かに悲鳴が聞こえた。
「メリサ!?」
慌てて振り返る。
メリサの身に、何かあったのでは! と心配になった。
「……。メリサ」
部屋の片隅に、メリサはいた。
棚の影に隠れるようにして、小さく丸まり、震えている。
俺の顔を見て、『ひっ』と引きつった声を上げ、ガクガクと震えた。
「メリ、サ……?」
サッと血の気が引いた。
……なに、この状況。
我が目を疑うってこんな事なんだろうって、実感する。
メリサの状態は、それほどひどかった。
ひどく脅えているように見えたから、俺は床に座ってみた。
立っているよりも、その方が威圧感はないだろうと思ったから。
けれどメリサの怯えは緩まない。
震えるように息を吸い、必死に足を隠すように、自分の体に押し付けた。
「……」
ずっと眠っていないように見えた。
メリサの姿を最後に見たのは、昨日のことだ。
昨日の夕方に見た。
時間にして十二時間は経っているかもしれない。だけど、そんなに会わなかったわけじゃない。一晩会わなかっただけだ。
それなのに、……すごくやつれている。
艶やかだった髪が乱れている。
窪んだその目はギョロギョロと俺を見て、まるで別人のように見えた。
「メリサ? ……あの、分かる? 俺、のこと……」
ドキドキと心臓の音がする。はち切れそうに痛い。
リゼが穿った棘と鼓動とが相まって、吐きそうなほどの目眩を覚えた。
「……っ、」
だけど倒れるわけにはいかない。メリサを救わないと──!
俺は必死に名乗りを上げる。
「俺。分かる? フィア、フィリシアだよ……!」
本当なら《六月》と名乗るべきなのかも知れない。だけどいつもメリサが呼んでくれていたその名前を、俺は使った。
どう考えてみても、目の前のメリサは、心が壊れている。
痛々しいほどのやつれ具合。両手足と首に、ぐるぐる巻かれた血の滲んだ包帯。そしてこの怯え。
六月の名前だと、反応してくれないんじゃないかって思った。
「!」
メリサの肩が跳ねた。
「フィ……、フィ……」
一生懸命、その名を口にしようとするけれど、震えて言葉にならない。
「メリサ……」
俺は少し近づいてみる。
ビクッとメリサは驚いて、頭を振った。
俺はそれを見て泣きたくなる。
「……分かった。近づかないから」
必死の思いでそう言って、俺は床に座った。そしてメリサを観察する。
メリサは怪我をしていた。手足に包帯が巻かれている。
着ている服の下から、少し包帯が見えたから体にも怪我をしているのかも知れない。
「……」
俺は顔を伏せる。見ていられなかった。
やっぱり、酷い事をされたんだ。
こんなに怖がって……。
「……っ、ごめ。メリサ……ごめん……」
謝って済むはずもない。
手足に綺麗に巻かれた包帯は、血が滲んでいる。
きっとすごく痛かったに違いない。
それを思うと、背筋に悪寒が走る。
やったのはフィデルだろうか?
どうしてそんな事、出来るんだ? メリサは俺たちの乳母だろう? 母親も同然だったじゃないか。
膝を抱いて、俺はうずくまる。
悲しくて仕方がない。どうすればいいか分からなくなる。
どうやったら償える?
傍に行きたくても、メリサは怯えてそれを許さない。
どうすればいいか分からなくなって、涙が溢れた。
「メリ、サ……」
謝ることも出来ずに、ぐすぐすと鼻水をすすった。
俺が、俺が傷つけた。
いつも俺を見守ってくれていた人なのに、俺が手放した。
自分の事ばかり考えて、疎かにした……!
どれくらい時間が経っただろう?
……でも、そんなに経ってはいないと思う。
不意に俺の傍に影が出来、ハッとして頭を上げる。
ドキッとした。もしかしたらフィデルかも知れない。
「!」
けれど違った。
相手はメリサだ。
俺はホッとする。
「メリ──」
「フィ……リシ……さ、ま」
絞り出すような、その声。
「……!」
悲しげなメリサの顔……けれどその顔は、少し微笑んでいるように見えた。
「だい……じょ……。メリ……が、守って……さし、あげ……」
言ってメリサは、俺を優しく包み込む。
そしてそっと頭を撫でてくれた。
「メ、メリサ! メリサメリサ……!」
言葉は続かない。なにを言えばいいのか分からない。
ただ泣きながら、必死にメリサの手を取った。
もう離したくなかった。
離したがために、心を抉られた。
メリサの手は細く小さくて、その手は震えていて、……痛みを耐えているかのようだった。
「なんで……、なんでそんな優しくするの……っ、」
いっそ責め立ててくれた方がマシだ。
お前が悪い! お前が勝手なことをするからだ! って怒ってくれればいいのに……。
「うっ、……うわあぁぁあぁぁ……」
俺はメリサに抱きついて泣いた。
もう、どうしようも無かった。
溢れてくる涙は止まらない。
小さな子どものように泣き叫んだ。
「……いい子。……いい子」
メリサはそんな俺の頭を、幼い頃そうしてくれたように、ひどく弱々しく優しく、撫でてくれた。
× × × つづく× × ×




