味方? それとも敵?
隠れなくちゃいけないことも忘れて、俺はカーテンから出た。
リゼだ。
小さい頃によく一緒に遊んだリゼだ。
相手は俺の声に驚いて、目を丸くする。
真っ赤な透き通ったルビーのような瞳。間違いない。リゼだ。
「あ」
そう思った途端、血の気が引く。
やべ。俺、今六月だ。
リゼはフィリシアの幼なじみ。六月の幼なじみじゃない。
リゼは、フィリシアが男だとは知らないじゃないか。
「っ、」
しくった。
だけど後悔しても後の祭りだ。思わず出てきてしまったから。
どうする? 逃げる?
でも、リゼ相手に逃げられるだろうか?
リゼはこのゾフィアルノ侯爵家の私兵団の制服を着ていた。臙脂色のその制服は、あまり見た事がなかったが、この家の使用人である事には間違いない。
証拠に、左肩に飾られたマントのような大きな赤いリボンをしている。
そのリボンは、ゾフィアルノ侯爵で使われている、騎士資格と同等の資格を持つ者に与えられる代物だ。他の屋敷では、そのような制度は設けられていない。
もちろん他の屋敷の人間が、この資格を有することも出来ない。
だからリゼは、間違いなく、このゾフィアルノ侯爵家の関係者と言うことになる。
「……」
俺はジリジリと後ずさった。
……どうやって逃げよう? メリサは? 救えず逃げるのか?
でもメリサを連れていたら、リゼ相手には絶対逃げきれない。
リゼは元伯爵令嬢。
その魔力量は、俺たちとあまり変わらない。
快活な性格の為に、魔術のみならず武道にも興味を持っていた。ましてや肩のリボン。子どもの頃と違って、相当力をつけているに違いない。
俺は歯噛みする。
ホント馬鹿だよね、俺って。
後先考えずに、思いつきで行動する癖をなくさないと……。
俺は歯噛みする。
どうすればいい?
考えろ!
俺は必死に考える。
けれどぐるぐる回る思考に、酔いそうだ。
気持ち悪くなって俺は目を細めた。
「──フィリ、シアさま……?」
「!」
リゼの言葉に、俺の肩が跳ねる。
それを見て、リゼがハッとして、慌てて膝を折る。
「あ。……いえ、六月さま」
リゼは必死に言い換えたが、目が忙しなく泳いだ。
「……」
……俺がフィリシアだって事を、知っている……?
リゼは続ける。
「……お初に、お目にかかります」
消え入りそうな声だ。
昔の、快活なリゼとは違う。
リゼ……じゃない? 違う人?
でも最初、こいつは俺を《フィリシア》と言った。
リゼじゃなくても、俺がフィリシアと知っている。この屋敷の中で?
ゾフィアルノ侯爵家の屋敷の関係者で知っている者は、俺かフィデルが教えた人間しかいない。
両親が教えるわけがないし、メリサなんて論外だ。
となると、フィデルが教えた?
俺は訝しむ。
……いや、やっぱりリゼだ。
リゼなら、戸籍上は俺の姉になる。
リゼは俺の家族だ。だから知っているんだ。
そう、思った。
でも釈然としない。
だって、急に消えたんだ。俺の目の前から。
ずっと一緒に遊んでた。それなのにある日を境にいなくなった。
誰も心配しなかった。
誰もリゼの行方を教えてくれなかった。
聞いても話を逸らすばかり……。
今の今まで、それが何故なのか分からなかったけど、なにか事情があったのだ……と俺はひとまずの結論を出した。
もともとリゼの生い立ちは、複雑だったから……。
それなのに今、目の前にいる。
その事が信じられない。
「わ、私は……私は……」
俺を見上げながらリゼは、今にも泣きそうな顔になる。
「そうです! 私は……私はリゼです! ……覚えておいでですか?」
その言葉に俺はハッとする。
「う……ん。覚えている。急にいなくなったんだ。すごく……すごく心配して……」
そこまで言ってハッとする。
あたたかいものが頬を伝った。
「あ」
思わず、それに触れる。
……なみ、だ……?
「フィ……っ、六月さま……っ!」
リゼはクシャクシャの顔で目細めた。
けれど傍には来てくれない。
「……」
俺は少し不安になって、カーテンを離し、数歩リゼに近づいた。
「!」
リゼはハッとしたように顔を強ばらせて、後ずさる。
……え? なんで?
「リ、ゼ……?」
「お、お許しください。六月さま。私は、六月さまに近づくことを許されてはいません……」
「え?」
俺は眉をしかめる。
なにそれ。どんな状況……?
リゼは苦しげに顔を歪める。
「私の名に、そう刻まれているのです。けして六月さまには触れられないのです。ただ、離れたところから見守る事だけは、許されていますが……」
言って顔を伏せる。
「いえ……、本来ならば、話す事も許されてはいません」
真っ青になって俺を見る。
「な……に、それ。なんなの? 誰が決めたの!?」
意味が分からない。
誰かは知らないけれど、俺とリゼの間を引き裂いた人間が存在するのは分かる。
それは間違いなく、このゾフィアルノ侯爵家の人間だ。
養女であるリゼに、そこまでの制約を掛けられる者はそうそういない。俺はリゼを睨む。
「誰が、誰がそんな事言ったんだ? 誰が決めた? それは俺たちが決めることだろ!?」
「む、六月さま!?」
「なんでそんな事まで、決められなくちゃいけないんだ? 俺は人形じゃない!」
言葉にすると、イライラが積み重なる。
こんな理不尽な事ってない。
誰の仕業?
フィデル? それとも父上?
だから、いなくなったリゼの事を教えてくれなかったのか? 俺とリゼを離すために? 何のために!?
フツフツと不信が頭をもたげてくる。
知らない事柄が、後から後から溢れ出る今の状況は、俺にとって裏切りに等しかった。
信じてた。
信じてたんだ!
女として生きていかなくちゃいけなくても、いつか自由になれる。優しい家族に見守られて、いつかメリサと自由になろうって。
それなのに……っ!
次から次へと出てくるフィリシアが知らなかったゾフィアルノ侯爵家の顔。
何かを隠すフィデル。
そんなんで、心の底から家族を信用なんて出来ない!
溢れる不信は何倍にも膨れ上がって、俺を支配する。
「リゼ……っ!」
俺は叫ぶ!
「メリサは……? メリサが今どこにいるか、お前は知っているか!?」
俺の声にリゼは少し息を呑んだ。
けれどすぐに、頷いてくれた。
「え、えぇ……こちらですわ」
そう言って、手のひらをとある方向へと向け、俺を促す。
俺はそんなリゼの後について行った。
ただ、この時俺はすごく怒っていて、気づけなかった。
リゼの口角が、ゆっくりつり上がったのを……。
× × × つづく× × ×




