子どもの頃の抜け穴。
ゾフィアルノ侯爵家の本邸の天井には、全て抜け穴が掘られている。もともとあった抜け穴……なんかじゃない。後から造られたやつだ。
やったのは俺だ。
「……」
……なんでそんな事したのかって?
いや、あれだよ。
暇だったから。
探検ごっこしたんだ。天井裏で。
《抜け穴》とか、まるで中世貴族のお城みたいだろ!? ……って中世かどうかは知らないけど、ここゾフィアルノ侯爵家の城なんだけども……。
いやまあ、それはともかくとして、俺は《深窓の令嬢》として、慎ましやかに日々を過ごしていた。
それは侯爵家内外でも噂にも登るほど有名な話で、俺は本当に頑張っておとなしく過ごしていた。
……わけじゃない。
そんなわけない。
そんなわけ、あるはずがないだろ!? 遊びたい盛りの子どもだぞ? しかも《俺》だよ!?
おとなしく、家にこもっている……なんてこと、あるわけないじゃないか。
あれだよ?
伯爵とか、侯爵とか、はたまた王や皇帝の子どもだからって、誰もがおとなしくて賢いわけじゃない。そんなわけないだろ? 所詮、人間みな同じ。
いくら俺が侯爵令嬢として育てられようが、俺は俺。本質的なモノが変わるわけじゃない。
実際俺は、部屋でじっとなんかしていなくって、自室の天井に《穴》を開けた。
……魔術牢に穴を開けたみたいに、魔法で穴を開ける……とか、そんなんじゃなくて、部屋の中で普通に飛び跳ねて遊んでいて、勢いあまって天井をぶち抜いた。
なんのことはない。多分、屋根裏の修理か何かの為に、天井の一部が外れやすくしてあったんだろうって思う。
……多分。
多分、そうだったって思いたい……。
だってそんなに力は入れてないんだけど、驚くほど見事に……天井の一部がボコン! って、綺麗に取れた。
当時俺は《やばっ!》と思って慌てて修復したんだけれど、それがホント見事でさ! ……自分で言うのもなんだけど。けど、いくらたっても誰も何も言ってこなかったし、気づかない。
しまいには俺の方が興味を持ってしまって、天井裏を探検することに決めた。
決行は簡単だった。
本当だったら、公爵令嬢としてたくさんの侍従に囲まれていたのかも知れないけれど、俺には《実は男》だという秘密があったから、侍従も侍女も最小限しかいなかったし、病弱を装って、大事をとるから誰も入るな……と言えば、メリサ以外は近づけなかった。
「……」
思えばメリサには、俺が小さい頃から色々迷惑かけているよね……。
今もそうなんだけど、天井裏を探検したあの時もそうだった。あの時のメリサも、今回みたいに俺をとめた。
──フィリシアさま!? またそのような事を考えて……! どうかおやめ下さい……っ!!
メリサは、真っ青な顔でそう言った。
メリサはいつも、俺をたしなめてくれる。
だけど俺は言うことを聞かったんだよね。だって楽しそうなんだもん?
……と言うか、こんな事くらいしか俺の楽しみってなかったから……。
小さい頃はフィデルもラディリアスも、よく俺と遊んでくれたけど、ある程度大きくなると行動範囲が違って、遊ぶこともしなくなった。
……そりゃそうだよね? 男と女だしね?
遊びの内容も違ったし、行動範囲が全く違う。
この世界の令嬢は、室内で慎ましく過ごし、令息になれば学問や武道に励んだ。
宙ぶらりんの俺は、メリサに勉強と武道をそこそこに見てもらいながら、時々厨房に潜り込んで、簡単なお菓子を作るくらいしか出来なかった。
……そんなんで、満足するわけないじゃん?
だからこの天井の抜け穴を見つけた時は、本当に宝物でもあったみたいに俺は喜んだ。
メリサだってその事を知っていた。だから『おやめ下さい!!』なんて叫んで怒っても、心の奥底では同情してくれて、黙って従ってくれてたんだ。
……多分、今回だってそう。
俺に自由がない事を、ずっと気に病んでくれていた。自分だって自由を奪われたのに、俺の事ばかり考えてくれる。
そして俺はいつも、そんなメリサの優しさに漬け込んで、甘えてばかりいた。
……《いた》なんて、過去形じゃないよね、今回迷惑を掛けたんだから、現在進行形。
ずっと前、俺はこの天井裏に入り込んで、眠りこけた事があった。
下では当然、大騒ぎになって、メリサは怒られた。
監督不行届だと言われて。
「……知ってたはずなのにな」
俺は呟く。
あの時もメリサは、俺の両親に相当に叱られていた。
だけどこの天井裏のことは黙ってくれたんだ。俺の唯一の遊び場所がなくならないようにって。
だから眠っている俺を迎えに来てくれたのは、フィデルだ。
…………ん?
ちょっと……待てよ?
てことはフィデル、この天井裏の存在、知ってんじゃん?
俺、教えたつもりないんだけど……。なんであの時、迎えに来れたんだろう?
メリサが教えた?
いや、そんなはずは……。
「……」
ぞわり……と嫌な予感がした。
フィデルは、天井裏の事を知っている……?
だったらフィデルは、俺が部屋にいないことを見つけたら、真っ先に天井裏へ来るかもしれない。
「……っ、」
俺は慌てた。
フィデルは仕事に行ったわけじゃない。ちょっと席を外しただけだ。また戻って来る。
それが今すぐなのか、まだあとの事なのかは分からない。
だけど何時間も後じゃないって事は確かだ。俺は魔術牢に穴を開けるのに、結構時間を費やしてしまったから、これは急がないと、鉢合わせするんじゃないだろうか?
「やっば……」
俺は慌てて部屋のドアを開けると、廊下をそっと見渡した。
その廊下には、誰もいなかった。
「よしっ!」
俺は小さくガッツポーズを決めると、するりと廊下へ出た。
ここの廊下は、離れの廊下とはわけが違う。
かなり広い上に、所々に棚や大きな花瓶が置かれ、いつもたくさんの花が活けられている。
花だけじゃない。
廊下の南側には、いくつもの大きな窓が取り付けてあって、その一つ一つにカーテンが掛かっている。
……要は、隠れる場所満載だ。
こういう時って、体が小さいとお得だよね。
小回り効く上に、素早く隠れられるから。
ついでに言うと、フィデルの性格も、今の俺のこの行動の助けとなった。……どういう意味かって?
俺もだけど、フィデルは人の気配を好まない。
だからフィデルの部屋近くのこの廊下には、普段から人がいないんだ。きっと『部屋には極力近づくな』とでも言っているに違いない。
本邸では、多くの使用人が働いているのにも関わらず、ここの廊下は不思議と閑散としていた。
俺はにんまりと微笑む。
目指すのは、元俺の部屋。
結局、メリサを探すのは、やっぱり天井裏の方が効率がいい。
部屋は仕切りがあるけれど、天井裏は仕切りがない。だから俺が子どもの頃に開けておいた覗き窓(穴)からこっそり下を見れば、メリサがどこにいるかすぐに分かる。
ただ……この三階に、メリサがいるっていう保証がないのが、痛いんだけどね……。
天井裏からは、どの部屋からも行けるようにしたんだけど、俺、ずいぶんと本邸にいなかった。
もし入口を修理されていたらお終いだ。上に登ることが出来ない。
でもその点俺の部屋なら、いくらなんでも勝手に入る……なんて事はしないだろうから、天井裏へ続く道が残っている可能性が高いはずだ。
俺の部屋は、使われなくなってずいぶん経つんだけど、部屋はそのままになっている。
いつ俺が戻って来てもいいように。
……戻るつもりなんて、ないんだけどね。でも、今はそれが有難い。
俺は、辺りを注意深く見回しながら、移動する。
人がいないと言っても、油断は出来ない。なんせここは侯爵家の本邸。
フィデルが『部屋に近づくな』と言っていたとしても、それは頻繁に来るなという事であって、警護を疎かにしろと言っているわけではない。当然、護衛の見回りが、必ずやって来る。それに見つかったら、一巻の終わりだ。
《六月》がいることは、護衛たちも知っているかも知れないけど、俺は魔術牢の中に閉じ込められていた。
《客人》として来たのか、《罪人》としているのか、まだ分からない。だから、見つかるわけにはいかない。
──コツコツコツコツ……。
「!」
足音がする!
誰かが、三階のこの階にやって来る。
俺は慌てた。
予測はしていたけれど、こんなにタイミング良く来るとは思わなかった。
慌てて近くのカーテンにくるまった。
ここなら縮こまる必要もないし、いざとなった時の初動も取りやすい。
ドキドキする胸を必死に抑え、じっと息を殺し、階段の降り口を見た。
人影は細身だ。少しホッとする。
いざとなったら、速さにものを言わせて逃げよう。細身の人間なら、力にものを言わせて襲いかかれても、どうにかなる。
俺は視線で逃げ場を確保する。
よし。行ける……!
俺は身構える。
ゆっくりとその人物は、姿を表した。
「……!」
俺は思わず息を呑む。
真っ赤な燃えるようなその髪を見て、俺は驚いた。
「え……? リゼ……?」
俺は思わずカーテンから顔を出し、そう呟いたのだった。
× × × つづく× × ×




