嫉妬
私は頭を振った。
兄に嫉妬するなど、どうかしている……。
不貞の事実も私が調べあげ、虚偽だったのだとの結果が出た。
それに仮にも彼らは侯爵家。しかも現皇派。真面目なフィアが皇家に仇なすようなことをするとは思えなかった。
とにかく、ゾフィアルノ家だけが損を被らないように、こちらはコチラで手を打った。けれど彼らが取った行動は、私の望む範囲を大きく超えていた。
もしもフィアから、《このような噂を立てるつもりだ》と相談されれば、断じて許さなかった。けれどフィアは、何ひとつとして、相談してくれなかった。
それほど私は、信頼されていないのだろうか?
だから、気づくのが遅れ、揉み消すのに少し骨が折れた。
要は、目撃者全員の記憶操作を行ったのだ。
もちろん、全て揉み消すのは不可能だが、事実なにごともなかったのだ。叩かれたとしても、真実を伝えればいいだけの事。婚約解消の本当の理由は、全てこちらに非がある。不必要にフィアを晒すのは、私の本心ではない。
けれどそこへ出てきたのが、あのガデル=ガジール男爵。
フィアたちが画策した罠に、まんまと引っ掛かった哀れな男爵。
ガジール男爵は皇弟派ときている。ただ単にフィアが皇太子の婚約者ではなくなった……という状況だけでは満足出来なかったらしい。
ゾフィアルノ侯爵家の姫が不貞を働いた……そんなお飾りが欲しいのだろう。
現皇派であるゾフィアルノ家の力は、今の当主になって些か弱くはなったものの、依然大きな権力を有している。
そんなゾフィアルノ家は、皇弟派にとって大きな目の上の瘤に違いなかった。
……ガジール男爵が事の次第を追求する……それだけだったのなら、私の心も乱されない。
王弟派としては当然の反応であっただろうし、発言しなかった他の反勢力も、力のあるゾフィアルノ家を陥れさえすれば、誰が発言しようが構わなかったはずだ。
ガジール男爵は単なるその《反対勢力全ての代表者》だったに過ぎない。
けれど事もあろうことかあの男は、品定めするようにフィアを見た。
……これには正直、嫌悪感しかない。
何なんだ? 噂を間に受けたのか?
妙な視線でも送れば、フィアが相手してくれるとでも……?
私はあの時ムッとして、フィアを見た。
そもそも事の発端は、ゾフィアルノ家ではないか。このような噂を流すからこんな目に会うのだ。言わば自業自得だろ?
この時まで私はまだ、騙されたガジール男爵を哀れに思っていた。
「!」
けれどフィアの目は潤んでいて、その表情を見た瞬間、私の心がズキリと傷む。一瞬でもガジール男爵の肩を持った自分を後悔した。
そしてその瞬間、フィアの傍にいない自分の存在が悔やまれた。
フィアは、涙目でフィデルに縋りつく……。
私はそれを見て、目の前がチカチカとなる。
なぜ……? 何故そこで、フィデルなんだ!? いつもいつも、何故フィアは、私を頼ろうとはしない?
本当なら、私の傍にいるべきだろ!?
地団駄を踏みたいのをグッと我慢して、私はガジール男爵の話を聞いた。
皇弟派の下心丸出しの下卑た笑いとともに、暴かれるフィアの不義。
例えそれがフィアの家族が話し合って画策した事であったとしても、私には許せなかった。
噂は確実に、フィアを陥れる。
どう考えてみても、フィアが不幸になるのが目に見えていた。
今にもこぼれ落ちそうなほど、涙をたたえたフィアの目を見て、私は思わず怒鳴ってしまった。怒鳴らずにはいられなかった。……どうにも、我慢出来なかったのだ……。
ここで、注意しておかなければならないのは、父上がその場にいた……という事だ。
常々父上は、私にこう言っていた。
──上に立つ者は、けして感情的になってはならない。
思い出した時には、もう遅い。
フィアが父上に呼ばれ前に出て来たのをいいことに、私はすぐさまフィアを捕まえた。
フィアの不義を暴いた上に、邪な目でフィアを見るガジールにも我慢出来なかったし、フィアが手放しで助けを求めるフィデルの存在も、許せなかった。
その上フィアは涙を流しているのだ。放っておくなど、私には出来なかった。
いったん自分の欲望のままに行動すると、後は堰を切ったように堪えが効かない。
フィアは私の腕から逃れようと必死に兄へ手を伸ばしていた……にも関わらず、私はそれを遮った。我慢ならなかった。私の腕の中にいるというのに、他の男に手を差し伸べるなど……!
……たとえそれが実の兄だとしても、もう堪えられない。
自分で宣言してしまったから、しょうがないのだが、婚約は解消されてしまった……。
それはフィアの命が安全になることと引き換えに、自由に誰とでも婚姻が結べるという事でもある。
それも……本当はそれすらも許し難く、私は自分のした事を後悔する。いっそ自分の汚点は黙ったままで、婚姻を結んでしまえば良かったのだ。
精神衛生的に、今の現状はあまり良い状態とは言えず、私は少なからず混乱していた。ただ噂を聞いたと言うだけのガジール男爵を、私は怒りに任せ大衆の面前で怒鳴ってしまった。
父上はニヤリと笑い、私に言う。
『ならば調べよ』
と。
──皇宮医師団に診せれば、全て分かる。
……一瞬、私は調べさえすれば、フィアの潔白は証明される。そう思った。
事実、フィアは潔白なのだから。そしたらそのまま再び婚約者となり、今度は黙ったまま結婚してしまおう。そしたらこの腕に、再びフィアが戻ってくる……本気で、そう思った。
けれどそれに憤りを見せたのは、フィデルだった。
私はハッとする。
フィデルはきっと、腹の奥底は煮えたぎっていたに違いない。
望まぬ婚約。そして勝手な解消の依頼。解消しやすいようにと走り回ったのにも関わらず、今度は体を調べろと言われる。そしてそれは全て、大衆の面前で話を進められている……。
フィデルが怒らないはずはない。
そんなフィデルを見て、私は自分を恥ずかしく思う。
私は……自分の事しか、考えていなかった。
フィデルは怒っているにも関わらず、受け答えは落ち着いていて、あの父上ですら感心していた。
私よりも歳は下だと言うのに、つねに落ち着きを払えるフィデル。
もう、認めるしかない。私の完敗だった。
フィデルが私以外には聞こえないその声で、低く唸った。
『フィアを離せ──』
その声はひどく怒っていて、それでも大衆の前で怒鳴り散らすことはなく、淡々と事は進んでいく。
父上が満足そうに微笑み、頷くのが見える。
フィアを私の婚約者に選んだのは、なにも家柄だけではない。人としてのフィデルを囲いたかったからに違いなかった。
私はフィアを手放すよりほか、なすすべがなかった──。
× × × つづく× × ×