行き先
「……リゼ。俺はお前を呼んでいない」
ムッとしながら、俺はリゼを見た。
けれど何食わぬ顔で、リゼは口を開く。
「フィデルさまがお呼びになられていない事は、重々承知ですが、私はフィリシアさまの行き先を、存じております」
キッパリと言い切った。
「……」
リゼのこのふてぶてしさに、さすがの俺も黙り込む。
何なんだ? こいつは。だから呼んでいないって言ってるだろ? そもそもそんな事、聞いてないだろ?
けれどリゼは、そんな俺の気持ちなど、どこ吹く風で、そっと俺の顔を覗き込んで来る。
「……お聞きにならないので?」
リゼは、わざとらしくシナを作って笑って見せた。
「……」
上目遣いで覗くその姿は儚げで、誰がどう見ても《可愛い》の一言につきる。だが、いかんせん相手は《リゼ》だ。騙されてはいけない。
いったい何人の人間が、リゼのこの愛想笑いに騙されたのだろうか? 本当に哀れなものだ。
リゼにとって《人を騙す》ということは、その事自体が仕事のようなもので、ごく普通に身についてしまっているのかもしれない。
けれど俺はいわゆるリゼの《主》。
主に対して、その態度はいかがなものか。状況に応じて加減すべきじゃないのか!?
俺は眉を寄せ、唸るように口を開く。
「行き先は分かっている」
多分、メリサのところだ。
いや、メリサがいるだろう地下室だ。けれどメリサは既に、地下牢にはいない。
こんな事もあろうかと、メリサは既に別室に移してある。
正直なところ、今のメリサをフィアには見せられない。
感情的になったとは言え、少々手荒なことをしてしまった。
炎の鎖で縛り上げただけならまだいい。間違ったのは、その後だ。
俺はメリサを、リゼに渡してしまった……。
何も考えずに、メリサをリゼへ渡してしまったがために、メリサの体にに余計な傷が増えてしまった。『危害を加えるな』と言いおいておけば良かった……とも思ったが、もう後の祭りだ。
どうしようもない。
「……」
……いや。そうじゃない。
心の奥底では分かっていた。
リゼが何もしない訳がない。
リゼだって気づいたはずだ。
自分にメリサが託された理由を。
メリサに対して、恨みらしい恨みがあるわけじゃない。
……ただ、不満に思うところはある。
俺がフィアに近づこうとすると、たいていメリサがその間に立ち、それとなく俺の邪魔をした。
……ただ、面と向かって、俺たちの間を引き裂くわけじゃない。
さも、何も考えていないような素振りをし、《たまたまですよ》とでも言いたげに、キョトンとして、いつも俺の邪魔をする。
あれは絶対、わざとだ……! と思って指摘しても、《まぁまぁ!》と驚いて……ただ、微笑むだけだ。しっぽを出さない。
だけど、たったそれだけでも事は重要だ。
あまりにも執拗いようならば、例え相手が誰であっても容赦はしない。
メリサのその行動は、恐らくは俺たちを思っての事だろう。
フィアはいずれお菓子屋さんとして、平民になるのだと喜んでいたし、俺はこのゾフィアルノ侯爵家の跡継ぎとして振る舞わねばならない。
けれど今回はの件は、度が過ぎている。
何が理由なのかは知らないが、フィアをこの屋敷から出したのだ。護衛もつけず、俺に断りもなく……!
しかも、……しかもしかもだぞ? あの散乱した髪はなんだ?
ベッドの上に無造作に切り捨てられたあの髪を見て、俺がどれほど血の気が引いたか分かるか!?
リゼがフィアの物に執着していた事実を知ったあと、俺はフィアの処分するもの全てを管理し始めた。
髪の毛一本、爪の一欠片ですら、もうリゼには渡さない。
……いや、リゼだけじゃない。もう誰にも渡したくなかった。
だから少し髪を切るだけでも、俺が手を入れた。
それなのに、あれは何なんだ? いつも俺は丁寧にフィアの髪を切っていた。事実がどうであれ、フィアは侯爵令嬢。適当な髪型など許されない。
着飾ることが全てだし、髪の毛一本一本の手入れだって大切だ。
……フィアが聞いたら怒るだろうけど。
なのに、あんなにガタガタになる切り方をするなんて!
なんであんな適当に切った!? 本当に六月になって、宵闇へ逃亡するつもりだったのか!? なぜ俺に何も言わない? 相談を受けていたら、俺がどうにかしてやったのに……!
……それに着ている服も、気に食わない。
俺は宵闇なんかに、フィアをやるつもりはコレっぽっちもない。
話し合いの場で、宵闇の事も出たけれど、俺は宵闇国国王真月のことを信用していない。
何を考えているか分からない国王の顔を思い出し、少し寒気がした。
絶対にフィアは渡さない!
お菓子屋さんになりたい? だったらココでお菓子屋をすればいい。
平民になる……なんてフィアは言っていたけれど、お菓子を買えるような平民などいない。
結局、食べていくには、このゾフィアルノ侯爵家の力を頼るしかないんだ。
平民となって菓子屋を開く。
それもいい。なるなとは言わない。だが、俺の目の届くところでだ。
男として生活するにしても、手放すつもりなんてない。
ゾフィアルノ侯爵家から……俺から離れようなんて、絶対に許すわけにはいかない……!!
……だからつい、思ってしまったんだ。
いっそのこと、俺の邪魔をするメリサなど、《消えていなくなればいい》って。
メリサがフィアに、何か吹き込んだに違いない。
逃げるなら《今》なのだと。
例え何も言わなかったとしても、手引きしたのは、明らかにメリサだ。例えフィアが言い出したにせよ、メリサが必死になって止めさえすれば、いくらハチャメチャなフィアだって、実行に移す……なんて事はしないだろうから……。
だから俺は、メリサをリゼに託した──。
「フィデルさまは何故、あの者を生かすのですか?」
リゼが不意に、ドスの効いた声を上げた。俺は思わずリゼを見た。
女の子らしからぬ野太い声だ。
もともと《女だ!》と思って見れば、女にしか見えないが、リゼは今、護衛の服を着用している。
臙脂色に金の飾り紐。左肩に付けられているのは、騎士の印であるマントではないが、それに準ずる真っ赤な太いリボンをつけていた。
女性にしては背丈のあるリゼは、黙って立っていれば、どこから見ても、男にしか見えない。丸みを帯びた体も、護衛の制服を着れば、分かりはしない。
リゼの実力なら、騎士資格も簡単に取れるかもしれないが、なんせ精神状態が危うい。
他の騎士候補に何かあれば大変だと、父上がストップを掛けた。
だからリゼは《準騎士》。
ゾフィアルノ侯爵家独自の騎士資格を持っている。
……正式なやつじゃない、ウチだけにしか通用しないけれど。
けど侯爵家のお墨付き。
例え他の家へ行ったとしても、それだけで、高待遇は間違いない。
……リゼがこの家を、出て行ってくれればだけど。
「……」
……てか、それよりもどこから出してんだよ。その声。
俺はリゼを睨む。
《あの者》……とは、紛れもなくメリサの事だ。
俺は深く溜め息をつく。
……分かっている。
お前の気持ちも、俺の本当の気持ちも。
だけどコレばかりは譲れない。好き勝手には出来ないんだ……!
邪魔者をなんの躊躇いもなく斬り捨てる事が出来れば、どれほどいいだろう?
自分の思い通りに事を運ばせ、フィアを傍に置いておくことが出来たのなら、他は何もいらない。
実際、力ずくでそれを成し遂げることは可能だ。
思うほど難しくはない。
むしろ容易い。
けれどそれでは、フィアは許してくれない。
《何故約束を破るのか!》そう詰るに決まっている。
「……っ、」
どう考えても、上手くいかない未来予想図に、俺はひとり、唇を噛んだ。
× × × つづく× × ×




