リゼ
「やられた……」
俺は唸る。
フィアに逃げられた。
ガラン……とした自分の部屋を見つめながら、俺は指を噛む。
いつだ?
閉じ込められたのに気づいた、あの時か……?
俺は、フィアの心の変化を読み取れる。
傍にいれば傍にいるほど、その感覚は強い。だから取り逃がす……なんて事はもうしないと、気を張っていた。
「なのに、これ……?」
確かに、フィアの心が揺れ動いたのは感じた。魔力を使って閉じ込めてたんだから当たり前だ。
高位貴族に対して執り行う、魔術牢。
罪人に使う魔法を、本当だったらフィアには使いたくなかった。だけどこれは保険だ。牽制の意味がある。
もしもこの魔術牢を施していないのなら、フィアは心穏やかに部屋を出るだろう。
そうなるとこの広いゾフィアルノ侯爵家の敷地の中で、探しあてるのは難しい。
見張りを立てればいいとも思ったが、フィアに気づかれず、また逃げられず護衛できる人間は数少ない。巻かれればそれで終わりだ。だからこの魔術牢を展開した。
フィアがこの部屋から出ていかない……なんて思っていない。
多分フィアは、またどこかへ行こうとするに違いない。子どもの頃からいつもそうだ。
《ダメだ!》と言われることも、自分が納得しない限りフィアは無視して突っ走った。
自分の中でしっかり納得しないと、フィアは言うことを聞いてくれない。
こちらがどんなに必死に伝えても、ものすごい顔で怒って怒鳴り散らしても、あまり意味をなさない。
怒られて泣きながら、それでも抜け穴を探そうとする……。
だから俺は、この《魔術牢》を組み上げた。コレがあれば、破壊された時に衝撃が俺のところに来る。
いや、破壊せずとも、牢獄の中にいる……とフィアが少しでも反省の色を見せて、留まってくれるなら、なおいい。
そうなる可能性は随分低かったけれど、全くないとも言いきれない。
微かな希望を託して設置したけれど……。
「……」
フィアはどちらも選ばなかった。
「見事に穴、開いていますね……」
いつの間にか傍に来ていた諜報部隊の隊長リゼが、面白そうにそう言った。
微笑みながらその真っ赤な髪を掻き上げるその様は、《妖艶》としか言いようがない。
「……」
きっとリゼは、西の森から迷い出た、魔族かも知れない。
俺は顔をしかめる。
やっぱりいたか……。
こいつも、微妙なところで人の話を聞かない。
あれ程『フィアには近づくな!』と言いおいていたのに、こんなところにいるなんて。
俺はリゼを睨む。
睨まれてリゼは喜んだ。
……本当にこいつ、どうしてくれよう。
リゼの容姿は、いわゆる『美女』と呼ばれる部類に入る。
均整のとれたその顔立ちは、キリッとしていてどちらかと言うと男性的だ。
身長も俺ほどではないにしても、ラディリアスほどはあり、諜報活動する時には役に立つ。
男にも女にも化けられるリゼは、その甘いマスクでもって、相手を洗脳する。リゼに掛かって落ちないのは、本性を知っているゾフィアルノ侯爵家の人間だけに違いない。
だから心配だ。
フィアは幼い頃リゼに会っている。
会っているどころの騒ぎじゃない。毎日一緒に遊んでいた仲だ。知らないはずはないが、ある日を境に、俺たち家族はフィアとリゼを引き離した。
だからフィアは、リゼの本性を知らない。
万が一、……万が一、フィアがリゼの毒牙に捕らわれたらと思うと、気が気じゃない。
顔はいいかも知れないが、いかんせんこの女は狂っている。
今、こいつは特殊な諜報員として、このゾフィアルノ侯爵家で働いているが本来は、名も無き孤児だった。
……いや、孤児と言っても平民の孤児ではない。もとは伯爵令嬢れっきとした貴族の一人だ。
リゼは自分の親族を皆殺しにし、孤児になった。
もともと虐待を受けていたらしい。
俺の父がリゼを保護した時には、左手の指が数本折られ、体には治りかけの切り傷と火傷の跡が無数にあったらしい。虐待は日常化していたのだろうと父は言っていた。
本当なら周りの大人たちが虐待に気づき、保護し、サルキルア修道院へ保護……となるはずなのだが、リゼは違った。
誰にも気づかれず、日常化する虐待。縛られたその縛めを自分の力で解き、武器を持ち、反撃に転じたのだ。
リゼに惨殺されゆく家族の悲鳴を聞いた従者が堪らず、ゾフィアルノ侯爵家へ助けを求めにやって来た。
リゼは手に負えなかった。父がその場に辿り着いたときには既に、家族を惨殺しただけではなく、自分の召使いにも手を出していた。
リゼはもともと伯爵令嬢。魔力量も半端ではない。ゾフィアルノ侯爵家へ従者が保護を求めたのも頷けた。
父は仕方なしに、縛めの魔術でもって、暴れるリゼを確保する。
けれどこの帝国の皇帝と父上は、リゼの身の上に同情した。
伯爵家に生まれながら、リゼは何故か地下に閉じ込められていた。
それは幼い頃からだったようで、侯爵家へ助けを求めた従者ですら、リゼを自分の主だと認めながらも、その名前を知らなかったのだからおかしな話しだ。
リゼに惨殺された伯爵だが、誰も同情はしない。
むしろリゼに同情が集まった。
傷だらけで、家族の返り血を浴び、放心状態のリゼもまた、自分の名前を知らなかったのだから始末が悪い。
そんな伯爵令嬢など、有り得るのだろうか……?
この異常な状況に、皇帝と救いの手を差し伸べた父上は、リゼの身の上にひどく同情した。
例え家族や召使いを死に追いやったとしても、同情するだけの事が起こっていた……と判断された。
名前も付けられず虐待を受けていたのだから、魔力の使い方も教わっていなかったのだろう。ならば成長に伴って、大きく膨れ上がった魔力を制御出来なくて当然だ。
そのせいで、この悲劇は起きてしまったのだと、終止符が打たれた。
皇帝は特別に教師をつけることを決めた。
が、それを引き受ける者などいない。当然だ。それだけの事を、リゼはしてしまったのだから。
けれどその事実に心を痛めたのが父だ。その教師に私がなる……と手を挙げた。
我が子とそれほど変わらない女の子が、両親に愛されもせず虐待を受けてきた……と人知れず傷ついていたのだから、無理もない。
父はその子に『リゼ』と名前を付けて、養女とした。
全ての事実は、俺たちには知らされなかった。
けれど、リゼくらいの魔力なら、俺たちは抑える事が出来た。
そもそも俺たち双子は、ふざけて遊びながら魔力で相手を制御する……なんて、日常茶飯事だったものだから、なんの問題もなかった……。
……王族の、しかも四歳年上のラディリアスも抑えてたからね、リゼなんて朝飯前。
まぁ、ラディリアスは手加減してくれていたのかも知れないけれど。
そんな経緯でリゼは、このゾフィアルノ侯爵家へと引き取られ、しばらくは我が子同然に可愛がられた。
リゼも父上にはけして逆らわなかったし、危惧された魔力の暴走も見られなかった。
……あの頃暴走してたのは、リゼじゃなくて、フィアの方だったけれど。
………………。
とにかく、そこまでは、良かったんだけどね……。
実際リゼは、狂ってた。
当時俺は子どもで、その事に気づかなかった。気づいていたのなら、絶対に俺はリゼを許さなかったのだが、一番に気づいたのが父上で、俺が全てを知った頃には、全ての処置がなされた後だったから、仕方がない。
リゼは、事もあろうか、フィアに執着していたらしい。
確かに、それはそうだったのかも知れない。思い返せばリゼは、四六時中フィアの傍にいて、甲斐甲斐しく世話を焼いていたから。
リゼは天使のように可愛らしかったし、フィア自身もリゼにはすごく懐いていたから、傍から見れば可愛らしい女の子が二人、仲良く遊んでいたようにしか見えない。
俺もずっとそうだと思っていた。
当然、その事について誰も文句も言わなかったし、不審に思う者もいなかった。だけど、状況が変わる。
リゼの執着が、少しずつ顕著になってきたんだ。
フィアに近づく者を拒み始め、フィアに必要以上に触れようとした。そして遂に、侍女が目撃した。
リゼが、フィアの切った髪と爪をコレクションにしているところを……!
侍女はすぐさま父上に話し、父は自らの目でそれを確かめた。
どう足掻いても言い逃れは出来ない。
髪や爪以外にも、フィアの名前が刺繍された、使い古されたハンカチ、それから捨てたはずのフィアのぬいぐるみなどが、リゼの衣装ダンスからゴロゴロ出てきた。
始めは欲しかったから盗ったのか? と父は思ったがそうではない。父は同じものをリゼに与えていたし、不十なことは何一つさせていなかった。
それらは丁寧に整頓され、衣装ダンスの奥深くに大切に仕舞われていた。
神経質そうに並べられたその品々を見て、父はゾッとしたと、頭を抱えて俺に話してくれた。
その事に、俺が怒らないはずはない。
けれど逆に、使えるとも思った。
フィアに近づかず、守れと命じれば、リゼは喜んでそうするに違いない。
……けれど、そんなこと出来るのか?
父上の考えもおなじだった。
けれど今更追い出す訳にもいかない。
頭を抱えた父のところにやって来たのが、当時父の護衛と諜報部隊の総帥を兼任していたノエ=ゼダールだ。
諜報員としての能力をリゼに見出し、育てたいと申し出てきた。
父は二つ返事でそれに同意する。
実際リゼは優秀だった。
情報を聞き出すためだったら何でもする。時には相手を痛めつけ、情報を引き出すこともある。
だから当然リゼも、拷問の手順を知っているし、自ら実践する事もある。
初めの頃は、女の子になんてことをさせるんだ。と俺は思ってたんだけど、これが違った。
リゼはさせられていたわけじゃない。リゼ本人がが率先して、むしろ喜んで事に当たっていた。
「……」
あの嬉々とした表情は、出来ることなら二度と見たくない……。
ノエが言うには、リゼはフィアの事が何よりも好きなのだそうだ。
あのチョコレート色の髪に、優しい常磐色の瞳。《守らなくては!》と思うようで、また傍にいたいと言い出した。
そんな事が出来るか! と怒鳴り返せば、突き詰めて話を聞けば、双子である俺も、その対象に入っているらしくて、目下俺は、リゼの恋愛対象らしいのだ。
………………。
フィアに行くくらいなら、俺が……とも思ったが、しかし気持ちが悪い。
確かに見た目は素晴らしい美女で、どんな男たちでも寄って来そうな顔立ちをしているのだが、残念なことに精神は崩壊している。
舐め回すような視線と、無駄に撒き散らす色香に、ほとほと嫌気がさす。ハッキリ言って趣味じゃない。俺はフィアのように清楚で可愛らしい女が好みだ。
……フィアは女ではないが、フィアなら男でも全然構わないとすら思う。
リゼのその性格は、親族に虐待されたのがその原因だと思われはしたが……それでも、多分、その大元の原因は本人なのではないだろうか?
基本、残忍なその性格。
そして、ひとつの事に執着するその粘着力は、ハッキリ言って嫌悪感しかない。親族がリゼをつまはじきにしたのも頷けた。
しかしその《執着する》対象が、本当は俺ではなくフィアなのだと思うとぞっとする。絶対フィアには近づいて欲しくない。だから護衛も出来るだけさせたくはなかった。
けれどその《気持ち悪い》を我慢しさえすれば、非常に従順な臣下となった。
ものは使いよう……?
多少釈然としないまま、リゼに俺の護衛を許した。
本当は、フィアの護衛に……とも、目された。けれど秘密を持っているフィアには、近づけさせるわけにはいかない。
ましてやフィアはターゲット。
フィアが負けるとも思えないが、フィアはリゼの本性を知らない。幼い頃に引き離したのだから当然だ。いうなればフィアは無防備な状態。
そんなフィアに、リゼが護衛と称しフィアに近づいて襲われでもしたら、一巻の終わりだ。
だから状況を知っている俺が、護衛対象となるのが一番いいと判断して、俺から父上に申し出た。
…………俺、守られる必要ないんだけどね? 騎士だし。
だけどリゼは、正確に言えば父上の養女。父上の護衛であるノエが率先して育てはしたが、俺たちの義姉上である事には変わりない。ぞんざいには扱えない。
何の権限も持ち合わせていないがために、名前はノエの名前をもらい、リゼ=ゼダールとなっているが、実際の戸籍には俺たちと共に、その名を連ねている。
その上リゼは図々しくも、セカンドネームが欲しいと言い始めた。傍にも行けず、護衛も出来ないのなら、せめてフィアの名前が欲しい! としつこく食い下がった。
父は怒らなかった。
逆にそれを利用した。《けしてゾフィアルノ侯爵家に仇なさない》……そういう確約をリゼに取り付け、魔法契約の元、リゼにセカンドネームが与えられた。
よって、リゼの正式名称は、リゼ=フィル=ゼダール。
さすがの父もフィアの名前、《フィリシア》を全て与えることは拒んだが、リゼは納得したようだった。
……そのリゼが、フィアが魔術牢に開けた《穴》を見て、うっとりとしている。
舐め回す勢いのリゼを見て、俺は吐き気を催し口を押さえ横を向く。
俺に忠誠を誓いはしたが、本来リゼが、一番執着しているのはフィアなのだ。
俺は溜め息をついた。
絶対にフィアには近づけるものか……!
× × × つづく× × ×




