脱出
「はぁ。……やられた」
俺は壁にもたれて座り込みながら、天井を仰いだ。
贅を凝らしたその天井は、どんより影を含み、不気味な気配を漂わせる。
「……」
ずっと屋敷の中に閉じこもっているような生活を送っていた俺だけど、この魔術牢の事くらいは知っている。
罪を犯した高位貴族に対して、執られる処置だ。
どんな魔術をも吸い込み、例え窓が開いていても逃げ出せない。そんな牢獄。
聞いた時は《すごいな》って思った。
ある程度は身分が高い人って、それに比例して、魔力量も高い。
その上、身分が高ければ、例え罪人であったとしても、ぞんざいには扱えない。
だから、それなりの自由が与えられ、ついでに魔力を吸い出せるこの結界は、本当に画期的な存在だなって俺は思ったんだ。
「……」
……まさか、自分が入るとは思ってなかったけど。
えー……なんで? なんで俺って、閉じ込められてんの?
まさか自分が入ることになる……なんて、思ってもみなかった。
だってそうだろう? だって俺、屋敷から抜け出しただけだぞ? 閉じ込めるんじゃなくってさ、もっとこう、『出ちゃダメだろ!』くらいで済むやつだと思うんだ。
……それなのに、この仕打ち。
《魔術牢》……画期的だと思ったんだけど、いざ自分が入ってみると、最悪なやつだった。
だってさ、普段と変わりない生活。涼やかな風に、広々とした外の世界。
それが惜しげもなく見れて感じることが出来る。
……だけどそれだけだ。
出ることは叶わない。触れることも出来ない。自由なようで、束縛されている。
そりゃさ、初めてこの魔法の存在知った時、『出ようとさえしなければ、罪人って意識出来ないから反省なんてしないだろ?』なんて思ってたよ? 思ったけど、実際入ってみたら、全然違った。とんでもない牢獄だった。
話し相手も誰もいない、偽りの自由。
その事が痛いほどに分かるから、精神を蝕むような圧迫感を感じた。
え? 俺……いつまでここに入ればいいの?
……そんな不安が湧き上がる。
ひゅっと、喉の奥が鳴た。
意識していた以上に、心のダメージが大きい。
底冷えするような、その不安感が、ゾワゾワと膨れ上がる。心なし、手が震えた。
俺、閉じ込められている……。というか、捕まった?
だってここは言うならば《牢獄》だ。
これって、逃げる術ってあるんだろうか?
「嘘、だろ……。嘘だよな? 俺が何したっていうんだ? フィデル、どこへ行ったの? これ、お前がしたの? なんで? なんで俺を閉じ込める? 出して。……ここから出せよっっ!!!」
俺は床を殴る。
もの凄い音が辺りに響いた。床を殴った拳がひどく痛んだ。だけど、それだけだ。叩いた床はビクともしないし、叫び声に驚いて誰が来る……なんて事もない。
そりゃそうだ。当たり前だよね……。《牢獄》だし。ここ……。
「……」
俺は顔を伏せる。
こんな事をして、何になる?
俺を捕まえて、閉じ込めて、なんの利益に繋がるってんだ?
そもそもフィリシアは、離れの屋敷でニートよろしく生活していただけじゃん。いてもいなくても、同じだろ!?
「……っ、」
俺はここを出て、メリサを見つけなくちゃいけない。
メリサが無事なことを確認しなければ、安心できない。
けれど、出ることは叶わない……。
「メリサっ!」
ひどくメリサの事が心配になった。
俺が閉じ込められるなら、メリサはいったいどうなっているんだろう?
「……」
目の前が暗くなる。
ひどい目眩がした。
この分だときっと、メリサは罰を受けたはずだ。
どんな罰だ? 生きているんだろうか? もし、死んでいたら……?
「……っ、」
目の前が暗くなった。
俺の……俺のせいだ! 勝手に屋敷を出たから? 理由はたったそれだけなのか? 俺は自由に出て、街を歩くことすら許されないのか?
こんな仕打ちを受けるほど、罪深い事だったのか……?
視界が霞む。
「……メリサっ」
早く……早く助けないと……っ!
俺は歯を食いしばり、見えない目の前の結界を睨んだ!
バリ、バリバリバリ……っ!
俺は、眉間に力を溜める。
ふざけるなよ? こんなんで俺を止められると思うな……っ!
部屋に施されているのは、罪人用の《魔封じの結界》。
俺の記憶が正しければ、威力は術者の力に比例していたはずだ。
強い力を持つものが施せば、それより弱い者はけして出ることは叶わない。けれど逆に言えば、術者が罪人よりも弱ければ、結界は崩せる……!
だから大抵は、複数人でこの術は施されるはずだ。
その方が強い結界を張れるから。
一人よりも二人。二人よりも三人で結界を張れば、破壊される可能性は少なくなる。
俺は、この結界の存在に気づかなかった。
触れて初めて気づいた。
それが意味することは……。
きっとフィデルは、自分一人で術を組み上げたのに違いない。
じゃなきゃ、俺がとっくの昔に気づいたはずだ。
だけど結界からは一人分の気配……フィデルの気配しかしなかった。だから気づけなかった。
ここはフィデルの部屋だから。
フィデルの気配がするのは、当たり前だって思ってたから。
もちろん、油断したってのもある。
だって匂いが全く同じで、気づくことすら出来なかった。
でもフィデルは見誤った。
だって多分、俺ならこの結界を崩すことが出来るから。
「……」
俺はこの世界で、本気を見せたことがない。
ずっと、手加減しながら生きてきた。
三歳の頃に前世での記憶が戻って、このままじゃヤバいぞって思ったから。
え? ……何がって?
だってよく考えてみろよ?
三歳児なのに、高校生程度の知識があるんだぞ?
それって、おかしくねぇ?
ついこの前生まれたガキんちょが、大人びた口調で、難しい言葉を並べて、何でもかんでも知っていたりしたら、そりゃ大騒ぎになる。
ただでさえ、隠れ住まなきゃならない存在なのに、そんなんで目立ったら生きていけない。だから俺は、全ての事柄を、ある程度の手加減しながら生きてきた。
そりゃあね、前世の六月は、とりわけ頭が良かったってわけじゃないよ? むしろ……悪い?
…………。
いやいや自分ディスるとか、ちょっとあれだけど、俺はそんなに優秀な方じゃない。どちらかと言うと、おバカな部類だ。
だけどさ、どんなにおバカでも、仮にも高校生やってきたわけで、それなりの知識ってもんがあるだろ?
そしてそれは、たかだか三年しか生きていない子どもにしてみれば、《天才!》の域に達すると思ったわけだ。だけど、そんなわけはない。
俺からしてみれば、ただ単なる一般常識程度で、ひけらかす程のすごいものでもない。
いずれさ、《能力の頭打ち》なんてものが来て、『大人になればただの人』なぁんてのも言われるのも癪だし。だから俺は、それなりの《手加減》をしたってわけだ。……大それた手加減でもなかったけど……。
まぁ、変に思われないようにって意味もあった。
目立てば生きづらくなる。
そんなの、分かってたから……。
異世界での知識と前世の現代日本とじゃ、常識が全く違う。
そのまま生活していたら、どう考えてみても浮きまくる。だから様子見ながら知識も魔力も、加減しながら使ってた。《頑張ってます!》なんて顔しながら、半分の力も出さなかった。
だって、怖かったから……。
みんなから……この世界から、浮いてしまうのが。
俺ってさ、前世では周り全く見ずに、突っ走ってたって思うんだよね。
自分のことしか考えていなくって、相手の気持ちとか二の次で、だから好きだった女の子の様子すら気づけなくって、……だから自殺させてしまった。
あの時、俺は梨愛の傍にいたんだ。『傍にいてやれ』って言われて、少し調子に乗ってた。
なんでも出来るって思ったし、……少し、期待もしてた。
もしかしたら、脈、あるんじゃないかって。
でも結果がアレ。
失恋しただけでなく、大好きな人の命すら、救えなかった。
あんなに傍にいたのに、悩んでいた事すら気づけなかった。
自分だって、《なんでも出来る!》って思いたいよ?
だけど、出来なかったんだ。
俺はちっぽけで、力がなくて、全てを取りこぼす……。
結局、自分の不注意で、自分の命すら手放しちゃうくらいだからね? しょうがないって言っちゃあ、しょうがなかったのかも知れない。
だからさ、例えば《今》、大きな力や知識を持っていて、それを自由に使えるからって、それが直接、《強さ》になるわけじゃない。
なんかさ、ほら、もっと別のなにかだって思うんだ。
《出来る!!》って言い張るんじゃなくて、一歩引いて周りを見るの。
そしたら何か見えそうで、少し大人に慣れた気がして……だからさ、そうやって、少し背伸びして大人のフリして頑張ってたら、少しは近づけるんじゃないかって思うんだ。
──俺のなりたい《なにか》に……。
人の心を読むのは難しい。
つい、自分中心になってしまう。
メリサの事だってそうだ。もっと気に掛けるべきだったって思う。
全力疾走するのもいいよ?
だけどさ、必死にがむしゃらになって走ってる時って、周りって見えないものじゃん?
周りを見るってことは、持ってる力いっぱいいっぱい使うんじゃなくて、加減しながら、程よい力を見極めて使うべきなんだと思うんだよ。きっと。
走ることと、見る事。そして見た事を処理して自分の力をどう使うか。
自分が持ってる、限られた力の量をそれぞれに分配する。
だから《全力疾走》は、要領が悪い。
他に分配すべき力を使い切っている。俺が前世でやってきてた事は、……そういう事だったんじゃないかなって思うんだ。
だから俺は、この世界に生まれ直して、出来るだけ慎重であろうって思ったんだ。……抜けは多いけど。
で、そのひとつがコレ。魔力量。
双子のフィデルを見ながら周りを見ながら、丁度いい手加減ってもの学びながら、ここまでやってきた。
だから多分フィデルは、俺の能力は自分と同じくらいか、それ以下くらいに思っているはずだ。
だけど本当は違う。
俺はフィデルよりほんの少し、能力が高い。
だからこの結界を、俺なら崩せるはずだ。
でも待てよ……。
「……」
パリパリ……っと力をためながら、俺は考える。
何も、わざわざここで騒ぎを起こす必要なんてない。
むしゃくしゃしている今の俺としては、本音はそこら辺のものを全て壊す勢いで、暴れ周りたい……とも思う。
だって服の事といい閉じ込められたことと言い、そしてメリサの事! メリサは今どうなっているかは分からないけれど、その状況が確認できない今、不安ばかりが大きくなる。
暴れ回れば、少しは楽になれる……そんな気がした。
……だけど我慢だ。
さしあたって、自分が抜けれる穴さえ、作りあげればいい。
わざわざ騒ぎを大きくして、抜け出したのがバレるのはマズイ。
こっそり出れば、その分バレない。メリサを見つける時間を稼ぐことが出来る。
騒ぎを起こせば、それなりの制裁を受けるだろう……。
「……っ」
俺は歯を食いしばり、力を練り直す。
細く強く……けれどしなやかで、穏やかに……。
だけど──っ。
「う。……こ、これっ、結構、難し……っ、」
フラフラとする魔力を一点に絞る。
今までした事のない魔力の使い方に、目眩がしそうだった。
だけど俺は、唸りながらも集中する。
結界の端へじっと寄り添い、ゆっくり静かに……でも確実に、俺が抜け出せるだけの小さな穴を、作り上げたのだった。
× × × つづく× × ×




