朝
──ちゅん。ちゅんちゅん。
「ん……」
俺は眩しさに目を細める。
「朝……?」
ハッキリしない頭を押さえて、俺はぼんやりと天井を見る。
正確に言うと、見上げる先は天井ではない。天蓋だ。
「……」
ん? 《天蓋って何?》って?
天蓋ってのは、ベッドに付いてる屋根のこと。
そこからレース状のカーテンなんかが垂れ下がっていて、寝ている人物を隠してくれる。
大抵は、従者が常に部屋にいるような、そんな貴族の家に設置してあるものだ。
前世では、お目にかかれない代物だったけれど、この世界では……俺が生活する世界の中では、当たり前に存在した。
そんな天蓋なんだけど、その内側には、持ち主が好む装飾がなされる。
絵画だったり彫刻だったり。
時には自分の肖像画だったりするみたいで、どうして自分の顔を見ながら眠れるんだ……と呆れたこともあるんだけど、まぁ、そんなものを好む者は、そう多くない。
……現に今見ている天蓋も、巧みな彫刻が施されてはいるが、変にどぎつくなく、趣深い。俺はぼんやりとソレを見る。
「……」
見上げるその天蓋は、鉄紺色の、……深い青色を基調としていて、とても質素だ。上品な花の彫刻なんだけど、それが複雑に折り重なっていて、いくら見ていても飽きがこない。結構、趣味がいい。
……何処かで見た事がある天蓋なんだけどね。いつ何処で見たのか思い出せない。
少なくともここは、俺のベッドの上じゃないって事だけは確かだ。フィリシアの部屋にあるベッドの天蓋は、必要以上に乙女チックで、ふわふわしている。
……。
今更だけど、アレって誰の趣味なんだろ?
少なくとも俺の趣味じゃない。
どちらかと言うと、この天蓋の方が好きだった。
「ん……」
眠い目をこすりながら、俺は体を持ち上げる。ゆっくり周りを見ると、いつもだったらいるはずのない人影が、そこにはあった。
俺はハッとする。
もしかして、このベッドの持ち主……?
俺は一瞬身構える。
「!」
けれどそれは杞憂だった。持ち主は、よく知ったやつだった。
「あ。……フィデル」
俺は呟く。
そっか、何処かで見た天蓋だと思ったら、フィデルのベッドか。小さい頃は、良くここで寝たもんな……。
自分のいる場所が分かってホッとしたついでに、俺はポスッと再びベッドに寝転がった。隣にいたフィデルが微かに息を呑む気配がした。
……あれ? ぶつかりそうだったのかな? ごめんね。
心の中で謝って、俺は布団に顔を埋める。うん。間違いない。フィデルのベッドだ。フィデルの匂いがする……。
俺はやけに納得する。
ボーっとする頭をどうにか働かせて、眠る前のことを思い出してみる。
ここがフィデルのベッドだとして、俺って何でここにいるんだっけ……?
必死に思考をまさぐったけれど、……でも、上手く思い出せない。
何だっけ?
何が……あったんだっけ……?
目をこすって、少しでも頭を働かせようと、手を上げてみる。
「……っ、痛ぅ……」
思ってもみなかった激痛が走って、俺は顔をしかめた。
我慢できないほどじゃないけれど、左腕がズキズキ痛む。
えっと、どうしたんだっけ、なんだっけ──?
「……フィア? 傷が痛むの?」
心配気な声を上げながら横にいたフィデルが、上半身を起こした。
「フィデル……」
俺は顔をしかめる。
フィデルは心配症だから、本当はあまり、自分の弱っている姿を見せたくない。だから俺は咄嗟に嘘をつく。
「……違う。少し、寝違えただけだから」
「ダメだって。ちゃんと見せて」
「……」
フィデルには、嘘が通用しない。
俺の世話なんて面倒くさいはずなのに、いつもこうやって、甲斐甲斐しく面倒を見てくれる。
……何でいつも、こうなんだろう?
世話を焼いてくれるフィデルが嬉しくもあり、鬱陶しくもある。
確かにフィデルは、俺の兄になるけれど、生まれた日は一緒なんだ。フィデルが俺の世話を焼く必要なんてない。
「……平気だから」
俺は素っ気なく答えて、そっぽを向く。
「……っ、フィア……!」
焦ったようなフィデルの声が響く。
俺はいつもフィデルに心配ばかりかける。
それなのにフィデルは、あまり怒らない。
全く怒らないわけじゃないけど、我を忘れて怒鳴り散らす……なんてことはない。
こうして俺がそっぽを向くと、真っ青な顔をして、いつも俺の顔色を伺った。
今だって……ほら……。
「……」
俺が怒ってみせたものだから、フィデルはどうしたらいいか分からずにオロオロと俺の様子を窺う。俺に触ろうとして、……けれど触れずにいる気配がした。
「……っ、」
いつもそうだ!
本気で怒ればいいのに、そんな風に怒ることなんて、ほとんど無い。
俺より大きくて、力があるはずなのに、力任せにやっつけよう! ……なんてフィデルは思いもよらないのに違いない。だから俺たちは、ほとんど喧嘩らしい喧嘩をした事がなかった。
……前世では、散々やってたんだけどね、姉ちゃん相手に。
今世では、《兄》……しかも同い年の兄なのに、掴み合いの喧嘩どころか、口喧嘩もほとんどない。
俺がこんなだから、腫れ物に扱うみたいに触れてくるんだろうか? 普通の兄弟として過ごせたのなら、もっと違う関係が築けていたんじゃないだろうか?
そう思ってしまう事が、俺は少し、悲しかった。
せっかくの男兄弟。
たまには取っ組み合いの喧嘩だってしてみたい。きっと楽しいに違いないのに……。
「……」
俺は横目でフィデルを見る。
それに気づいて、フィデルはホッとしたように、優しく俺に微笑みかける。
「……」
よく見ると、フィデルは身支度を済ませていた。愛用の香水の香りをほのかにさせながら、フィデルは気遣わしげに、俺を覗き込んでいる。
俺の名前を呼んだくせに、俺と目が合うと少し動揺したように体を震わせ、後ずさる。
「……っ、」
……なんで……? なんでいつも、そうなの!?
俺は少し悲しくなって、思わずフィデルに向かって腕を伸ばした。
左腕がひどく痛んだけれど、上がらないほどじゃない。それよりも何よりも、俺を避けているようなフィデルの態度が、鼻についた。
手を伸ばす俺を見て、フィデルが微かに息を呑む。
「フィア……腕は、……大丈夫なの?」
「……」
焦ったようにそう言って、苦笑いしながら首を傾げて見せたけれど、フィデルは俺に触れようとはしない。
……む。何でだよ。
俺は手を伸ばしてるだろ? スルーするわけ?
ポスッ──。
「!」
フィデルが身構えた。
でも、構うもんか。
俺はムッとして、自分からフィデルの胸に抱きついてみた。
ふわり……とフィデルの優しい香りがする。
いい……匂い。
スリスリとその胸に擦り寄った。
ふふん。逃げた罰だ。俺はフィデルの服で、寝起きの顔を拭く。
「……っ、」
動揺するフィデルが手に取るように分かって、俺は可笑しくなる。
「ふふんだ。お前が俺を腫れ物扱いするからだろ? ふふ、フィデルだ。……本物のフィデルだぁ。……あぁ、懐かしいよな。朝からお前の顔が見れるとか。小さい頃は、よく、……こうして一緒に遊んだり眠ったりしたのに……」
言って俺は笑う。
本当に、いつぶりだろう?
……いつから、こんなに他人行儀になってしまったんだろう……?
フィリシアとしてだと、もう一緒には眠ることは出来ない。
けれど、《六月》としてだったら、話は別だ。
異性だったらあらぬ疑いを掛けられるかも知れない事柄でも、同性なら問題ない。
ただ、アレなんだよな。
六月はこのヴァルキルア帝国の人間じゃないから、おいそれと姿を現せられない。だから、こうやってフィデルの傍で寝れたのも、もう随分前の事だった。
「……」
……そこで俺は、ハタと止まる。
あれ? ……俺、なんで六月になってるんだっけ?
「フィ、……フィア……っ」
感極まった様なフィデルの声が響く。
「え? あ、うん。……てか俺、今は《六月》ね、六月」
俺が抱きつくとすぐに、フィデルは微かに戸惑いながらも、抱き返してくれた。
……ん? んんっ!?
ギュッと抱き締め返されて、正直キツい。
いや、かなり苦しい……!!
あー、……えっと、フィデルくん!? 抱き返してくれるのは嬉しいんだけど、ちょ、ちょっと……いや、かなり苦しい、んですけど……!!
スリスリと頬擦りしてくるのは良しとしても、俺よりデカい体に抱き締められると、正直息が出来なくなる。
あ、やば。
やっぱ無理。ギブ。ギブギブギブギブ……!!
「ん、んんーっ! 苦しい、苦しいってば! フィデル、苦しいっ!!」
バタバタとフィデルの背を叩いて、苦しいことを伝えた。
「あ……、ごめ、ごめん、フィア……っ」
フィデルはハッとしたように、体を少し離し、俺のおでこに自分のおでこをくっつける。……近い。近いよ、フィデル。
だから、フィリシアじゃなくて、六月だっつーの。
抗議しようと口を開きかけたその時、フィデルのホッとした安堵の溜め息が漏れた。
「……熱、は、ない。……良かった……」
「……」
熱を測ってたのか……と、俺はフィデルを見る。
赤い顔をしたフィデルは、俺と目が合うと、嬉しそうにそのエメラルド色の目を細めた。
「フィア。……心配したんだ、すごく……」
囁くようにそう言って、俺の頬を両手で包む。
包み込まれるとホッとする。何故だかフィデルは安心する。双子だからだろうか? フィデルが俺に甘いからだろうか?
理由は分からないけれど、フィデルのぬくもりは手放せない。
あー、でもコレだけは言っとくよ?
俺、今はフィリシアじゃないからね? 六月だから。
俺は訂正しようと、口を開く。
「フィデ──」
「フィアは、今怪我をしている。……覚えてる? 西の森に侵入して、バルシクにやられたんだ。……だから、……だから俺が暫くフィアの様子を見るから、フィアは……ずっと……ずっと俺の、……その、俺の部屋で過ごすんだぞ……?」
遠慮がちに言うその言葉に、俺は思い出す。
あ、そっか、俺……西の森でバルシクに襲われたんだ。……そしてそれから……。
左肩を捲って見ると、ぐるぐる巻きに包帯がしてあった。
丁寧なその巻き方を見ると、屋敷に戻ってから、フィデルが医者にみせてくれたのに違いない。……まだ傷は痛む。けれど、我慢できないほどじゃない。
フィデルは俺の頬に、そっと自分の頬を重ねる。
フィデルのぬくもりが直に伝わってくる。ひどく心地いい。俺は思わず、その頬に擦り寄った。
「フィア……!」
フィデルは感極まったように、再び俺を抱き締めて、熱に浮かされたように囁き始める。
「フィア? ……俺、俺はフィアが、……フィアが好きだ! 好きで好きで堪らない……っ」
言って俺の髪に顔を埋める。
「好き。好きなんだ。……愛してる」
改めて言われると、何だかくすぐったい。
「ふふ。フィデル、子どもみたい。……俺も好きだよ。ちゃんと愛してるよ」
俺はふふふと笑って、フィデルを抱き締め返す。
ピクっとフィデルが震えた。
「本当? 本当に……?」
フィデルは俺を覗き込む。
「ん? 本当だよ? 大好きだよ?」
「……」
フィデルは一瞬眉をしかめ、悲しそうな目をして俺を見た。
けれどすぐに、ふわりと笑って体を離す。小さく溜め息が聞こえた。
「フィア、臭い。昨日は、怪我の手当てまではしたけど、風呂には入れなかったから」
「え"。マジで!? マジで臭い!? 俺、そんなに臭い!?!?」
慌てて自分の臭いを嗅ぐ。
う……。確かに汗臭いかもしんない……。
こんなんで、フィデルの布団に入っちゃったのか……。
「……」
ひどく申し訳なくなって、俺はフィデルを見上げた。
俺って本当、ダメな奴。
「ごめん。俺、お前のベッド、汚した……」
「!」
途端、フィデルは飛び込むように俺に抱きついた。
二人でベッドに倒れ込む。
「嘘。嘘だよ、臭くない。フィアは、臭くない……」
言って、ふんふんと俺の首筋の匂いを嗅いだ。
「う、うわ。うわあぁぁ、やめろ! やめろって!! 匂い嗅ぐなっ! こら! そこ撫でるなっ、く、くすぐったい! くすぐったいぃいぃぃ……っ!!」
バタバタと足を動かした。
腰を撫で回されて、俺はのたうち回る。
……脇腹、俺の弱点なんだよ。
子どものころから、フィデルは何かあると俺の脇腹を撫で回す。弱いのを知っているから、フィデルはことある事に触ろうとする。
「やめろ! やめろって……っ!」
ガッと頭を殴ると、フィデルは大人しくなる。
……ったく、早くやめろっての!
ムッとしてフィデルを見た。
しゅん……となってるフィデルに気づいて、俺は慌てる。
「だ、だから、横腹は苦手だって言ってんだろ? もう子どもじゃないんだから……」
言いながら俺は上着を脱いだ。暑くてしょうがない。
「フィ、フィア……!?」
真っ赤になって、フィデルは声を荒らげる。
「ん? あ、ねぇ、フィデル。風呂、沸いてる?」
「あ? あぁ、さっき言っておいたから用意は出来てるよ」
「じゃ、俺入っていい? お前がくすぐるから、余計汗かいた……」
そこまで言って、ハッとする。
そういや俺、六月じゃん?
この家の住人ほっぽいて、客が入るっておかしいよな? 自分の部屋ならまだしも、フィデルの部屋だし。
……でも、すぐ入りたい。
さっきフィデルに《臭い》って言われたのが、ひどく気になった。
もう一度、ふんふんと自分の臭いを嗅いで、俺はフィデルに向き直る。
「……」
何故かフィデルは横を向いて、俺を見ない。
俺は再びムッとして、フィデルに言った。
「なぁ、お前も一緒に入る?」
「……はぁ!?」
何言ってんだ……と言わんばかりに目を丸くして、フィデルは俺を見る。
……いや、だって、そっちの方が早いし? 一石二鳥じゃん?
ここの風呂って、子どもの頃に入ったっきりだけど、めちゃくちゃ大きい。
二人が入るくらい、どってことないはずだ。
だけどフィデルは頭を横に振った。
「いやいい」
「『いい』って……お前、自分で入ろうと思って用意させたんだろ?」
「いやいい、俺は昨日入ったし、既に朝の身支度は整えている」
「……」
……確かに、そうだけども……。
俺はフィデルを見る。ガッツリ正装しているわけではないが、それなりにきちんと服装を整えていた
パジャマ姿なのは俺だけかよ……。
「……」
……って、さっき俺の横で寝てたじゃん?
しっかり起きたのに、何でまた寝てたんだ……?
「……」
黙り込む俺を見て、フィデルはそっぽを向く。顔が赤い。
「あ、あまりにもお前が、気持ちよさそうに寝ているから、さっきは傍にいただけだ。深い意味はない」
「……お前、顔赤いぞ?」
言うとフィデルは、バッと顔を押さえる。
「熱があるんじゃないか? 俺、みてやろうか?」
「いやいい! 熱はない! さっきお前の熱を測った時、問題なかったろ……?」
「だけど……」
「いいから、早く風呂に入ってこい! 臭いから近づくな……!!」
言ってフィデルは部屋から出て行ってしまった。
「……んだよ」
俺は唸る。
「さっき、臭くないって言ったじゃん……」
ふんふんと再び自分の臭いを嗅ぐ。
「……ん。やっぱ臭い……」
そうゆう結論に達し、俺はベッドから降りて、部屋に取り付けてある風呂へと急いだ。
× × × つづく× × ×
中途半端な推敲です。
でも眠ります。
おやすみなさい。
明日、書き直すからいいんだーい(´;ω;`)




