失敗
「……しくった」
部屋に戻った宵闇国の国王、真月は唸った。当初予定していたことから大きく外れた出来事が、この帝国で起こっていた。コレはもう、唸るしかない。
その言葉を聞いて、老齢の宰相露利基衡は、深く溜め息をつく。
「仕方ありませんぞ? まさかあのフィリシア嬢が、先に行動に出るなど、思いもしませなんだ……」
はぁ……と、三人が三人で溜め息をつき、その場は暗く押し沈んだ。
当初の目的……、それはフィリシアを宵闇へと、連れ帰る事だ。
やり方は単純だ。
言葉で納得させるも良し、強行突破するも良し。一国の王が出張って来ているのだ、失敗はない。
そもそもフィリシア《嬢》としてこの地で生きていくには、そろそろ限界がある。もともと《彼女》は男なのだ。
今までは、余裕で周りを騙し通せたのかも知れないが、これからは分からない。運良く低身長のまま過ごせていたが、まだまだ成長する可能性も無きにしも非ずなのだ。
真月は溜め息をつく。
「はあ。もう少し早く、この地に着いておればなぁ……」
「そのような事をおっしゃられますが、これはもう、致し方ございませぬ。サッサと頭を切り替えて、次の行動をどう取るかを、考える必要がございますぞ!」
基衡の鼻息は荒い。
真月は溜め息をつきながら、そんな基衡を横目で見た。
「しかし、何故こんな事になった? そもそもこの国では、今の今まで、バルシクなど発生した事などなかったではないか? まさか……六月はそれに気づいたのか? 川の水が枯れるのは、バルシクが現れた兆候だとしって、それを狩るために六月は……」
真月が、フルフルと震えながら呟くその言葉に、露利金衡は頭を振る。
「いいえ、いいえ。……真月さま。相手は、あの六月ですよ? 《あの》。……森にバルシクが発生した事など、分かるわけないじゃないですか。たまたま。……たまたまにございますよ。きっと」
あの《アホ》が、そんな気の利く事など、出来るはずはない! 基衡はそう断言する。
何もそこまでコケ落とさんでも……と真月は六月を少し憐れむ。
「……うーん、それもそうさなあ」
けれど、確かにその通りだ。あの六月に、そんな物事を推し量るような慎重さはない。
ないからこそ、こうして宵闇国国王自ら、フィリシアを奪いに来たのだ。目先の利益……《自由》をひらつかせれば、アイツなら簡単に乗ってくる……そう思った。
「しかし、うまくいかないものだ」
ガックリと肩を落とす。
そこで基衡の孫、金衡も、うーんと唸りながら口を開いた。
「それに加え面倒なのは、その六月を助けたのが、フィデル……だと言う事実です……」
「……うむ」
真月は頷く。その顔は険しい。
フィリシアと違って、フィデルは頭が切れる。
こと、フィリシアが絡むと、余計にソレは発揮された。
((恐らくあいつは……))
真月と金衡は、そんなフィデルを見ながら、ひとつ思うところがある。
ギュッと眉間にシワを寄せ、真月と金衡は唸りながら頭を抱えた。
けれどここに、鈍感な人間もいる。
唸る孫に向かって、基衡は首を傾げた。
「ん? ……何が問題なのじゃ? フィデル殿が六月を助けることのなど、いつもの事ではないか」
カカカと笑った。
しかしそんな基衡を、二人は冷めた目で見る。
「「……」」
この三人は、ゾフィアルノ侯爵家の秘密を知っている。
それもそのハズ、フィリシアの将来を憂えたゾフィアルノ侯爵夫妻から、相談を持ち掛けられたり、頼み事を頼まれたりされているのだから。
ゾフィアルノ侯爵家と、宵闇国。
その両者は、そんな秘密を共有する、深い間柄だ。
フィリシアと六月が同一人物で、当然フィデルと兄妹ではなく兄弟なのだと言う事も、しっかり理解している。
ついでに言うと、フィリシアが《お菓子屋さんになりたい!》という事まで知っている。
金衡は祖父である基衡を、溜め息混じりで見た。
「はぁ……、コレだからじいちゃんは……」
肩をすくめる。
しかし基衡には、意味が分からない。
生意気な態度をとる孫に、さすがの基衡もムッとした。
「な、なんじゃ、その言い草はっ! 家族を心配するのは、当たり前のことであろ? 真月さま? 真月さまも、そうお思いでございましょう?」
「ん? ……あ、あぁ……そうだな……」
真月は生返事をして、そっぽを向く。
この話は、あまり関わり合いになりたくない……とでも言っているかのようだ。
「……真月さま」
目を逸らされ、見放された気持ちになった基衡は、少し涙目になる。
「はぁ、だからさ、……じいちゃんは知らないだよ。あの二人と一緒に狩りに出たりなんかしないだろうし……」
苦虫を噛み潰したような変な顔で、金衡は祖父を見た。
「狩り? 狩りなど行けるものか! 今は老いぼれとるが、昔はそりゃ、みんなから尊敬の眼差しで──」
「はいはい。聞き及んでますよ。凄かったんでしょ、バルシクなんて指一本で倒したとか……」
呆れ顔で金衡は頷く。
「なに!? バルシクを指一本だと!?」
しかし真月が、その言葉に過剰に反応する。
基衡は、真月が話に乗ってきたと見るや、ヨダレをたらして喜んだ。これはしたり。ニヤリ……と笑う。
「おほ? 真月さまには、話しておらなんだか? ……そうですなぁ、あれは今から──」
「じいちゃん!!」
金衡が叫ぶ。
このままこの年寄りに話させると、日が暮れてしまう! そんなことさせてなるものか! と金衡は肩を怒らせた。
「真月さまも真月さまです! 今はそれどころではありません!!」
金衡の勢いに、筋骨隆々の真月はたじろいだ。
「お、……おぉ、そうであった。そうであった。……す、すまぬな金衡……そう、怒るでない」
真月は肩を窄める。
分かればいいのです……。と、冷たい対応を投げ掛け、金衡は祖父の基衡を見る。
「じいちゃん……覚えといて、フィデルは……多分、《六月に恋してる》んだ」
「……、…………??」
基衡は、目を丸くする。
おもむろに耳垢を小指で取り除くかのように、耳をほじくり金衡を見る。
「……は?」
勢いよく、パーにした手を、自分の耳のうしろに当てた。
「……」
金衡は頭を抱える。
「……いやいや、そんな『儂、耳、聞こえません』みたいな事やっても、全然説得力ないから。じいちゃんの地獄耳は、宵闇でも有名だろ……」
金衡は溜め息をつく。
「いや、だからさ、言ってるだろ? 《フィデルは六月に恋してんの!》好きなの。愛してるの! 家族愛とか、兄弟愛とか、そんな純粋なのじゃなくて、兄弟なのに恋愛の対象として恋しちゃってるの!!」
「……」
そこまでまくし立てて、金衡は溜め息をつく。
「……アイツさぁ、めちゃくちゃ嫉妬深いから、こっちも大変なんだって……」
「な……」
基衡は目を丸くする。
そんな話、聞いたこともない。
そんな基衡を横目で見ながら、真月は肘をつきながらボソリと呟く。
「基衡は、諜報員としては優秀なんだが、そーゆー男女の機微は分からんのだ……」
はぁ……と溜め息をつく。
「え、何を言いますやら! 六月は、六月は男ですぞ!? 男女の機微!? 《男女》ではありませぬ!! 男同士ではありませぬか!!」
「……」
「いや、その前に兄弟なのですぞ? 血を分けた……どころか、双子なのですぞ!?」
「……」
「いやいやいや、それは有り得ん。儂をみんなして騙そうとしても、この基衡、簡単には騙されませぬぞ……!」
「「……はぁ」」
言わんこっちゃない……。二人は、『コレは何を言っても無駄だ』と言わんばかりにそっぽを向いた。
「……」
金衡は暫く悩んだ後、自分の顔を悩ましげに撫で、口を開く。
「じいちゃん。……そりゃ、じいちゃんの言いたいことは分かるよ? だけど本当なんだ。オレだって最初は疑ったよ? だけどそう考えるより他、納得出来る理由がないんだよ……。アイツらってさ、特殊な環境で生きてきたわけだろ? 自由になりたいと思っている六月に、六月に負担を掛けてるからには守り通そうとするフィデル。……きっとそのせいで、フィデルの愛情が、変な方向に歪んじゃったんじゃないかって、オレは思うんだよ……」
言いながら金衡は真月を見る。
どこまで伝えていいものかと、悩んでいるようだったが、真月は目を合せない。
金衡は再び、大きく溜め息をつく。
「……はあ。じいちゃんは知らないかも知れないけれど、真月さまはご存知でしょう? たまにフィデルたちと狩りをされる事もあるから……」
話を振られ、真月は渋々頷く。
「……まぁな」
真月の言葉に、金衡は、ほら見た事か……と基衡を見る。
けれど基衡は解せない。
頭をフリフリ、そんな事は有り得ない! とムキになった。
「なっ、……か、狩りに行く行かんで、そんな事分かるわけなかじゃろ!?」
しかし金衡は頭を振る。
「行けば分かる。だってオレ、水魔法を使う六月とは、相性のいい風使いだよ? フィデルは六月と相性の悪い炎なんだよ? それなのに、オレが六月をサポートすると、物凄い顔で睨むんだ……!」
勢いに押され、基衡は黙る。
そっと真月を見ると、はぁ……と溜め息をついている。
「……」
「フィデルは自分が六月を好きなものだから、どんな相手でも……例えば同性異性関係なく、ライバル視してる。それこそ、年齢差なんてものも考えてなんかいない。……そりゃ、表立っては見せないよ? あいつも馬鹿じゃないから、そこは自分抑えてるんだろうけど、オレと六月が絶妙なコンビネーション見せた後、オレが六月に抱きついた日にはもう……!」
ブルル……と自分を抱き締め、金衡が震えた。
真月は頭を抱える。
「基衡……。金衡の言う通りだ。フィデルは必要以上に六月に執着してる。だから儂も、警戒されとる……」
基衡は目を剥く。
「は? なんですと!? あの小童、真月さま相手に何を!?」
基衡の顔が、見る間に般若と化す。
「あー。儂の場合は、嫉妬ではないぞ、言っとくが。」
フリフリと手を振りながら真月は唸る。
「あやつは気づいたのだ。儂が六月を王太子に据えようと、狙っとるのをな……」
「なんと……!」
軽く仰け反った。
「……六月が宵闇へ来れば、もう二度とゾフィアルノ侯爵家には帰ることはない。……そもそも宵闇とこのヴァルキルアは、海を挟んだ遠く離れた異国の地同士だからな。『共に来い』と言えば喜んで来るかも知れんが、フィデルは侯爵家の跡継ぎ。そんな事は出来ん……」
はぁ、と溜め息をつく。
「フィデルに六月と言うニンジンをぶら下げる事が出来るのなら、事は簡単なのだがな……そうもいかん」
「……だから、この《誘拐劇》……ですか……」
金衡が呆れたように唸る。
今回、この旅の目的は、なにもラサロ皇帝に茶と茶菓子を紹介する為だけに来たのではない。本来の目的は六月……フィリシアを誘拐して、宵闇国に連れて来る手筈だったのである。
しかしそれも難しくなった。
侯爵家で何か、ゴタゴタがあったのかも知れない。フィリシアが六月となってフィデルから逃げた……と言うのだから。
けれど、事は既に、フィデルが六月を確保してしまった……という、最悪の結末を迎えている。
「……フィデルが六月を離しますかね……?」
金衡は尋ねる。
「……儂なら死んでも離さん」
「ですよねー……」
と言った会話が、金衡と真月とで交わされる。
「いやいやしかし、既に皇帝と皇太子は、六月の存在を確認している。この討伐に参加させよ……と皇帝から一言命じれば、さすがのフィデルであろうとも、従わずにはおれぬだろ?」
真月は言う。
その話を聞きながら、基衡が会話に入って来る。
「いやいや真月さま。そうは言いましても、今回の西の森への強行で、六月が怪我をしたので出せぬ……などと言われ、囲いこまれたらどうするのじゃ? 侯爵家と言えども、あのゾフィアルノ侯爵家ですぞ? 簡単に六月を引っ張り出す……というのは、少々難しいのではないかと……」
それに対して金衡は口を開く。
「いや待て待て、……じいちゃん! それこそ願ってもないだろ? だってアイツは《六月》なんだぜ? ゾフィアルノ侯爵家の令嬢、フィリシアじゃない。むしろそこはさ、『ならばそちらにご迷惑をお掛けするには忍びない』とか何とか言って、楽に引っ張り出せる……!」
あ! と二人は声を上げる。
「! ……それもそうだな」
真月はニヤリと笑う。
基衡と金衡も頷いた。
「それでは、当初の目的通り……」
三人は向き合うと、ガツッと拳を合わせた。
× × × つづく× × ×




