宵闇国国王《真月》
皇帝の執務室には、客がいた。
それもただの客ではない。
宵闇国国王《真月》さまだ……!
彼は、私を見ると、ニヤリと笑った。
ガッツリと目が合ってしまい、思わずゴクリ……と喉が鳴る。
な、何が起こってる? 何故ここに、宵闇国の国王が……。
「……っ、」
いるはずもない人物の存在に、思わず目を見張ってしまったが、いつまでも呆けているわけにもいかない。私は慌てて頭を下げ、国王陛下にご挨拶申し上げる。
「宵闇国国王陛下。この度は──」
私がそこまで言うと、国王陛下はにこやかに手を振る。
「いやいやいや、ラディリアス殿下、それには及ばぬよ。今は緊急事態なのであろう? 我々はお気になされず、状況をご報告なされよ」
「……」
爽やかな微笑みを浮かべた、筋骨隆々の宵闇国王にそう言われ、私は面食らう。チラリと見える白い歯の輝きが眩しい。正直、頭の中がぐるぐる回った。
いや……。
いやいやいや、しかしこれはコレ、それはソレだ。
そもそも、《緊急事態》の報告と知っていて、それを傍で眺めながら報告を勧めるなど、言語道断だろう?
国の一大事であるかもしれないその報告を、他国の……しかも国王の前でするわけがない。情報漏洩もいいところだ。
それを爽やかに微笑みながら、『どうぞ』などと言われても、『はい、そうですか』とは言えない。
そう易々と語ろうものならば、この帝国の皇太子は愚か者だ……という噂が、この世界中に響きわたるに違いない。
そんな墓穴を掘る訳にはいかない。
「……ははは」
私は必死に笑みを顔に貼り付けながら、宵闇国国王真月さまに、言葉を返す。
「宵闇国王……。それは無理と言うものです」
必死になって冷静さを保とうとしている私は、きっと物凄く変な微笑み方をしているに違いない。しかしこの状況。
多少の顔の引きつりは、許して欲しい。
「これは我が国の情報ゆえ、他国の方々のいるここ場で、話すことは出来ません。……陛下」
言って私は笑みを消し、父を見る。
「急な謁見ではありましたが、申し入れをお受けくださり、ありがとうございます。……しかし、このような場で報告するのは、些か不備がございます、ここは後日──」
そこまで言うと父はククク……と喉を鳴らした。
「父上……?」
私は驚いて、父の顔を見る。
微かに目の端に光るものが見えた。
……父上?
「いやいや我が息子ながら、その機転は見事だと思ったのだ。しかし、──」
言いながら父皇帝は、口に軽く指を当て、笑みを堪えている。
私は心の中で、眉をしかめる。
父がこのような態度に出る時には、たいてい何もかも、見通している時だ。そんな時、私はいつも、自分たちは父皇帝の手のひらの上で踊る、一介の駒でしかない……という事を思い知らされる。
……その度に私は思う。
父は手のひらの上で、踊るだけの私をどのように思っておられるのだろう?
頼りない皇太子だと思うのだろうか? それとも、我が身と照らし合わせ、自分もこんな時もあったな……などと思うのだろうか?
私はそう思う度にいつも、それが後者であればいい……と願わずにはいられない。
「フフ、あぁ……済まない。この件においては、先ほど話しておいたではないか? 『手立ては既に、打っている』のだと」
「!」
父の言葉に、私はハッとする。
そう言えば、私と父はそのような話をしたばかりだ。
あの時は、《水不足》の件での話だったからか、フィデルが今回、リテイナーブローチを使った事と、繋げて考えてはいなかった。
けれど、よくよく考えてみれば、全てはひとつに繋がる。
帝国の川が枯れた時、父は既に原因を知っていたに違いない。
だからすぐに宵闇国へと、使いを出した。
宵闇国からこちらへ来るのには、それなりの日数を要する……が、対応が早ければ、その分こちらへたどり着くのも、早くなる。
私は川の水が枯れた日の事、フィデルに話を持ち掛けたことなどを、思い出した。
あれは、私の生誕祭のあとの事だ。
フィデルとフィアが謹慎を受けたがために、どう対応すれば良いのか、頭を抱えた……。
「……」
ん?
そこまで考え、私は頭を捻る。
……いや、それにしても、早すぎやしないか?
顎に手を当て、よくよく考えてみる。
「……」
けれど、どう考えても変だ。日数が足りない。
思わず怪訝な表情あらわにして、私は黙り込んだ。
だってよく考えてみろ? 水が枯れたのは、そう前のことではないではない。
その時になって、宵闇へこちらから救援要請を出したとして、使者が宵闇に辿り着くのはいつだろう?
ヴァルキルアからの要請を受け、宵闇国の兵が準備をして、こちらへまた戻って来るとなると、それなりの時間がかかるはずだ。
しかも今回は、宵闇の王までもいる。
そうなると、それなりの準備が更に必要になり、また時間が掛かる。それらを考慮に入れてみても、そこ二、三日でヴァルキルア帝国に着くはずがない。何か、裏があるはずだ。
わたしは顔をしかめる。
そもそも、王自ら出向くなど、有り得ない。
「……」
深刻な顔をし、思わず真月国王を睨んだその瞬間、国王は、その剛健な体を揺すり、カカと笑った。
「アッハッハッ、……あ〜ぁ可笑しい、コレは愉快だ。あのいつも冷静沈着だと謳われた、ヴァルキルア帝国皇太子のそのような顔が見られるとは! これは来た甲斐があったと言うものだ! あはははは……」
と、豪快に笑った。
「……」
突然笑い飛ばされ、私は驚きを通り越して、不愉快になった。
……全然、面白くない。
私は思わず顔をしかめる。
ヒーヒーと膝を叩きながら、真月国王は私に向き直る。
「いやいや、皇子の思うところも、分からんでもない。確かに、確かに、儂は、いい具合にここにおるからのぉ! あはははは……!」
「へ、陛下、真月国王陛下っ! 笑い過ぎです、失礼ですぞ!!」
近くに侍っていた宵闇国王の側近の一人が、肘で国王を突く。
壮年……と言うより、既に老年にどっぷり足を突っ込んでいるその側近は、真っ白な髪に辛うじて数本、黒い髪が混ざっているその頭を、枯れ枝のような節くれだった指で、神経質そうに撫で回す。
灰色がかったその細い目を更に細め、オロオロとこちらを見た。
気遣わしげな表情をするその老人は、何事もなければ、どこにでもいそうな、優しげな好々爺だ。
「……」
言われて国王も、私を覗き見る。
「お、おぅ。そうであったな、……うん、ラディリアス皇太子! この通りっ、申しわけなかった!!」
「……」
いきなり謝られて、私は目を丸くする。テンションがやけに高い。
ポンポンと繰り出されるその会話は、主従関係のソレとは、明らかに違う。それほど親密な信頼関係を築いているのだろう。
「ほ、ほら……! 怒っておられますぞ! もっと、もっともっと頭をお下げくだされ……っ!」
言って好々爺は、国王の首根っこをガシッと掴み、私に向かって頭を下げさせた。
「え……?」
私は慌てる。
私は怒っているつもりなどない。
いや、この流れからすると、この好々爺から、いいように使われたのかも知れない。……とんだ喰わせ者だ……。
いくら信頼のおける側近と言えども、このような態度はけして許されない。それが当たり前のように取り交わされるとなると、それなりの理由があるはずだ。
その罠に、ハマらないよう、気をつけなければ……。
「……」
私は心を落ち着かせ、余裕の笑みを見せる。
「いいえ、そのような事はございません。客人がおられる中、私が急にお邪魔したのが悪いのです。きちんと先触れを出していればこのような事には。……ですので、謝罪など不要でございます」
途端、私は後悔する。
国王の目がダラン……と垂れ下がったのが見えた。
あ……。もしかして、罠にはまっ、た……?
私は思わず顔を背けた。
けれど、もう遅い。
真月国王はニヤリ……と笑うと、私の腕をとった。もう、逃げられない。
「お! さすがは皇太子! 心がお広い! ほら、お前はもちっと主人を敬え! どこの世に、主の首根っこ捕まえて頭、下げさす側近がおるのだ!」
真月国王は唸る。
けれど、好々爺も満面の笑みを浮かべ、負けじ! と口を開く。
……何が狙いなのかは分からないが、こちらも、満足気に事を進めているところを見ると、私はドップリ罠にハマったのだろう。ここはもう、様子を見守るしかない……。
「……」
好々爺は叫んだ。
「何を仰せか! ここにおりますじゃろ? そもそも真月さまは、宵闇の《王》という自覚が少な過ぎる……もとい、ほとんどないではありませぬか! もっとこう、威厳のある……!」
好々爺は身振り手振りを使い、全身で会話する。
そしてそんな好々爺の袖を後ろから、十代後半とおぼしき少年がグイッと引っ張った。
「爺ちゃん。止めて。もう、ホント止めて。……ここ宵闇違う……」
とボソボソ言っているのが聞こえた。
「……」
と言うか、宵闇国……。いったい、どんな国なんだ……?
私は頭を抱えた。コレが、宵闇国流と言うものかも知れない。
「あはははは……。相変わらずだのぉ、宵闇国は。」
言って父が笑った。
「……!」
父が声を上げ、こんなにも笑うところなど、見たことがない。
私は思わず目を見張る。
「さて宵闇国王、お主が種明かしをしないのならば、私がするが? 良いのか?」
ん? と父は宵闇国王を見る。すると王は慌てて首を振る。
「いいや、ダメだダメだ……っ! せっかく皇子と話せる機会を奪われては叶わん!」
叫ぶと宵闇国王は、私の腕を取った。
「いや、なに。そもそも儂はな、バルシク発生など知らなんだ。ただ、このヴァルキルア帝国でな、我が国の茶を飲みたい……と、このラサロが言うものだから、茶の説明と共に和菓子を持参しようという事になってな、ほれ、そこなジジィが主となって、用意をしていたのだが、儂も行きたくなってな、着いてきたと言うわけなのだ」
そう言って、再びカカと笑う。
「いやいや、それにしても僥倖、僥倖。バルシクは我が国でも珍しい魔物でな、最近とんと見掛けんのだ。ここで相見えるとは、儂の日頃の行いが良いからだろうて」
ニコニコと話す真月国王のその後ろからは、例の好々爺が、ムッとしたように口を挟む。
「そもそも王は、必要なかったんじゃ! 素直に宵闇で狩りでもやってれば宜しかったのに……」
ブツブツと唸っている。
「な、何を申すか! お前は何から何まで……っ! 儂が来なければ、誰がこの国のバルシクを狩れるというんだ!」
キーッと真月国王は叫び、今度は猫なで声で私を見る。
「だから、の? 分かるであろ? 儂もその……バルシク狩りに、加えては貰えないだろうか……? 物凄く儂は強いのだぞ? 護衛など要らぬから、の?」
手を体の前で握り締め、『の?』と小首を傾げる筋肉隆々の宵闇国王を目の前に、私は冷や汗をかく。
先ほど国王の目が垂れ下がったのも、コレが目当てだったのだろう。キラキラと目を輝かせて、真月国王は私を見た。
私は苦笑いをしながら、それに答える。
確かに申し出は有難いが、まだ状況把握が出来ていない。ここで滅多な事を言うと、後々面倒なことになるかも知れないので、私はそれとなく話を逸らすことにした。
「あぁ、だからなのですね、宵闇国から来られた一ノ瀬卿の入国記録がなかったのは……」
その言葉を聞いた途端、真月国王の顔色がサッと変わった。
「……」
もしや、地雷を踏んだか……?
ギラリ……と私の目が光る。
宵闇国王は、先ほどニヤけまくった顔が嘘のように、目を吊り上げる。
信じられないほどに、神経を研ぎ澄ませ、私に聞き返してきた。
「……一ノ瀬?」
その鬼気迫る様子に、私はややたじろぎながら、頷いた。
「え、……えぇ。一ノ瀬六月子爵……ご一緒に来られたのでしょ?」
そう尋ねると、真月王は唇に手を当て、何やら考え込みながら、返事をした。
「あ、……あぁ、そうだ。一緒に……」
そこまで言うと、国王は口を噤む。
「……」
様子がおかしい。
必死になにかを隠そうとしているのだろうか? かなり動揺しているように見えた。
突然黙り込んで、何やら考え始めた国王の代わりに、先ほど好々爺の袖を引っ張った少年がスっと前に出た。
「ご挨拶が遅れ、申し訳ありません。ヴァルキルア帝国皇太子様のご尊顔を拝することができ、望外の喜びにございます」
そう言って膝をつくその少年は、フィデルたちと同じくらいの年に見えた。……いや、彼の方が少し上だろうか?
彼は、それだけを言うと顔をあげ、自分の名を伝える。
「私は、露利金衡と申します。宵闇国では伯爵の身分を頂いております。どうぞ、《露利》とお呼びくださいませ……」
そう言いおいて、露利卿は先を続ける。
「一ノ瀬卿……六月は、私の無二の親友でございます。共に宵闇を出立したのですが、お恥ずかしながら奔放な性格でして、目を離した隙にいなくなったのでございます……」
「いなくなった?」
「……はい。六月は、この国のゾフィアルノ侯爵家の公子さまとご令嬢さまとは知人でありまして、恐らくは、そちらの方へ飛んで行ったとばかり思っていたのでございます。……まさかお二人が今謹慎中などとは、露とも思わず……」
言って私の顔色を伺う。
「……」
「けれど、入国記録がないのは当然。我々はラサロ皇帝の客人として、この国に招いて頂いたので、一般の記録には載らないのです」
「……」
それは最もな話だった。
確かに、皇帝の客人として、宵闇国国王と共に来たのならば、誰がその時に一緒に入国した……などと言う事は分からない。
友好国であるが為に、最高権力者である王のその随行員までは、介入しない決まりになっている。
「そう……でしたか」
私はそれだけ答えた。
けれど露利卿は納得しない。
真っ青な顔で、私に食いついて来た。
「そ、その……六月は? 一ノ瀬卿が何かやらかしてしまったのでしょうか? 卿は今どこに……!?」
その顔があまりにも必死だったので、少し気の毒になる。
「あ、いや。実は、我が国の魔物の巣窟である西の森に、その一ノ瀬卿が迷い込んだようなのです。その後をゾフィアルノ公子が追い掛けたのですが、その前に、応援として、近くのドルビー寄宿所の者たちを動かしたようです」
私は父の傍へと歩いて行く。
「それが、今回、このリテイナーブローチが使われた経緯です」
「うむ。分かった」
父は静かに、そのブローチを受け取る。
暫くそのブローチを眺めたあと、父はそのブローチでカツカツと机をつつきながら、口を開く。
「その西の森は、本来外に出て来ないカピアが大量に逃げ出してきてな、そヤツら自体は悪さはせぬが、用心の為に閉鎖させていたのだよ……」
父はそう、静かに呟く。
すると突然、真月王がバン! と膝を叩き、唸った。
「しかし、まさかバルシク発生とは……!」
嫌そうではない。むしろ嬉しそうだ。
「いやはや、フィデルにも礼を言っておかねばならぬな。確かに六月は、バルシクを倒すことも出来るが、さすがに一人では無理だ。とんだ迷惑を掛けてしまった。重ね重ね、申し訳ない」
真月王は深々と頭を下げる。
これほど低姿勢の権力者も珍しい。
「な、何をおっしゃられるのですか、頭をお上げください。大事にならなかったようなので安心致しました。一ノ瀬卿は無事にゾフィアルノ公子が保護したとの報告を受けております」
そう私がにこやかに言うと、三人は表情を固くする。
「……」
「……」
「……あ、……うん。そうであるな……」
絞り出すように真月王が言う。
それを見て父は、横を向いて、必死に笑いを堪えている。
「……?」
何故か釈然としない。
けれどこのリテイナーブローチ騒ぎは、これで終わった。
× × × つづく× × ×




