来訪者
──コツ、コツ、コツ、コツ……。
日が、暮れ始めた。
私は、そんな翳りゆく窓の外を眺めながら、父である皇帝の執務室へと赴いている。
何をしに……? そんなの分かりきったことだ。フィデルが、リテイナーブローチを使用したことを報告しに……だ。
「……」
実の父と言えども、相手はこの国の皇帝陛下。簡単に合うことは出来ない。
本来なら先触れを出し、謁見の許可をもらう。
場合によっては、許可が降りない場合もあるし、謁見が許されたとしても、何日も後になる事だって少なくない。
けれど、今は違う。
フィデルがリテイナーブローチを使った。
その使用報告は先触れの必要がなく、むしろすぐさま報告する義務が生じる。
《国の一大事》……そう言った意味合いが含まれるのだが、出来ることなら、報告せずに済む方法はないものかと、私は執務室へ向かいながら、そんな事を考えていた。
必然、足は重たい。
「……はぁ。そんなこと、無理、……だよなぁ……」
私は、頭を抱える。
どんなに考えても、いい案は思いつかない。
「……」
思わず足を止め、窓の外を見た。
暮れなずむ夕日が、真っ赤に燃えながら、山々の影に隠れようとしている。
「……」
心穏やかに見ることが出来たのなら、『綺麗な夕日だ』などと思えたのかもしれないが、今の心は揺れに揺れていて、風景を楽しむどころの騒ぎではない。
加えて、この廊下。
葡萄色の絨毯を敷き詰めたこの長い廊下には、中庭に面した壁全面に、大きな窓がズラっと設置され、驚くほど見晴らしがいい。が、……見晴らしが良すぎて、少しゾワッとする。
何もない普通の日ですらそう思うのに、今は状況が芳しくない。
ドロドロに溶けた夕日は、美しいを通り越し禍々しい。見晴らしのいいその景色は、まるで私を取り込もうかとするかのようで、思わず目眩がした。
「! 殿下? 如何なされました?」
傍を護衛の為に歩いていた執事のライオネルが、気遣わしげな声を上げる。
「……いや、何でもない。……ここは、見晴らしが良すぎる。どうにも慣れないんだ……」
額を押さえ、私はそう呟いた。
ライオネルは、ホッとしたように微笑み、『そうですね』とだけ答えた。
「……」
気は進まない。
けれど、報告義務がある。
それだけはどうしても、誤魔化すことが出来ない。
誤魔化したとしても、恐らく父は、既に何もかも知っているに違いないのだから……。
「はぁ……」
報告を渋るのには、訳がある。
そもそもリテイナーブローチは、《国の一大事》に使うものだ。
それなのにフィデルは、外国の……しかも一介の子爵でしかない人物が、閉ざされた西の森に入ろうとしただけで、使ったのだ。
何故ここで、使えると思った……?
私には、それが疑問だった。
報告によれば、フィデルは、問題となった子爵のすぐ傍にいたという。それならば、何故、すぐに追いかけなかったのだろう?
追いかける事よりも何よりも先に、フィデルはこのブローチを使った……。
「……」
私はゆっくりとブローチを見る。
手に持ったブローチは、本来は落ち着いたエメラルド色をしている。けれどソレは今、溶けゆく夕日に当てられて、血のにじむような不吉な朱に染まっていた。
「……っ、」
ギュッとブローチを握りしめる。
せめて理由がハッキリと分かった後に報告するのであれば、私にも納得がいく。けれど、意味もわからずに報告するのは、さすがに気が引けた。
不可解な点は、いくつかある。
まず一つ目。
何故、六月なる人物は、無許可でヴァルキルア帝国に入国したのか。
調べさせてみれば、入国の手続きは踏まれていなかった。
《要人》ではなかったが為に、記録が残っていなかったのではなくて、本当になかった。
そもそも入国の際には、どんな人間であっても、その素性を記録しなければならない決まりになっている。
けれど一ノ瀬六月なる人物には、それが存在しない。そもそも、宵闇からの来訪者は、ここ数ヶ月を見ても存在しなかったのだ。
ヴァルキルア帝国と宵闇国は友好国同士。入国など、簡単な手続きひとつで済むハズなのに、わざわざ不法入国する理由が分からない。何か特別な理由があるのかも知れないが、私には想像もつかなかった。
二つ目。
何故六月なる人物は、フィアの作った氷の魔法を解除出来たのか。
フィアは紛れもなく、秘法である水絞魔法の担い手だ。
その魔力の質は、他のものとは明らかに違う。
そんなフィアの作った氷が、そう易々と溶かされるわけがない。けれど六月はそれをいとも簡単にこなしてみせたと言う。
となると六月は、水絞魔法が使えると言うことになるのではないだろうか?
けれど、ここにも疑問が残る。
三つ目。
何故六月なる人物は、水絞魔法が使える宵闇国の人間であるにも関わらず、王太子ではないのか。
フィデルから逃げおおせるその身体能力といい、フィアの氷魔法を解いた実力といい、王太子になるには十分な素質がある。
それなのに、宵闇国では、未だに後継者がいない。
何か特別な理由でもあるのだろうか?
四つ目はフィデルだ。
何故、六月を捕まえる必要があった?
今までの経緯に沿っていくと、六月は不法入国な上に、修道院の氷を無許可で解除し、閉鎖されたはずの西の森へと押し入っている。
捕らえるのには十分な理由を兼ね備えてはいるが、ザザの証言からいくと、状況は大きく変わる。
──《逃げられて、泣きそうな顔をしていた》
後からの知らせで、西の森には、天災級の魔物……バルシクがいると分かったが、ブローチを使ったあの時点で、それは分からなかったはずだ。
それなのにフィデルは、《泣きそうな顔をして》彼を止めた。
……それではまるで、フィデルが西の森に何がいるのか、事前に知っていたかのようだ。
「……」
……いや、それは考え過ぎだ。分かるはずなどない。
けれど、その事実が、今、私の足を重くする原因でもある。
私は考える。
バルシクは未だかつて、このヴァルキルア帝国には現れなかった。
それなのに、その魔物が西の森にいるのだと、誰が考える?
いるはずの無いモノを探すことなどしないし、《もしかしたら……》などと存在を危惧し、警戒する事もない。
それなのにフィデルは、少なくとも西の森に入る前に、知人である六月が西の森に踏み込む事を恐れていた。
それはどう考えてみても、フィデルがバルシクの存在を知っていた……もしくは予測していた、と考えていてもいいのではないだろうか?
「……」
けれどそれは、有り得るのだろうか?
実際、西の森では、今まで現れたことのない魔獣、バルシクが発生した。
その存在を、フィデルが知っていたとすると、知人である六月を必死になって止めたのにも頷ける。
「……」
けれどそこまで考えて、私は首を振る。
いや、そんな事は有り得ない。
魔物の発生パターンは、今までどんな知識人が調べあげても分からない、未知の分野になる。それはどこの国を見てもそうだ。
もしもフィデルがそれを解明したとなると、それはむしろ快挙に近い。
騎士資格でも快挙、魔物の発生の解明でも快挙……となると、私がフィデルに勝てるものは、もう何一つとしてない。
これ以上、フィデルに花を持たせる必要はない。
……いや違うな。
本当は、そんなんじゃない……っ。
私が心配しているのは、もしかしたら、フィデルが魔物の発生方法を見つけ、尚且つ発生させたのではないか……と、危惧しているからなのだ。
フィデルなら、有り得ないことでもない。
けれど、そんな事、信じたくもない。
そうなればもう、庇うことは出来ない。それは明らかに、背徳行為であり、処罰の対象になる。
確かに魔物の発生の特定ともなると、快挙に等しい。
けれどそれは、最初に《実験》という名目があって、初めて成り立つ。
例えば、バルシクが発生したとしても、なんの被害も被っていないのならば、《また妙な実験を……》と言えたかも知れない。
けれど現実問題、こうして水不足に喘いでいる。被害は尋常ではない。
バルシクは発生すれば、近くの水源という水源を枯渇させると聞く。
そうであるならば、恐らく、このヴァルキルア帝国での水不足は、このバルシクが原因なのではないだろうか?
「……っ、」
待て。違う。絶対に違う。
絶対に、そんな事はない。フィデルは、そんな事しない。
……そうであって欲しいと、思う。
「……」
確かにフィデルは、私の恋敵かも知れない。
けれど、だからと言って、貶めようとは思っていない。
フィアが可愛いと思うと同時に、幼なじみであるフィデルも、大切な友人なのだから……。
「はあ」
私は溜め息をつく。
そして考えた。
フィデルは、ただ単に西の森の閉鎖を知っていた。
それだけの事だ。
……そうだ。それだけの事だ。
なにも深く考える必要はない。
そこに、いつも一緒に狩りを楽しんでいた六月がやって来て、魔物を狩ろう! と提案する。
けれど西の森は閉鎖されているから、フィデルはそれを止めようとし、片や六月は、《自国ではない国の閉鎖命令など》……と軽く考えて、狩りを強行しようとした……といったところでは、ないだろうか?
「……」
そう……だ。
きっとそうだ。
六月は不法入国の上、友人であるフィデルを狩りに誘い、断られ、強行に及ぶ。
そしてそれを、必死の形相で止めるフィデル。
けれど止めることが叶わず、フィデルは仕方なくリテイナーブローチを使った。
「……はぁ」
私は息をつく。
この理由だと、全て他国の子爵である六月が悪い……という事になるが、それはしょうがない……とも思う。
そもそも不法入国をやらかしている点で、完全にアウトだ。
「……」
けれど、釈然としない。
……言い訳。
言い訳?
……そう、言い訳でしかない。
心の奥底では、そう思っている。
「……っ、」
実際フィデルは、そんな奴じゃない。
アイツなら面白がって、一緒に狩りに行くに違いない。
何かを見落としているような、本当のことが掻き消えているような、……そんな感じ体にまとわりついているようで、胸の奥がモヤモヤする。
結局のところ、私は《最悪の事態》にしたくなくて、無理矢理、理想とする考えに、全てを押し込めようとしているだけなのだろう。
……ホント、どうしようもない。
「はぁ……」
私は再び溜め息をつきながら、歩みを止める。
コツ…………。
──遂に、辿り着いてしまった。
「……」
目の前には、父の執務室へと繋がる重厚な扉が見える。
まるで、地獄へと繋がる鉄門のようだ……。
私は苦笑する。
もう、仕方がないだろ? ここまで来たんだ。
自分の知っている事だけを話せばいい。
だいたい、私に何が出来るというのだ?
何も出来ない……。
真実は真実。
何が出ようと、素直に受け止めるしかない。
けれど、──。
私は大きく息を吸い込み、再び前へと進む。
扉の前に立つ護衛が、私の姿を見留め、敬礼をした。
胸の鼓動が、痛いほど高鳴る。
どうすればいい?
何と報告する?
結論は、まだ出ない。
けれど報告しなければ、ならない。
私は、声が震えないように、十分に気をつけながら、扉の前の衛兵に要件を伝えた。
「急な話で申し訳ないのだが、リテイナーブローチが使用された。その件について、至急陛下へ取り次いでもらいたい」
「かしこまりました」
護衛はキビキビと返事をすると、執務室内部と話をしに、消えて行った。
待っている間、私は大きく息を吐く。
心が休まらない……。どうにかなってしまいそうだ……!
けれど時間は戻ってはくれない。前に進むより、仕方がない……。
暫く待っていると、陛下からの許可が出たようで、護衛は再び私に向かって敬礼をした後、扉を開けてくれた。
地獄の門が、ゆっくりと開く。
私は震えるように息を吐くと、父の執務室へと足を踏み入れた。
軽いざわめきが聞こえた。
どうやら客人がいるらしかった。
私は少し怯む。
リテイナーブローチが使われた為に、先触れを出さなかったが、本当に良かったのだろうか……?
けれどもう遅い。
結果的に許可が出たのだから、腹を括るしかない。
私は一礼をし、頭を上げる。
そしてすぐさま、目を見張った。
「……」
私は絶句する。
まさに、ぐうの音も出ないとは、この事だと思う。
……今日は何もかもが、驚かされてばかりだ。
もうこれ以上驚く事は起きないないだろう……。と、そう思いながら、父の執務室に居並ぶ客人たちに、私は恭しく頭を下げたのだった。
× × × つづく× × ×




