使者の到来
使者の到来は唐突だった。
「え? フィデルから……?」
私は目を見張る。
フィデルとは、さきほどゾフィアルノ侯爵家で会ったばかりだ。しかも、嫌な取引を持ち掛けられた。おかげですっかり気が滅入ってしまい、例えそれが使者だとしても、正直会いたくなどなかった。
けれど侍従は、そんなことなど知らない。淡々と報告をする。
「はい、コレを持っておりました……」
言ってコトリ……と机にブローチを置いた。
私はそれを一目見て、目を見張った。
「……なっ、」
バッと立ち上がって、思わず声を張り上げる。
目の前に置かれたものは、本来なら使うことなどない……などと思っていた代物だった。
帝国内の水という水が枯れたというのに、更になにか大変な事態が起こったと言うのか!? 血の気の引いていく思いで、私は目の前の侍従を見た。
「すぐ、使者を通せ!」
「は!」
侍従も、このブローチの重要さを知っている。すぐさま退室し、対応に当たった。
《リテイナーブローチ》
本来はただ単に、主従契約を誓った者へ、皇族から下賜されるものだった。
それがいつしかその本来の意味合いを変えていき、唯一信頼のおける家臣のみに贈るものとなる。
信頼のおける家臣となると、それなりの権力を分け与えることもある。
時の皇帝サルヴァトーレは、広大な領地をより効率よく治めるために、この《リテイナーブローチ》を利用した。それが現代でも息づいている。
要は、突発的に起こる不測の事態に対応するために、一時的に《皇族同等》の権限を与えることが出来る。それがこのブローチの役割だった。
行使したい時には、このブローチを見せ、その後行使の証として、主君に一度戻す決まりになっている。それがこのブローチの特権であり、制約でもあった。
……確かこのブローチは父上が、フィデルへと下賜されていたな……。私は頭を抱えながら、思い出す。
「……はぁ」
思わず溜め息が漏れた。
フィデルの実力は、誰の目から見ても確かで、その忠義心も申し分ない。
けれど……と私は思う。
フィデルは間違いなく、恋敵なんだ……。
溜め息をつきながら、眉をしかめる。
私情を持ち込むつもりはないが、目障りなのは間違いない。
フィアの事さえなければ、忠臣としてのフィデルの実力を、素直に認めることが出来たかもしれないが、今の状況ではそうもいかない。
フィデルの実力を認める事は、自分の負けを認めることにも繋がる。だから、素直にはなれない。
「……っ、」
フィデルに負けたくなくて、受ける必要もない騎士資格を取ったが、皇太子としての身分がそれを許さず、フィアの傍にいることが出来きなかった。
それなのにフィデルときたら、《兄》という利点を持っているにも関わらず、フィアの騎士として傍に控えることを許された。それを思うだけで悔しいのに、いくら幼なじみだとは言え、素直にはなれるはずもない。
私は歯噛みする。
そもそも、父上自身がフィデルを信用なされるのなら、何も私の印を使わずとも、ご自分の印を使えばよいものを……。
「……」
私は唇を噛む。
それなのに何故か父上は、私の印 《セイレーン》とゾフィアルノ侯爵家の印《木馬》をお使いになられた。
あの時は、さすがのフィデルも、妙な顔をしていた。
もしも父上ではなく、私が下賜していたのなら、フィデルは絶対に受け取らなかったに違いない。
そう思えるからこそ、イライラは募る。
生まれてすぐは、あんなにも可愛かったのに、変われば変わるものだと思う。
……まぁ、それを分かっていたからこそ、陛下はご自分で下賜されたのかもしれないが……。
けれど、このブローチは滅多に使うことはない。
近隣諸国を攻略していた戦乱の世ならまだしも、始祖であるサルバトーレが帝国を統一してから、はや四百年。争いという争いはなくなった。
平和な今のこの世中で、このリテイナーブローチはすでに過去の遺物となっている。陛下が下賜なされたことに対して、わざわざ異議申し立てをするほどのことでもない。
結局のところ、その《緊急事態》にでもならなければ、ただのブローチに過ぎないのだ。
例え私の印が使われたとしても、ただのブローチであるのならば、それはそれでいいか……くらいの軽い気持ちだった。
「……」
セイレーンは私だけの印だが、木馬はゾフィアルノ家。フィアの印も当然木馬なのだから……。
私はそっと、そのブローチを撫でる。
どのような鉱物を使っているのかまでは分からないが、ブローチは、他のどんな宝石とも違う滑らかな肌触りと、輝きを持っていた。
「……」
本来なら、フィアに渡したかった。
ブローチを渡す人数制限はないが、さすがに女性には渡さない。
けれど私が自分の権力を譲渡してもいいと思えるのは、フィデルではなくフィアだった。
フィデルだって、思いは私と思いは一緒のはずだ。
私の権力を使うくらいなら、死んだ方がマシだと思っているに違いない。
「……」
それなのに、使った……?
私は眉を寄せる。
フィデルがこのブローチを使ったとなると、余程のことが起こったに違いない。フィアに関することだろうか……? 咄嗟にそう思ってしまった。
一瞬そんな事を思って、慌てて頭を振る。
いや、そんな事、あるわけがない。
あの二人は今、謹慎処分を受けている。
水の枯渇と言う、類まれな状況に陥ってしまったから、フィデルの謹慎はこの件に関してのみ、解除されてはいる。けれど、フィアの謹慎は解けていない。
まぁ、……当事者なのだから、仕方がない。
私から逃げようとするからだ……。
「……」
……その事実が、私の胸を抉る。
けれどだからこそ、フィアは屋敷から出れないはずだ。
出れば誰かが気づく。
とすれば、フィアが原因とは考えにくい。
では、何が──。
──コンコンコンコン……。
ドアをノックする音が響き、侍従が対応する。
来訪者を確認すると、侍従は私にフィデルの使者が到着した事を知らせた。
「……入れ」
私は処理中の書類から、顔を上げる。
どんな人間が使者としてやって来たのか見極め、フィデルの思惑を推し量ろうと思った。
「し、……失礼、致します……」
消え入るような声だった。
「……っ!」
入って来た人物を見て、私は再び驚く。
ルル? ルルじゃないか!
私は思わず立ち上がる。
「……ルル」
言葉が口をついて出る。
「え……?」
目の前の黒目黒髪の少女は、目を見張った。
私はハッとして、口を塞ぐ。
驚くのも無理はない。私はルルとは面識がない。フィアから話を聞いただけの存在だ。
前に一度、遠目から見たことがある。
フィアが気にする人物が、どんな人間なのか気になった。
けれどそれだけだ。
顔を合わせる事もなく、話をするでもなく、私はその場を去ったから。
あまりにもフィアが嬉しそうに話すものだから、どんな人物かと、こっそり見に行った。
遠目にも分かる、平民にしては珍しい、黒い髪の持ち主だった。
思わず自分の髪と見比べた。
フィアは何故だか、黒い髪に固執した。
宵闇では珍しくない髪色だが、ここヴァルキルア帝国では違う。黒髪は珍しく、唯一確実にフィデルを追い抜ける、私の特徴でもあった。だからこの髪が誇らしかった。
それなのに、目の前のルルは、それを余裕で超えてきた。
その瞳すら黒い……。
「……」
話をした事もなければ、目を合わせた事すらない。
貴族ではないどころか、身寄りすらもない。
優れた能力を秘めているようにも見えない、ただの子ども……。それなのに、何故かフィアの興味を引いて離さない。
子ども相手に嫉妬など、威張れるものでもない。
その存在が気になって、だから私は、出来るだけサルキルア修道院には近づかないようにしていた。
皇太子として、ルルは私を知っているとは思う。けれどその皇太子が、一介の孤児である自分の事を知っていて、ライバル視しているなど向こうは、夢にも思わないハズだ。
「……」
バツが悪くなって、私は目を逸らす。
「あ。いや、……フィアから聞いていたから。」
咄嗟にそんな事を呟く。
気味悪がられたか……? と心配になって見れば、ルルはその黒い瞳を潤ませて、ふわりと笑った。
「!」
私はドキリとする。
……優しい笑顔。
黒い瞳がよけい大きく見えて、溶けていくようだった。
だからフィアは、この子が気に入ったのだろうか?
「……」
思わず見とれていると、ルルはハッと肩を震わせる。
私はゴクリと唾を飲み込む。
不躾にジロジロ見てしまったのかも知れない。
けれど、見ないわけがない。
ルルは明らかに、フィアのお気に入りに違いなかった。
……もし、もしもルルをこの皇宮に召しあげれば、フィアは私のところに来てくれるだろうか? などと打算的な考えをする。
そして、今のルルの微かな反応は、それを見透かされたような気がして、私の心は落ち着かない。
「……っ、」
けれど、私の心配をよそに、ルルは慌てたように頭を下げ、臣下の礼をとった。
「こ、皇太子さまにおかれましては、日々ご健勝のことと……」
ルルのその決まり文句を聞いて、思わず笑みが零れた。
私はホッと溜め息をつく。
「あ、あぁ、……それはいい。それより要件が聞きたい。……何が起こった?」
リテイナーブローチを持っている者は、煩わしい礼儀作法など取らなくていい決まりになっている。
けれどそれをルルが知るはずもない。
ルルにとっては、この皇宮は未知なる世界だったはずだ。
それなのにフィデルにブローチを託されたが為に、こんな所に来る羽目になってしまった。
今のルルは、心中穏やかではないだろう。
……まったく、フィデルにも困ったものだ。
「……」
一瞬そう思ったが、考えを改める。
いやいや、私も同じようなものだ。ルルの事より、我が身の心配しかしていなかった。
私の心など、自分以外、誰が分かるものか……。
自分の考えを読まれていたわけではないと知ると、私はどっと疲れてしまった。椅子にもたれ掛かり、ルルの報告を待つ。
しっかりしろ……!
動揺するのは後だ。今は、報告が第一優先事項!
自分を叱責しながら、ルルを見る。
ルルは目をきょどきょどと動かしながら、今までの経緯を説明してくれた。
┈┈••✤••┈┈┈┈••✤✤••┈┈┈┈••✤••┈┈
「……宵闇からの要人?」
私は首を捻りながら、近くに控えている執事のライオネルを見る。
ライオネルは、眉をひそめた。
「いいえ、殿下。宵闇からの来訪者は、今のところ、確認されてはいません。諸外国の要人……ともなれば、まず初めに、この皇宮に立ち寄るのが常でありますれば……」
「……そうか」
私は考える。
ゾフィアルノ侯爵家は、宵闇の王族とは、親戚筋に当たる。
それならば、ここ皇宮を通る前に、ゾフィアルノ家へ立ち寄ったか……?
「……」
いや、それも有り得ない。
国の要人がお忍びで他国に入国するなど、あらぬ疑いを掛けられる可能性が出てくる。しかも皇宮ではなく、先にゾフィアルノ侯爵家へ赴いたとなると格好の餌食になるのは、誰の目から見ても確実だ。
たとえそれが間違えであったとしても、一度疑われ失った信用は、回復が難しい。だからと言って、文句も言えない。
疑われるような事をするのが悪い……と言われてしまえばそれまでだ。
「うーん……」
私は腕組みをしながら考える。
しかしゾフィアルノ侯爵家へ赴くほどの人物となると、宵闇国でも、それなりの身分の者であるはずだ。帝国内であっても、滅多な人間は屋敷にすら踏み込めない。
そんな身分の者であるならば、この国におけるゾフィアルノ侯爵家の立場も知っているはずだ。
それを承知の上で、敢えてゾフィアルノ侯爵家へ先に行ったとなれば、どう足掻いても、言い逃れは出来ない。
私は眉をひそめる。
宵闇にとっても、ゾフィアルノ家は大切な存在のはずだ。
今の宵闇国国王には、跡継ぎがいない。ましてや、王家の秘技であるという水絞魔法を使えるのが、今のところ国王の遠縁であるフィアのみなのだ。
表立った動きは見せないにしても、宵闇国国王がフィアを狙っているのは容易に想像がつく。
だからこそ、父上は煮え切らない私に痺れを切らし、フィアと私の婚約を推し進めたのだと思う。
そんな宵闇国。
ゾフィアルノ家が窮地に陥るようなそんなヘマを、あの国がするわけがない。
……いや、むしろ逆か?
手に入れる為に、敢えて疑いの目を向けさせた……?
「……っ、」
ぞわり……と背筋が凍りつく。
絶対に、……絶対にフィアを渡すわけにはいかない……!
私は顔を上げる。
「……。わかった。ルル、報告ありがとう。疲れただろう? ゆっくりお茶でも飲んでいくといいよ」
私は出来るだけ、優しく微笑んで見せた。ルルはけして逃してはならない。
「い、いいえ、私はこれで……」
「……。ライオネル。ルルを中庭の庭園へお連れしろ。……あ、いや、お前はダメだ。……ラシェ」
侍女の中で、一番歳若いラシェを呼ぶ。
「はい。……皇太子さま」
ラシェは華やかに礼をとる。
侍女……と言えども、ここは皇宮だ。信用のならない者は置くことが出来ない。もちろんこのラシェもそれは例外ではなく、それなりの実績を誇る伯爵家の令嬢だ。
ここに居並ぶ従者たちの中でも、位は高い。
私は軽く、息を吐く。
……ひとまずルルは、ここに留めておこう。
「やはりここは、ラシェに頼む。歳が近いし、話も合うだろうから、休息ついでに、ルルと一緒にお茶を飲んでおいで」
「はい。かしこまりました。殿下」
返事こそ、おしとやかに礼をとってみせるが、ラシェは元々、《令嬢》という肩書きが好きではない。肩苦しい皇宮の仕事よりも、たとえ平民であったとしても、歳の近いルルとお喋りする方が好きに決まっている。
案の定ラシェは、私に対しての礼を済ませると、嬉しそうに顔をほころばせた。
私は念を押す。
「ルルはフィアの友人だからね、粗相があってはいけないよ?」
「存じ上げております。……さぁ、ルル! 行きましょう!!」
「……」
ラシェはサッサとお茶飲みに行こうと必死だ。私の権限などものともしない。
不興をかってお家断絶……となれば、逆にラシェは喜ぶかも知れない。
けれど、そんなラシェの豪気な性格が、私は気に入っている。
ラシェは私の話もそこそこに、きゃあきゃあと喜びながら、戸惑うルルの手を取っま。既に、《令嬢》の仮面をかなぐり捨てている。
……まぁ、そこが手懐け易いところでもあるけれど。私は苦笑する。
「あ、あの。皇太子さま……」
ルルが泣きそうな顔でこちらを見た。
「ん?」
ほら来たぞ……と思いながら、私は返事をする。
困った顔のルルは、見ものだった。
「ふふ。逃げようとしても無駄だよ? ラシェは人懐っこい上に、蛇のように執念深いから。逃げられはしない」
「え、あの……あの……」
ルルは口篭る。
どう答えればいいのか、分からないのだろう。
そこへラシェが、『逃がさん!』とばかりにルルを狩りに来る。
「ルル? お茶会、楽しみですわね? ……それでは殿下、私たちはこれで失礼致します……」
ガッチリとルルの腕を掴んで、ラシェは優雅にお辞儀をする。
……ほら、逃げられない。
私はくすりと笑った。
「ああ。くつろいでくれ」
オロオロと当たりを見回すルルを引きずって、ラシェはそそくさと扉を閉め、消えて行った。
「……さて。ザザ」
私はルルの後ろに控えていた、ザザを見る。
目を細め彼を見ながら、私は軽く息を吐いた。ザザは私が送った、諜報員だ。
「それでは、報告を聞こうか……」
ザザは静かに頭を下げた。
× × × つづく× × ×




