報告
ヴァルキルア帝国の都は、不思議と国の端に位置する。
周辺諸国からの侵略を考えると、無謀な位置に見えるかもしれないが、実際のところ帝都の背後には、魔物の住処である西の森と、その奥に広がる広大な砂漠によって、他国の侵略を防いでくれている。
西の森での魔物の発生源が、魔湖だと分かっているのにも関わらず、その湖を埋め立てないのは、そういった訳がある。
過酷な砂漠をどうにか越えたとしても、その後に控える魔物の森……。そうなると、その経路からの侵略を試みようとする者はいない。
自然、ヴァルキルア帝国は後方を気にすることなく、前方の周辺諸国に目を光らせるだけで、国の防衛を維持することが出来た。
ヴァルキルア帝国と隣合う国は、全部で六国。
その周辺諸国と隣り合う土地に、守りとなる公国……辺境伯六公を置いている。
この六公爵家が、現皇帝の血族にあたる。
普通であれば、皇族が辺境の地を守る事などしないが、ことヴァルキルアにおいては、このような仕組みを設け、外からの襲撃の他、内部からの反乱にも、睨みを効かせる形となっている。
そして、その公爵家の下には、それぞれ三つの侯爵家が控え、それらが公爵家を補佐していた。
当然、中央で最高権力を誇る皇帝にも、それを支える侯爵家がいくつかある。その一つが、フィリシアとフィデルの生まれた、ゾフィアルノ侯爵家だった。
ゾフィアルノ侯爵家は、他の侯爵家からは群を抜いて《武》に優れ、多くの騎士を排出している名門でもある。
当然フィデルもその一人で、若干十代半ばにして、騎士資格を獲得した。
それは、いくらゾフィアルノ侯爵家が《武》に精通していると言っても快挙に等しく、フィデルの名声は瞬く間に帝国中へと広まった。
そしてその最年少騎士『フィデル』は、《武》だけではない……という事をすぐさま世に知らしめる。
父であるエフレン フォン ゾフィアルノ侯爵の後継として皇宮にあがった時に、その類稀な才能が花開いたのである。
……とは言っても、全てフィデルの功績ではない。正確に言うと、出どころはフィリシアだ。
当時流行していた病気に対する予防法を、実践と共に提唱したのである。
当時流行していた病気……《流行性胃腸炎》。
単に、不衛生な環境の中で、不衛生な物を口にして発生する胃腸炎を、フィリシアは嫌悪した。
前世の記憶を頼りに、自分の住んでいるゾフィアルノ侯爵家を起点にして、衛生管理を徹底した。
フィリシアに心酔しているフィデルが、それに手を貸さないわけはなく、その取り組みはゾフィアルノ侯爵家のみならず、他家にも広まり、しまいには平民の間でも話題となる。
フィデルの炎の魔法の応用による熱処理の消毒と、フィリシアの衛生管理の知識、それらをあわせて結成された《衛生管理委員会》。
比較的地味な存在であったハズなのに、そこに皇太子であるラディリアス フィル ド プラテリスが賛同したから、状況は一変する。
帝国の主要貴族であるゾフィアルノ侯爵家と、皇族の理解。
普通ならかき消されるハズだった新米貴族の発言……は、いつの間にか、誰もが従わなくてはいけない強制力を持ち、ヴァルキルア帝国の法律に組み込まれたのだった。
けれどそれは、結果的によい成果ををもたらした。
半強制的な取り組みとともに、月一回の立ち入り調査を実施し、効果は抜群だった。すぐにその結果が表れ、毎年夏場になると増えていた体調不良による死者が激減した。
胃腸炎だけではない。
良質な食べ物を口にすることで体が丈夫になり、他の病気にも罹りにくくなったばかりか、武力向上に一役買ったのである。
その功績を讃えられないわけがない。
自然フィデルの名が、ヴァルキルア帝国に轟くこととなった。
その事についてフィデルは、《自分の力ではない》と青くなったが、フィリシアが手放しで喜んだ。『これで安心して、料理が出来ますわ』と微笑んで抱きつかれてしまっては、帝国内外にその名を轟かせた最年少騎士も、鼻の下を伸ばすことしか出来なかった。
そのおかげで、フィデルは身体能力だけでなく、文官としても、その地位を確固たるものとしたのである。
若干十代にして、文武両道。
名実共に申し分なく、多くの貴族たちを魅了し、今やフィデルは次期宰相とまで言われている。
その上、眉目秀麗とくればフィデルがモテないわけはなく、ぜひ妻に……と夢見る貴族令嬢たちは、後を絶たない。
けれどその全ての求婚を、フィデルはことごとく断っている。
理由は簡単だ。
妹のフィリシアがいるからだ。
実際のところ、フィリシアは《男》なのだが、そんな事は誰も知らない。
ついでに言うと、このヴァルキルア帝国では、皇族以外……つまり、侯爵家以下の貴族であれば近親婚が認められていて、とどのつまりフィデルとフィリシアは結婚することが出来る。
もちろんそれは、フィリシアが女性であればの話だ。
流石にここヴァルキルア帝国では、同性婚までは認められていない。
けれどフィデルは、それを上手く利用出来ないかと目論んでいる。
幸いにも、フィリシアが男だと言うことは、一部の人間しか知らないのだから……。
そしてその企みを、フィリシアは気づいていない。そもそも近親婚が認められている事すら知らない。
何故なら、前世では認められていなかった近親婚。今世では世間から隔離された生活を送っているが為に、知る機会を逃してしまったから……。
けれど世間はもちろん、そこを視野に入れている。
法的に認められてはいても、滅多にいない近親婚。
これほど仲の良い兄妹なのだから、もしかしたらいずれ発表があるに違いない。誰もがそう思っていた。
しかし、予想と現実は違った。フィリシアと皇太子の婚約が発表されたのだ。
当然、誰もが目を見開いた。
皇帝の命令でもあったから、皇太子が無理矢理フィリシア嬢を奪ったのだと、人々は噂した。
コレは面白いことになる! そう人々はほくそ笑む。他人のゴシップほど面白いものはない。
そんな事とは知らないフィデルは、妹のフィリシアを守る事しか眼中にない。皇太子と妹の婚約発表後も、今までと何ら変わりなく、言い寄ってくる令嬢たちを、ことごとくあしらってきた。
本人曰く、『フィア以外には考えられない』と言っているだけなのだが、逆にその姿勢が《質実剛健!》と謳われしまい、さらに評価があがってしまったのである。
実際、フィデルとフィリシア、それから皇太子の話は悲恋の物語として、帝国内のみならず海外でも本になるほど話題になっている。知らぬのは当の三人ばかりである。
知られれば首が飛ぶ……! と誰もが口を固く閉ざし、そしてこっそり噂し合い、本を読みふけった。
そして今を遡ること数時間前、そんなフィデルがサルキルア修道院で、今まで見た事がないほど、取り乱した。
捕まえようとした宵闇国の子爵、六月を取り逃してしまったからだ。
「う、……うわあぁぁあぁぁ……!! 六月、六月ぃ!!!」
「!?」
祭壇の上でシスターたちとブルブル震えていた司祭は、思わず飛び跳ねた。
取り乱したフィデルを見たのは、初めてのことだった。
血走った目を彷徨わせていたフィデルは、そんな司祭を取り逃がすはずがない。
ギロッと睨むと、物凄い速さで距離を詰めて来た!
「あわわわわ……」
ワタワタと逃げ出そうとするが、司祭如きがフィデルから逃げられる訳がない。あっという間に捕まえられ、その首根っこを押さえつけられた。
司祭は司祭で、市中にはこびる噂を知らないワケではない。
フィデルの愛妹であるフィリシアを差し置いて、水魔法が使えるからといって、他国の子爵……六月に泣きついてしまった。そしてその現場を抑えられてしまえば、生きた心地がしない。
「おぉ、おお……お、お許しくださいませ! フィデルさま! わわ、わ……私どもは、な、何も……なにも、フィリシアさまを、な、蔑ろに……」
噛み合わない歯の音をガクガク言わせながら、司祭は必死に言い訳をする。
「……何を言っている」
フィデルは眉をしかめる。
それを見て、司祭は更に慌てる。
「で、ででですから、ですから! 蔑ろにしたわけでは!!!」
「そんな事は、どうでもいい!!!」
フィデルは叫ぶ。
「ひぃ……」
司祭は今にも泣きそうな顔で、フィデルを振り仰いだ。
フィデルは冷たく司祭を見下ろす。
「いいか、よく聞け! 今からお前は、ドルビー寄宿所へ行き、応援を頼め! 寄宿所にいる全ての者総出で、西の森の魔湖を目指せと。規制されたハズの森に、宵闇国の要人が迷い込んだと、そう伝えろ!!」
「宵闇国のよ、要人……!?」
司祭は怯えつつも、頭を捻る。
(はて? 《要人》……とは?)
確かに六月は西の森の方へ飛んで行きはしたが、彼は子爵。《要人》と呼ばれるほど、重要人物ではない。何故そんなにムキになるのか……? と苦笑いを浮かべた。
しかし司祭のその様子に、フィデルが怒りを露わにする。
ムッと顔をしかめると同時に、フィデルの背後から火の手が上がった。
ごおぉぉおぉぉ……。
「ひ、ひぃ……!」
鬼のようなフィデルのその顔に、司祭は腰を抜かす。
この様子だと、フィデルは人を食べるのかも知れない! そんな恐ろしい映像が、司祭の頭の中を流れた。
「あわあわあわ……わ、わわ分かりました。分かりました……っ! すぐ、すぐすぐ、すぐに……」
ワタワタと抜かした腰に手を当て、人を呼ぶ。
「誰か、誰か……! 急いで……急いで、ドルビー寄宿所へ! 使いに行けぇ〜……」
叫ぶ司祭。
誰の目から見ても、腰を抜かした老齢の司祭が役に立つとは思えなかった。
そうなると、誰かが代わりに行かなくてはならない。
……けれど、誰が……?
「……」
その場に居合わせた者は、顔を見合わせる。
行かなければ殺されるかも知れない。
けれど行ったとして、万が一不具合でも起きれば、タダでは済まされない。
みな一様に、ゴクリと唾を飲み込む。
「……」
目で、静かな譲り合いが起こった。
《お前が行け!》
《いえ、あなたが……》
《私は無理です!》
《わたしは何も聞いてない聞いてない……》etc...
名乗り出る者はいない。
しかし、このまま黙っている訳にもいかない。
今は静かに待っているフィデルだが、もう限界に近い。
フゥーっと怒りを抑えるかのような、フィデルの溜め息が、その場の空気を更に重くした……!
「……っ、」
けれど手をあげようにも、あげられない。
誰もが半分泣きそうになりながら、黙り込んでしまったその時、可愛らしい澄んだ声が、礼拝堂の冷たい空気を震わせた。
「わ、私が行きます!」
ホッとしたようなどよめきが、軽く起こる。
名乗りを上げたのは、今年十歳になる孤児のルルだ。
「……」
フィデルはそれを見て、目を細める。
フィデルは、ルルの事はよく知っている。
真っ黒な髪と黒曜石のようなその目。普段人の容姿のことなど褒めないフィリシアが、とても綺麗だと言って、ルルを褒めていた。
その顔がとても嬉しそうで、逆にフィデルは不快だった。
「……っ、」
フィデルは、微かに顔をしかめる。
フィリシアが褒める人物は、基本快くは思っていない。それが異性となると、よけいに嫌悪感が増した。
けれど、それを顔に出しては、品位に欠ける。フィデルは、グッと自分の気持ちを心の奥底に閉じ込めた。
(ルルは、あの日出会っている。下手な行動に出るより、味方につける方が得策か……)
フィデルは考える。
相手はまだ子どもだ。
あの時、斬り捨てることも出来た。が、フィリシアが彼女を気に入っている。いなくなれば悲しむに違いない……。
「……」
そう思うと、嫌悪を感じる人物であっても、殺すことは出来なかった。
けれど、秘密をバラされるのも困る。
思惑通りに行くか分からないが、余計なことを言わせない為にも、近くへ置いておいた方がいいかもしれない。
自分の事を無害だと分からせ、むしろ好意を持つように仕向ければ、どんなに自分が罪を起こしたとしても、それを諌める事ができる者は、ほとんどいないと言うことを、フィデルは経験で知っている。
(敵にするより、味方……か)
フィデルは小さく、溜め息をつく。
(……フィアが素直に俺の傍にいれば、こんなまどろっこしいことしなくて済むのに)
……咄嗟にそんな事を思った。
┈┈••✤••┈┈┈┈••✤✤••┈┈┈┈••✤••┈┈
数日前、ルルは森の外れの古城で、フィデルを見た。
皇弟派の人たちと、よからぬ相談をしていた場で、運悪く鉢合わせしてしまったルルは、あの日から命を狙われるのではと、身を隠すように過ごしてきた。
けれどもう、隠れ住むのは嫌だ!
思い切って、フィデルの前へ姿を出してみた。
(大勢の前では殺せない。それに、役に立ちたいと名乗り出たのですもの! きっと、あの時の事も見逃してくれるはず……)
見逃してくれれば、自分はあの時のことをキッパリ忘れることが出来る。
まだ世間にすら出ていない、自分の足で生活することも出来ない子どもの自分が、お貴族さまであるフィデルに逆らうはずもない。
あの事をネタに強請る度胸もない。
ただ、以前と変わらない、平穏な日々が送りたい……!
その一心で、はち切れそうな心臓を必死におさえ、フィデルの前に出た。
「……」
ゴクリ……とルルは生唾を飲む。
……けれど、自信はない。
怖くて足がガクガクと震えた。
泣き出したくなるのを必死に堪える。
「……」
フィデルはそんなルルを、静かに見る。
黒水晶の様な、艶やかなその瞳をじっと見て、フィデルは静かにルルへと近づいた。
「……っ、」
ルルは微かに悲鳴をあげる。
恐ろしくなって、思わず後ずさりしそうになった。
(ダメ! 逃げちゃダメ! がまん、ガマンするのよルル……っ)
自分に言い聞かせる。
フィデルは静かに手を伸ばす。
「……っ!」
ルルはビクッと身を強ばらせた。
けれどフィデルは、怯えるルルに自分の首元に付けてあったブローチを手渡しただけだ。
「……」
ルルは肩透かしを食らい、恥ずかしくなる。
「……では、ルル。ドルビーへ行ったら、その足で皇宮へ行き、コレを皇太子に渡せ」
「え?」
ルルは聞き返す。
もっと恐ろしい何かが起こると思っていた。
いつもと変わらないフィデルの様子に、ルルは少しホッとした。
「……」
ルルは静かにそのブローチを受け取った。
けれど受け取って、ハッとする。
皇弟派の会合に参加していたフィデルは、当然皇太子と敵対するはずだ。毒殺の話までしていたのだ、このまま終わるはずがない。ルルは青くなる。
(もしかしたら、このブローチに、毒が仕込んであるとか──)
けれどフィデルは頭を振る。
「……。何を勘違いしてるのか、分からないが、ドルビー寄宿所の者たちは、帝国……皇族の管轄になる。いくら俺でも、勝手は出来ない。けれど事は急を要する。コレは、そんな時の為に、皇宮から託されたモノだ。何かあった時、俺が全責任を取るという、盟約の証になる」
「あ。……はい。分かりました」
毒ではないと知り、ルルはホッとする。
よく見ればブローチには、皇太子の印であるセイレーンと、ゾフィアルノ侯爵家の印である木馬が刻まれていた。
「け、けれど、私などが皇宮になど……」
ルルは怯む。
みすぼらしい姿の孤児など、皇宮の衛兵が中へ入れてくれるわけがない。けれどフィデルは優しく笑った。
「大丈夫だ。このブローチは、特別だから。心配には及ばない」
そう言ってフィデルは、ルルの手のひらに、そのブローチを押し付けた。
「けれど急いで欲しい。人の命が関わることだから……!」
それだけを言うと、フィデルはルルの返事を聞かず、そのまま飛び出して行った。
ルルはその姿を呆然と見送る。
「私は、許されたのかな……?」
そう、ぽつりと呟いた。
× × × つづく× × ×
『近親婚が出来る設定!?』と
驚きのそこのあなた。
何故そうしたかって?
面白そうだからに決まってます( ˙꒳˙ )キリッ
急に決めた設定だから、前後の辻褄合わんかも。
もしかしたら、ラディリアスも知らなかったかも。
皇族は、近親婚NGなので。
(なんだその、ハチャメチャ設定。。。)
どっちかというと、皇族の方が近親婚OKのところ
多いですけどね。
《血》を守るためっとかって。ね。




