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牽制

 

 ──良かった……。




 本気でダメかと思った。


 もう、俺は何も出来ずに、しかもフィデルを巻き込んで、今世を終わらせるのだと本気で思った。


 だけど、《出来た》。


 出せないと思っていた水絞(すいこう)魔法を、どうにか出すことが出来た。

 形はいつものよりとても小さかったけれど、でも、自信を回復するには十分だった。


 俺もまだ、捨てたもんじゃないな。

 嬉しくなって、ふふっと一人、目を細める。


 そして妙に感心しながら、必死の形相で追っかけてくるバルシクを見た。

 バルシクは、俺とは逆に焦り始めた。



 そりゃそうだよね?


 だって、自分の苦手なモノを、目の前の敵がどこからか発生させ出るんだもん。

 きっとバルシクにとって俺は、脅威以外の何物でもないに違いない。


 さっきまでの立ち位置が交代して、俺は少しバルシクに同情する。

「……」


 だけど、悪いけど、こっちには命が掛かってる。

 大切な家族の命が掛かってるんだ。簡単には殺られないよ……?


 今の俺たちには、お前の命を奪うことまでは出来ないけれど、お前は出来るだろ?

 立場的に、圧倒的に俺たちの方が下だから、手加減するわけにはいかないんだ。


 俺はふっと短く息を吐いて、手のひらに集めた水の塊を、渾身の力でもって投げつけた!

「……っけぇ!!」




 シュン──!




 身体強化を施し、バルシクの顔目掛けて投げる。

 水玉は、ものすごい速さで空を切った……!




 シャッ。




 バルシクの身が、水圧で切れる!




『ギャアァァ──!!』




 ものすごい叫び声をあげて、バルシクはのたうち回った。

 傷は深い!

 だけど、致命傷にはなり得ない。



『に"ゃ──っ!!』



「……」

 獰猛なバルシクとは思えないほど、可愛らしい叫び声を上げて、バルシクは慌てふためく。


 ワタワタと一生懸命、顔にかかった水を手で取り除こうとした。

 ……まるで猫みたいだ。



「あ……たった……」


 俺はホッとする。

 ホッとした途端、今までの無気力さが嘘のようになくなった。

「……なんてこと、なかったじゃん……」

 思わず呟いた。



「……? フィア?」


 フィデルは俺を抱え、相変わらず木々の間を駆け抜けながら、俺の様子を窺ってきた。


 俺は少し可笑しくなる。


 フィデル、俺抱えて走りながら、ずっとこっちを気にしてるとか……!

 なんでそんなに器用なんだろう?

 俺は思わず笑ってしまう。


 バルシク気にしてればいいのに。

 やっつけられたか、ダメだったか。

 ダメだったのなら、俺を怒ればいい。


 だって俺、呑気に笑ってるんだよ?

 《真面目にやれ!》って怒るとこだろ?

 それなのに、《フィア?》って優しい声で尋ねてくるとか、もう笑うしかない。


 フィデルは、何故だか俺を気にしている。

 仕留められなかった俺が笑ってるのを、不思議に思いながら心配している。

 もしかしたら、俺みたいに安心しているのかも……?


「……」

 いや、それはないか。

 だってまだ、危機は通り過ぎていない。

 バルシクはまだ、諦めていない。そんな気配がする。


「……」

 俺は暴れるバルシクの気配を追う。


 のたうち回っているバルシクと、ずっと木の上を走るフィデル。

 当然、その距離は離れ、バルシクは見えなくなった。


 だけど油断している場合じゃない。

 攻撃が入ったからって、侮ってると、すぐさま体勢建て直して、命刈り取りに来るヤバいやつだからね、バルシクって……。



 だけど──。



 俺はフィデルに気づかれないように、安堵の溜め息を吐く。

 一人では逃げきれないけれど、フィデルと一緒なら、どうにかなりそうな気がしてきた。


 大丈夫。出来る。

 フィデルとなら、出来る……!



 一瞬諦めた命。


 まさかフィデルが救ってくれるなんて、思わなかった。

 西の森だって狭いわけじゃない。むしろ広い。

 森に入ったら、絶対にフィデルの事を巻けるって思ってた。


 ……なのにこうして、追いつかれて捕まってる。


 やっぱりフィデルは凄い。

 俺なんかじゃ、太刀打ち出来ないほど大人で、しっかりしてて、体力もあって、社会的地位もある。


 ……それに比べて、俺って、なんなんだろ?


 いつもフィデルのお荷物で、迷惑かけて。

 今日だってフィデルがいてくれたから、こうして生きていられる。


 確かに俺は、自分の命を諦めたよ?

 だけどアレは仕方がない。どう足掻いても、俺の負けは目に見えていたし、逃げることも叶わなかった。


 だけど、本当に死にたかったわけでもない。

 出来ることなら生きて、また家族に会いたいって思った。


 父上、母上。それからフィデル。

 大切な俺の双子の兄。


 前世の家族に会うのは、もう諦めた。

 だって俺は死んだから。

 ずいぶん昔に、死んだから。


 悲しませてしまった前世の家族の分、今世では心配掛けないぞって思ってたのに、俺はいつも失敗する。

 こんなヤツ、置いていけばいいって思う。

 置いていけって言ったら、フィデルどうするかな?



「……」

 俺は顔を上げる。

 抱えあげられるのも、けっこうキツい。硬いフィデルの肩が、腹に突き刺さる。


 だけど俺を抱えているフィデルは、もっとキツいはずだ。


 フィデルよりもちっこい俺だけど、それなりに鍛えてるし、体重だってある。それなのに、この瞬発力って……。


 俺はちらりと、フィデルを見る。

 だけどその表情は見えなくて、俺を抱えながら木々の間を飛び回るフィデルはまるで鳥のように身軽だ。どう鍛えたら、そうなれるんだ? ホント感心する。


 これって何なんだろう? 強化魔法? 跳躍魔法?

 何でこんなに体力あんの?

 フィデルは本当に、俺と双子なの? 俺と同じ遺伝子持ってるとか、信じられないんだけど……。




 ──フーっ、フウゥゥウーっ!




「!」

 遠くで、バルシクの威嚇音が聞こえた!

 俺はハッとする。


 やっぱりバルシクは、諦めていない。

 ドドドド……と低い地響きが微かにする。

 水を掛けられ、余計に怒って、俺たちを追いかけ始めたに違いない。




 ザザッ!




「!」

 近くの雑木林が震えた!


 ものすごく速く移動する黒い影を認めて、俺は青くなる。

 もう? もう追いついた?


 バルシクは幼獣と言えども、デカかった。

 あの巨体で、この素早さ……っ!?

 俺は目を見張る。



 いやいやだけど、そうかも知れない。

 相手は《幼獣》。

 成体よりも身軽だ。

 その上、経験もないから無謀さも上回る。

「……っ、」

 俺は歯噛みする。


 ずいぶん引き離したと思ったのに、あっという間に距離を縮められた!

 バルシクが吠える!




『グアァァァァァ……!!』


 後ろ足をバネにして、踊るように飛び掛ってきた……!


 うわっ、殺られる!!

「っ!」

 俺は咄嗟に身を強ばらせた。


 もうダメだ!

 いくらなんでも、あの巨体に襲いかかられたら、持ちこたえられない……っ!

 思わず目をつぶる。


 確かに俺は水絞(すいこう)魔法が使えた。

 だけど、力をためるのに、まだ時間がかかる。

 そして、掛かった時間に反して、小さなモノしか発動できない。

 例え上手く発動出来ても、飛び上がって襲い来るバルシクは後退しない。


 いや、出来ない。

 重力にそって、俺たちに落下するだけでいいんだから……!

「……っ、」




 ……けれど、いくら待っても、バルシクは降って来なかった。


「……?」




『フギャッ!』





 悲鳴が聞こえた。


 え? バルシク……?


 俺は、恐る恐る目を開ける。

 すると、バルシクは突き出た太い木の枝に阻まれて、ワタワタしていた。

 枝に……引っかかった……?


 俺はホッと胸を撫で下ろす。

 ここが森の中で……フィデルが俺を抱えて枝を飛び移れるような、怪力の持ち主で良かった……。


 けれど、まだバルシクは諦めていない。

 バキバキ……っと枝をその強靭な顎で噛み砕き、いとも簡単に、地に降り立った。




 ストッ──。




 そして、ギラつく目をこちらに向ける。

 もう怒りで理性が飛んだ顔だ。

 フーっフーっとヨダレが垂れるのもそのままに、バルシクは唸った!


「……っ、」

 俺は慌てる。


「フィ、フィデル! フィデル!! 猫、猫が怒った!!」

 バタバタと暴れながら、フィデルに忠告する。


 やばい。

 やばい。やばい。絶対にやばい!

 めちゃくちゃ怒ってる……!!


「え、……ちょ。フィア暴れるな!! 落としてしまう……! それに……ね、ネコ? 何それ……バルシクだろ。……っ、もう少し、耐えろ、……向こうにドルビーのヤツら……いる、から……」

「……」

 息も絶え絶え、フィデルが言う。


 あー、……そりゃそうだよね?

 だって俺抱えて走ってるもんね? 疲れてるよね?

「……」

 俺はグッと唇をかんだ。

 そうだ。そうだよ! フィデルの体力だって、底なしじゃない。

 コレだけの距離を、バルシクに追いつかれないように、俺を抱えて走るのは、相当な重労働に違いない。


 いつもフィデルは、疲れを見せないから、《体力底なしなんじゃ》……なんて思ったけど、そんなことあるはずない。


 いや、……今の状況は、《走る》ってもんじゃない。

 下手すると《跳んでる》事の方が多い……。


「……フィデル」

 俺は情けない声を出す。


 魔法が出せたってだけで、呑気に喜んでた自分が疎ましい。



 西の森は、けもの道しかない。

 逃げようと思うなら、木々に飛び移って逃げた方が効率が良くて、フィデルは俺を抱えているにも関わらず、その方式をきっちりと守っていた。


「あー……。えっとね? フィデル……?」

 俺は遠慮がちにフィデルを呼んだ。


「……ん?」

 フィデルは相当疲れているとみえて、不機嫌そうに返事をする。

 俺はそんなフィデルの返事を受けて、短くはぁ……と息を吐く。

 このままじゃいけない。

 このまま進んでも、いずれ二人ともバルシクに捕まる。


 だったら──!


 俺は決心し、言葉を繋いだ。




「フィデル、俺、置いてって……」




「……」

 ピクっとフィデルの肩が揺れた。


 ……そりゃ、動揺するよね。分かるよ? その気持ち。今更? って思うもん。

 だけど俺抱えて走るより、一人で逃げた方が効率がいい。

 ずいぶん疲れさせてしまったけれど、まだフィデルの体力は余ってるハズだ。


 それに俺だって、フィデルが来てくれたおかげで、少し気分が楽になった。


 少ししか出せない水絞(すいこう)魔法だけど、バルシクを牽制する事はまだ出来るって思うんだ。

 牽制しながら、少しずつ逃げればどうにかなるかも知れない。

 近くにドルビーの人たちがいるのなら、なおのこと。フィデルが先に合流して、俺の居場所を教えてくれれば、すぐに助けだって来る。それまで俺は、この状況を辛抱すればいい。そんな風に思った。


 だけどフィデルは、何も言わない。

「……」


 俺はもう一度、口を開く。


「あ……えっと、俺、置いていけば、フィデルは──」

「舌噛むから、黙ってろ……っ!」

 急にフィデルは俺の話しを遮って、そう叫んだ。


「…………え。あ……、でも……」

「疲れてるんだ、……余計な話は、すんな……っ!!」

 地を揺るがしてるんじゃないかと思うほど、大きな怒鳴り声だった。


「う、…………うん」

 提案を跳ね除けられて、俺はシュンとする。

 フィデルの殺気の方がバルシクより怖くて、俺は慌てて口を(つぐ)んだ。


「……ちっ、」

 微かにフィデルの舌打ちが聞こえた。


 ……そ、そんなに怒らなくてもいいじゃんか……。


 フィデルの不機嫌さが増していて、俺は泣きたくなる。

「……ごめ」

 そう小さく謝ることしか、俺には出来なかった。



 でもね、怖がったのは、なにも俺だけじゃない。

 追いかけていたバルシクでさえも、フィデルの大声に一瞬身を強ばらせて、その動きが鈍った。


 だよね? 怖いよね。フィデル。本当に怖いんだ……。

 妙な同情を感じる。

 半べそかきながら、俺は大人しくなった。



 だけど、いいアイデアだと思ったんだもん。

 最初のバルシクの標的は俺だったから、俺を置いていけばフィデルは助かると思うんだ。もう少し行ったら、ドルビーの人たちがいるなら尚更だ。

 俺を置いて行って、居場所を伝えてくれるだけで良かったんだ。


 ……それなのに。そんなに怒らなくても。



「水!」


 忌々しそうに、フィデルが叫ぶ。


「あー、はいはい。分かりました、分かりました……よっと!」

 内心ムッとしながら、俺は働く。


 こうなったら、腹を括るしかない。

 俺は力をためる。

「……っけぇ!」




 バシャーン!




 ふぎゃあ!!



 バシャーン!




 ふぎゃあ!!




 バルシクは幼いせいもあってか、数回の水攻撃で、にゃあにゃあ鳴きながら逃げてい行った。


「はぁ。逃げてくれたぁ……」

 俺はフィデルの肩に持たれ掛かる。

「……」

 フィデルもその事に気づいて、速度を落とした。


 目の端で、逃げていくバルシクの長いしっぽが、するり……と木々の間に紛れ込み見えなくなる。

 その姿はまるで猫。


 ……そういう弱い所を見ちゃうとダメなんだよね、俺って……。

 少し可哀想に思いながら、俺はバルシクを見送った。



「……ん?」


 そしてバルシクを見送りながら、俺は見た。

 見てしまった。


 バルシクが逃げて行く、その方向とは全然別の場所。

 え? あれ、あれって……もしかして……。



「……」

 俺は目を見張った。


 フィデルが跳ねた。、その瞬間だけ、確かにチラッとだけ見えた。

 だから見間違えかと思ったけど、多分違う。


 もしも見間違えじゃなかったら、大変な発見だ。


 俺は目を見開く。

「……」

 必死に考えを巡らせた。


 バルシクがいるとなると、ヴァルキルア帝国でも討伐隊を編成するはずだ。


 そしてその隊には、必ず俺……六月(むつき)が入れられるハズ。

 だって俺は、バルシクと戦った事があるから。宵闇(よいやみ)で。しかも水絞(すいこう)魔法の使い手なんて、俺しかいない。

 だから討伐隊の一員として呼ばれる可能性が、とても高い。

 だから多分……。


 いや、俺は必ず、またここへ来る。


 そしたら()()()()を確認しなくちゃならない。絶対に、この場所を忘れるわけにはいかない。


 バルシクとは違う、()()()()がいたあの場所を……!




 だから俺は、必死になって、今見ている風景を頭に叩き込んだ。

 もう一度、ここへ来るために……!


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― 新着の感想 ―
[良い点] 殺っちまってほしかったですが、ひとまず撃退は、次に続くってことですね! [気になる点] 水で頭を覆って窒息死、みたいなの考えてました。
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