サルキルア修道院
シュツァーレ郊外に位置するサルキルア修道院。
その近くにあるドルビー寄宿所の前を通った時、俺は呼び止められた。
「お待ちください! これより先に進む者は、こちらで手続きを行ってもらいます」
「!」
急に呼び止められて、俺は困惑する。今まで一度も、こんな事はなかった。
ドルビー寄宿所は、騎士になる為の養成学校だ。
いや……別に、騎士になりたいからって、この寄宿所に入る必要はないんだよ? だってフィデルやラディリアスは、騎士資格を持っているけれど、この寄宿所には入らなかったから。
まぁ、ラディリアスやフィデルには、それなりの財力があるから、優れた講師を自宅に呼び寄せることが出来る。だけど、そんな風に講師を呼べない者たちは、たいてい、こういった寄宿所を利用する。
騎士の養成学校は、ここドルビー寄宿所だけでなく、帝国内には数え切れないほどの学校があるんだけど、ここドルビーだけは特別だ。
寄宿所……っていうと、あまりパッとしないんだけど、このヴァルキルア帝国の中では、随一の実績を誇っている。
他のところはどうだか知らないけど、ここの施設はかなり人気があるから、入所するにもそれなりの試験があって、ボーダーラインに達していないと入れない。
試験以外にも、為人を調べられる。
あー……っと。現代の日本じゃ考えられないかもしれないけど、いわゆる素行調査? ってやつ。
近くに修道院があって、立場的に弱い人たちが集まって来る土地柄だから、問題を起こす可能性のある者は、そもそも入れないんだ。
言うなれば、《ドルビー寄宿所に入れた》と言うその事実だけで、《この人は優秀ですよ。安全ですよ》って太鼓判を押してもらえてるって事なんだ。
だから、たとえ、騎士になれなかったとしても、《ドルビー寄宿所にいた》という肩書きさえあれば、その信頼の高さから、高位貴族の護衛になる事だって夢じゃない。
騎士じゃなくても、騎士と同等の職につくことができる。
もちろん護衛職だけでなく、その他もろもろ、引く手あまただ。
人格、人柄、剣の腕に教養を兼ね備えた人材を育てるドルビー寄宿所。人気が出ないわけがない。
だからこそ、ここは入りにくいんだけどね。
ついでに言うと、騎士資格合格者はほとんど、ここのOBだ。
うーん、なんて言うの? 登竜門? みたいな役割も果たしているのかも知れない。
……で、その名高きドルビー寄宿所の門前に今、俺はいるんだけど……。
まさか、呼び止められるとは思ってもみなかった。
…………いや、俺、何回も、ここを通ったことがあるんだよ? だって魔獣の住む《西の森》へ行くには、必ず通らなくちゃいけない道だから。
もちろん、フィアとしてではなくて、六月として。
ラディリアスが《フィアを西の森に連れていくな!》って俺らの仲間に圧力をかけてくれやがったから、《フィア》は西の森に行けなくなった。
だから《六月》の存在を知っている者たちをグループにして、俺はよくここに討伐に来てたんだ。
……魔獣討伐は、資源確保とレベルアップには最適なんだ。
講師から武術を学んで、西の森で実践。
もちろん、ゲームみたいに、ステータスが出るわけじゃない。だけど、なんにおいても《実践》と《経験値》って必要だろ? その両方と、素材が手に入る魔獣討伐はおいしいことこの上ない。
当然、行かないわけにはいかない。
そんな訳で、西の森に討伐に行く時には、この寄宿所の前をかならず通るし、挨拶……どころか、一緒に討伐に行った事のあるやつも、この寄宿所には結構数、存在する。
……まぁ、あれだ。
フィデルがいつも一緒にいるからね?
信用のない他国の《六月》だけじゃ、ついてきてくれる奴もいないかもだけど、史上最年少騎士のフィデルがいるとなると、話は別だ。
……フィデル、ああ見えて有名だから。宰相候補でもあるしね? ……だからみんな、喜んでついて来る。《あの噂の最年少の技が見れる……!》ってな感じ?
で、その時ここを通るんだけど、ただの一度として、呼び止められたことはない。
それなのに今、呼び止められたのは、やっぱり枯れた川が原因なんだろうか?
俺は少し体を強ばらせつつ、俺を呼び止めた護衛を見た。
「……」
少し……不安だった。
《手続きを行う》。……いったい、どんな手続きなんだろう?
確かに俺は、宵闇国に籍を持ってはいるけれど、入国する時の手続きは、行っていない。そりゃ、……当たり前だ。
だって《入国》したんじゃない。ここに住んでるんだから……。
……多分、見つかったら、面倒な事になる。
そう思うと、俺の心臓がドクンっ……と跳ね上がり、暴れ出す。
どうにか、すり抜けないと。
これは……困ったことになった……。
「……」
俺を呼び止めたのは、今まで見たこともない、若い兵士だった。
……若いって言っても、俺より確実に上だけど。でも多分、新人さん。
ドルビー寄宿所の門の前には、いつも警備の人たちが一日中立っているんだけど、大抵それは入所したての者がその役目を担う。
でもそれは、単なる鍛錬の一環としてであって、実際に取り締まるのが目的じゃない。……じゃ、なかった……はず、……なんだけど……。
俺は恨みがましく、ドルビー寄宿所の門を見た。
見た目は質素な感じがするけれど、よく見ると精巧な彫刻が施されている。濃いチョコレート色のウォールナット。なかなかいい木材を使用している。濃い色の木材を利用しているからこそ、彫刻には気づかない。しかも保護魔法と腐食予防魔法が施されているようだ。念の入れように舌を巻く思いだ。
「……」
けどさ、……素直に、《石》使えばいいじゃん。丈夫だし長持ちするし、なんで《木》なんだよ。
俺は眉を寄せる。
あぁ、それよりも、困ったなぁ……。うまく、すり抜けられるだろうか?
俺は青くなりながら、屋敷の枯れきった川を思い出す。
事は思ったよりも、深刻なのかも知れない。……早く修道院へ行きたい……。
どうにかして逃げたいけど、逃げたってなんの意味もない。寄宿所には騎士にはなってないとはいっても、かなりの手練が沢山いる。すぐに捕まって、しばりあげられるのがオチだ。
「はぁ」
……最善策は、素直に従って、尚且つこの問題をスマートにクリアする事。それに尽きる……。
くそっ……面倒くさい!
俺は唸りながら、氷雨の手網を引いた。
「ヒヒン……!」
「!」
氷雨が小さく嘶く。
心が不安定だったせいか、俺は手綱を手粗く引っ張ってしまった。
「あ……っ、しまっ……!」
思わず声が漏れた。
俺は息を呑んで、焦ったが、氷雨は小さく嘶いただけで、驚くことなく、むしろ緩やかに止まってくれた。そしてあろう事か、俺を慰めようとしてるのか、少しこっちを振り返……ったような気がした。
「……氷雨、ごめん」
俺がそう言うと、氷雨は機嫌よく鼻を鳴らす。
……うん。いい馬。ごめんね、いきなり止めて……。
俺はぽんぽんと、宥めるようにその首を撫でた。すると、見知った声が響いてきた。
「お? 六月か? 今日はまた、すごい馬に乗ってるな? いつこっちに来たんだ? 悪いな、今ちょっと立て込んでて、長話も出来ん。困ったもんだよ。……あ、西の森は訳あって今は封鎖中。唯一行ける修道院には、この帳簿に名前を記さなくては行けなくなったんだ」
言って、声の主は奥から姿を現した。
手に黒表紙の書類を持っている。
さっき俺を呼び止めた新人さんではなくて、この人は、俺の顔見知りだった。その顔を見て、俺はホッと安堵の溜め息を吐く。やっぱり、知った人間がいるって、心強い。
俺は頬を緩めつつ、口を開いた。
「あぁ、タッカーさん。ご無沙汰してます。……はい。たまには修道院にも顔を見せようかと思いまして……。帳簿、ですか?」
俺は素早く馬から降りて、挨拶をする。
見事な髭をたくわえた、この人。タッカーさんは、この寄宿所の職員だ。
優しい顔立ちの、人好きのするようなオーラを放った彼は、見た目的には事務員のようだが、立派な騎士資格保持者だ。経験がある分、俺よりも強い。
俺はタッカーさんに話しかけながら、俺を呼び止めたさきほどの警備兵に、馬の手綱を預けた。
……預けた途端、『おぉう……!』と間抜けな声を上げていたから、あれは新米中の新米に違いない。
確かに氷雨みたいな馬は珍しいけれど、そう驚かなくてもいいと思う。
まさか氷雨を虐める……なんてことはないかも知れないが、早めに引き取りに戻った方が良さそうだ。
「なにか、あったのですか?」
俺は横目で、端に連れて行かれる氷雨を見ながら、タッカーさんに問いかけた。
まぁ、原因はだいたい分かっているんだけどね。
水が枯れたために、修道院へ助けを求めて、人が押しかけでもしたんだろう……。混雑を避けるために、入山規制を掛けているのかも知れない。
ちなみに修道院は、山の手前にあたる。
そのずっと奥が西の森となるけれど、天候によっては、入山規制が掛る。その中に、修道院も含まれてしまうが、実際危険な西の森はずっと奥だし、天候も、修道院までならどうにか穏やかだ。
それでも入山規制がつけば、修道院の人たちは動けなくなるので、その為の備蓄は万全に整えてある。
普段は恵まれない人に分け与えたり、今みたいな被害が出たときに、手助けする役目も担っている。でもって、俺……《フィア》は、水担当。
だから、魔法を少し解除して、氷のブロックから、少しずつ水を提供出来るようにしなくちゃいけない。
今回の入山規制は、修道院まで。先には行けないようだけど。……俺には関係ない。一人くらい見つからずに入れるはずだ……。
俺は目を細め、思考を巡らせる。
「……」
そしてハッとし、頭を振る。
……いやいやいや、今の問題は、そこじゃない。
まず最初の問題は、修道院の《水》の解除だよ。俺の今の姿が《フィア》じゃないって事が問題だ。
うまく行くだろうか……?
六月の存在は知っていたとしても、フィアが設置した氷のブロック解除。怪しいことこのうえない。
警戒されたり、捕まったりしないだろうか?
俺はだんだんと心配になる。
けれどタッカーさんは、困ったようにボリボリと頭を掻いた。
「ん? あぁ……ちょっと困ったことになっててな……」
言ってタッカーさんは、苦笑する。
「何故かカピアが大量に森から逃げて来てな、……あー、害はないやつらなんだけど、アイツらって可愛いだろ? 乱獲する奴がたまにいてな、今、それを取り締まる事になったんだ。だから、西の森には誰も踏み込むことは出来ん!」
「は? カピア?」
俺は思わず、素っ頓狂な声をあげた。
水問題かと思いきや、まさかのカピア……!?
《カピア》……見た目ハムスターをでっかくしたようなネズミの魔物で、特技は巣作り。見た目はあれだ。モルモットに近い!
その、モルモット似のカピアは、近くにあるめぼしい物を見つけては引っ付かみ、自分のねぐらへ持っていく、ちょっと迷惑な魔獣。
……けれどそれだけ。
夜行性だから、ほとんど姿をあらわさない。
臆病で、魔獣の森である西の森からは出てこない、無害な生き物だ。
猫のいないこのヴァルキルア帝国では、猫のような扱いを受けている。
噛みつかない大人しい性格で、もふもふな毛並み……と来れば、誰もが愛するペットの地位を欲しいままにしているのは言うまでもない。
けれど、水不足で困っていると思いきや、カピアとかね? ちょっとウケる。
……俺、実はもふもふに弱いんだよね。
猫もなんだけど、あのふわふわのやわやわの、あったかい生き物。ずっとスリスリしていたくなる。
「カピアかぁ。俺も触りたいなぁ……」
思わず口走ってしまった。
するとタッカーの顔が険しくなる。
「いや、それはやめた方がいい」
「え? ……あ、そうか、保護してんだよね? 見つけても、触っちゃダメなの?」
「いや、そうじゃない」
タッカーは真面目な顔で俺を見る。
「アイツら、触ると《離れなくなる》んだ。今は、非常事態だからな……」
「は?」
俺は聞き返す。
そんなの初めて聞いた。
「……んー。だから言ったろ? アイツら《逃げて来た》んだ。西の森から」
「え……? あ、うん。言ってたね?」
逃げる?
俺は首を傾げる。
確かにカピアは臆病者だけど、アイツらは、ちゃんと西の森に逃げ場の横穴を複雑に造りこんでいる。
どんなに強い魔獣でも、カピアをそのねぐらから引っ張り出す……なんてこと、出来ないはずなんだけどね……? 俺は訝しんだ。何に逃げてるんだ……?
「西の森で、異変が起こってる……もしかしたら、新たな魔獣が生まれたのかも知れん……」
「新たな魔獣……」
俺は考える。
それはけして、珍しい事ではない。
西の森の奥深くには、魔獣を生み出す泉がある。その泉からは、毎日なにかしらの魔獣が生まれていて、極たまに、大きな魔獣を産み落とすことがある。
そんな時は今みたいに、小物魔獣が怯えて騒ぎ出す。
……ただ、そんな時でもカピアが逃げ惑ったことなんてない。
何が起こってる……?
俺は眉をしかめた。
「普通カピアは、巧みに隠れるから、こうも逃げる事はないんだがな、よほどそいつは、カピアの天敵らしくて、ひどく脅えて逃げてくるんだ。乱獲目的ならすぐ察知して、そいつらからも逃げるんだが、逆に好意を持って近づくと、守ってもらおうと思うのか、離れなくなるんだよ……」
タッカーさんは、困ったようにそう言った。そして逆に俺は喜ぶ。
え? 何それ! 可愛い!! 知らなかった。カピアのその習性!
俺の目がこっそり光る。
「だから、危険だから……っておい! 聞いてる!?」
「聞いてる聞いてる! 触っちゃダメなんだろ? 気をつけるから、……じゃ、タッカーさん、俺、急いでるから……!」
俺は手早く、帳簿に名前を書き終えると、外へ出た。
──カピア!!
どうしょう! 俺、カピアからモテモテになっちゃったら! あいつら、めちゃくちゃ可愛いんだよなぁ……。
ムフムフ……とそんな事を思いつつ、俺は氷雨を見てくれていた護衛の人に、ろくに挨拶もしないで氷雨の背に乗った。
よし! カピアを探そう……!
俺は意気込む。
意気込んで、ハッと頭を捻る。
あ……れ? 俺、なんか忘れてる?
んんー、ちょっと待て。待て。なんか忘れてないか? 俺……。
「うーん。」
懸命に考えるが、全然なにも思い浮かばない。
頭に思い浮かぶのは、カピア一色。あー、うん。ダメだな。コレは……。
なにか、忘れてる気もするんだけど……。
でも、なんだっけ?
「……」
………………。
まぁ……、いっか。
後で思い出すだろ……。
それよりもカピア! カピアっ!!
俺はそんな事を思いながら、ウキウキと馬を走らせた。




