体験入部
「え? ちょ、え? 乗れって? ……え? えぇ!?」
俺は焦る。
いや、乗ったことないしね? 俺、馬に乗ったこと一度もないんだけども!?
「何言ってんの、六月……」
事もあろうか和明は、そんな俺を鼻で笑う。
「引き馬なんてするわけないじゃん。そんなんやってたら自由に動かせないよ?」
「え? お前こそ何言ってんの? 俺に何求めてんの? そんなの俺、望んでないからな?」
ワタワタと俺は慌てる。
「平気平気、基本さえ踏まえてれば、馬って機械じゃないし。危ないって思ったら、自分でどうにかするからさ」
いやいやいや、危ないって思って俺振り落としたら、どうしてくれんの? 俺、落馬だよ? 死にはしないかもだけど、骨折っちゃたりするんじゃないの?
そう言うと、和明は笑った。
「んなわけないって、そんなん、よほど馬を酷使しないと、馬だって怒らないよ? ほら、花子だって『早く』って言ってるぞ?」
和明はアゴで《花子》なる馬を指し、カラカラと笑う。
……。
自分の名前を呼ばれた、俺の横にいる《花子》はブフフ♡ と鼻を鳴らし喜び、俺の背を軽く押す。
えー……。お前、そんな名前なの?
もっとほら、海外的な名前とつけるんじゃないの? ポラリスとかシリウスとか……。
ポラリスはつけないか。北極星だしね? 動かないし。
え? でも、そんな感じの名前じゃないの? 馬って。違うの?
「……」
世界観を一気に破壊され、俺は黙る。
「それに六月……」
和明はそんな俺に向かって、ニヤリと笑う。
「馬って頭がいいんだ。自信なげに乗ると、『主導権握ってやる』とか思われて、弄ばれるぞ」
ヒッヒッヒッと、わけの分からない笑みをこぼした。
え。なにそれ、怖いんだけど。
俺本当に、振り落とされるんじゃ?
横目で花子を見ると、なかなか乗ろうとしない俺に焦れたのか、その鼻面で軽く小突かれた。
……馬にとって、軽く。ね。
不意打ち喰らった俺は、軽く吹っ飛ぶ。
「……うわっ、」
よろけながら、そして俺は見る。
視界の端で腹を押さえて、声を殺して笑う和明兄の姿を……。
「……」
くそう……兄弟で、バカにしたな。覚えてろよ。
悪態をつきつつ、俺はしぶしぶ馬に乗った。
……。
それなのに。……いや、なかなかどうして。
馬の乗り心地は、快適だった。
花子は、暴れもしないし、振り落とそうともしなかった。
……。
いや、振り落とされたら、困るけど、……。
結構長く乗せてもらえたから、腰と足の付け根は痛くなったけど。でもまぁ、面白かった。
馬……いいな。可愛いし、面白い。
「簡単だろ……?」
和明は、そんな俺を見て、面白そうに笑った。
……まぁ、うん。面白い。
「一時間も乗ってれば、ある程度の指示は、出せるようになる」
そう教えてくれた。
いや、そんなに乗ってられんし。
腰……、腰にクる……。
「おいおい。まだそんなに乗ってないだろ? ……ほらあと、五時間くらい乗れば、跳べるようになるぞ!」
和明が、そう言った途端、はかったように和明兄が駆けていく。
もちろん柵で区切った、別の馬場だ。
カッカッカッ……と現れたかと思うと、一気に走りだす。
ガッ──!
「!?」
和明兄は、勢いをつけ見事にハードルを跳んだ……!
信じられないくらい高いハードルを、いとも簡単に!
どっと歓声がおこる。
いつの間にか、馬術部の柵の周りには、人垣が出来ていた。
え。気づかなかった……。
それにしても……馬のハードルって、あんなに高いの……?
俺は気が遠くなる。
いやいやいや、無理、無理だから。
絶対に……無理無理無理無理!!!
五時間乗っても、俺が跳べるわけがない!
俺はガクガクと頭を振った。
「あ、あれは兄ちゃんがカッコつけてるだけだから。兄ちゃんが跳べるギリギリの高さまで上げてっから、えらく高く見えるだけで、実際の試合は馬の膝くらいかな? そんなに高くない。あそこまでは普通跳ばないから安心して」
いやだから、俺に何を求めてんの? どっちにしろ無理っつってんだろ?
「……」
俺は無言で眉を寄せる。
だけど和明は、構わず話を進める。
「そうだなぁ、お前なら、アレ、アレなら出来る。アレなら、六月にも出来るかも。バランスとって、両腕組んで王〇将軍の真似とか!」
言って和明は左手を腰に当てて、高らかにコココココ……と笑ってみせた。
ほら、やってみ? やってみ? と俺を見る。
「……」
俺は冷たい視線を、和明に送る。
いや、ギャラリーいるだろうが?
しかも、『とか』てなんだよ。『とか』って。まだ色々あんのかよ……。
……いや、しないしね。絶対しないし……!
そんな期待に満ちた目で見られても俺、絶対にしないからな!
なんなの? ホントもう、なんなの?
俺の友だちは、本当に、こんなんしかいない。
俺は頭を抱え、とにかく馬術部には入らないでおこう……そう決心する。
ここにいると、絶対にヤラれる……そう思った。
「でさ、お前さー」
家に帰る道すがら和明は、遠慮がちに俺に話し掛けてきた。
俺は先手を打って、キッパリと断る。
「馬術部には、入らない!」
和明はキョトンとする。
「え?」
「だから、《馬術部には入らない》!!」
「あ、……いや、それじゃなくってさ。アレだよ、梨愛……の事……なんだけど……?」
和明は、申し訳なさそうに、話を切り出す。
言葉の語尾が、微妙に小さかった。
「え? 梨愛……?」
俺は黙る。
え、……と。そこに来る? いきなり……?
不意をつかれて、俺は思わず立ち止まった。
確かにそんな話ではあったけど、それって馬術部勧誘の単なる口実じゃなかったの……? と言うか、馬術部の方が口実だったってこと……?
「……」
これは、あれだろうか?
和明も梨愛が好きだから、諦めて欲しいとか、そんな話の……?
俺は勝手にそう思い、少しムッとする。
だって、恋愛は自由だろ? 誰が誰を好きだとか、コントロールするもんじゃない。
まして裏でコソコソと、こんな取り引きみたいなこと……。
俺は絶対に呑まれないぞ! と心を鬼にしながら、和明の次の言葉を待つ。
和明は、ゆっくり口を開いた。
「あの……さ、出来れば早めに近づいて欲しいんだ」
ほら来た! 近づ……近づけ!? 近づけって言った……? え? 何つった今? 和明、今、何つった??
「……は?」
俺は聞き返す。
「だーかーら、梨愛に早めに近づけって言ってんの! 好きなら、もうちょっとアピールしろよ! お前、どんだけ奥手なの? 俺、こんなに近くに住んでて、二人とは幼なじみで、お前とは親友だと思ってたのに、全然知らないとか、有り得ないし……っ」
ぎゅっと眉根を寄せ、和明が唸った。
「……」
俺は耳を疑う。
え? 今、なんて言った?
《近づくな》? ……いや、《近づけ》って言った? なんのために?
和明は、怒ったようにまくし立てたかと思うと、今度は困ったような泣きそうな、そんな変な顔になる。
「噂……。アイツに、変な噂立ってるだろ?」
「噂?」
なんの事か、さっぱり分からない。梨愛に対して、何かの噂が立っている? そんなん、ちっとも知らなかった。
だけど……そう言えば、大樹もそんな事言ってたような……?
「噂……が、なんだよ。お前、そんなん気にするの? 梨愛だって、そんなの気にするヤツじゃないだろ?」
和明だって、知らないはずはない。保育園の頃からずっと一緒に過ごして来た。
家だって近い。
今更、梨愛の性格知りませんでした〜なんて、シャレにもならない。
柔らかい顔立ちの梨愛は、見た目はひ弱な感じのする女の子だけど、実際は違う。
色んなことを知っているし、友だちも多いから、噂話にも動じない。
どんなに悪評が立っている人物だろうと、自分が認めれば、気さくに話し掛けて行くし、友だちにもなるようなヤツだ。噂よりも、自分の目と感覚を大切にする。
だからこそ、傍にいてホッとする。
外からの言葉にフラフラ自分の意見を変えないから、安心して傍にいることが出来るんだ。
だけど、なんだか和明の様子がおかしい。
噂? 恋愛に関する噂だろうか?
そんな風に思いながら、俺は和明を見る
「……」
和明は険しい顔で、黙り込んだ。
俺は焦る。
「え? なに? なんなの? そんなに深刻な噂なの?」
俺は聞いた。
そしたら和明は、ポツリと言った。
「噂……。噂じゃないかも……」
和明は、それ以上何も言わなかった。
何が何だか分からなくて、俺は言いようのない不安に襲われた。
でも、それだけ言って、和明は話題を変えた……。
人の心が関わってくる、その梨愛の《噂》に、和明なりに遠慮したのかも知れない。
俺がその噂に介入する隙はなくて……いつの間にか、時だけが過ぎた。
俺が……和明がこの時言った、この言葉の意味知ったのは、それから十ヶ月も後のことで、……その日この街には、冷たい雨混じりの雪が降った。
数日続いたこの冷たい雨は、ある知らせと共に、俺の心も凍りつかせた。
俺が事情を聞いて、梨愛の家に駆けつけた時にはもう、梨愛は、この世にいなくて、……ただ、無機質な棺桶の中に入れられていた。
いや、実際には、梨愛は棺桶の中にはいなかった。
だから俺は、梨愛の遺体を見ることも出来なかった。
白い菊の花に囲まれた、梨愛の笑い顔だけが、……俺の好きな、くすぐったそうに笑うその姿が、静かにそこにあるだけで……。
梨愛は近くのダムに飛び込んだのだと、梨愛のおばちゃんが、泣きながら教えてくれた。
自殺……だったって……。
損傷が激しくて、棺桶は形だけ。
既に火葬は、済ませた後だった。
せめて、最期の別れくらいは出来る……と思っていた俺は、心臓を鷲掴みにされるようなショックを受けた。
「え? なんで? ……なんで?」
俺は唸ることしか出来ない。
既に、……過ぎ去ってしまった事に、どんなに嫌だと叫んでも、時間が元に戻るわけじゃない。
じゃあ、どうする? 俺はどうすればいいの?
「……六月」
和明が、つらそうな顔を俺に向けた。
言葉もなく、ふらつく俺の腕を擦る。
「かず、和明……? どう、なって……」
「……」
夢を……見ているのだと思った。
だって、遺体、見てないし。
この前まで、笑ってた。
なんで? ……自殺? え? ……自殺……っ? それって、なんだっけ?
もしかして、みんなで、俺を騙してる?
タチの悪い、ジョーク?
視点がぐるぐると回る。
どこを見ればいいのか、分からなくなった。
「……」
そんなはずはない。
みんなが、そんな事するはずない。
そうだとしたら、おばちゃんのあの震えるような涙も全部、嘘になる。
そんな、はずは……ない。
これは間違いなく現実で、梨愛は本当に逝ってしまった。
あれだけ仲の良かった友だちも、優しいおばちゃんも、
そしてこの俺も、
みんなみんな棄てて、逝ってしまった。
病気とか、事故とかじゃなくて、
自分を、殺して──。
「うわあぁぁあぁぁ……っ、なん、……なんで……なんでっ」
突然襲い来るその現実に、俺は抗いたかった。
もう、……もう、会うことが出来ない……っ、
もう、あの笑顔が見れない……!
そう思うと、堰を切ったように、涙が後から後から溢れてくる。
嗚咽で、息が……出来なく……なる……!
俺は、何も出来なかった。
気づかなかった。
ボロボロと涙が溢れた。
自分では、どうする事も出来ない。
ひどく悲しくて苦しくて、息が詰まった。
「あ……、なんで……なんでだよぉ……っ!」
止めようとしても涙は後から後から、とめどもなく流れ出て、……まるでそれは、自分のものではないかのように、勝手に溢れ出る……!
耐えきれなかった。
醜態を晒してるって、分かってた。
でも、どうしようもない。
大好きだったから。
好きだったから、どこに想いをぶつければいいか、分からなかった。
和明は言った、
『早く近づけ』……って。
知ってた? 知ってたのか? こうなる事を……っ!?
俺は問いただす事もままならず、ただ叫んだ。
声が枯れるほど叫んだ。
誰もそれを咎めなかった。
俺のその悲鳴は、
虚しく暗く、冷たい雲の中に
ただ吸い込まれただけ、だった……。




