梨愛
梨愛は、和明と同じで、俺の幼なじみだ。近くに住んでいる。
長くて黒い黒髪が魅力的で、人好きのする優しい顔立ちの梨愛は、いつも沢山の友だちに囲まれていた。
笑うといつもくすぐったそうな顔になる。梨愛がそんな風に笑うのを見るのが、俺は好きだった。
梨愛の笑顔を見ると、凄く安心する。
本当なら、もっと頭のいい高校に行けたはずなのに、梨愛はこの高校を選んだ。なんでも、仲のいい友だちが行くから……との理由だった。
……。
女って、何考えてるかよく分からない。
だって高校だよ?
普通、将来見越して選ぶもんだろ?
それなのに、《友だちと一緒がいい》……とか。俺だったら有り得ない。
だって俺は別に、梨愛がこの高校受けるって知ったから、受けたわけじゃないし。
……お、俺の場合は、ここしか受かりそうになかったからで……。
だから、断じて、梨愛を追い掛けたとか、そんなんじゃないし、仲のいい友だちがいたからでもないし。
……ま、まあ? 確かに、梨愛がここを受ける事は知っていたよ? だけど、だからって、ここを受けたわけじゃない! 断じて違う!!
………………たぶん。
意識していなかった……と言い切ると、嘘になる。
だけど本当に、梨愛がここに来るから選んだわけじゃない。
まぁ……、入学した時に梨愛を見つけて、嬉しくなった……てのは事実だよ?
俺だって、好きなやつといられる方が、嬉しいに決まってる。
だけど俺は、食べ物関係の仕事につきたかったから、この高校への入学は、絶対通らなくちゃいけない道だった。
県内でも有数の就職率を誇る、この高校。家からも近い。
俺は真面目にここを選んだし、ここでちゃんと頑張ろうって、心に決めてた。
……だから、本当は真面目なはずの梨愛が、《友だちがいるから》……なんて理由で、ここを選んだことが、少し引っかかっていた。大丈夫なのかなって。
もっと大切にすべき事が、あるんじゃないかって。
「お! 来た来た! 良かった〜、本当はもう、来ないんじゃないかと思ったよ……」
俺が馬術部のある区画に足を踏み入れると、和明はすぐに俺を見つけ、そう言って叫んだ。
あまりにも大きな声だったから、周りにいた学生が振り返る。
「……ちょ、和明、声……恥ずかしぃだろ……っ!!」
真っ赤になって、和明をどつく。
けれど、満更でもない。
すぐに見つけてくれたから、もしかしたら待ち構えてくれていたのだろうか?
俺が来るのを待っていた……とか、そう思うと、少し嬉しくなる。
……それがコイツじゃなくて、梨愛だったら最高なんだけど、さすがにそこまでは、求められない。
幼なじみって言っても、そこまでの仲でもないしね。
和明は《さっき、どついた仕返し!》と言わんばかりに、俺の背中をバンバンと叩きながら、口を開く。
叩くその手は悪意に満ちているけれど、声は嬉しそうだった。
「いやいや、本当良かった。お前もさ、あの噂知ってるんじゃないかなって思って、少しヒヤヒヤしてたんだけどさ……」
言いつつ苦笑いする。
「でも、なんてぇの? 噂は噂だし。気にすることないよ」
和明はそう言って、再び俺に微笑みかけた。
「え? 噂? あの噂……って?」
俺は驚く。たぶん梨愛の事だろうと、目星がついた。
だけど俺は、梨愛の噂なんて知らない。
梨愛に……あの梨愛に噂?
だって入学したばかりなんだぞ? そうそう《噂》なんてものが、立つわけがない。
人好きのする、少し幼い感じの梨愛は、人に嫌われるようなことは絶対にしないし、多分できない。
確かに頭は良くて、こんな高校に入学したのは不思議だけど、自分の頭の良さをひけらかすような性格でもない。
困っている人がいたら、そっと近づいて、微笑みながら手伝ってくれる……そんな、聖女みたいな女の子なんだ。
……いや、言っとくけど、恋愛フィルターなんて、掛かってないからな。
これは、みんながみんな、同じように思ってる。きっと。多分。
じゃなきゃ、あんなに女子たちが梨愛の傍に来るわけないし、梨愛も、あのくすぐったそうな笑顔を見せるわけがない。
だったらあれか? 中学校の時の噂か?
俺は思い返す。
「……」
だけどあいにく俺は、《噂》の類が好きじゃない。
だから思い返しても分かるわけない。
噂話をしている雰囲気の時は、たいてい適当に相槌うってたもんだから、その内容なんて思い出せないんだけど、梨愛の噂話は聞かなかった……と思う。
多分、俺だったら、《梨愛》の単語だけで反応していたはずだし。
……だけど、聞いていたら、それがもし、悪い噂だったら、俺は怒っていたかもしんない。
だって噂ってさ、ただの《憶測》も含まれるだろ? 本当にそれが真実かどうかなんて、よく分かりもしないのに、ペラペラペラペラ話すとか……。
《どこどこに、ケーキ屋が出来るんだぜ!》とかだったら、大歓迎だけど、基本人の噂は大嫌いだ。
だけど高校にしろ中学にしろ、そこ三年の間の話だろ? そんな短い間に人間がそうそう変わるわけないって思うんだけど?
梨愛は間違いなく高評価を得ている人物で、たかだか二、三年の間で何かが変わるわけもないから、梨愛に不評が立つはずはないんだけどな?
俺は頭を抱える。
考えても考えても、思い当たる出来事は見い出せない。
すると和明は、明らかに動揺を示した。
「え? あ、……えぇ? あ、えっといや、あ、アレだよアレ、うちの高校の馬術部が有名って話」
「え? それ? 本当にそれのこと? 俺、てっきり梨愛の事だと思ってた。なんだ、そんなん有名じゃん……」
俺は少しホッとして、微笑み返す。……でも、心のモヤモヤは消えない。
ここの高校の馬術部は、結構強い。
しょっちゅう地方誌に載るくらい有名だ。テレビにだって、何回も出ている強豪校でもある。
だから、入部するのに足が遠のくって?
そりゃまぁそうかもだけど、俺、馬なんか乗ったことないし? てか、ほとんどの学生って、引き馬体験した事はあるだろうけど、自分だけで乗る環境なんて、そうそうない。
ほとんどみんな初心者のはずだしね。気にする必要はないとは思うけど、ちょっとハードル高いよね。《強豪》馬術部入部って。
「……」
俺は黙り込む。
いや、……本当は、それじゃないと思うんだよね。《噂》の話。
俺は顔をしかめる。
何かをはぐらかされた……。
その時そう思った。
でも俺はその時、そう思ったことすら、すぐに忘れた。いや、考えられなくなった。
……何故かって?
だって、だって! …………馬を見たんだ。すっごく大きな馬!!
すっごく、すっごく綺麗なんだぞ!?
だって学校に馬がいるんだよ……? そりゃ、思考もぶっ飛ぶだろ?
小学校とか中学校では有り得ない。学校に馬!?
いや、それだけじゃない。
俺はそこここにいる、たくさんの動物たちを見て、テンションが上がってしまった! ……いや、ホントなさけない。
何頭もいるサラブレッドに、ちっこくて可愛らしいポニー。それから近くの木に繋がれて、草を食んでいるヤギ。
どれをとってしても、今までの環境と全く違くて、俺はその事実に、圧倒された。
馬術部なんて、学校の横を通る時にいつも見ていた。
馬なんてよく見てたし、もちろん、ポニーもヤギも珍しくない。練習風景も見たことがある。だから……と、俺は多分、少しバカにしていた。何でもない、ただの風景だと。
でも──。
実際、自分が関係者なんだって思ってみろよ? テンション上がるから……!
「すご、カッコイイ……」
思わず見入ってしまう。
全然違う。
遠くで見るのと、近くで見る馬!
断然、近くで見る方が大きかったし、ツヤツヤしていて綺麗だった。
「だろ? だろだろ!? お前も乗ってみる?」
「え? 乗れるの!? でも、俺、入らないかも……」
「いいって、いいって! そんなん、いいんだよ! 今は体験させるのが目的なんだから……!」
そんな会話をしつつ、和明は俺の背中を押した。
厩舎の中は、独特な匂いがした。
俺は再び圧倒される。
馬……でっか……。
何頭もいる馬が、初めて見る俺に興味津々で顔を寄せてくる。
ぶるるる……と鼻を鳴らしたり、カツカツと蹄を打ちつける音。何もかもが新鮮で、俺を圧倒する……!
和明はそれを見て、ふふふと笑う。
「お前、向いてるかもよ? 馬がメッチャお前気にしてるじゃん」
「え? そうなの?」
「馬は人懐っこくはあるけど、今みたいに興味を引くことはないよ」
言って、和明は小走りで走り出す。誰かを見つけたようだ。
「あ、兄ちゃん! 六月来たよ。どの馬使っていい?」
「え? マジで? えっと、今は……」
そんな会話が聞こえた。
和明には兄ちゃんがいる。
二つ上の、俺の姉ちゃんと同い年の兄貴。
小さい頃には俺も良く遊んでもらったけど、最近はすれ違っても、あまり話もしない。少し挨拶するくらいだ。
俺は二人の傍に行く。
そして俺は目を丸くする。和明の兄ちゃん、白いスウェットパンツに紺色のジャケットを着ていた。いわゆる乗馬の正装!?
「あ。言っとくけど、コレ、普段の練習では、着ないからな? 今日は新入生の呼び込みで着てるだけで……」
和明兄は、苦笑いしつつ俺にそう説明した。
強豪部でも、新入生の呼び込みは必要らしくて、毎年どこの部も必死なのだそうだ。
当然馬術部も、呼び込みの目玉である技の披露を行うらしい。
そう言えば……と、俺は思い出す。
学校の体育館で、部活の紹介があったとき、馬術部はポニーを体育館に連れて来た。
あれはかなり湧いたが、そのポニーが余計なお土産を残してくれて、先生たちが怒っていた。あれは、なかなかの見ものだった。
俺は思い出して笑う。
ギチギチしている雰囲気じゃなくて、学校全体がいい雰囲気だ。俺は本当に、この高校に来て良かったと思う。
「あ、和明。この馬とこっちの、使っていいぞ。今はまだ体験の新入生来てないから、二頭好きに使って……」
「え、マジで? ラッキー。じゃ、六月乗ろ! お前は、そっちの芦毛の馬。大人しいんだ。俺はこっちね」
ニコニコと和明は俺に馬の手網を渡した。
「……は?」
俺は馬の手網を渡されて、頭を捻る。
すると目の前の、でっかい芦毛のサラブレッドも、首を傾げて俺を見た。
え?
ちょ、待って?
俺は焦る。焦って、パカパカと大きいお尻を振りつつ和明に連れて行かれる馬を見た。
「六月? 行っておいでよ。早く乗らないと、乗れなくなるよ……? あ、足踏まれないように、気をつけて? 踏まれたら骨折するから。六月の足が」
軽くそんな事を言いながら、和明兄は、行け行けと俺に手を振った。
「……」
俺は仕方なしに、和明の後を追った。
ブルルと鼻を鳴らし、芦毛の馬が嬉しそうに首を振りつつ、ついて来る。
「……」
何故か俺は、初めての馬なのに、引き馬なしとか、わけの分からない荒療治をさせられる羽目になった。




