氷雨
馬の名前は、『氷雨』にした。
見た目的にも《氷》を彷彿とさせるその姿には、ピッタリだと思ったし、全てが終わったら宵闇国へ行こうと思っていたから、ちょうどいい。
宵闇国では普通に《漢字》が使われていて、どちらかというと、より日本に近い。
実の所、俺的には生まれ育ったヴァルキルア帝国よりも、宵闇国の方が気が楽だった。
国民の様子も日本と、さほど変わらない。
黒い髪に黒い瞳。そして日本人のような顔立ち。
そして良くも悪くも、自分の本心をさらけ出さない、その国民性。
だけど、取っ付きにくいわけじゃない。
生真面目な性格の中に、ニヤリと笑う、いたずらっ子がいる……そんな感じだ。
そもそも、現在の宵闇の国王は、俺の従兄弟伯父にあたる。俺のばあちゃんの兄ちゃんの子どもが、現国王だ。
俺の父親とは、従兄弟になる。
フィデルは、あまり好きじゃない……なんて言っていたけど、この従兄弟伯父は、俺とは気が合った。
サバサバした性格で、くだらない冗談が好きだ。
俺の変な生活環境もなんのそので、みんなと同じように接してくれるし、いつでも宵闇に来い……と言って、フィデルが反対するのも無視して、俺に爵位をくれた。
国王……にしては、……なんと言うか、ちょっと擦れた、……いわゆる何処にでもいるような、変な『おっちゃん』。そんな言葉がピッタリくる。
国王とはいっても、宵闇国は、ヴァルキルア帝国よりもずっと小さい国。
だからこそ家庭的な雰囲気で、尚且つ、それほどマナーにもうるさくないし、取っ付きやすさを感じる。
あまりにも、《近所の人たち》感を出している人たち。そんな宵闇の人たちと話す時、俺はよく前世での事を思い出した。
家でのこととか、学校のこと。
友だちのことに、近所の人たちのこと。
お菓子を作った時のこととか、学校の調理実習の話とか。それから部活のこととか、恋愛のこととか。
「ふふ、そう言えばさ、可笑しいんだぞ……」
俺は氷雨に話し掛ける。
……馬に話し掛ける、とか、おかしいとか思うだろ?
……まぁ、俺もそう思うんだけどさ、氷雨は走りながらも耳をパタパタしていて、まるで俺の話を、聞いているみたいだったんだ。
俺はそれが嬉しくて、思わず話し掛けてしまう。
もともと俺は、動物が好きだから、少しでも好意を寄せてくれる動物には、ついつい頬が緩む。
「俺さ、実は前世では《高校生》ってのやっててさ……」
なんて、話をした。
誰にも話せなかった、前世の記憶。
本当は、誰かに話したくって、堪らなかった。
だけど話せばきっと、ややこしくなる。
ただでさえ、特殊な環境に生まれたこの俺が、妙な事でも口走ったら、どうなると思う……?
きっとみんな青くなるんじゃないかな? 《遂にフィアがおかしくなった!》……とかなんとか言って。
──過酷な人生を、強要したからこうなった。
……なんて思われたら、いたたまれない。
面白い事があったんだよ……これは聞いて欲しいんだ! ……なんて、よく考えもせずに、ベラベラと喋りでもしたら、きっと、ろくでもないことになるに違いない。
……みんな、意外と心配症だから。
「……」
俺は思わず、苦笑いする。
だいたい俺は、そんなにヤワじゃない。
そんな、変なところで気を使ってもらいたくなかった。
だけどさ、人って、《これは秘密だ》と思うことを抱え過ぎると、苦しくなるもんなんだよね。
「……」
少なくとも俺は、苦しかった。
本当に、何でもない小さな話なんだけど、その小さな一つ一つが積もり積もって、山のように膨れ上がった。そうなると、自分では、どうしようもなくなる。
大好きな友だちの事とか、面白かった番組の話だとか、オシャレの事とか、恋愛の事とか──。
言いたくても誰にも言えず、ずっと黙ってた。
忘れたくても忘れられない、悲しくて、楽しかった記憶。
……あぁ、俺は、あの日に戻りたい。戻って、みんなの傍にいたい……。
今は、俺が《男》だって事すら、誰にも言えない……。
本当は、普通に過ごしたいんだー! なんて、そんな当たり前のことですら、言うのを躊躇う。言えば、みんなを悲しませると思った。
だから何にも、言えなかった。
だけどさ、
「氷雨には言えるだろ……?」
氷雨はうれしそうに、少し跳ね、ブルルルル……と鼻を鳴らす。
俺は優しく、氷雨の首筋を撫でた。
だってさ。氷雨は、《人》じゃない。
黙って、ただ聞いてくれる。それが少し、嬉しかったんだ。
もしかしたら、《いらない奴》だと思われているかも知れない《俺》。
だけど、氷雨は、そんな《俺》を静かに受け入れてくれてるようで、居心地がいい。
ふふ。
おかしいよな?
さっき会ったばかりなのに。
俺は笑う。
だけど嬉しくて、仕方がない。
だから俺は、《独り言》として、氷雨に話をした。
ずっと前の、フィリシアに産まれる前の、前世の《俺》の話を──。
✻✻✻
「え? お前、梨愛が好きなの!?」
そう言って大樹は、豪快にいちご牛乳を吹いた。
「うわ! なにやってんの!? 汚いだろ! てか、叫ぶなよ!!」
俺は焦って後ろに飛び退く。
大樹は、よほど驚いたんだと思う。俺が梨愛が好きって事が。
……だけどそんなに驚くことか?
少なくとも梨愛は、モテる方だと、思ってたんだけど……?
頭はいい。顔もいい。性格もいい。
欠点と言えば、欠点らしい所がないところ?
よく言えば完璧で、悪く言えば隙がない。……ん? 反対か? 《完璧》てさ、ある意味、欠点だよね。
幼なじみのせいか、俺と梨愛はたまに話もするけれど、梨愛はどちらかと言うと《高嶺の花》のイメージ。ちょっと近寄り難い。
いつも女の子たちが周りを固めていて、近づくのもままならない。……そんな存在だ。
だから、《好きだ》って言う男子は少なくないとは思うんだけど、……言えないわな。隙がないから……。
……え? だから大樹、吹いたんかな?
俺は疑問に思いつつ、横目で大樹を見る。
大樹は、口から豪快に吹き出したいちご牛乳を、自分の手につけてしまい、ぺぺぺっとその手を振りつつ、辺りに弾き飛ばしている。
……てか、汚い。
「うわぁ、やっちゃった……。お前、ハンカチかティッシュ、持ってない?」
「持ってない」
俺は即答する。けど、実は持ってる。
ハンカチを携帯するのは、当たり前だと俺は思ってるからな。
何処へ行くにも、欠かさず持っていく。
ティッシュは持ってないけど、ハンカチだけは、絶対に忘れないよう気をつけている。
……。でも、コイツには絶対かさない。
明らかにいちご牛乳、拭くだろ……?
俺はぷいっと、顔を背ける。
いちご牛乳なんか拭いた日には、ハンカチがベタベタになるじゃないか。しかもお前のせいで、俺の好きなヤツ、バレたんじゃね? 周りに。
「……」
見なくても分かる。周りからの視線が痛い。
俺は嫌そうに顔をしかめながら、横目で大樹を見た。
あちゃ〜と言いつつ大樹は、手についたいちご牛乳を制服の上着でゴシゴシと拭いている。
紺のブレザーが、若干湿った色に変わる。
俺は目を細めた。
いやいや、お前も一応は、食品科だよな? 衛生管理に厳しい科に入ったからには、ハンカチくらい持ってこいよ……。
……とは思うんだけど、現実はそうはいかない。よな。分かってるよ? ちゃんと。
俺はふと考える。ハンカチ持ってる高校生男子って、どれくらいいるんだろう?
いや、そもそも、女子でも持っていないヤツいるんじゃないか……?
今や公衆トイレでも、エアタオルは当たり前についてるから、普通ハンカチなんて持たないよな?
や、だけど、エアタオルあるって過信して、ない時って悲しくならない?
だから俺は持ち歩くんだけど、トイレの後だけじゃなくって、何かと便利だしね、ハンカチって。
それにうちの高校って、エアタオル、ないじゃん? やっぱり、持っておくべきだと思うんだよね。
……あぁ、それにしても、今の……っ、普通、叫ぶか?
俺はムッとして辺りを見回す。
だいたい大樹は、無神経なんだよ。
人の《好きなやつ》なんて、たいてい秘密にするもんだろ? それをこんな人前で叫ぶとか……。
「……」
近くに梨愛がいなかったことに、俺はひとまずホッと胸を撫で下ろす。
今、俺たちは、穏やかな春の陽射しを受けて、のんびりとベンチに腰掛けて、昼食を楽しんでいた。
誰もいない中庭……なわけはなくて、ちゃんと周りには人がいる。
そんな中、大樹は叫びやがった。《俺の好きなヤツ》……。
案の定、俺たちの騒ぎを聞いて、ニヤリと笑いつつ、こっちを見る悪たれ共と目が合った。
……うちのクラスのやつ……じゃない、そいつらは畜産科だ。まぁ、……知り合いだけど……。
俺は出来るだけ気づかれないように(もう、遅いけど。)、顔を背けた。
コツ待ちを見ている、畜産科の悪たれ共のそのうちの一人は、梨愛と同じ幼なじみの、和明だった。
……うわ、最悪。
俺はちらり……と、顔を向ける。
「……」
…………ほら見ろ。
嫌な奴と、目が合ってしまったじゃないか……。
俺は頭を抱え、深く溜め息をついた。
「大樹……、和明が妙な顔して、こっち見てる……」
あれは絶対聞かれた。
和明は、ニヤニヤ笑いつつ、こっちを見ていた。
そして、一緒にいる友だちに何やら囁くと、こっちに来る。
「……」
……いや、来なくていいし。
俺は溜め息をつく。
アイツだけには、悟られたくなかった。
学校一お節介の、秋山和明。
小中高とずっと一緒の、腐れ縁。
俺……(前世の名前は、一ノ瀬六月)は、この日、あまり関わりたくなかった和明と、否応もなく急接近することになる。
……何故って?
俺の好きな女の子……秋山梨愛と、こいつ……和明が、従兄妹同士だったからだよ……。面白がって、絡まれたんだ。
……もともとこの和明は、俺とも幼なじみ馴染みではあるんだけど、高校ではかかわり合いになりたくなかったんだけどね。うるさいし、しつこいから。
だから、離れてたのに、もう計画失敗とか……。
近づく和明の気配を察知し、俺は体ごと顔を背ける。
……無駄だって分かってるけど。
「ようよう。六月? 今聞こえたんだけど、お前梨愛が好きなの?」
案の定和明は、嬉しそうにそう言って、俺の肩を抱いた。
「いやいや、それは聞き間違いだから……」
言って俺は、和明の腕を退ける。
目の端に、申し訳なさそうな大樹の顔が見えた。
……ったく、遅せぇよ。
俺は眉を寄せた。
「んな、他人行儀な。……大丈夫! 俺に任せろよ! 人肌脱いでやるからさ」
和明は、ドーンと自分の胸を叩く。
「いや……いい……」
いや……ホント何する気? やめて欲しいんだけど……。
俺はあからさまに嫌な表情を作って、和明を見た。
和明はそれに気づいて、苦笑いする。
「いやいや、遠慮するなって! なんてぇの? 幼馴染みの仲じゃん? それに、梨愛の為でもあるし、さ……」
「は?」
《梨愛のため》……?
俺は顔をしかめる。
え? どういうこと?
梨愛も、俺の事、好きってこと……? いや、まさかね。
俺が和明の顔を覗き込むと、和明はあからさまに青くなって、自分の口を塞いだ。
「い、いや……なんでもない」
慌てたようにもごもごと呟いて、和明は顔を逸らした。
えー……。なに、それ。怪しいんだけど……。
俺は目を細める。
それに気づいて、和明は焦ったように言葉を繋ぐ。
「あ! ……あぁ、そうだ。お前、放課後暇だよな? なぁなぁ、部活、何か入る? もう決めた? 決めてないなら、馬術部に来いよ!」
「えー……馬術部って、お前の兄貴いるじゃん……」
俺はやる気のない声を出す。
和明の兄も、和明と同様、人をおちょくって遊ぶことに命を掛けている。
本来、関わるべき相手じゃない……。
「そう言うなって、サービスしてやるからさ、来いよ! な? 絶対来いよ! 待ってるからな!!」
「サービスってなんだよ……って、おい! 待てって……」
断ろうと思ったのに、和明はそんな隙を俺には与えず、素早く消えてった。
「んだよ、あれ……」
俺は悪態をつく。
「……」
でも、もしかしたら、これはチャンスかも知れない。
俺は少し、考えを改める。あぁ見えて、和明は、面倒見がいい所がある。これは、ひょとすると、ひょっとするかも知れない。
思わず顔がニヤける。
大樹のやらかしたことも、案外、良かったのかも。
ふふふ……と笑っていると、大樹は険しい顔で、俺をつついた。
「……六月」
「ん?」
呼ばれて俺は大樹を見る。
大樹は、困った顔をしていた。
ん? どした?
俺は首を傾げる。
「こう言うとアレだなんだけどさ……」
言って大樹は、申し訳なさそうに続ける。
──梨愛は、やめた方がいいよ……。
そう、小さく呟いた。
……またまた、推敲途中です( ̄▽ ̄;)
すみませんねぇ、適当YUQARIでさ。。。




