フィアの居場所……。
正直に言って、俺は拷問が得意じゃない。
何度かやった事もあるが、つい力加減を間違えて、殺してしまう。
魔力が強いのが原因だろう。
いや、それは俺だけじゃない。代々侯爵家の主は魔力が強いから、拷問には適さない。
だからここ……というか高位の貴族の屋敷には、必ずと言っていいほど、拷問を得意とする諜報部隊が、置かれている。
……まぁ、フィアは知らないだろうけど。
その存在を教える年頃になる前に、フィアは離れの屋敷へと出て行ってしまった。
フィアは、良くも悪くも、貴族社会の《闇》を知らずに済んでいる。
《……いずれ平民となる身なら、知らなくてもよい》
父はそう言って、フィアには何も教えなかった。
確かに知らなくてもいい。
フィアには、穏やかで綺麗なものをたくさん見せてやりたい。
俺だって、拷問は趣味じゃない。だけど今は、そう悠長なことも言っていられない。
そのフィアが、行方不明になったのだから。
「……」
俺はメリサを睨む。
本当なら、諜報部隊を呼んだ方がいい。
本邸にある地下に閉じ込めて、じっくり話を聞き出す……それが本来のやり方だ。拷問させるのなら、専門の部隊に任せた方が、効率がいい。
だが今回は、そんな部隊は使わない。
メリサが、可哀想だからじゃない。
誰にも知られないように、秘密裏に動きたいからでもない。
メリサがフィアの乳母で、フィアがメリサを大切に思っているからでもない。
ただ俺は、自分の手で、何が起こったのか、知りたいだけだ。
フィアに関わるだけに、誰の手にも触れさせたくない──。
確かに、アイツら……《諜報部隊》は、呼べばすぐに来る。
いや、……既に俺の近くには、誰か一人、必ず控えている。
だけど俺は、ソレを呼ばない。
「……っ、」
俺は唇を噛む。
分かってる。アイツらを呼んだ方が、早いってことも。
だけど俺は、アイツらが好きじゃない。
その上、俺は、メリサが憎い。
ずっと一緒に……フィアの傍にいられたメリサが、憎い。
自分のこの手で、絞め殺したいほど憎い。
だけど……メリサは、フィアの《お気に入り》──。
多分……俺は、メリサが羨ましい……。
ずっとフィアの傍にいられるメリサ。
フィアから《好きだ》と言ってもらえるメリサ。
俺には言わないのに……。
双子の兄の俺にすら、言えないような秘密を、共有するメリサ……!
そう考えると、嫉妬でどうにかなりそうになる。
だから、……多分、これは八つ当たり……なんだろう……。
ずっと……ずっと、フィアと一緒にいられたメリサ。
俺だって、フィアの傍にいたい。
将来的に、平民になるフィア。
いつまで一緒にいられるか……なんて分からない。フィアは突発的に動くヤツだから、もしかしたら、明日にはいないかも。
……いや、それが、もしかしたら《今》なのかも知れない。
──ぞわり……。
「……っ、」
背筋を、冷たいなにかが横切っていく。
俺は更にメリサを締め上げる。
「……っく、……あぁ」
苦しげなメリサを見ると、その寒気が、少し緩む。
俺はフィアの傍にいられない。
それなのに、傍にいられるのはメリサばかり……。
……だったら、メリサも、フィアに会えなくなればいい……!
「……」
……間違いなくこれは、ただの八つ当たりだ。
こんな事をして、何になる……。
そうは、思う。
だけど──。
自分の心の闇が垣間見え、更にイライラがつのった。
俺はそれを消し去るように力を込め、炎の鎖を締め上げる。
「ふぐ……っ、あ……あぁ……」
苦しげにメリサが呻いた。
メリサが呻くと、心の靄が少し晴れ、闇が少し……濃くなる……。
俺たちの秘密をずっと前から知っているメリサが、俺たちを……いや、このゾフィアルノ侯爵家を裏切るとは、到底考えられない。だから、フィアが酷い目に合っているとは、俺も思ってはいない。
だけどそんな事くらいで、メリサを完全に信用する訳にはいかない。
何が起こるのか分からないのが、貴族社会だ。
昨日味方だった者に、今日、寝首を搔かれた……など、良く聞く。
《信用》など、愚かなことだ。
フィアが無事なことを確かめたあと、いくらでも信用すればいい話だ。
今は……今は、信じてはいけない。
全ての可能性を引き出し、唯一の真実を導き出す……!
ギリギリと鎖を締め上げながら、俺はメリサに尋ねる。
「メリサ……。フィアはどこだ?」
「あ……あぐ……、あ……」
「答えろ……!」
「ひぐぅ……うぅ……っ、」
なかなか答えようとしないメリサに、俺は痺れを切らす。
……くそ。
このままじゃ、本当に殺してしまう。
苦々しく思っていると、窓から俺の部下が入って来た。
気配を感じ、俺の肩が跳ねる。
シュタッ……と、軽い音が響いた。
俺は横目で、そいつを見る。
「……リゼ、邪魔するな」
俺は吐き捨てるように行言った。
俺の護衛兼諜報部隊隊長リゼ。
……例の、拷問部隊の隊長だ。
よりにもよって、コイツが今日の俺の護衛かよ……。
「……」
俺は唸る。
リゼは、何を考えているか分からない。だから嫌いだ。
とりわけ美女……というわけでもない。けれど人の心を読み、行動するリゼは、諜報活動には役に立つ。
飛び抜けて高い身体能力も、この年で隊長にまでのし上がってきた所以だ。
赤毛のクセのある短髪をなびかせ、真っ赤なルビーを思わせるようなその目を、リゼは面白そうに細めた。
「はい。フィデルさま」
そう言ってリゼは、ふわりと微笑む。
……声は可愛らしい。
《鈴の鳴るような声》……とは、こんな声なのかも知れない。
少し甘めの、媚びたようなその声は、誰もが虜になる。
……笑うと、無邪気な女の子にしか、見えないんだけどね。
その実、傭兵よりも、人の血を浴びてるからね、コイツ……。
俺は嫌悪感をあらわにする。
普通貴族は幼い頃から、感情を顔に出さないよう教えこまれるが、知ったことか。こと、このリゼと相対したときは例外だと、俺は勝手に解釈している。
少し垂れ目のその赤い瞳は、透き通ったように大きく、何もかもを見通しているかのように見えた。
顔は童顔で、人好きするような風体をしているが、実のところ、鬼のように人の心を掴むのが上手く、その上かなりの怪力だ。ぬかるんだ馬車を一人で引き上げた、という逸話を持っている。
当然、《隊長》なのだから、拷問にも長けている。
可愛い顔してるからと、油断して捕まると、絶対に逃げられない。
とことん追い詰められ、最期には全てを話させてくれ! と懇願し全てを曝露しつつターゲットは死に絶える。
犯罪人の返り血を浴びて微笑むその様さは、まるで鬼人。
真っ赤に燃える、炎のようなその髪と瞳の色は、本当は、他人の血で染まった色なのかも知れない。もともとそういう色だったのか、……なんて、もう覚えていない。《返り血で染まった》と言った方が、よほどリゼには自然だ。
そんな奴が、今は不在と言えども、フィアの部屋にいるということにゾッとしない。
俺はチッと、舌打ちする。
「しかしながら、フィデルさま。感情に任せた拷問となりますと、いささか困ったことになりかねません。それ以上されますと、殺しておしまいになる可能性がございます……」
そしてリゼは、フフと笑う。
……だから、気持ち悪いんだって。
俺は眉をしかめる。
リゼはそんな事お構いなしに、話を進める。
「それに、彼女は《話さない》のではありません。苦しくて《話せない》のです。仮にもフィデルさまの乳母ですよ? フィデルさまのことを大切に思っている存在ではありませんか? 普通に尋ねればよろしいのに……」
フフフと笑いながら、悪びれないその言い方に、俺は少しムッとする。
「分かってる……。だがメリサにとって、俺が《大切》であるはずはない」
それは《嫉妬》などと言う、陳腐なものじゃない。実際そうだと思っているし、その方が、こっちも楽だ。
俺はメリサから、可愛いフィアを奪おうとする輩。
メリサは俺から、大切なフィアを奪おうとする輩。
それでトントンなんだよ。
感情をぶつけても、罪悪感なんてない。
……だけど。
確かにやり過ぎた。
それは認める。
「……」
俺は手の力を抜き、炎の鎖を解いた。
ドサッと、メリサが崩れ落ちる。
「ゲボっ、ゲボっ……ゴホゴホゴホ……」
メリサは激しく咳き込んで、震えるように息を吸った。
「フィ、フィデルさま……」
涙をためつつ、メリサは俺を見る。
「……」
けれどメリサは、その目に恨みがましい光を宿し、俺を睨んだ。
俺は嫌悪感を露わにし、口を開く。
「命乞いなど聞きたくない。フィアはどこだ……」
「い、命乞い……など……。フィ……フィア、フィリシアさまは、サ、サルキア修道院へ……っ、ゴホ、ゴホゴホ……ご自分で……」
苦しげに、メリサは唸る。
「自分で? 修道院……へ? 何故そんな所へ……」
俺は言いながら、思考を巡らせる。
確か、あそこにはフィアが溜め込んだ、氷のブロックが置いてあったはずだ。
人々の救いの場である修道院で、水汲みをするのは骨が折れるだろうから、せめて楽に水が調達できるように……と言って、フィアが貯蔵していた。
俺は干渉していなかったから、すっかり忘れていたが……。
そうか、そこにも《水》が……。
「……」
俺は爪を噛む。
氷から水にする必要があり、水にした途端、劣化が進むので、頃合を見計らってフィアが解除しているのだろう。
おそらくフィアは、史上類を見ないこの水不足のために、その氷のブロックを多めに解除しに行ったに違いない。
俺は舌打ちし、眉をしかめる。
「氷を解放しに行ったのか? しかしフィアは謹慎中の身。……あの真面目な性格で、この屋敷を抜けるなど、信じられない……」
俺は冷たくメリサを見下ろす。
嘘は許さない。
たとえそれがメリサだとしても、フィアを傷つける奴は許さない……っ。
けれどメリサは、ふてぶてしくも俺を睨みつけ、口を開く。
「そう……です。フィアさまは、六月さまとなり、行かれました。……フィデルさまや殿下が、ご自分になんの説明もして下さらないのは、自分がこの家に必要ないからなのだと、そう仰られて!」
「《必要ない》だと……!?」
その言葉に、俺の血の気がサッと引く。
そんなつもりでは、なかった。
ただ、ラディリアスに会わせたくなかった。それだけだ。フィアを蚊帳の外に追い出すつもりなんて、全くなかった。
けれど実際には、フィアの目から見れば、そう映ったかも知れない。
この俺が、フィアを不要だと思っていると思われた……?
フィアに? おれが? ……冗談だろ!?
「……っ、」
俺は考える。
フィアが六月となったのなら、ベッドに残された切り刻まれたドレスと、フィアの髪の毛も説明がつく。
宵闇国の服に着替えるために、自分でドレスを引き裂き、邪魔な髪を切っただけなのだろう。
ベッドには、強力な外部からの保護魔法が施されているから、フィアとしてベッドに入り、六月となって、身体能力を最大限に上げた上で、飛び出せば、普通の動体視力しか持ち合わせていない輩には、六月の姿を捉えることは、出来ない。
──ふわり……。
「!」
俺は窓を見る。
そう言えば、来た時から、窓は開け放たれていた。
柔らかな秋風を孕んだカーテンが、ゆっくり波打つ。
「……っ、」
俺は自分の不甲斐なさに、ギリと歯ぎしりする。
「リゼ!」
「はっ、」
「俺は修道院へ行く。お前は、メリサは地下牢へ入れておけ!」
「は」
リゼは深くお辞儀をすると、逃げようとするメリサをあっという間に捕まえた。
……さすがは、怪力。
華奢な少女の体躯で、大人のメリサを軽々と抱え上げ、窓の外へと消えて行く。
少女に抱き抱えられて、二階から飛び降りる……とか。メリサの恐怖はいかばかりか……。ふん。いい気味だ。
そして俺も、のんびりとはしていられない。
サルキア修道院には、あの娘……ルルがいる。
「……」
俺が皇弟派の者たちと、つるんでいた現場を見たルル。
あの後、口封じなど十分にしなかった。
確か十歳……になるかならないかの子どもだ。まだ幼いからといって、手を抜いたが、失敗した。
けれど、ルルは莫迦ではない。年不相応な、ものの考え方をする。
自分の身に危うい事など、ペラペラと喋る子どもではない。
しかし、知人に俺のことを喋っていないにしても、他国の者だからと、六月になったフィアには、喋ってしまうかも知れない。
《フィア》としてのフィアには、ルルとの接点はあまりなかったが、《六月》としてのフィアは、ルルとは仲が良かった。
六月は、『宵闇国の者は、黒髪が多い』と言って、ルルの黒髪を褒めていたから、ルルも喜んでいた。確か、会う度に、何気ない会話ではあったけれど、よく話もしていたのではなかったか……?
可能性としては有り得る。
「……っ、」
俺は唇を噛む。
ボロボロと何かが崩れゆく感じに、寒気がした。
……しかし、諦めるには、まだ早い。
すぐに追いつけば、いいだけの事だ。
俺は考える。フィアを捕まえたら、本邸に閉じ込めておこう。
周りには、流行病に罹ったとでも言えば、姿が見えなくとも、疑う者などいない。その後、途中で死んだ……とでも言えば、ラディリアスも婚約を諦めさるを得ない。
……その後、俺が、フィアのサポートをすればいい。
「……」
俺は深く呼吸をし、心を鎮める。
……大丈夫だ。
事は、俺の有利な方向に進んでいる……。
「それにしても修道院……か。また、面倒な……」
俺は舌打ちする。
修道院は、西の森への入口。
魔物のはこびるあの森へ、万が一フィアが足を踏み入れる事があったとしたら、面倒な事になる。
それだけは、何としても、阻止しなければならなかった。




