フィデルの怒り
さわさわ……と風が、レースのカーテンを煽った。
柔らかい日差しの中、その風は泣きたくなるほど優しくて、俺の神経を逆撫でする。
「メリサ……お前は、何故ここにいる? フィアはどこだ」
どうにか冷静を保ち、俺は言葉を重ねる。
けれど、そう長くは理性が保てない。
言葉を重ねて行く事に、フツフツと怒りが湧き上がってきて、自分ではどうしようも出来なかった。
どの道、メリサの処遇は決まっている。
本邸の地下牢に入れ、拷問されるかされないかの違いだけだ。
直接であろうと間接的であろうと、フィアに危害を加えたのなら、それ相応の報いを受けてもらう。
「……」
……いや、違う。
本当は分かってるんだ。
メリサがフィアにひどい事なんて、出来ないってことを……。
「……」
俺は静かにメリサを見る。
メリサは哀れな程にぶるぶると震え、立つこともままならず、その場に座り込んでいた。
「……」
それもそうだろう。
今の状況は明らかに、メリサの不手際だからな……。
どういう状況で、フィアがいなくなったのかは分からない。
それは分からないが、メリサがここにいて、フィアがいない……という今の状況が、問題なんだ。
フィアを守るべき乳母が、フィアを守りきれなかったと、証明しているようなものだからな。
たとえそれが、二人で話し合った事……だとしても、だ。
あのフィアの事だ。何か、理由があるのかも知れない。
けれど、だからと言って許すことも出来ない。状況が状況だ。
──フィアがいなくなった。
ベッドに切り裂かれたドレスと、切り刻まれた大量の髪の毛を残して──。
常に付き添うべき乳母が、傍に控えていながら、そのような出来事は、失態と言わずしてなんと言うのか……。
俺は冷たくメリサを見る。
「……っ、」
メリサは、俺の目を見て、息を呑んだ。
今がどういう状況なのか、メリサは理解している。……そんな目だ。
けれど、これから自分の身に起こるだろう出来事を想像すれば、平気でいられるわけがない。
どんなに屈強の人物であろうとも、心の底から全ての恐怖心をなくすのは、不可能だと、俺は思う。
メリサは、俺とフィアが産まれてきた時に、取り上げてくれた助産師でもある。
双子の男児……という俺たちの秘密を知ってしまって、家へ帰ることが出来なくなってしまったが、恨み事を言うでもなく、悲痛な顔をするでもなく、……むしろ率先して俺たちを可愛がってくれた。
俺たちの秘密を知る、唯一の召使いでもある。本来なら、失うべきではない人物だ。
──双子である俺たちを守ってくれ、色々なことを教えてくれた。
その事実は大きく、本当なら、例えフィアがこの屋敷から行方不明になったとしても、俺たちに愛情を持って、可愛がってくれた……というその事実があるお陰で、メリサの起こした不備など、たいていの事は、許されるはずだった。
だけど──。
「……」
俺は目を細めた。
だけど、俺は許さない。絶対に……!
フィアがいなくなった。
……それは、目の前にいるメリサと、フィアが話し合っての事かもしれない。
フィアには、そんなつもりはないのかも知れないけど、メリサ自身は、それなりの覚悟をもって、事に及んだはずだ。
その証拠に、震えて怯えた声を出しつつも、その目の光は消えていない。
……っ、忌々しいその目。
確かにフィアは、このメリサを母のように慕い、信頼している。
……メリサが甲斐甲斐しく、フィアの世話をしてきたからだ。そのため、フィアはメリサに、絶大な信頼を寄せている。
……だから兄の俺と言えども、割り込めないくらいに……っ!
俺はギリッと歯ぎしりする。
メリサに手を出したと分かれば、フィアは黙ってはいないだろう……。俺は忌々しげに、爪を噛む。
フィアのその信頼が、俺の邪魔をする……。
え? 双子である俺も、メリサに可愛がられただろうって? それなのに何故、メリサを責めるのか……だって?
……いいや、それは違う。
メリサは、俺ではなくフィアを溺愛していた。
確かにメリサは、俺のことも大切に想ってくれはしたが、それは侯爵家の息子だからだ。明らかにそれは義務感で、決められた仕事だから、そうしていたに過ぎない。
でも、メリサがフィアに寄せるその想いは、そんなモノじゃない。
フィアの境遇が、俺より過酷だったからでも、侯爵家の報復が怖かったからでもない。
──ただ単に、純粋に、
フィアが《可愛かった》からだ。
双子なのに、片方だけ可愛いなど、有り得ないと思うだろ?
それがどうしたわけか、事実なんだよ。
《有り得ない》ってフィアも、同じことを言うと思うよ? だけど、実際は、フィアの方が何倍も可愛かったんだ。
嫉妬とか、そう言うんじゃない。心の底から、俺もそう思ってるんだからしょうがない。
同じ歳の……しかも大人の愛情を奪い合うはずの兄弟として、フィアは《可愛い!》と、俺は胸を張って言うことができる。
それなりに、年齢を重ねたから、大人からの愛情が必要ではなくなったから、そんな事言っているんじゃない。幼い俺から見ても、フィアは十分過ぎるほどに、可愛かったから、そう言ってるんだ。
フィアのことは、俺が守ってやりたいと思ったし、ずっと傍にいたいと願った。
幼い頃の俺は、フィアをお嫁さんにするんだと、信じて疑わなかった。
──だけど違った。
お嫁さんに出来ないどころか、同じ部屋……同じ屋敷にいることすら出来なくなった。
とどめに、ラディリアスとフィアの婚約……!
どうにか平静を保ったが、それももう、限界だ。
早く、婚約破棄をしてもらわないと、俺の自我が保てない……!
四つ年上の、幼なじみであるラディリアスも、フィアにぞっこんだった。
言われなくても分かる。
フィアを見る目が、明らかに違った。
俺とフィアは、当然、顔や姿に違いはない。双子だから。
だけど俺とフィアは、雰囲気というか、気配というか、仕草が全く違うんだ。
フィアは誰にでも目を向け、純粋に微笑んだ。
今でもそうだけど、当時を振り返る大人たちは、必ずフィアの事を《無邪気を通り越して、まるで天使のようだ》と絶賛した。
逆に《何をするか分からないから、目が離せない》とも言った。
……無邪気過ぎて、危なっかしい。
ずっと見ていないと、どこかへ行ってしまいそうな、そんな危うさもあった。だから危険だと思ったメリサは、片時もフィアの傍からは、離れなかった。
フィアには、下心なんて微塵もない。
悪意も疑いもなく、ただ純粋に相手だけを見て、そして無邪気に微笑んだ。
だから誰もがフィアに惹かれた。
……ちょっと、危険なくらいに。
フィアの微笑みを見ていると、心が癒される。
フィアは、なんの見返りもなしに、ありのままの自分を受け入れてくれる。そして、求めてくれる。
……それがひどく心地よくて、大人のメリサですら、……子どもに慣れているはずのメリサですら、その視線に釘付けになった。
フィアを見ていると、全てを捧げたくなるし、その全てが欲しくなる。
そんなフィアから、《大好き!》って言われるんだぞ?
抱っこして……! って。
そんな事言われながら、小さな手を伸ばされれば、そりゃ誰だって、勘違いもする。
幼い頃から、その人たらしのフィアに晒され、誰よりも手を差し伸べられ、抱きしめられていた俺が、フィアの事を好きにならないわけがない。
大人のメリサですら、フィアに夢中になるのだから、免疫のない子どもの俺は、ひとたまりもない。
だからメリサやラディリアスが、フィアを可愛がったからって、俺がフィアにヤキモチを妬いている……とか、そんな事じゃない。
メリサやラディリアスから、可愛がられるフィアが羨ましいんじゃなくて、フィアを可愛がるメリサとラディリアスが、疎ましいのだ。
フィアは俺のものなのに、成長した今でも、メリサは片時もフィアの傍を離れない。
ラディリアスは、いくら言っても、婚約を解消しようとしない。
どうかするとメリサなんかは、たかが使用人のくせに、時々俺の事を睨んでくる。ラディリアスもそうだ。
フィアは、《自分のモノだ──!!》と、言わんばかりに……!
……とにかく俺にとって、メリサとラディリアスは、今も昔もイライラするほどに、目障りな存在なんだ。
俺は目を細める。
( だが、それも今日まで……)
俺は、ほくそ笑む。
フィアがメリサを気に入っていて、メリサも優秀な乳母で、フィアを甲斐甲斐しく世話をしていたから、俺には手が出せなかった。
だけど、とうとう、メリサがボロを出してくれた……!
俺の視線に、メリサが気づく。
「フィ、フィデルさま……っ、」
メリサの怯えたような声と表情、それからその一歩引いたようなその態度に、俺のイライラは更に募った。
嫌悪感を覚えるのは、この状況下でもメリサが、フィアにすがろうとしているのが見え見えだからだ。
でも今、ここにフィアはいない。
フィアももう、大人になる。
フィアは一人でも、立っていられる。
フィアにはもう、乳母などいらない……!
俺はフィアがいなくなった理由を聞いてるのに、メリサは答えようとしない。
あんなにも溺愛していたフィアがいないのに、何食わぬ顔で帰って来たのが運の尽き。
きっとメリサは、フィアの居所を知っている。
知っていて黙っている。
何も知らずにオロオロとする俺を見て、優越感にでも浸っているに違いない。
「……」
俺は静かに、腕を振り上げる。
──ごおぉぉおぉ……!
フィアの部屋に、炎の柱がうねるように現れる。
「!」
俺の視界の端で、メリサが目を見張ったのが見えた。




