フィデルの不安と策略
「はぁ……、はぁ、フィ、フィア……フィアっ!」
肩で息をしつつ、俺はフィアの屋敷の扉に手を掛けた。
開けると同時に、狂ったように叫ぶ。
「フィア……っ! フィア! いるのか? まだ怒っているのか? メリサは? メリサはいないのか……!」
けれど、どんなに叫んでも屋敷は静まっていた。フィアどころか、メリサさえ顔を出さない。こんな事は初めてだった。
けれど、荒らされた形跡はない。
襲われた可能性は低かった。
俺は小さく舌打ちする。
言いようのない不安感に苛まれ、どうしていいか分からなかった。
襲われていない……?
だとすると、フィアが消えたのは、フィア自身の希望だった……とも言える。
フィアが望んでした事……?
「フィア……?」
俺は恐る恐る、主のいない屋敷へと足を踏み入れる。
変な気配はない。
本当に、誰もいないようだ。
俺は足早に二階へと駆け上がる。
途中、二手に分かれた階段の左へ行くと、フィアの部屋がある。足音が立たないように、カーペットが敷かれた階段と廊下を走り抜けながら、俺の心臓は早鐘を打つ。
なんで……なんで? フィア。なんで、こんな事になってるんだ?
俺は泣きそうになるのを、必死に堪える。
何故だ?
この家が嫌になったのか?
女でいる事に、我慢できなくなった?
それとも……、
それとも、……俺の傍に、いたく、なかった……?
「……っ、」
ぞわり……と血が逆流するような感覚に、背筋が凍った。
そんな風には、思いたくない。
思いたくないが、そうだったらどうしよう……。
「フィア……っ、」
俺は絞り出すように、フィアを呼んだ。
フィアの屋敷は、離れにあると言っても、小さいわけではない。
そこは侯爵家。それなりの設備が施されている。
一階には食堂の他、談話室や図書室、応接室に客間が設けられ、離れには小さいながらも温室が兼ね備えられている。
当然、食事を作る厨房も一階にあり、食材を保管する倉庫がその温室のそばにあった。
温室は、大抵貴族の屋敷ともなると、見た目に美しい花を育てるために建てるのだが、フィアの好みは違った。
野菜や果物。香味豊かなハーブなどを好んで植えているので、色気もへったくれもない。
フィアは自分で料理をするという変わった令嬢だから、シェフはいないが、当然シェフ用の居住する部屋も、使用人の泊まり込む部屋も数人分、この屋敷にも用意されている。
当然、屋敷の主であるフィアが使う空間と、使用人の使う場所は、明確に分けられている。
トイレや風呂などの生活に必要な施設も、完全に分けられているから、それなりの部屋数が必要になる。
けれどこの屋敷には、フィアと乳母であるメリサしかいない。
二人は、ほとんど二階で過ごすことが多いから、事実上一階は、ほとんど機能していない。
フィアの私室が、二階にあるからだ。
唯一、ルーフバルコニーを兼ね備えたフィアの部屋は、屋敷の大きさの割にはとても小さい部屋だ。
けれどそこから見える景色が、フィアのお気に入りで、フィアは屋敷にいるほとんどの時間を、そこで過ごした。
屋敷の南側にある雑木林や、小川、湖を見るのがフィアは大好きで、暇さえあると、ルーフバルコニーへ出て、次はなんの料理を作ろうか……と、外を見つつ考えている。
当初一階に設えた乳母のメリサの部屋も、フィアの部屋から自由に行き来できるようにと、二階に造り変えた。
当然、料理好きのフィアの為に、二階になかったキッチンも増設した。
一階に行かなくとも生活できるように、全てを造り変えるほど、フィアは相当この屋敷を……いや、この部屋を気に入っていた。
(……だけど、もう、ここにはいさせない)
俺は決心する。
こんなに不安になるくらいなら、嫌われたとしても、俺の傍にいてもらう。
なんで今まで、こんなワガママ許してしまったんだ……。
無理矢理、本邸に連れて来ればいいだけの話だろ?
それが出来ないわけじゃない。
フィアはちっこいから、抱え上げることさえ出来れば、後はどうとでもなる。
フィアが喜ぶならと、わがままを許したのが、そもそもの間違いだった。
俺は唇を噛み締める。
フィアのワガママじゃなくて、俺のワガママを通せば良かった。
離れるのは嫌だと……傍にいて欲しいと、なんで言わなかったんだ!
今更本邸に来いと言われても、フィアは納得しないかも知れない。
だけどもう嫌だ。俺が我慢できない!
どうしても本邸が嫌だと言うのなら、鍵を付け替えさせ、中から開かなくしよう。
どんなに泣きわめいても、俺以外扉を開けることは出来ないようにして……。
しばらくは騒ぐかも知れないけど、それもしょうがない。どうせ一時のことだ。それまで耐えればいい。
諦めて、周りが見え始めたら、きっと俺のした事も分かってくれる……。
俺は震えるように、溜め息をつく。
なんで今まで、そうしなかった……!?
俺は自分を詰る。
そうしていれば、フィアが誰かのモノになる心配も、自分から離れていく不安も全部解消したはずじゃないか……っ。
「フィア!!」
バーン! と怒りに任せ、屋敷中に響くような勢いで、フィアの部屋の扉を開け放つ。
もう、わがままは許さない。
フィアが驚いている隙に、捕まえよう。そうすれば、逃げる暇なんてない。
ひとたび逃げられれば、俺では追いつけない。だから逃げられないように、先手を打つ……!
俺はいつでも飛びかかれるよう、心の準備をする。
「……」
けれど、フィアはいない。
俺はゆっくり、体の力を抜く。
何故?
何故いない?
……再び不安になった。
やはりここも、部屋は荒らされていない。
さらり……と外からの風が入って来た。
「……」
俺は窓へと目を向ける。
ルーフバルコニーへと続く吐き出し窓は開け放たれていて、繊細なレースを施したカーテンが、風に吹かれて緩やかに波打っている。
俺はゆっくり、辺りを見回した。
穏やかな空間がひろがる、フィアの部屋……。
フィアの優しい香りが広がる、男にしては、可愛らしい部屋。
「フィア?」
俺は恐る恐る声を掛ける。
きっとどこかに隠れているに違いない。
隙を見て、逃げるつもりだ。
だけど、そうはさせない。
俺は、そろり……と動く。
絶対に逃がさない……。
絶対に、フィアを捕まえてみせる……!
「……フィア。いるんだろ? なんで黙ってる? ……さっきの事、まだ怒ってるの?」
言いながら、部屋の隅々を確かめた。
もちろん警戒は怠らない。
逃げられたら、元も子もない。
俺は慎重に気配を探った。
「……」
続き部屋である場所も、そっと覗いてみる。
どこもかしこも、清々しいほどに整えられていて、族が押し入った様には見えなかった。
ついでにフィアもいない。
俺は顔をしかめる。
……おかしい。
「……」
だったら、ベッドにいるのだろうか?
プライベートの空間は、いくら俺がフィアの思考が読み取れると言っても、防御魔法が濃く施されている場所では分からない。
……もしかして、眠っている?
部屋全体に掛けると薄くなる防御魔法も、焦点を絞れば、全く覗けないくらいの防御を掛けられる為に、浴室やトイレ、ベッドの場所は容易には覗けない。
「フィア? ベッドにいるの? ……もう眠ったの……?」
まだ日は高い。
寝るわけはなかった。
寝るにしても、傍にメリサが必ず控えるはずだ。
なのに今日は、メリサもいない。
俺は息を殺し、ベッドの天蓋から垂れ下がるカーテンを押し分けた。
「フィ……。……っ!?」
名を呼ぼうとして、途中で俺の喉がひゅっと小さく音を立てた。
ベッドの上を見て、俺の目の前が真っ暗になる。
「フィ……ア……」
そこには、ズタズタに切り裂かれたフィアのドレスと、フィアの髪の毛が……しかも、大量に散らばっていた……。
「あ、……あぁ……。な、何が……」
理解するより、喉をついて悲鳴がほとばしる……。
「あ……う、……わあぁぁあぁぁっっ!!! ……フィ、フィアぁ! フィアっ!!」
フィア、フィアはどうなったんだ?
いったい、何が起こった?
フィアはどこにいる?
いや……そもそも、生きているのか……?
不吉な考えが、頭をよぎる。
いや、そんなことはない。
そんなことはない……ハズだ……!
必死に自分に言い聞かせた。
死んでない。フィアは生きてる。
フィアは、生きている……っ!!
だって、……だって血は……血液はついていないじゃないか。
あるのは、引き裂かれたドレスと、髪……。
「……」
ゆっくりと深呼吸し、思考を巡らせ、考える。
考えると頭の中が幾分、冷静になる。
するとフツフツと怒り、が押し寄せてきた。
フィアは生きている──。
それは、間違いない。
ドレスが裂かれているのに、血が出ていないのがその証拠だ。
族がそんな丁寧な裂き方をするものか!
例え族がそうしようとしたとしても、フィアがそれを許さない。
フィア相手に、血の一滴も流さずにドレスだけを裂ける人物など、……そんな者は、この世に存在しない──!
誰かが手引きしたか、それともフィア自身が……。
「……」
そこまで考えて、再び頭を振る。
いや、フィア自身が画策した……とは、考えたくない。
そうであるならば、フィアがこの侯爵家を捨てた事になる。
だったら、誰かの仕業である方が、幾分マシだ。
いや、
──そう、あるべきだ……!
「……」
俺は目を尖らせる。
フィアが生きている可能性を見出すと、幾分心は落ち着いた。
が、フィアをこんな目に合わせた奴を、許すわけにはいかない。
絶対に、許さない……!!
フィアは襲われた。
早く、助け出さないと──!
「メリサ……っ!!」
俺は叫ぶ。
まずは、メリサだ。
フィアを守れなかったメリサ。
共に連れていかれたのなら、仕方ない。
が、そうでないのなら、許すわけにはいかない。
手引きしたとも考えられる。
俺はぶるぶると震えながら、辺りを見回した。
「あ……。フィデルさま」
「!」
聞き覚えのある声がした。
俺の肩が跳ねる。
震えるような、女の声。
弾けるように、俺は声のした方へ目をやる。
そこには怯えきった、メリサの姿が見えた。
俺は薄く、ほくそ笑む。
「メリサ……」
俺は震えるように、その名を呼んだ。




