フィリシアの怒り
結局、川がどうして干上がったのか、誰も説明してくれなかった……。
「……」
いやいや、聞いてるよね? 今の状況、どうなってんのって! なんで教えてくれないの?
フィデルもラディリアスも、俺抜きに話して……。
……そりゃ、役に立たないかも知れないよ? だけど、状況説明くらいしてくれてもいいと思うんだ。
それなのに、この仕打ち……。
「……」
俺はムッとして、眉を寄せる。
だって、着替えたんだよ? 話を聞こうと思って。
……そりゃ、支度が遅かったかもしれないけど、それってそもそもフィデルのせいかも知れないし。
……てか! なんでフィデルが、そんなことすんだよ!
なんなの? 俺が邪魔なの?
だったら、そう言えばいいじゃん。
これは、俺たちの仕事だから、フィアは口出しすんなって。
………………。
いや、……言われたら言われたで傷つくけど。
でも、何も言われず、話に参加出来ないように罠に嵌められて、それを後から知るって……。
それもどうかと、思うんだよね……?
……。
ねぇ……何なの? 俺、仲間はずれなの?
俺は、いらない子なの……?
「…………」
そう思うと、無性に泣きたくなった。
メリサがいるから、泣けずに踏ん張る。
……だけど、辛い。
…………。
……ふんだ。
いいもんね。
そっちがその気なら、こっちだって勝手にやらせてもらう。
俺はすくっと立ち上がると、メリサを呼んだ。
「メリサ、宵闇国の服を、用意して下さるかしら?」
俺は出来るだけ、女であるフィリシアの話し方を心掛けはしたけれど、心の中は、信じられないほどの暴風が吹き荒れていて、口調を整える余裕なんてなかった。
だから、柔らかい話し方なんて出来るわけもなく、武骨な素っ気ない男丸出しの話し方になってしまった。
俺は今まで、そんな話し方をした事がない。
時々、宵闇国の六月として、男でいる事もあったけど、フィリシアの姿で《素の自分》を出すことは、今の今まで、一度もなかった。
だから当然その話し方に、メリサはギョッとする。
「フィ、フィアさま? いえ、それはちょっと……」
そう言って、言葉を濁した。
……だけど、俺だってもう、……限界だから。
「……。メリサ」
俺は低い声で、メリサを威嚇する。
……今の俺は、自分が女であり続ける必要性を感じなかった。
俺の存在を、否定するなら否定すればいい。
だけど俺は俺だから、自分らしくある為に、自分自身を守る……!
そう決心すると、俺はメリサを睨んだ。
「……。俺ずっと、言ってるよね? どういう状況なのってさ……」
ギロリと睨むと、メリサはゴクリと唾を飲み込んだ。
「だけど、誰も教えてくれない。だったら、自分で調べるしかないだろ……」
「フィ……」
「何度も言わすな。服を持って来い! 持って来ないなら、そのまま行く。謹慎中だろうが何だろうが、もう知ったこっちゃない。俺は俺として行く……!」
言って俺は、メリサから視線を逸らした。
メリサは使えないと、俺は判断した。
だから、自分だけで行動する。
誰も手伝ってくれないと言うのなら、それでいい。
どうせ将来は、一人で生きていくことを、選んだ身なんだから。……それが……その時が少し、早まるだけだ。何を戸惑うことがある?
俺はもう、女のフィリシア役なんて、やってられない。
今の今までずっと我慢して、張り詰めていた何かが、今、突然プツリと切れたような、そんな気がした。
……ずっと、我慢してきた。
我慢していた理由なんて簡単だ。
そうする事が、家族の為だと思っていたからだ。
……だけどそれは、俺自身を、蔑ろにするためなんかじゃない。
俺なりに理解して、自分で必要だと思ったから協力していたのに過ぎない。
だから苦しくなかったし、それが当然だと思っていた。
だけど、今回のは違うだろ?
こっちが聞いているのに、誰も答えてくれない。まるで俺なんか、いらないって言ってるみたいに……!
俺を無視するのなら、すればいい!
俺だって、みんなを無視してやる!
謹慎がなんだ? 帳簿消しみたいな、たったの三日間じゃないか。
その理由だって、俺たちが妙な噂を流したからって事だったけど、俺からすれば、あれは必要なことだったろ?
それなのに、婚約破棄にすら、なり得なかった。
結局、俺たちのした事は無駄に終わって、今や国の状況すら把握出来てない自分がいる。
……もしかしたら、少しは役に立てるかもしれないって、思ったのに……。
でも、話し合いの場にすら、立てなかった。
「……」
だったら、……もう、よくね?
もう、徹底的に不信感買って、地位落として、自由になってしまった方がいい。その方が、ずっと楽だ。
幸い俺には、宵闇国での地位が既にある。
生活しようと思えば、今すぐにでも簡単に宵闇に亡命出来る。
女のフィリシアは、謹慎中に行方不明になったとか何とか、適当な事を言ってくれれば、多少のお咎めはあるかも知れないけれど、どうにかなる。
娘が一人いなくなったくらいでは、ゾフィアルノ侯爵家の存在が揺らぐなんてことは、おそらく有り得ない。
必要なら、死んだって事にしてくれてもいい。どうせ悲しむ奴なんて、いるわけがないんだから。むしろ、厄介者がいなくなったと、喜ぶくらいだろう。
俺がいなくなったとしても、このゾフィアルノ家は揺るがない。それだけの地位と権力、それから名声と財力をこのゾフィアルノ家は持っているのだから……。
だからもう、俺がいなくなったとしても、構わないだろう……?
だったら、もういっそ──。
……べつに、ヤケになってるわけじゃない。
今の生活を、悲観していたわけじゃない。これはコレで楽しくやっていけていたし、女として過ごすことは、それほど苦でもなかった。
……まぁ、人と接する必要のない身分だったのが、よかったのかも知れないけどな。
だけどだからと言って、このまま屋敷の奥に隠れている訳にもいかない。だって俺は、助けることが出来るから。
水が枯れたのなら、俺がどうにか出来る。
水を操れる俺なら……。
「……」
俺は思う。
確かに、大腕振って生きてはいけなかったよ?
そう思ってもいなかったけど、実際は縮こまって生活していたのかも知れない。
「だけど、幸せだったから……」
俺はポツリと呟く。
幸せだった事には、間違いない。
ここでの楽しくて、このままでも別にいいやって、思ってたんだ。
べつに無理して一人で生きなくても、ここの別邸で暮らせばいいじゃんって。
でも──。
俺は、必要なかった。
ぼんやりと窓の外を見た。
外は悲しいくらいに平和で、あたたかくて、鳥がさえずっていて……。
でも、俺の中は、カラッポだった。
本当は、必要とされたかった。
必要だったから、女として生きた。
でも、いらなかった。
いなくても、べつによかったんだ。
本当は、厄介者だったかも知れない。
だけど、みんなが優しくしてくれるから……っ。
泣きたくなるのをグッと堪えた。
もう。
もう、いいんだ。
俺はいらないヤツだったんだと気づいたからには、ここにはいられない。
フィデルもラディリアスも、俺が必要だったわけじゃない。
ただ、自分が悪者になりたくなかったから、だから俺に構ってくれていたんだと思う。
「フィ、フィリシア、さま……?」
メリサの声が聞こえた。
もう、どうだっていい。
俺は、これから一人で生きよう。
みんなに水を配って……それから……。
俺はそんな事をぼんやりと考えながら、足を踏み出した。
そうだ。服を着替えよう。宵闇国の服。
それから、修道院へ行って、あそこの水を配って……それから……。
俺は確かに幸せだった。みんなが優しくしてくれたから。たとえそれが、取り繕った優しさであったとしても、それが何だって言うんだ!
だって、俺は嬉しかったし、楽しかった。それは間違いなく俺の感情で、偽りない事実だ。
だったら、そのお礼をしてから宵闇へ行ってもいいじゃないか!
やる事が見つかると、目の前が明るくなったような気がした。
誰も俺のゆく先を阻めない。
俺は、俺らしく、思ったように生きるんだ! これからは、自由なんだ!
そう思うと、心が軽くなった。何でも出来るような気がした。
俺は小さく微笑んで、足早に部屋へと急いだ。
フィアの乳母は『メリサ』でした。
書き換えました。R4.1.30




