フィデルの思惑
『まるで、恋人のよう──』
……フィアに、そう言ってもらいたかった。
まぁ、そう言ってくれたからって、どうなるわけでもないけど。でも、兄としてじゃなくて、少しはそういう方向で意識してもらいたかった。
フィアは……こういう事に、疎いから……。
いつからだろう? フィアを弟として、見なくなったのは。
「……」
俺はひとり、フィアの屋敷から帰る道すがら考えた。
多分、もう随分前のことだと思う。
いつからか……なんて、覚えていない。
ん? あ、あぁ。いや、多分あの時からだ。
フィアと俺が引き離された、あの時。
……引き離された……と言うか、そもそも男の俺と、女として育ったフィアの環境の違いのせいで、自然と生活の場が分かれただけなんだけど。
でも、俺にとっては、酷く苦しくて、悲しい出来事だったんだ。
初めは、些細なところから、フィアとの生活が分かたれるようになった。
一番初めは、家庭教師だ。
俺たちは同じ双子なのに、俺にだけに家庭教師がついた。
本当ならフィアにもつくはずだった。貴族ならどこの家でも子どもが三歳になると、外部から教師を雇い入れ、子どもの家庭教師とする。
……だけどフィアには、つかなかった。
乳母であるメリサが、優秀だったせいもあるけれど《フィアには不要》と、父上が判断したからだ。
男尊女卑の貴族社会だから、女として育てているフィアには、必要ないと判断されたのかも知れない。
いや、……それとも、もしかしたら、フィアの傍に赤の他人を近づけたら、フィアの秘密がバレるのではと、心配したのかも知れない。
ゾフィアルノ侯爵家は、それなりに力のある家門ではあるけれど、フィアの秘密がバレたら、一族がどうなるのか分からない。万が一のその可能性を、フィアに家庭教師をつけないことで、父上は排除したのかも知れなかった。
とにかく、理由はどうであれ、フィアには家庭教師がつかなかった。
けれどそれは貴族令嬢としてなら、なにも不思議な事ではない。現に、他家の令嬢では、家庭教師をおかないところを俺は沢山見てきたから。
……たくさん……というより、ほとんどかもしれない。
外部から雇い入れることはなく、優秀な乳母や侍女が、その役を担うことが多い。
だけどフィアは、他の貴族令嬢とは違う。
『フィアは、ボクと同じなのに……』
俺は当然、そう言った。
そしたら母上は、悲しそうな顔をされた。
『仕方がないのよ』と、そう仰られて……。
フィアは男なのに、《女》として生きている。
理由は簡単だ。俺たちが双子だったからだ。
帝国が、皇帝派と皇弟派に分れているからだ。
男尊女卑の世の中だからだ。
……。
だけど俺には、それが納得できない。
フィアは俺と一緒に、俺の弟として、生きていけるはずだった。
それなのに、その全てを失って、俺だけのうのうと過ごしている。
……ずっとその事に、負い目を感じていた。
だから、出来ることは何でもしようと思ったし、一生フィアを守ろうと心に決めた。
……多分、その頃だと思う。
フィアを弟として見なくなったのは。
その頃俺の世界は、フィア一色だった。
俺以外に、フィアを守れるヤツなんていない。だって、フィアには秘密があるから。
秘密を知る者など、俺以外にはいない。
秘密を知る俺だからこそ、フィアを守れる。俺がきっと、守り抜いてみせる。
一生、絶対にフィアの傍から離れない──!
……もしかしたら、誰よりもフィアを男として見ていなかったのは、結局、俺なのかも知れない。フィアの傍から離れたくはなかったから。
男として過ごせた俺の負い目……?
そんなの言い訳に過ぎない。
結局のところ、俺はフィアが好きだから、蕎麦にいたかったに過ぎないんだ。
フィアが弟だってことは、痛いほどに分かっているよ? だけどそれがなんだって言うんだ?
フィアが好きで、フィアを守るのに、誰かに断りを入れなくちゃいけないのか?
フィアは、俺の弟だから、俺が守る。ただ、それだけの事だろ? 俺が好きでやっているんだから、放っておいてくれればいい。
確かにフィアは、女として生きてきたけれど、けして弱いわけじゃない。
魔力量も凄く多いし、剣術の腕も、俺を打ち負かすことが出来るほどの腕前を持っている。……だから、誰かに守られる必要なんてない。
だけど俺は、フィアを守ると誓った。
『女として過ごしているからには、誰かがお前を守らなくちゃいけないんだ!』と、フィアに言い聞かせた。貴族令嬢には、必ず騎士がいるものなのだと。俺がフィアの傍にいる為に。
フィアは変な顔をしつつ、納得した。納得せざるを得なかった。
だって、自分が男だってことが一番バレたくないのは、フィアだから。
バレれば家族に迷惑が掛かるって思ってる。
だけど、それは違う。
家族は家族で、フィアを女に仕立てあげたことに、負い目を感じている。だから、フィアが《嫌だ!》と言いさえすれば、もしかしたら男として生きる道を作ったかも知れない。
だけどフィアは、わがままを言わない。
ただ一つ、《お菓子屋さんをしたい》それだけだった。
俺がフィアの騎士に、なる──!
女として生きるなら、騎士がいる。だったら俺は、フィアの騎士になる。
「……」
あの頃、俺とフィアの間の生活の違いは、確実に高くなっていた。
世間体には、男の俺と女のフィア。
所作もマナーも、習うことすら全く違う。
一日のほとんどを屋敷で過ごすフィアとは別に、俺は家庭教師から色々と学ぶ他、学校にも行くようになった。
当然そうなると、フィアと会えない日も多くなる。
それでもいつか、フィアの騎士になるのだと思えば、頑張ることが出来た。
騎士になりさえすれば、片時もその傍を離れなくて済むから。……いや、傍にいることが、必須だから。
幼い頃、僕たちはいつも一緒で、同じ部屋で寝ていた。遊ぶのもご飯を食べるのも、湯浴みするのだって一緒だった。
それなのに、俺が剣術を習い始める頃には、完全に部屋が分断された。
……体が半分に、裂かれる想いだった。
「……っ、」
まぁ、それはそうだとは思うよ? いずれ別の部屋になるのは、当然だと思う。人は成長するから。
大の男二人、双子だからってら同じ行動同じ部屋とか、……まぁ、多分気持ち悪い。……俺的には全然問題ないけど、傍目から見れば異様だ。
だけどそれが、俺には耐えられなかった。
……それに、フィアと俺の部屋を分けるそのやり方が、普通じゃなかった。
フィアは、本邸の別の部屋ではなくて、離れに屋敷を構えた。
本邸からずっと離れた、侯爵家の敷地の中でも誰も行かないような、林の奥深くに。
俺は言葉を失った。まさか、こんな仕打ちを受けるなんて……。
フィアが移ったその日、ちょうど俺は学校に行っていた。
久しぶりにラディリアスを家に招いて、食事をしようって事になってた。
ラディリアスは俺たちよりも四歳上で頭も良かったから、その日出された課題もついでに見てもらおうと、俺は喜んでいた。
それなのに、フィアが屋敷からいなくなっていた。
随分前から話は出てたみたいで、敷地の林の奥には、いつの間にか別邸が建てられていた。
家族はみんな知っていた。
知らなかったのは、俺だけ。
父上も母上も、当然フィアもメリサも知っていた。
だけど誰も俺には、教えてくれなかった。
知っていたら、絶対に止めていたのに──!
俺が真っ青になって黙っていると、ラディリアスが怒った。
『なんであんな所へ、フィアを一人でやるんだ!』
って。
俺は黙って、それを見てた。
ラディリアスが怒るところを、俺は初めて見て、驚いたのもあった。
俺だって、何でこんなことするんだって、怒りたかった。……でも、怒れなかった。怒るよりも先に、悲しさが襲ってきたから……。
これも、……これも、俺のせいなの……?
俺が、……俺たちが双子だから、フィアは一人寂しく過ごす羽目になるのか? フィアが男だってことがバレないように……?
そう思うと、俺に怒る資格なんてなかった。全ては俺のせいだと思ったから……。
『まぁ、お兄さま? わたくしは、自分で望んでやっていますのよ?』
フィアは笑って、そう言った。
大好きなお菓子作りが、たくさんできるからこれでいいんだって。
でも、……そんなわけ、あるはずがない。
家族と離れ、女として生きて、ひとりぼっちでこんな所に……それなのに……っ。
俺が悲しまないようにって、そう言ってるんだと、すぐに分かった。
フィアは、俺みたいに大きくなれなかったことを、ボヤいていたのを俺は知っている。
あの頃はまだ、俺にもよく抱きついて来てくれた。
抱きつくと、必ず背伸びした。
どうしてお兄さまは、そんなに大きいのって。牛乳をたくさんお飲みになるから? と首を傾げるフィアはとても小さくて、可愛かった。
多分、魔法を使い過ぎたんだと思う。
女性特有の、丸みを帯びた低身長を保つ魔法。
普段は隠密行動の時に、諜報部隊が使うものだというその魔法。フィアはそれを幼い頃から、ほとんど毎日使っていた。
本当なら、子どもの魔力でそんなこと、出来ないはずだった。
それなのに、フィアには驚くほどの魔力量と魔力を使うセンスがあって、それを可能にしてしまった。苦もなくやってのけた。
だからその副作用で、身長が伸びなかった。
身長だけではなくて、髭すら生えていない。
近くで確認してるから間違いない。
あれは、剃ったんじゃなくて、本当に生えていない……。
同じ双子なのに、こんなにも違う俺たち。
俺はフィアを守るために、勉学と剣術に励んだ。フィアと違って、ゴツゴツになっていく俺の体。社交の為にと着飾り化粧をするフィアは、日を追うごとに綺麗になっていく。
双子であるはずなのに、見た目は……どんどんかけ離れていく……。
かけ離れていくのを感じる度に、俺の想いは深くなる。愛おしくて愛おしくてたまらない……!
『見て。お兄さま! 可愛らしいドレスでしょ……? わたくしに似合って?』
可愛らしいドレスが来ると、フィアは決まって俺に見せに来た。
……いや、なんで見せに来るんだ……?
俺は唸る。
フィアは自分が好んでやっている、幸せなのだと見せたいに違いない。
だけど俺は、フィアの差を目の当たりにする度に、フィアを弟だとは思えなくなっていたんだ。
このままだと、とんでもない事になるのが目に見えている。
だから俺は、出来るだけフィアから目を逸らして『似合わない』と言っていたけれど、それももう限界だ。
俺は、フィアが好きだ。
誰にも渡したくないほど、フィアが好きでたまらない。
男だってことも、弟だってことも、ちゃんと分かってる。
なのに好き。……むしろ、愛している。
家族愛じゃない。
恋愛対象として、間違いなく愛している。
……さすがにこの歳だから、女性との恋愛もしたけれど、誰もフィアには到底、叶わない。
男なのに、女性よりも女性らしいフィアが、不思議でたまらない。
フィアの理想の女性像を、作りげているのだろうか? フィアは、女性と付き合いたいと思うのだろうか?
そう思うと、血の気が引く。いつの日か、好きな相手を選ぶのだろうか? それはどこかの令嬢なのだろうか?
それは、嫌だ──。
相手が女性であろうと、男性であろうと、認めたくない。
フィアには、俺が……俺だけがいればいいじゃないか……っ! 今更、誰かを求めるなんて、俺が許さない……!
「……」
だから、ラディリアスは目障りだった。
最近フィアは、ラディリアスに気持ちが傾いているのが分かる。
ずっと見てきたからか、それとも双子だからなのか、俺にはフィアの考えていることが、手に取るように分かった。
今のところ、好意を寄せているのは、俺とラディリアスしかいない。
そうなるように、裏で仕向けてきたから、それは間違いない。
だけど──。
サァ──。
優しい風が、俺の頬撫でる。
「……」
フィアの気持ちが、ラディリアスに傾いている。
本人が気づいているのかは知らない。だけどこれは、紛れもない事実だ。
だから何としても、フィアからラディリアスを剥がさなくてはならないんだ。




