依頼
「あ……、ラディリアスさ──」
「これは殿下。こちらへ来られるとは思っておりましたが、このように早いお着きだとは……。醜態をお見せ致し、申し訳ございません」
フィデルはわたくしの言葉を遮るように抱き寄せ、自分の背へと隠す。
「けれど、申し訳ございません。フィアはまだ寝起き……。殿下にお見せできるような姿ではございませんゆえ、しばらくお待ち願います」
言ってラディリアスさまの死角になるように、わたくしを抱き抱える。
「メリサ、フィアを奥に。私は殿下のお相手をするから」
「……かしこまりました。フィリシアさま、こちらへ……」
フィデルの腕からおろされ、メリサがわたくしの手を取る。
「え? でも、メリサ……」
「いいえ。奥でお着替えをされませんと、そのままでは……」
メリサは困ったように、わたくしの姿を見る。
う……。
まあ、そうだけど。
今は適当な服着てますけど、それがなにか?
「……」
俺はムスッとする。
だって今日は、だらけて過ごそうと思っていたから……。
当然、昨日と同様、コルセットすらしていない。
いや、そもそも俺、男だからね? コルセットする意味ないし。締め付けられるの嫌いなんだよ!
だからって、それを理由に俺だけ仲間はずれって、ひどいと思う。
確かにラディリアスは皇太子で、俺は侯爵家の娘って括りだけど、ラディリアスだって、俺の幼なじみって言うことには変わりはない。だったら、たまには砕けた服装でも、多めに見てくれたら良いと思うんだ。
それに今の状況は、急に訪問して来たラディリアスが悪いんだろ? 俺に非があるわけじゃない。
……ただ、だらけてるってだけで……。
俺はムッと顔をしかめる……。
それを見て、メリサも顔をしかめる。
む。
……分かったよ。
ちゃんと分かってる!
今の姿が、見るに堪えない見苦しい姿ってのはっ!!
分かったよ! 着替えればいいんだろ? 着替えれば……っ!
「はぁ……」
わたくしは諦めて、メリサの手を取る。
「フィア……!」
「!」
ラディリアスさまがわたくしを呼ぶ声が響き、わたくしは思わず振り返りました。
ラディリアスさまの切なげな青い瞳が、微かに見えたようにも思いましたが、すぐにフィデルが間に立って、ラディリアスさまの姿は見えなくなりました。
わたくしは軽く溜め息をつく。
昨日の別れ方が気になってはいましたから、こんな姿ですが、挨拶だけでも……と思ったのです。
けれど、それは無理な話ですわね。こんな姿でなど、会えるはずもありませんもの……。
わたくしは諦めて、改めてメリサの手を取りました。
「殿下。例の、川……の件でございましょうか……?」
「……あぁ、そうだが。しかし、まずフィアに……」
二人の声が、わたくしの背後で響きました。
──川……。
わたくしは、二人の話が気になったのですが、それをメリサが許すはずがありません。
メリサは、わたくしをグイッと引っ張ると『こちらへ……』と言って、有無を言わさず、奥の部屋へと連れて行ったのでした。
✻✻✻
「現状的に申しますと、今回の河川の干ばつは、広範囲に現れており、厳しい状況と言えます……」
ラディリアスはフィデルと共に、今回突然に起こった川の干ばつの事について、説明を聞いた。
説明をするのはザラスト伯爵。
謹慎中で、現在の国内の状況が、未だ掴めていないであろうフィデルとフィリシアへ、状況説明の為に、ラディリアスが連れて来たのだった。
けれどラディリアスは、頭を抱える。
(……それはもう、宮殿で聞いた……!)
苛立たしげに指を噛む。
もちろん、あからさまには噛んではいない。話を聞きながら、どうすればいいか……と考える風を装いながら、こっそり指を噛み、苛立ちを分散させた。
今回の出来事で、急遽、国土調査委員会を立ち上げ、その任に帝都の国司であるザラスト伯爵を立てた。
帝国内……特に帝都の状況を細かく分析し、理解出来ている唯一の者だと確信していたからだ。
けれどすぐに、それは人選ミスだったと後悔する。
いかんせん、話が長い。
要点を絞って話すことが出来ない上、結局、何の解決にも至っていない。
真面目な分、決められた仕事をこなすのには、もってこいの人物だが、こと緊急事態においては、伯爵自身が戸惑ってしまい、全てが空回っている……そんな感じだった。
そもそもこのヴァルキルア帝国で、干ばつが起こったことが一度もない。
豊かな山間にあるこの帝国には、豊富な地下水が存在し、水が枯れること自体が不自然なのだ。
ザラスト伯爵が、今までの帝都内の状況を把握し尽くしているとは言っても、いきなり起こった干ばつの理由までは、分からなかった。どう調べれば良いのかも、分からず、ただ無駄に時間だけが過ぎる。
その上、話が長い。
同じことを何回も聞かされて、正直ラディリアスは飽き飽きしていた。
「もういい。それは分かってる……」
「は。しかし殿下、これは今までの経緯でございますれば、それを踏まえつつ、これからの状況を鑑み、予測し──」
「あぁ、もう、だからいいって言ってるだろ? ここへ来た目的が分からなくなるから、お前は黙ってろ」
「……はい」
ザラスト卿はしょんぼりと、後ろへ下がる。
「……」
それを見て、フィデルが口を開く。
「ザラスト卿。卿のご説明のおかげで、随分と状況が分かりました。詳しいお話をしていただき、ありがとうございます……」
にっこり笑って軽く頭を下げると、ザラスト卿は機嫌を良くする。
「あぁ、ゾフイアルノ公子さま。勿体ないお言葉でございます。お役に立て、このクレイグ=ザラスト身に余る光栄に存じます……」
言って深々と頭を下げた。
それを見つつ、ラディリアスは溜め息をつく。
「今の現状は、このようになっている。現時点で、原因がなんなのか、まだ掴めていないんだ」
困った顔でラディリアスはフィデルを見た。
「謹慎中の君たちに、このような事を頼むのもどうかしているかとも思うんだが、力を貸して欲しい……」
「と、言いますと……?」
フィデルは目を細める。
「……」
ラディリアスは言葉を選ぶ。
何を言いたいのか、フィデルには既に分かっているに違いない。ラディリアスは苦々しく思いながら、唇を噛む。
「……。フィデル……分かっているだろ? ことごとく《水》がないのだ。これでは生死に関わる。少しの間で済めばいいが、原因が分からないうちは、どうすることも出来ない。……だから、《氷の城》を解放して欲しい」
フィデルは、にやりと笑う。
それを見て、ラディリアスは更に口を引き結ぶ。おそらくフィデルの手中に捕まってしまったのだろう。
けれど今の状況で、それは回避不可能だ。ラディリアスには、覚悟を決めるより他なかった。
「ふふ。《氷の城》の主は私ではありませんゆえ、なんとも返答し難いですね」
その答えに、ラディリアスが眉を寄せる。分かりきっていた事だ。
「……っ、そんな事分かっている。だから、……フィアに──」
「いいえ。会わせる訳にはいきません。フィアはまだ謹慎中の身の上でありますし」
フィデルは目を細める。
「ならば、謹慎を──」
「いえ、殿下。我々の希望は、そもそもそのようなものではないのです。おわかりですよね……?」
言ってフィデルは笑う。
ラディリアスは、ぐっと息を呑んだ。
フィデルの言わんとする事が、ラディリアスには分かる。けれどそれを呑む訳にはいかない。
──ゾフィアルノ侯爵家一族が、婚約を解消する為に動いた。
以前、皇帝である父が言った言葉が、ラディリアスの脳裏に浮かぶ。
「……っ、」
「さて、未来の皇帝は、どちらをお選び致しますか……? フィア? それとも民?」
くくく……と喉で笑うフィデルを、ラディリアスは忌々しげに睨むより他なかった。
フィアの乳母は『メリサ』でした。
書き換えました。R4.1.30